[同士]



 夜空を見て思い悩み、海の中に月が沈むと、太陽が顔を出す。
 このまま夜が続けば良いのに、という想いを持ち続けていたとしても、それとは裏腹に夜は明け、闇は光の中へと消え去る。それを永久に繰り返しながら。

 「…………はぁ。」

 一睡もできなかった。
 昨晩、の放った言葉が、頭にこびりついて離れなかったからだ。
 夜を見上げ、物想いにふける内に空は白み、明日が今日になった。

 少し隈のできた目を擦りながらベッドから起き上がり、コートを羽織って部屋を出た。部屋から出るのは、久しぶりだ。
 そんな自分に真っ先に駆け寄ってきたのは、いつものごとくアルドだった。

 「おはよう、テッドくん!」
 「…………あぁ。」

 優しげな笑みをもって話しかけてくる彼に、俯いてそう答えた。自分のそっけない態度でも気にならないのか、彼が笑みを崩すことはない。

 「よかったら、食事に行かない?」
 「………いや、やめとく。」
 「そっか…。」

 誘いを断ると、彼は残念そうな顔をした。眉尻を下げ、すがるようなその瞳に、誰かを見た気がした。廊下を見回していると、彼はどうしたのかと聞いてくる。
 まず、会わなくてはならない人物がいた。会って、話をしなくてはならない人物がいた。
 昨晩、自分に差し入れを持って来てくれた『彼女』に、言わなくてはならない事があった。

 会いたかった・・・。

 しかし、どれだけ辺りを見回してみても、彼女の姿は見つからない。
 アルドがもう一度、どうしたのかと聞いてきた。どうしようかと悩むよりも、彼に聞いた方が早いか。

 「……は?」
 「え?」
 「……は、どこにいる?」
 「えっと…。」

 その質問に驚いたのか、彼が目を丸くした。それもそのはずで、先日、自分自身で彼女に「構うな!」と強く言ったのを、彼は目の前で見ていたのだから。その時、彼が酷く心を痛めた顔をしていたのを覚えている。
 そんなことを言った自分が、今、こうして彼女を捜しているということに驚いているのだろう。しかしその顔は、みるみる内に笑顔になった。

 「ちゃんは、多分……部屋にいると思うよ!」
 「……そっか。」
 「さっきお邪魔した時、クッキーをご馳走になったんだ。まだあると思うから、早く行っておいでよ!」

 どうやら、ついさっきまで、お茶会をしていたらしい。
 よくよく彼の顔を見てみれば、その口の端にはクッキーの食べカス。いい歳して・・・。それを指摘してやると、彼は顔を真っ赤にして「え、本当?」と口元を払った。
 それがなんだか面白くて、気付かぬうちに笑っていた。

 「………ありがとな。」
 「えっ…?」

 それだけ言って、次に、彼女の部屋へと足を向けた。






 「初めて……だよね。」

 小さくなる蒼い背中を見ながら、アルドは、そう一人ごちた。
 初めて。本当に初めてだ。彼の少年から、そんな言葉がもらえるとは。
 アルドは、これまであの少年の拒絶を・・・まるで心にもないような拒絶の言葉を、心とは真逆の反抗心を、何度も何度も聞いてきた。

 アルドは、彼女を大切にしていた。彼女の悲しむ顔は見たくなかった。けれど、あの少年のことも気がかりだった。
 あの一件から、少年は部屋に籠り、彼女はその部屋に近づかなくなった。もし、このまま二人が仲違いしたままだったらと深く心を痛めていた。

 昨夜、彼女が少年の部屋へ差し入れを持って行ったことを、もちろん知っていた。でも同時に恐れていた。もし少年が、彼女の心に気付かなかったら・・・と。
 しかし、それは先の少年の言葉によって否定された。

 「本当に……良かった…。」

 ただただ安堵し、アルドは微笑んだ。






 「…………いるか?」
 「……テッド?」

 扉をノックすると、部屋の主はすぐに出てきた。少し開いた扉からは、寝不足そうな顔が見える。

 いきなり現れたテッドに、は驚いた。しかし、すぐに笑みがこぼれる。
 彼を部屋に招き入れて席を勧めてから、棚からティーセットを取り出していると、彼は部屋の中を物珍しげに見ながら呟いた。

