[攫われた村]



 ルビークへ入る前から、もルカも気付いていた。
 それは、真なる紋章を持つもの特有か、それとも剣士として培われた感覚なのか。村の中には、人の気配が無かった。

 しかし・・・・・・

 「あいつ………ここに来てるね……。」

 そう呟くと、クイーンが「あいつって…?」と問うてきた。それを横目に、ルカは『あいつ』が、誰のことだか分かったようで口を挟むことはしなかったが、他の面子は、皆一様に首を傾げている。
 声がでかい。彼に視線でそう言われ、慌てて「あー、なんでもないよ。」と手を振って誤摩化す。
 ふと前方を見れば、ジョーカーがフランツと揉めていた。しかし、ゲドが「行くぞ。」と声をかけたことで仲裁されたのか、皆、ルビークの中へと足を踏み入れた。






 広場の方へ足を向けたゲド達とは反対に、は、ルカを伴って村の奥───宿屋の看板が見える方───へと向かった。
 何やら物言いたげな顔をしたゲドに、一言「すぐに戻る。」とだけ告げて。

 宿屋の前に立つと、『それ』は、より一層強さを増した。

 「……強くなってる。」
 「強く? 貴様、何を言っている?」
 「だから、強くなってんだって。」
 「だから、何を言っていると聞いている。」
 「うーん…。」

 苛々し始める彼に説明しようとして、それがとても難しいことに気付く。

 残り香・・・・とでも言うのだろうか。
 魔法や紋章は、各自、独特の匂いを持っている。匂いとは、本来鼻だけで感じるものなのだが、ある物は頭に直接響くもの。ある物は体全体に響くようなもの。またある物は、直感に響いてくるものなど、実に様々だ。
 例えば、転移魔法は、その場に残された『波長』を振動的に感じ取ることができる。それは、使用後の時間経過にも差があり、長距離なのか近距離なのかでも響き方が変わる。
 五行関連の紋章は、文字通り、嗅覚で感じることが出来るものだ。

 しかし、一つだけ説明できない物があった。真なる紋章だ。
 それは唯一、”共鳴”の出来るだけが、感じ取れるものである。
 真なる紋章には『匂い』はなかった。でもどうしてか、その匂いを嗅ぎ分ける事が出来るのだ。

 五感六感に敏感で、獣の紋章を持っているルカでさえ「そうなのか?」と問うほど、その『香りなき匂い』は、分かりづらく認識する事も容易ではない。巨大な力として解き放たれれば、『真なる紋章か?』という認知出来るものの、使用もされていない微弱な波動を『匂い』としてハッキリと認識できるのは、彼女ぐらいのものだろう。
 それは、彼女の持つ紋章の特殊能力であって、長い年月を共にしてきたのだから、今さら違和感を感じることはなかったが、ルカからすれば、やはり『こいつの紋章は、大層変わっている』と思わざるをえなかった。

 何となく、言葉をかいつまんで説明を終えてから、一つ息をつく。

 「要するに……真なる紋章だけは、何か分かる、っていう説明しかできないよ。」
 「……そうか。全く分からんな。」
 「本当に説明しにくいんだって。でも……」
 「なんだ?」

 腕を組んだ彼を横目に、宿屋の扉を開く。ギッ、と木の擦れる音。
 その中へ一歩入ってから、眉を寄せた。

 「匂いが……濃くなってる…。」
 「…そうなのか?」
 「うん。あいつ……ルックは、ここに居たんだよ。」

 コツ、と、ブーツのかかとを鳴らしながら奥へと進む。
 『真なる風の紋章』の残り香が、強くなっている。

 と、ここで受付の奥に人の気配を感じ、さっとルカに目配せした。彼もすぐに気付いたようで、『逃がすなよ』とでも言いたげに、今しがた開けたばかりの扉を閉じる。
 しかし、奥にいる気配は、必死に息を殺そうとしているようだが、恐怖からか、逆に呼吸が荒い。それで『相手が素人』だと判断した。
 いつでも抜刀できるようにと出していた殺気を消して、その人物に声をかけた。優しく。「大丈夫。俺達は、あんたに危害を加えないから。」と。

 震えながら出てきた人物は、予想通り、武器も持たぬ一般女性だった。



 素性を聞くと、女性は、この宿の受付をしていたと言った。
 どうして誰も居ない? と聞くと、震えながら「ハルモニアの兵士達に、どこかへ攫われた。自分は、隠れていて逃げ延びた。」との答え。
 よほどの恐怖だったのだろう。女性は、震えながら泣き始めた。
 その肩を優しく抱きしめながら、は、ルカに「ゲドを呼んできてくれ。」と言った。






 「……あの女は?」
 「泣き疲れて眠ったよ。安心したみたいね。」
 「そうか…。」

 あの後、ルカが呼びにいかなくても、ゲド達はすぐに宿へ入ってきた。
 経緯を話し、女性に「大丈夫。村の人は、必ず連れ戻すから。」と優しく語りかけると、安心したように眠りに落ちた。よほど疲れていたのだろう。
 その女性を別の部屋で寝かせたあと、は、ルカのいる部屋に戻り、簡素な椅子に腰掛けた。視線をやると、彼は、相変わらず本にご執心の様子。よほど『決戦、ネクロード!』が面白いらしい。
 部屋には、暫くパラパラと頁をめくる音だけが響いた。
 その間、は彼に何も言わなかったし、彼も何も言わなかった。

 すると・・・。

 コン、コン。

 控え目なノックの音。先に顔を上げたのは、ルカ。
 彼は、『こんな刻限に、いったい誰だ?』とでも言いたげな顔をしていたが、は違った。手で彼を制し、ゆっくり扉へ向かう。
 相手が誰だか分かっていた。そして今夜辺り、その相手が自分を訪ねてくるだろう、とも。

 「…別に、待ってたわけじゃないけど………そろそろ来ると思ってたよ。」
 「………………そうか。」

 扉を開けた先、静かに佇む男を見上げて、冗談めかしてそう言った。
 ゲドもまた、小さな声でそう答えた。