[予感]



 の紋章騒動の後、テッドには、小さな変化が起こっていた。

 今までの彼は、アルドやそしてに何かと誘われても、常に嫌な顔をし、隙があれば逃げるといった行動を繰り返していた。
 それでも、時にアルドに無理を言われ、に逃げ道を阻まれ、に強引に連れ去られる、ということはしょっちゅうだった。

 そんな彼等であっても、必要以上に近づけば、強い拒絶を示されていた。

 ところが、あれからというもの、その三人・・・特にに対しては、驚くほど態度が軟化していった。彼を知らない者からすれば、どこが変わったのか分からないほど些細なものではあったが、自ら進んで「行こう」と口にするわけではないが、彼女に誘われれば嫌な顔をあまり見せなくなった。
 最初は「行かない…。」で始まり、それでも強引に誘われれば、仕方なしについて来る。

 そんな些細な変化だった。

 その変化にまず気付いたのは、アルドだった。元はといえば、彼がテッドを誘い始めたのをきっかけに、彼女もちょっかいを出すようになったのだ。
 アルドは、いつもテッドを心配していた。「関わるな。」と人を拒絶する彼に、いつも心を痛めていた。
 だからアルドは、そんな彼の変化が喜ばしかった。






 アルドは、テッドのことを『知って』いた。真なる紋章を所持している、ということを。
 それを知ったのは、つい最近のことだった。



 彼女が『真なる紋章』を所持していると露見してから、数日後の夜だった。
 アルドは、彼の部屋に足を運んでいた。
 部屋の前につき、扉をノックしようとして、部屋から聞こえたうめき声に顔を曇らせた。もしや中で何かあったのかと思い、ノックもせずに扉を開けると、右手を抑えてうずくまる彼の姿。慌てて駆け寄りしゃがみこみ、その肩に手をかけた。だが、すぐに振り払った彼は「すぐ…出て行、け……。」と言った。

 よくよく見れば、その右手袋の僅かな隙間から零れているのは、光。それは赤黒い色味を帯びており、禍々しさを象徴するかのような、そんな光だった。
 出ていけと言った彼は、酷く衰弱していた。額には脂汗が吹き出し、目はきつく閉じられ、苦しそうに肩で息をしていた。
 最後、絞りだすように「…近寄る…な。」と言うと、彼はその場で崩れ落ちた。

 アルドは、気絶した彼を、すぐさまベッドに運んだ。そして、暫く・・・。
 少年が目を覚まし、自分の存在を確認すると、ゆっくりと目を閉じた。その動作は、どこか諦めにも似たようなものだった。



 テッドは、目を閉じて、ひとつの思いに浸っていた。浸らざるを得なかった。

 『あぁ、ばれてしまった。そして、こいつも俺から離れてく…。』

 それは、テッド自身が最初から望んでいたことだ。今までそうやって生きてきた。それが自分にとっての常であった。それなのに・・・。
 離すではなく、離れて行く。言葉では、たったそれだけの違いなはずなのに、どうしてこんなに胸が痛む?

 忌み嫌われ、恐れられ、誰もいなくなる。
 まだ本当に幼かった頃、『子供一人では危なかろう』と、自分を抱きしめ共に連れて行ってくれた行商人。紋章の恐ろしさを目の当たりにし、怖くて泣いていた所を『大丈夫か?』と手を引き、暖かい食事を与えてくれた優しい村人。
 夜、奥深い森で野犬の群れに襲われそうになっていた自分を助け、『もう大丈夫だ』と笑って頭を撫でてくれた旅の戦士。

 皆、ミンナ、みんな、死んだ。自分が殺した。
 心を許す時間が早いほど、彼らは、あっけなく死んでいった。
 自分の意思とは関係なく・・・・。

 「っ………。」

 それが嫌で苦しくて、関わってこようとする者を自ら突き放すようになってから、もう随分と経つ。己と誰かを苦しませない為であるはずなのに、いつも、どうしてこんなに苦しいのか。

 ・・・・・ポン。

 肩に感じたのは、温もり。目を開ければ、アルドが優しく微笑んでいた。
 そして彼は、本当に包み込むような笑顔をもって、言った。

 「テッドくん。僕は、真の紋章を持っていないけれど……きみと仲良くなりたいという気持ちは、今でも変わらないよ。」

 ふ、と。全身の力が抜けた。それまで背負ってきたものが、一瞬、音を立てて崩れ落ちる。
 ・・・・ダメなのに。いけないのに。自ら作り上げたこの壁を、決して壊してはいけないのに。
 なんだろう、これは・・・?

 鼻の奥がツンとした。それは、とても久しい感覚。
 いつもなら「お前に何が分かる!」と一蹴してしまうはずなのに・・・。
 永きに渡り、自ら造り上げてきたはずの堅い固い壁を、言葉一つで静かに崩し去る。目の前の青年にとっては、きっと何でもないように。

 その言葉だけで、今一時だけでも、何もかも忘れることが出来た。

 涙が溢れた。見られたくなくて、思わず彼から顔を逸らす。
 泣きながら思った。彼女も、きっと今の自分と同じ気持ちだったのだろう、と。あの時、涙を流していた彼女を想う。

 けれど、分かっている。

 彼女の持つ物と、自分の持つ物の『違い』を。
 その紋章の名を聞いたわけではないが、永い間紋章を宿し続けてきたせいか、他人の紋章であってもその『性質」を感じ取ることはできる。
 彼女の”あれ”は、誰かを傷つけるような代物ではない。人から”奪う”代物ではない。
 けれど、自分の持つ”それ”は、他者を傷つける。傷つけ、奪い、そして喰らう。自分の紋章は、呪われているのだ。全ての根源となるものを、殺し、奪い、飲み込み、糧とする。
 それが、この呪われし紋章、生と死を司る・・・・”ソウルイーター”なのだ。