 「なんか……凄い部屋だな…。」
 「ん? あぁ、これ?」

 どうやら彼は、部屋の中に所狭しと置かれた数々の品に驚いているようだった。
 まぁ、彼が驚くのも無理はない。なぜなら、この船に乗って以来自分には、贈り物の類が数多く送られていたからだ。
 その大半は、非戦闘員であまり船の外に出る機会のない自分に対する、からの『お土産』という名のプレゼント。そして、それ以外は仲の良い友人や、お茶友達のオスカルやデボラから。
 最初は、それらを机やベッド際に置いていた。しかし、そうこうして物を貰っていく内に、遂に置き場所がなくなった。どうしようもなくてアルドに頼み、そのいくつかを彼の部屋に置かせてもらっていたのだが、それでも追いつかない。
 果ては箱どころか包み紙さえ開けていない品物たちは、床に山積みという形で部屋のオブジェと化していた。

 「……誰からなんだ?」
 「ん、殆どから。」
 「……?」
 「ほら。私って、この船から殆ど出ないでしょ? だから、いつもお土産にって買って来てくれるんだよね。」
 「外に出たいなら、出ればいいだろ? それと、貰ったんならせめて箱から出してやれよ。」
 「箱から出したら、それこそ部屋が滅茶苦茶になるけど?」
 「……………。」

 ティーカップに紅茶を注ぎながら答えると、彼は無言になった。それが正論であると理解したらしい。紅茶を差し出して、棚からクッキーを取り出し、テーブルに置いた。

 「そうそう。これもからのお土産。美味しいよ!」
 「え、あぁ。………………ありがとう。」
 「!?」

 あのテッドが、礼を言った。思わず、心の底から戦いてしまう。
 それが不快だったのか、彼は顔を顰め、クッキーを手に取った。

 「何だよ…。俺が、礼を言っちゃあおかしいか?」
 「い、いやいやいやいや! そういうワケじゃないんだけどね…。」

 頬杖をついてクッキーを頬張った彼に、頬をかきながら目を逸らす。
 そうだ、今のは余りに失礼だった、と。
 しかし、が驚いてしまうのも無理はなかった。



 テッドは自ら『構うな』『近づくな』と言っては、人を避ける。決して誰かを近づけることはしない。
 ただし、人に干渉されることを大いに拒むこの少年は、人を近づけない代わりに、自分のことは自分でやった。それは部屋の掃除であり、衣類の洗濯、また他諸々。食事を作ること以外は、全て自分でやっていた。
 衣類の洗濯などは、専門の人間が担当しているのだから任せればいいのに、彼はそれすら拒んだ。

 いつか、彼の服の裾が糸崩れしていた時があった。それをアルドが見つけ、が「縫ってあげる!」と世話を焼こうとした。だが、彼は「自分で出来るから構うな。」と言って、それを拒否した。
 しかし、有無を言わさず無理矢理服を脱がせて、が繕った。繕い終わった後、彼は礼を言わなかった。もちろん、彼にとっていらぬ世話だと二人はよく理解していた。だから、礼など期待していなかった。しかし・・・。
 「余計な事を…。」という言葉が、彼女の堪忍袋の緒を簡単にブチ切り、その拳が火を噴いたのは言うまでもない。

 それ以降も、アルドとは、彼になにかと世話を焼いた。しかし、彼が礼を言ったことは一度もなかった。
 その彼が、礼を言ったのだ。
 元々、人を近づけないように意図していたのは分かっていたし、そういった意味をもっての行動だったのだろうと推測していたが、ここでそう来るとは、自身も思わなかったのだ。



 それ故に、どう反応したら良いのか、考えた。
 なんとなく気まずいのか、彼は、先程からひたすらクッキーをモシャモシャモシャモシャ頬張っている。

 「テッド…。」
 「……なんだよ。」
 「何か、あったの?」
 「は…?」
 「だって、テッドがお礼言うなんて…!」

 テッドは視線を上げた。すると彼女は、頭を抱えて悶えている。「あのテッドが? ありえない! 天変地異の前触れ!?」など、なんとも失礼極まりない発言。
 思わず溜め息が漏れたが、どう反応したら良いか分からない、とばかりに混乱する彼女の名を呼んだ。すると「あぁ、ごめんごめん。」と言って、彼女は席につく。

 「んで、どしたの?」
 「……………。」
 「なんか、用があったんじゃないの?」
 「…………その、昨日の…。」

 言いづらそうな彼の言葉で、は瞬時に理解した。昨日の差し入れの件だ。
 きっと彼は、そのお礼を言いに来てくれたのだろう。
 故に、黙って彼の言葉を待った。

 「昨日は……その…。」
 「うん。」
 「………その……。」
 「うん。」
 「……………。」

 言葉が見つからないのか、彼は、そこで沈黙してしまった。
 それでも、気長に待った。多分、恥ずかしいのだ。今まで、決して礼を口にしなかった分を言おうとしてみると、それはとても難しいことなのだろうから。
 先ほど、とんでもない反応を見せてしまった。だから彼は、別の言葉で置き換えようと頭を働かせているのかもしれない。
 なんとなくそんな風に思えてしまい、口を出してしまった。

