[迷宮・2]
憂いに満ちたその顔は、やはり先のシンダル遺跡で目にしたものだ。
対峙した際、彼女が、自分に対して囁いた言葉。
『後は、自分で考えなよ。どうして、レックナートさんが『悲しむ』のか。どうして、私がここまでして、あんたらを止めようとしているのか……。』
彼女は、あの時暗示していた。明確な表示を避けた、自分に対する言葉。
「レックナート様が………悲しむ……?」
師は、滅多矢鱈に顔色を変えない。その表情は人形のように感情なく、苦しみや悲しみといった感覚を持つのか? とすら思えるほど。
けれど、彼女は人間だ。自分より遥かに長い時を生きてはいるが、彼女も。
それほどの人が、悲しむこと・・・・?
「それは………僕たちを止めることに、関係している……?」
確認するよう、言葉にする。自分達が止まることで、師が、悲しまずに済む?
・・・・裏を返せ。それは、が自分達を止めることに失敗すれば、師が悲しむという結果に・・・・・終わるということ?
彼女が止めようとしているのは、自分とセラ。けれど・・・・。
「でも、どうして………レックナート様が悲しむんだ…?」
それを肯定したその先ならば、師を持つ未来は、きっと悲しみの世界。けれど師は、知っている。自分の目的を。だから、このグラスランド一帯が吹き飛ぶことに憂いはあれど、悲しみを見せることなどあるまい。
だとしたら、なんだ? あの師が、悲しみを見せるほどのものとは・・・?
「………まさか……。」
思い当たった『答え』に、思わず頭を振る。しかし、驚きは無い。その『答え』は、自分が予想している『数ある未来』の内の一つであったのだから。
自分の目的が達成されたあかつきには、『そう』なるのだろう。その前に力つきることがあっても『そう』なるのだ。
・・・・・否。目的が達成されたとしても、そうなることは、自分の望むべき未来でもある。
「……死ぬことは…………恐くない…。」
夢だった。永遠の夢、だったのだ。
そして、今、それを果たせる力を持つまでに、自分は強くなった。未来の解放に必要だった、様々な知識を手に入れた。だから、もう立ち止まる必要は無かった。振り返る必要も無かった。
新たに見つけた答え。それは、決して満足いくものとは言えなかったが、憂う先を覆すためならば、満足して受け入れられる”未来”だった。
一つ息を吐いて、再び目を閉じた。
次に脳裏に浮かんだのは、今にも泣き出しそうな、彼女の顔だった。
涙を零していたわけじゃない。
けれど、彼女のあの表情は、己が胸を透くには充分だった。
シンダルの地で勝敗が決した時、彼女は、あの顔で言った。帰ろう、と。
いつまでも、その気持ちを突っぱね続ける自分に。いつまでも、その優しさに甘えている自分に。
どうして? なんて聞かない。答えなんて、分かりきってるのだから。彼女は、自分達と戦うことを望んでいない。自分がどれだけ突き放しても、彼女は『それでも家族だから』と、今までのように接してくる。
水の紋章の暴走の時だってそうだ。自分目がけて飛び出してきた氷の刃に、なりふり構わず剣を振り上げた。自分と敵対しているはずなのに。
きみは、僕を・・・・・・・守ろうとしてくれた。
結果として仮面は割れてしまったが、あの時の彼女の行動に、認めたくは無いが、心苦しかった。無意識に涙が浮かぶほど。
それを見て、自分の事を心から『家族だ』と言い続けてくれる彼女に、心のどこかで申し訳なく思ったのも事実。これから起こるであろう、『彼女を置いて行く』ことに対する。
でも・・・・。
「もう……止まれない……………止まれないんだ……。」
顔を覆った。忌わしい呪いの宿る、永久の恐怖を与え続ける、己が右手で。
僅かにそれが疼いた気がした。驚いて顔を上げると、目を開けているはずなのに見えてくる、白昼夢?
『ならば、何故………ここで、彼女の息の根を止めなかったのですか?』
これは、そう。アルベルトの言葉だ。彼女を逃がした際、彼が自分に向けた言葉。
邪魔をされない為にとユーバーに言った自分に対し、不可解そうに彼が呟いた言葉だ。
彼は、自分の心境を見抜いて、そう言ったのだろう。自分の決意を試す、という意味も含めて。
正直に言えば、自分もセラも『彼女に邪魔をされたくない』と思いながら、殺すという選択肢は、まったく持ち合わせていなかった。そんなことを、出来るはずがないのだ。思うはずが無いのだ。
と、ここで、ふと思った。
もし、それが彼女ではなかったら? もし、違う人物であったら?
殺していた? それとも、彼女同様に生かしていた?
チクリ。胸が痛む。
その痛みは、この想いは、とうの昔に捨てたはずだ。自分にはいらない感情だと、切り捨てたはずだ。
それなのに、これは何だ? この胸を締め付ける、この気持ちは?
白昼夢だと分かっているのに、彼女の瞳の奥に宿るものが、鮮明に蘇る。
暗くて深いその中で漂いながらも、それでも自分やセラに対して表し続ける、慈悲や愛情。自ら光を欲することはせず、闇という鎖で、雁字搦めになりながらも。
それでも、その瞳の奥深い場所で、僅かにでも垣間見えた『彼女』を、記憶から消し去ることが出来なかった。
胸の痛みが増してくる。鷲掴みにされるような感覚。
痛い。苦しい。でも、涙なんて流れない。流れるはずがないじゃないか。
僕は・・・・・・”人”じゃないんだから・・・・。
何か大切な『感情』が、一粒、自分の中で光を発していた。だからかもしれない。代わりにその『想い』が、大きく自分を飲み込もうとしていた。
けれど、それでも・・・・・・
その想いに取り込まれないようにと、知らず胸に『呪い』をあてた。