 だからこそ、テッドは言った。

 「俺の紋章は……の持つ物とは、性質がまるで違う。この紋章は……人の魂を喰らうんだ。………恐いだろ? だから…」

 最後まで、言い終えることが出来なかった。アルドが、それをやんわり止めたのだ。
 涙に濡れた顔もお構いなしで、彼を見れば、慈愛に満ちた微笑み。

 「僕は、それでも……きみ達と共に生きたいと思ってる。」

 ・・・・・・・どうして? 何故、彼は恐れないのだ?
 『魂食い』と称される自分の紋章が、恐くないのか?
 この紋章の呪いを知って尚、なぜ彼は・・・そこまで人に優しくなれるのか。
 涙が溢れた。

 「僕も、ちゃんも、さんも…………テッドくんのこと、大好きなんだよ。」

 こんなに優しい人達を。こんなに、自分を気にかけてくれる人達を。
 ・・・・・・・・死なせたくない。

 それに反して、また別の想いも沸き上がる。
 仲間として。友として。ずっと・・・・・一緒に。

 次々に溢れ出る想いに、葛藤に、涙を抑えることができなかった。今まで・・・・ずっとずっと奥底にしまい込んでいた気持ちを。
 アルドは、それを、ただ黙って優しく見守っていた。






 それからというもの、テッドの拒絶は、以前より軟化していった。まだ、その身に宿る呪いに対しての抵抗もあったのだろう。
 しかし、それは少しずつではあるが、薄れてきていた。俺に構うなという台詞も、やアルドそしての三人限定ではあるが、口にする事がなくなった。笑うとまではいかないが、小さく、本当に小さく口元を緩めるようになった。いつも無表情を装っていた顔も、ほんの少し表情が垣間見えるようになった。
 彼女に誘われ「行かない」と言いつつも、更なる一押しがあれば、仕方ないとばかりに渋々頷くようにもなった。

 そんな彼の変化が、アルドには嬉しかった。
 自分やが誘っても、暫く彼は渋る。だが、その相手が彼女となると、一度の粘りで承諾するのだ。もちろん、精一杯、仏頂面を装いながら。

 そんな彼を見て、自分もも気付いた。気付かないはずがなかった。彼の彼女に対する気持ちを・・・。
 けれど多分、本人は気付いていないのだろう。彼は、まだ彼女のことを”同士”として見ている。でも彼の心は、きっと・・・・。






 そんな事を思い返しながら、アルドは、今日もてくてく廊下を歩いていた。すると例のごとく、彼女が彼をお茶に誘っている光景を目にする。

 「ねぇ、いいじゃんよ!」
 「…………。」
 「はぁ!? なに黙ってんの? あんた口が無いわけ? 黙ってれば、私が『じゃあ仕方ないよね』とか言うと思っちゃってるわけー?」
 「……分かったよ。」

 渋々。だけどその頬には、ほんのり赤みがさしている。純粋でいて、反抗期真っ盛りの子供のようなその態度に、アルドは苦笑した。
 ふと横を見れば、すぐ隣にが立っている。

 「あ、さん。」
 「やぁ。」

 彼は片手を上げて挨拶を返すと、とテッドを見ながら、言った。

 「凄い変化だね。」
 「はい。」
 「”仲間”としては、嬉しい限りだよ。」
 「?」

 仲間、という部分を強調した彼に、疑問を持った。
 それは、この戦を共に戦う意味での”仲間”か?
 それとも、同じ真なる紋章を持つ者としての・・・?

 分からず首を傾げていると、彼は、苦笑しながら呟いた。

 「両方だよ。」
 「えっ…?」

 彼の言葉に、一瞬、我を忘れた。が、すぐその言葉の意味を解して微笑む。

 「アルドは、この戦いが終わったらどうするの?」
 「そうですね…。僕は、彼らと旅に出ようと思っています。」
 「……そっか。」

 もうすぐ、この戦は終わるだろう。アルドはそう感じていた。群島諸国は、全ての島を取り戻し、残すは敵のエルイール要塞を攻め取るのみ。
 戦いの終わりを感じたは、その後、自分達がどうするか気になったのだろう。逆にアルドは、彼がこの後どうするのかが気になった。

 「さんは…」
 「俺は、まだ決めてないよ。」

 言い終わる前に返答される。どうして言いたい事が分かるのだろう? そう思ったが、彼はニコリと微笑むばかり。それなら、考えても仕方がないか。
 視線を戻せば、テッドが、首根を掴まれ引きずられるようにして、彼女の部屋へ連行されて行く姿。日常的となったその光景に、思わず笑みが零れた。

 と、が、不意に言った。

 「…ねぇ、アルド。」
 「あ、はい。何ですか?」
 「その……あの二人の…。」

 彼が言い淀むなど珍しい。そう思ったが、彼の言いたいことがなんとなく分かって、思わず顔を伏せた。しかし、そのことに関しては、きちんと伝えておかねばならない。

 「知っています……。ちゃんの紋章のことも、テッドくんの紋章のことも。」
 「そう、か…。」
 「でも、僕は……。」
 「…それなら俺は、何も言わないよ。」
 「………。」
 「テッドとのこと…………宜しく頼むね。」
 「……はい。」

 それだけ言って、彼は踵をかえし、歩き出す。
 小さくなるその後ろ姿を、アルドは、ただ黙って見つめていた。