 「テッド。」
 「……?」
 「テッドが思ったように……テッドの言葉で言ってくれれば、嬉しいんだけどな。」

 助言するつもりはなかったが、そう言うだけで彼の心のつかえが取れるかもしれない。そう思い、そう言った。
 彼は暫く俯いていたが、やがて、ポツリと言った。

 「昨日は……………サンキュな。」
 「うん。」
 「それと、この前は……その、突き飛ばしたりして…………悪かったよ。」
 「うん、気にしてないよ。」



 顔を上げられなかった。
 礼を言い謝ったものの、それからどういう顔をすればいいか分からなかったからだ。
 それでも、その気持ちは、彼女に充分届いたようだ。彼女は微笑んでいた。その笑みが、なんだか自分にはとても眩しい。

 「そ………それだけだ。」

 余りに気まずくて、部屋から出ようと逃れるように椅子から立ち上がった。だが、足がテーブルにぶつかり大きく揺れた。直後、ガチャンという音の後に、テーブルにも床にも茶色の液体が飛び散る。カップが割れたのだ。

 「あっ…!」
 「あーあ。やっちゃったねー…。」
 「悪い、俺…!」
 「いいっていいって! 私が拾うから、あんた、ホウキとちり取り借りてきてよ。」

 慌ててカップを拾おうとすると、彼女がそれを制した。そしてそれを拾い始める。言われた通り、ホウキとちり取りを借りに外へ出ようとすると、逆に勢い良く扉が開かれた。

 「ちゃん、どうしたの!? なにか割れる音がしたけど…!!」
 「アルド…、どしたの急に? 何でもないよ。カップが割れただけだから。」
 「そ、そうなの? あぁ、良かった…。」

 もの凄い勢いで現れた彼に、彼女はそう言って、またカップを拾い始める。そんな彼女を茫然と見つめながら、テッドは実に冷静だった。
 アルドの登場を目にし、ふと疑問。カップが割れてから三秒と経たないうちに、彼は現れた。例えば、彼がいつものように廊下を歩いていたとしても、この部屋に来るまでにはそれ以上の秒数がかかるのではないか。瞬く間に現れた彼は、まるでこの部屋の前でこっそり自分たちの行く末を見守っていたような・・・。

 そう思っていると、アルドと目が合った。だが、彼が気まずそうに目を逸らしたことで、確信する。あぁ、こいつはきっと、俺達の話を聞いていた。ちゃんと仲直り出来るかどうか心配で。きっと彼は、扉の前に張り付いて、何かあったらすぐ仲裁できるようにと、自分たちの様子を伺っていたんだ。

 そう考えたテッドは、彼の気持ちに免じて、素知らぬフリをした。
 彼は、ホッとした様子で、微笑みながら彼女に近づく。

 「ちゃん、本当に大丈夫? それ、僕が拾うから…。」
 「ん、大丈夫だって。それより、ルイーズさんに、ホウキとチリトリ借りて来てくれる?」
 「え? う、うん…。」

 本当に、なんでもなさそうに彼女は言った。それと理解したのか、彼は急いで部屋を出ていく。
 彼を見送った後、テッドは、彼女の傍にしゃがみこんだ。

 「……俺がやるよ。」
 「いいよ。大丈夫だし。」
 「……俺が割ったんだから、俺が始末する。……本当に、怪我はないか?」
 「だーかーらー! 大丈夫だってば! この部屋の主は、私なんだからね! 大丈夫ったら大丈夫なの!」
 「でも……怪我でもしたら…。」
 「大丈夫だってば! っ………いィったーッ!!?」

 本当に大丈夫大丈夫しか言わなかった彼女が、手を切った。どう考えても、彼女の性格から考えて気を使っていたのだろう。
 全然大丈夫じゃない、ほれみたことか。テッドは溜め息をついた。

 「はぁ……言わんこっちゃない。」
 「平気だってば! ほっときゃ治るし。」
 「……ってか、血出てるぞ。」
 「あ、ほんとだ。ちょっ…ちょ、流血してるんですけど!?」

