[惑う心]



 解放された、大いなる力。それが『真なる水の紋章』のものだと、すぐに分かった。にもルックにも。
 目の前の祭壇には、水とも氷とも思える、蠢く巨大な塊。それが『暴走』だということを、即座に理解した。

 ルックは、ちらと彼女に目を向けた。彼女は、まるで『信じられない』とでも言いたげな顔で、力の源を凝視している。その顔は、先ほどの『何か』ではなく、という女性そのものだ。
 ワイアットと呼ばれた男の姿は、どこにもない。辺りを見回しても、それらしい人影はなかった。

 すると・・・・・・

 カッ!!!

 突如、暴走した真なる水の紋章が、強い光を放った。同時に、自分目がけて鋭い氷の刃が襲いかかる。心臓を狙って・・・・。
 急な出来事に、反応が鈍った。避けようにも体が動かない。

 すると、その斜め左側に立っていた彼女が、咄嗟に刀を振り上げた。
 キン! という音と共に、氷の刃の軌道がずれる。
 しかし完璧には防げなかったのか、それは、自分の顔面に直撃した。

 「ぐっ…!?」
 「ルック!!!」

 ガ・・・キンッ!



 その音と共に、それまで彼の付けていた仮面が、真っ二つに割れた。しかし、仮面が割れただけで、彼に怪我は無いようだ。思わず安堵した。
 氷の刃の当たった反動からか、彼が尻餅をつく。仮面が石畳に落ちた。
 続くように、巨大な水氷からは、ワイアットが、まるで強い力に押し出されるよう飛び出してきた。今度は、自分目がけて。

 「ワイアッ………ッ!!?」

 ろくに受け身の体勢も取れぬまま、ワイアットを抱きとめた。だが、男女という体格差から、その力そのものまでは受け止め切れず、彼を抱えたまま吹き飛ばされる。
 苦悶の声を上げながら、『ルカに教えてもらった受け身のとり方が、まるで役に立ってない』と、頭の片隅で思った。

 何とか彼を受け止めることに成功したものの、腰を激しく打ち付けたためか、ジンジンと麻痺している。
 とりあえず、これで一段落ついたか? そう思いきや・・・・。

 ビキッ、ビキッ・・・・ビキッ!!

 今度は、紋章の暴走によって、辺り一面が凍り始めた。辺りには冷気が漂い、地が氷に覆われていく。

 「くッ……そ……!!」

 痺れの残る腰に喝を入れて「起きろ!」とワイアットの頬を叩く。彼は、すぐに意識を取り戻したようだが、ぐったりとしたまま起き上がろうとはしない。起きる力も残っていないのだろうか。

 「ワイアッ……っ…」
 「悪い、………失敗しちまった…。」
 「嘘…つくなッ! 狙って………やったんでしょ……が…。」

 間違って暴走させた。彼はそう言ったが、それが嘘であることは分かっていた。彼は、自分と紋章を守る為に、自ら暴走を引き起こしたのだ。破壊者と呼ばれる彼等に、決して紋章を渡さぬ保険をかけるために。

 「ったく………私の心配なんて、しなくても…」
 「へっ…。後ろばっか見てるお前に………言われたかねぇよ…」
 「っ…この……馬鹿ッ!!」

 気のせいか、痺れが足にきている気がした。どうやら打ち付けた場所が悪かったらしい。額からは汗が滲み、意識は朦朧とし始めている。そういえば、先ほど彼を受け止めた時に、少し頭を打った気がする。
 汗が目に入ったのか、それとも、彼の核心をついた物言いに、なんの否定も出来ない自分に呆れたのか・・・。霞み、滲む世界。ぐらぐらと揺れ続ける感情。
 彼が、自分達を守るために行った『あえて暴走させる』という行為。

 「ワイアット、私は…!」
 「……言うな、。お前は…………………生きろよ……。」

 ふと視界に影がかかった。自分と彼に。
 直後、背後に人のものではない気配を感じ、振り返ろうとした。
 だが、首を打たれ、意識が暗転した。






 セラは、ひたすら遺跡の奥を目指して走っていた。縺れそうになるドレスの裾を、気にとめることもなく。
 ようやく仲間達のいる場所へたどり着いた時、目の前に広がった光景を見て、唖然とした。

 「……!?」

 カラヤの民族衣装を身に纏い、地に伏している男の隣で、自身の母とも呼べる人物がぐったりと地に伏していたのだ。
 思わず声を荒げ、彼女のそばへ駆け寄る。だが、それを邪魔する者が立ちはだかった。ユーバーだ。

 「ユーバー、退きなさいッ!!!」
 「……安心しろ。殺してはいない。眠ってもらっただけだ。」

 それで少し安堵する。だが、怒りは収まらない。
 眠ってもらったということは、目の前の男が、彼女に手を上げたということだ。キッと強く睨みつけると、彼はニタリと笑う。

