待ちこがれていた 時の到来
長い時を共にした 師への離反
固い決意を胸に後にした 森に覆われた巨大な塔
この道を もう二度と歩くことはないと 振り返ることはせず
決して後悔はしないと 誓った・・・・
燃え盛り 蠢く炎の中
追って来た者に 目を奪われた
沸き上がる 何故? という思い
紡がれた 「帰ろう」という言葉
それを 決して受け入れることはしなかった
受け入れることが出来なかった
消して望まぬ再開に
僕は 何度 きみを遠ざけたのだろう?
僕は 何度 きみを・・・・・・・・・傷つけたのだろう?
[向日葵と百合]
真なる水の紋章。
それを手に入れることに失敗してから、幾日か過ぎた。
あの時、あの場所で、暴走した紋章を前に『逃げる』という判断を下したことで、ルック達は大きなミスをおかした。それは、今までの中で、一番手痛い失敗だった。
結果としてみれば、あの地へ戻ることも叶わず、あれほど四苦八苦した計画を嘲笑うかのように、”運命”と呼ばれるものは、炎の運び手を名乗る者達に『真なる水の紋章』を委ねた。
運命を否定したかったものの、今回ばかりは、そうと認めざるを得なかった。
とある日のこと。
ハルモニア神殿内にある自室で、ルックは、一人腰掛けていた。
使用しているその椅子や書類仕事をするための机は、およそ己の趣味とはほど遠く、豪華とまではいかずとも、それに近い絢爛さがある。綺麗に整頓されたその机には、所々細かい細工の施された装飾が散りばめられていた。
これらは、決して己の趣向にそったものでは無い。
ルックは、ふと机に視線を移した。そこには、控え目に『向日葵』と『百合』の花が生けられている。
これは、セラが生けたものだ。豪華な造りの割には殺風景に感じるこの部屋に、と置いてくれたものだ。その周りには、花の甘い香り。
この香りが嫌いではなかったが、向日葵と百合、という組み合わせに、思わず眉を寄せ、目を伏せた。
あれは、セラが、まだ幼い頃だった。
大きな街へ出向いた際、少女が『母』と呼ぶ彼女が、可愛い娘の為にと『百合』の花束を購入してきたことがあった。
そして、それを「イメージぴったり!」と言って少女に渡した。その時、娘は、僅かに口元を綻ばせ、小さな声で「ありがとうございます…。」と呟いていたのを、今でも覚えている。
次に彼女は、娘の頭を撫でながら「私は、なんの花?」と、面白半分に自分に聞いてきた。性分からか「…さぁね。」と答えてみたものの、ふと出店に見えた『向日葵』を見つけて、それが彼女にピッタリだと柄にもなく思った。
思わず「…向日葵。」という言葉が、ぶっきらぼうに口をついた。それを聞いた娘が「向日葵も…欲しいです…。」と言ったのを、あの時の自分は、とても穏やかな気持ちで聞いていた。
それから、だったか・・・・。
人の全く近づく事のない寂しい塔の中、その所々に、向日葵や百合が生けられるようになったのは。食卓や洗面所、そして自分の部屋や彼女の部屋にも。
それは、習慣となっていたのか。今も・・・・癖なのだろう。百合と共に向日葵を生けるのは。
でも・・・・今は、それを見ているだけで、責められている気がした。
それは、セラにかもしれない。そうじゃないかもしれない。
いや、責めているのは・・・・・・僕自身?
とんでもない加害妄想であり、被害妄想だ。これを生けるのは、娘の『習慣』というだけのこと。
それでも、自分に大輪を向けて花開く『向日葵』と『百合』を、もう直視出来なかった。
思い出に心を委ねてから、どれほど経ったか。
花から視線を外すと同時に、ノックの音。控え目なそれは、セラによるものだ。
「セラか……入ってくれ。」
「はい…。」
キ、と音をさせて扉が開く。長い青のドレスを揺らめかせながら、セラが部屋に入ってきた。彼女と暮らし始めてから、もうどれだけの時を過ごしただろう。あれほど小さかった少女が、もう一人前の女性だ。
そう思ったが、すぐに頭を切り替えて、問うた。
「……首尾は?」
「はい……今のところ、そのような素振りは、見せていません…。」
ですが、と、彼女が言いかけたことで、目を細める。
「…続きは?」
「はい…。ですが、そろそろ………勘付かれてもおかしくないはずです。」
「そうか…。やはり、彼は、密偵でも放っていたんだろう。」
「恐らく…。」
俯き、目を伏せた彼女から視線を外し、一つ溜め息。彼女は顔を上げたが、それに視線を合わせることはせず、椅子から立ち上がる。
「……分かった。それなら、きみ達は、先にルビークへ向かってくれ。」
「まさか……お一人で…?」
机に施された見事な細工。それを指でなぞりながら言うと、彼女にしては珍しく眉を寄せ、心配そうに問いかけてくる。そのペールブルーの瞳は、まるで親に置いてけぼりにされる事を恐れる子供のような哀願を秘めていた。
そんな彼女を安心させるように、静かな瞳を向ける。
と。
不意に蘇った”昔”。
この娘は、幼い頃から、困った時や寂しい時にいつもこんな目をしていた。しかし、その目に素早い反応を見せるのは、いつも決まって『彼女』で・・・。
自分は、どう反応してやったらいいか分からずに、いつもその様子を見守ることしか出来なかった。けれど今、『彼女』はいない。ここにはいない。
それを受け止めてやれるのは、自分しかいなかった。
ゆっくりセラに近づくと、いつも『彼女』がしていたように、そのクリーム色の髪に指を滑らせる。安心させるように、そっと・・・。
それでセラは、幾らか安心したようだが、まだ懸念は消えないらしい。だから次は、言葉にした。
「セラ…。僕は、大丈夫だ。決してヘマはしない…。」
「……はい。ですが…」
心配そうに自分を見つめる彼女に、ルックは、らしくなく笑みを見せた。
その笑みを見て、セラの頭には、疑問が過った。
己が母と慕う『彼女』からすれば、彼は『昔よりは、まだ笑うようになった』との事であるが、しかし。はたして今この瞬間は、そうと言って良いのだろうか?
だがそれは、途端顔つきを真剣そのものに変えた彼により、隅へと追いやられた。
自分の髪から手を離すと、彼は、部屋をあとにした。「真なる土の紋章だけは、必ず手に入れてみせる…。」と呟きながら。
その決意にも似た言葉に、セラの胸には、ツキと棘が刺さった。
伏せていた視線を上げた、先。
そこには、自分が先ほど生けた、『向日葵』と『百合』の花。
「……………。」
先ほどは、何とも思わなかった。
けれど今は、それを見つめているだけで、これから失うのだろう数々の日々に、知らず唇が震えた。