 彼女は、そこで初めて驚いたようだ。なにしろ切ったのは指ではなく、親指の付け根から手首近くまで。切り口は浅いのだろうが、鮮血がダラダラ流れ落ちている。

 「はぁ……。取りあえず、手袋外せ。」
 「へ…?」
 「見てやるから、早く手袋外せって言ってるんだ。」
 「えっ、い…いや、いいよ! 自分で出来るし…!」

 それ以降、彼女は押し黙り、ソワソワし始めた。
 ・・・埒があかない。そう考えて、その手袋を外そうと右手を伸ばしたが、彼女はそれを差し出すどころか逆に引っ込めてしまう。
 その態度に大げさに眉を寄せてみせた。ほら、とっとと手を出せ。無言でそう促した。
 だが、彼女は左手で右手を庇い、頑として出そうとしない。

 「。」
 「ご、ごめん……無理。」
 「何でだよ?」
 「だって……自分で手当できるし?」
 「……なんで疑問系なんだよ…。」

 一向に止まる気配のない、手の平から流れ出る血。早く止血しなくてはならないのに・・・。
 そこで、ふと、脳裏に昨晩の件が蘇った。やけに手当てを拒む彼女が怪我をしたのは、右手。そう、右手だ。

 『そっか……忘れてた。』

 人には言えない”事情”。彼女が隠そうとしている事に、ようやく気付く。いや、思い出した。
 昨晩、が言っていたじゃないか。遠回しに、彼女は真なる紋章を所持している、と。
 そして、自分がそれを知っていることを、もちろん、彼女が知るはずもなく・・・。

 「………出せ。」
 「………無理。」

 どうするか。
 これほどまで、人に拒まれたことがなかった。自分が拒むことに慣れていないわけではないが、他人に拒まれることには、全く慣れていない。
 しかし、手当てはしないといけない。もし手に破片が入っていたら、一大事だ。
 そう考えていると、猛ダッシュでアルドが戻ってきた。彼は、彼女の怪我を見て大層驚いたようで、ホウキとチリトリを放り投げてしゃがみ込む。

 「なっ! ど……ちゃん、どうしたの!?」
 「あ、なんでもないよ。ちょっと切っただけだから、大丈夫。」
 「なに言ってるの!? すごい血が出てるじゃないか! 早く手当てをしないと!」
 「いや、大丈夫だって。傷も浅そうだし…」
 「浅そうだしって、もし傷が膿んだりしたら!」
 「ちょっ………アルド、ダメっ!!」

 本人以上に慌てたアルドが、その手を取った。彼女はそれを拒んだが、成人した男の力に適うはずもない。
 「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して!」と、アルドが彼女の革手袋を取る。

 テッドは、最後までどうするべきか迷っていた。アルドを止めるべきか、それとも、自分がすぐに医務室へ連れていくべきだったのか。しかし、手袋が取り払われてしまったことで、それらの考えは打ち消された。

 手袋を取った彼女の右手の甲に・・・・・”それ”はあった。
 くっきりとした淡い縁取りで彩られた『紋章』が、そこに。
 どうしてだろう? その刻印に視線が吸い寄せられて、目が離せない。

 「これは…?」
 「……………。」

 アルドの質問に、彼女は黙っていた。慌てたように左手でそれを覆い、瞳を揺らしている。
 彼は、何も知らない。知らないからこそ、そう問えたのだろう。
 テッドは、何も言えなかった。

 「ちゃん、これって…?」
 「これは……その……。」
 「………真の紋章、か。」

 無意識に、そう呟いてしまった。



 『真の紋章を持つこと、誰にも知られない方が良いよ。』

 以前ルックが放ったその言葉を、は、今まで忠実に守ってきた。
 に自分の使命としてそれを伝えたが、それ以外の人間には、例え友人であろうと話そうとは思わなかった。周りに知られぬように革手袋を身に付け、その秘密を守り続けていた。

 真の紋章を持つ者は、老いることがない。この時代へ来る前に、それらを所持する者達と暮らしていた。レックナートとルックと共に。
 二人は、自分と同じくそれらを所持する者として、老いることもなければ、それを気味悪がったり不気味だと口にしたことすらない。それが『当たり前』だったからだ。
 自身、そういった者達と生活していたため、不老という言葉すら忘れていた。それが自分にとっての”普通”であったし、その言葉の”本当の意味”をまだ知らなかったからだ。

 しかし、この時代へ来て『それ』の持つ意味を思い出した。
 真なる紋章。それを所持しない者にとってみれば、不老とは、実に希有な存在だろう。もしかしたら、老いない存在を”化け物”と言う者もいるのかもしれない。
 けれどそれは、今の彼女にとって未知なる領域だった。まだ知らない事だった。

