どれほどの時間が経った?

 部屋に閉じこもってから経過した、時間。
 それは、自分にとっては、ほんの数時間・・・・・いや、数分ぐらいのものであった。だが、『生』のタイムリミットを持つ者からすれば、幾日、なのだろう。
 実際に、自分の感覚がおかしいのだと分かっていた。皆の持つ感覚と自分が持つそれとでは、長さが違う。・・・・・ケタ違いに。

 『生きる』

 それは、始まりがあるということ。そして、いつか終わりが来るということ。
 個々であっても、いずれは『安らぎ』に繋がるということ。永遠ではない、時間。
 でも、それは、自分には当てはまらないことだ。果てのない時を、ただ漂い続ける自分にとっては。長く、永い・・・・・・・・永久の時を。



 [いつかの友へ]



 真なる水の紋章の一件から、を城で見かける者は、いなくなった。
 それを継承したのが、クリス=ライトフェローである、と、城内の噂でもちきりの時も、まるで姿を消してしまったように、その存在を表に出すことはなかった。
 実際に、彼女と交流を持っていた者達は、いったいどこへ行ったのだ? と囁き合った。

 そして、その内の何人かは、彼女の部屋へ訪れた。だが、その相方であろう大柄な男に尋ねても、「…ここには居らん。」の一点張りで追い返されては、様子を伺うどころか中を覗くこともままならない。

 先日、光の中から現れたという一件だけでも、ただでさえ主張したくない存在を明らかにしてしまったのだ。更には、それに追い打ちをかけるように「ネタにさせて欲しい」とか「調査させてほしい」といった輩が、毎日自室に押しかけてくる。
 結果として言えば、彼女は、確かに彼等の思った通り自室にいたし、「居ないと言って」とも言われていなかったのだが、それは、ルカという男なりの配慮でもあった。

 しかし、毎日のように繰り返される「さんは、どうしたんですか?」という質問には、流石の彼も、日増しに苛立ちを抑えきれずにいた。少し前に訪れてきた小太りで執事風の男に、「トーマス様が心配していらっしゃるので、殿に面会を…」と言われたこともあったが、堪らず「居らんと言っている!」と、声を荒げてしまった。
 それだけで縮み上がった男は、慌てて部屋から去っていった。

 しかし、これが逆効果になったようだ。
 その日の内に、『の相方の、獣のような目をしたルカという男が、いきなり剣を出して「ブタは死ねッ!」と言いながら、セバスチャンに襲いかかったらしい』という噂が、瞬く間に広がったのだ。どうでもいいが、尾ひれはひれがつき過ぎている。

 それからというもの、興味本位から始まって『そんな男と一緒にいるというのは、どんな奴なんだ?』と、野次馬達が、昼夜問わずに押し掛けてきた。
 そんな奴らを殺すわけにもいかない、と、ルカが悪戦苦闘している間、彼女は、部屋に籠り続け、耳を塞ぎシーツを頭からかぶって過ごしていた。
 自然の摂理で腹が減っても、決して部屋から出ることはなかった。

 ・・・・動きたくなかった。何も見たくなかった。なにも聞きたくなかった。
 そう・・・・・・もう、なにも・・・。

 唯一、彼女が生きていると確認出来るのは、その瞳から流れ落ちる涙の存在だけだった。






 ふと目が覚めて、起き上がった。
 涙もようやく枯れ果てたか。拭わず流れるままにしていた所為で、かさかさになってしまった顔を上げ、かぶっていたシーツを剥ぐ。ぐしゃぐしゃになった髪を気にかけるでもなく、無意識にカーテンの隙間からもれる光に目を向けた。
 シャッ、と音を立てて開けたその先に、光が見えた。茜色に染まる夕陽だ。
 それを見つめて、胸が締め付けられた。もう出ないと思っていた涙が、ポツ、と零れ落ちる。

 暫く、それを見つめていた。すると、寝室の扉を叩く音。

 「だれ……ルカ…?」

 出した声は、久しく使っていなかったせいか、酷く掠れていた。
 だが、自分の問いに、外の人物が答えることはない。
 念には念を入れて錠を下ろしているので、外からは決して入ってこれない。

 「……………ルカ?」

 もう一度問うてみるも、やはり返答は無い。しかし隣の部屋には、彼がいつもいるはずだ。返事をしないのは、それが『彼ではない』と主張しているからか?
 それなら、彼は、どこへ・・・?
 不可解に眉を寄せながら身支度を整えると、そっと扉を開ける。だが、目に入った人物を見て、眉を寄せた。

 「……アップル?」
 「あぁ、やっぱり、ここに居たんですね…。」
 「……なんなの? なんか用?」
 「随分と素っ気ないんですね、さん。」

 思わず棘のある言葉になってしまったが、それを『誰とも話したくない』と受け取ってくれたのか、彼女がニコリと笑う。彼女がこの部屋にいるということは、相方は不在か? それとも、彼が通したのか?
 気になって隣を覗くと、彼はそこにいた。思わず顔を顰める。

 「ちょっと、あんた……どういうこと?」
 「……なんだ? その女は、お前を知っているのだろう?」

 何をやっているのかと思えば、彼は『我関せず』とでも言いたげに本を読んでいる。睨みつけたものの、臆すこともない。
 仕方ないと思い、俯き額に手をやりながら、彼女に言った。