 視線を動かした。視界に入ったのは、ルックだ。
 彼は、尻餅をついていた。見れば、それまで付けていた仮面は真っ二つに割れ、その傍に転がっている。何かしらの衝撃で割れたことは確かだろうが、彼は少し首を振ると、忌々しげにカラヤの男へ目を向けた。

 「くっ……よくも、こんな……」
 「お………お前らに、奪われるくらいなら……」

 カラヤの男が、『ざまぁみろ』とばかりに笑う。だがその表情も、無造作に踏みつけたユーバーによって苦痛のものに変わった。
 それを横目に、今まで黙って沈黙を保っていたアルベルトが、口を挟んだ。

 「紋章の暴走が、何を引き起こすか、知らないわけでもあるまい。50年前に、その目で見ていたはずだぞ。」
 「あ……あぁ……だからこそ……お前らには……真の…紋章は…………渡すわけには……」
 「いいのか? お前も、この遺跡も……そしてグラスランドのこの辺り一帯も、全て吹き飛ぶことになるんだぞ。」
 「それが……どうした? 俺には……………精霊の加護があるんだ…………ぐぁッ!!」
 「ふん。迷信を。」

 戸惑うことなくそう言った彼を、ユーバーが『下らない』と言いたげに踏みつけ、足で転がす。
 そのやり取りを聞きながら、セラは、ルックの傍へ跪いた。

 「い、いったい、何があったのですか?」
 「だ……大丈夫だよ…………セラ。」
 「ル、ルック様……ルック様…………あなたがいなければ、私は……」
 「大丈夫……大丈夫だよ…………セラ……。」

 怯える赤子を宥めるように、落ち着かせてやるように、ルックは、優しい口調でそう言った。そして、支えようとする彼女を制し、もう一度「大丈夫だから…。」と言って立ち上がる。
 ふと辺りを一度見回して、ユーバーが眉を顰めた。

 「しかし、これは厄介なことになった。一度、逃げた方が良いな。」
 「えぇ………その後に、回収を……。」

 同意するように頷いたアルベルトを見つめながら、ルックは、考えていた。恐らくセラも同じことを考えているに違いない。

 『をどうするか?』

 ワイアットという男は、放っておいてもこのまま息を引き取るだろう。現に彼は、呼吸をすることもままならないでいる。
 だが、彼女は・・・・・?

 「彼女は………どうするのですか?」

 その心境を読み取ったのか、アルベルトがそう問うてくる。それに言葉を返したのは、ユーバーだ。

 「ククッ、何を言う? こいつは…」
 「……セラ。」
 「はい…。」

 連れていく、とユーバーが口にする前に、ルックはセラに指示をした。それに答えるよう、彼女がロッドを一振りする。
 の真上から光が落ち、その周りに波紋を広げた。ユーバーが反論する間もなく、彼女は、光に飲み込まれて姿を消した。

 「ルック、貴様ッ!!!」

 咄嗟にユーバーが牙を剥いたが、彼とはっきり視線を合わせ、冷静に言葉を返した。

 「ユーバー。一つ言っておく。お前がどう足掻こうが、彼女が僕らと行動を共にすることは、絶対に無い。」
 「……どういうことだ?」
 「彼女が、僕らの『目的』に共感するはずが………ないからさ。」
 「…………。」

 すると、アルベルトが横から声をかけた。それは、核心を突くものだった。

 「ならば、何故………彼女の息の根を止めなかったのですか?」

 それまでのやり取りで、アルベルトには、ルックとセラと三人の関係が見えていた。彼等は『家族』だったのだと。しかし、いくら家族だったとしても、『邪魔になる』のなら心を鬼にするべきではないか。
 アルベルトにも、もちろん家族はいる。血を分けた弟が、炎の運び手にいる。だが、自分がルックの立場ならば、多少の躊躇はあるものの、目的の邪魔をするならば『排除』を選ぶ。

 それを踏まえて、そう言った。『殺すことが出来なくとも、せめてどこかに監禁しておくべきではないか?』と。
 だが当のルックは、その言葉に怯むどころか、逆に睨みつけてきた。余計なことは言うな、と言うように。
 だから、黙ってその視線を流した。彼の心に、まだ迷いがあると判断したからだ。

 「……貴方が、迷っているならば、私が口を挟むべき事ではありませんが…。」
 「ならば、アルベルト…………きみは、少し口を慎むんだな。」

 意外というか、予想通りというべきか、彼の語尾は荒々しいものだった。けれど、極力それを出さぬよう努めていることも、アルベルトには分かっていた。視線の先には、拳を握りしめている姿。
 アルベルトは、その言葉通りに口を閉じた。『彼女』に再開するまでは、決して見られなかった彼の”想い”を知って。
 そして、その心の奥底に垣間見えた『何か』に、見て見ぬフリをして・・・・・。



 吹き抜けてゆく風は、心なしか、動揺を見せている気がした。