 そして、それらを所持する者達には、必ず、膨大な力が約束される。それは、富や権力を望む人間にとっては、喉から手が出るほど欲しい『力』だ。
 何より、それを力づくで奪い取ろうとする国すら存在するという。その国に気付かれれば、何をされるか分からないのだ。
 そう教えられた彼女が、恐れを抱いて紋章を隠そうとするのも、当然といえば当然だった。老いることもなく、その気になれば、一国を支配することすら可能にする『真なる紋章』。
 だからこそ、テッドやアルドに”それ”を知られることを恐れた。

 何と言われるのだろう? これから彼等は、変わってしまうのだろうか?
 自分は、この力を使って国を支配しようとか、誰かを傷つけようとは思っていないのに。

 混乱と恐怖から、そんな気持ちに捕われた。



 「こ、恐い? 気味、悪いかな…? でも、私は……。」

 そう言って口を閉じる以外、選択肢が無かった。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・。
 彼等とは、もう一緒に居られないかもしれない。自分を恐れて、離れていってしまうかもしれない。彼等と、別れなければいけないのだろうか・・・?
 何故、もっと注意できなかったのか。不覚にも程がある。何故、咄嗟に上手い言い訳ができなかったのか。どうしようもなく不安で、焦りだけが自分を追いつめた。自分を責めることしか出来なかった。

 あぁ、誰か助けて。
 どうしよう。
 誰か、”時間”を戻して。

 何度も何度も、そう念じた。



 ポンッ。
 自分の肩に、誰かが手を乗せた。
 顔を上げれば、アルドが微笑んで、こう言った。

 「そんなことないよ。真の紋章を持っていたとしても……ちゃんは、ちゃんだよ?」
 「っ……!」

 目の前が、見えなくなった。どうしてだか、涙がボロボロ溢れる。

 「恐く……ないの…?」
 「どうして?」
 「だって、私……歳取らないんだよ? 老けないんだよ? それに、コレ持ってるだけで凄い力があるらしいんだよ?」
 「恐いなんて、そんなこと思わないよ。それに良いじゃないか。ちゃんは可愛いんだから、ずっと若い姿でいられるのなら、それで。」
 「なんで…?」

 彼は、優しくポンポンと肩を叩いてくれた。そして、ゆるゆると背中を撫でてくれる。
 涙が止まらなかった。彼の言葉が、何よりの救いとなるのだから。老いない自分を気味悪がることなく、優しい言葉をかけてくれる彼は、何よりも暖かい存在。
 すると彼は、無言で突っ立っているテッドに言った。

 「ねぇ、テッドくん。恐くなんかないよね?」
 「……………。」



 アルドの問いかけに、テッドは、何も言えなかった。
 彼女が、涙に濡れた目で自分を見つめている。その瞳は、自分の答えを恐れているようにも見えた。
 ・・・・まったく。お前は、本当にバカだな。人の世話を焼く前に、自分のことを先に考えとけっての。そう思った。
 けれど、そんな言葉をかける気持ちなんて、微塵もない。

 「テッドくん?」
 「………恐いわけないだろ。」

 それは、自分と同じ”物”を持つから・・・なのか。
 それとも、別の何かが、自分の心に芽生えていたから・・・なのか。
 分からなかったが、今は、ただ『その涙を止めてやりたい』と思った。
 故に無意識に、言葉が口をついて出る。

 「お前は……………怒ったときの方が、断然恐い。」
 「っ!!」
 「テ、テッドくん?!」

 本当に、無意識に出た言葉だった。だが、どうやらそれが功を成したらしい。
 それまで泣いていた彼女が、途端に怒りを露にした。それがなんだか嬉しくて、更に煽ってやる。

 「お前、怒った顔、鬼みたいだからな。」
 「ふ……ざけんなテメェ! 人がせっかくシリアスしてんのによ!!」
 「ちょっ、ちょっとちゃん! 落ち着いて!」

 いつもの彼女に戻った。それにホッとする。
 怒りに任せて、自分に掴みかかろうとしている彼女の姿。それをアルドが「傷の手当てが先だよ!」と、羽交い締めにして必死に食い止めている。

 知らず知らず、口元が緩む。こんなに穏やかな気持ちになれたのは、一体いつ以来だろうか。そんな考えた過ったが、その先を考えると恐くなったので、すぐにそれを打ち消す。

 「………反論したいなら、小指の先ぐらいでも、ちっとは女らしくなってみろ。」
 「ッ、こんのクソガキャ! マジぶっ飛ばす!」
 「ちゃん! 血ぃッ! 血ぃ出てるから、大人しくしてー!!」



 海鳥が鳴く、そんなある日。
 テッドには、二人目の『同士』ができた。

 彼女がそれと知るのは、もう少し先のこと・・・。