 「アップル、悪いけど…」
 「ごめんなさいね。悪いけど、あなたに私を拒む権利は無いわ。」
 「……?」

 突如、にこやかな笑みを消し、軍師としての口調で彼女はそう言った。
 どういう意味だと見据えると、彼女は、次に困ったような顔。

 「あなたには、悪いんだけれど……ゲドという人を、知っているわよね?」
 「…………。」

 まるで、確信したような物言い。一瞬だけだが、反応を見せてしまった。
 それを『肯定』と取ったのか、彼女は続ける。

 「ゲドさん達が、ルビークに向かうことになったのは…………知らないわよね?」
 「…ん。」
 「それで、ゲドさんが、あなたを連れて行きたい、と言っているのだけど…」
 「ことわ…」
 「言ったでしょう? あなたに、拒む権利は無いのよ。」

 ここで『ゲド』という名前が出てくるとは、流石に思わなかった。しかし、なるほど。このタイミングで、向こうからご指名が来るとは。
 思わず舌打ちしたくなったが、いずれ彼から何かしらのアクションがあると考えていたため、胸に留めて寝室を出た。



 アップルは、この所、姿を見せないに周りが『どこへ行ったんだ?』と騒いでいるのも相まって、心配していた。
 だが、彼女は『目的がある』と言っていたし、もしかしたらその為に城を離れたのかもしれないとも思っていた。

 しかし、話を聞いてみれば、トーマスやセシルやらが、「さんといつも一緒にいるルカさんは、部屋にいるんです!」と言っていたため、その部屋の扉を叩いた。彼女の相方が部屋にいるというのなら、彼女自身がいる可能性は高い。何らかの理由があって、外に出れない状況なのかもしれない。
 そして、どうやら騒いでいる周りの者達を、その『ルカ』という相方が、必死になって食い止めているという話。
 だからアップルは、彼女の部屋を訪れなかった。ルシアも噂だけは聞いたらしく、自分同様その部屋を訪れることはなかった。

 しかし、ゲドという男が言った。「ルビークへ行くのに、あいつを連れて行きたい。」と。
 だからアップルは、彼女の部屋に向かった。『の姿が見えない』という噂が立ってから、数日後の今日だった。
 だが、いい加減に『小煩い来訪者』に心底うんざりしていたのか、扉から現れたのは、バンダナに隠された目元以下を盛大に顰めた大男。髪は濡烏のような漆黒で、大柄と言えるほど背が高い。

 だが、その男を見た瞬間、アップルは、決して良い意味ではない『懐かしさ』を感じた。悪寒すら走る、その感覚。こちらが訪ねた側であるのに、思わず眉を寄せてしまうほどの・・・・。

 『似ている』

 第一に、そう思った。誰に、なんて聞かなくても、『当時を知る者』ならきっと誰もが答えられる。

 『狂皇子ルカ=ブライト』

 過去の恐怖を思い出し、背筋に嫌な汗が流れた。
 そんなこととは露知らず、男は、先手必勝とばかりに「…は居らん。」と言うと、有無を言わさず扉を閉めようとした。
 慌てて用件を思い出し、その隙間に足を滑らせると、男に物凄い眼力で睨みつけられたが、ここで逃げてはいけないと自分に言い聞かせ、「さんに会わせて下さい! いるんでしょう?」と告げた。

 そうして、彼女の寝室の扉を叩くに至ったのである。



 も、先のルカの言葉を聞いて、大方の予想はつけていたため、それに触れることはしなかった。
 それよりも、厄介なのは、ゲドという男のアクション方法だ。戦や戦闘には出ない、とあらかじめ明言していたはずなのに、あえて『それでも来い』と言いたげなこの方法は、些か強引すぎやしないか? なまじ知古だけに、断わりづらいものがある。

 それに、ハルモニアとの全面戦争がある意味確定となった今、迂闊に場所を変えることも危ぶまれる。あの国には、昔、かなり手酷い目に合わされた。
 それにこの城では、ルック達の情報だけでなく、全てを話せる協力者や、他にも色々と面白い情報も手に入る。今さらだが、出るのが惜しかった。
 ならば・・・・・答えは、一つしかない。

 「決まったみたいですね。」
 「……この腹黒。あんた、歳とって、だいぶシュウに似たんじゃないの?」

 あえて口にした懐かしい名に、彼女は、意外そうな顔をすることなく、むしろ嬉しそうに「ありがとう!」と笑った。褒め言葉ではないと言いかけるも、彼女にとって、その名がいかに尊敬に値するか知っていたため、溜め息と共に口を閉じる。
 彼女は、「それじゃあ、支度を終えたら会議室へ来て下さい。」と言うと、扉へ向かった。扉を開けるわずかな瞬間、本を読みふけるルカに、ちらりと視線をやって・・・・。
 その視線を見逃したかったが、見逃せなかった。

 『…こりゃあ、バレてるか。それとも、バレるのも時間の問題かな…?』

 女性とは、歳を増すごとに、その六感とやらも比例して増していくようだ。
 そう考えながら、後ろからルカに近づいて、持っている本を取り上げた。

 「貴様…………何をする?」
 「あんたも行くんだよ。とっとと支度しろ。」
 「…ふざけるな。俺は、行かんぞ。」
 「ふざけろバーカ! グーが嫌なら、とっとと支度しろ。本なんて、いつでも読めるだろ。」

 右手で拳を作りながら、左手にした本で小突いてやると、彼は思いきり顔を顰めたが、すぐ諦めたように「…下らんな。」と言いつつ支度を始めた。