[望まぬ死闘]
、そしてルックとセラの周りには、静寂な中にも張りつめた空気が漂っていた。
睨み合い、というよりは、どちらが先に動くのかの探り合い。
ひゅう、と坑道から入って来た風が、の愛刀に括られていた翡翠の結い紐を揺らした。カチッ、と、翡翠のぶつかり合う音。
それが、戦闘開始の合図になった。
ルックは、すぐに動いた。
目を閉じ、手を振りかざす。その魔力によって呼び出されたのは、異形の魔物たち。自分とセラの前に三体。
接近戦は苦手なため、まずは前衛を固めることにした。もう一つは、彼女に近づかれない為だ。
セラはともかくとして、自分は、彼女の強さをよく知っている。15年前の統一戦争時、共にパーティーインする機会が、何度かあったからだ。
彼女は、接近戦を好む。刀を自在に扱い、時に鉄拳や蹴りなどの体術を織り交ぜながら、敵を殲滅する戦法を好む。その手並みは鮮やかだ、と言わざるを得ない。
だが、その手に宿る『土紋章』にも注意が必要だった。なにしろ、彼女の持つ『真なる創世の紋章』は、共鳴するだけで『共鳴相手の持つ魔の値分、魔力が上がり続ける』のだから。
手加減一切無しのそのままの威力を受ければ、魔防がどれだけ高かろうが、普通なら確実に死に至る。
セラの持つ流水紋章によって、その力を封じることは可能だ。だが如何せん、前述した通り、自分たち魔術タイプだけでは、力技であっさりと負けてしまう。彼女は『剣士』なのだから。
だからこそ、自分達の得意とする紋章術を残しながら、前衛を魔物によって固める戦法をとった。
彼女は、とっとと前衛を召還した事が可笑しかったのか、途端笑い出す。
「あらら…。ルック、そんなに俺が恐いか?」
「……そうだね。きみの『凶暴さ』は、僕が一番よく知ってるからね。」
「ふーん、面白いじゃん。それじゃあ、先に前衛の相手をさせてもらおうか。その程度の魔物じゃあ、二分とかからないだろうけど。」
そう言って、彼女が、右手を掲げた。溢れ出した光が、その全身を包み込む。
あれは『復讐の大地』か。暫くの間、物理攻撃への反撃率が、飛躍的に上昇する魔法だ。
なまじ回避力が高く、しかも『おぼろの紋章』を宿している彼女が、それを使ったということは、本気中の本気。なるほど、短期決戦で来るつもりだな。
そう思い、ルックは、僅かに眉を寄せた。
「さて、と。そいつらを繰り出すか? それとも、そいつらはガードに徹底させて、自分らの詠唱に集中するか?」
「…………。」
「あははっ! まぁ、どっちにしても………俺と戦うと決めた時点で、紋章主体のあんたらに勝ち目なんかないけどな。」
ふっ、と笑う彼女の表情が、少しずつではあるが変わり始めている。闇の色が徐々に濃くなっているのだ。
だが、ふと気になる言葉があった。『紋章主体のあんたらに』と、彼女は言っていた。それの意味する事を考えようとして、けれど時間がないことに気を取られ、咄嗟にその考えを振り払う。
すると、彼女の『闇』に気付いたのか、セラが、戸惑った様な視線を向けてきた。
「ルック様…」
「セラ……。僕は…………………未来を変えなくてはならない!!!」
それが『答え』だ。そう言うと、セラは少し躊躇していたようだが、やがて頷いた。
自分が迷えば、セラも迷う。だからそう叫んだ。
その言葉で心を決めたのか、セラも詠唱を開始した。
どうやらルックは、魔物を動かすことにしたようだ。四方にバラけさせ、自分の体力消耗を狙っているのだろう。は、そう考えた。
一匹目の魔物が、鋭利な爪を振り下ろしてきた。それを『復讐の大地』の効果で避け、カウンターで返すと、悲鳴を上げて姿を消した。
二匹目は、こちらから打って出た。ちまちま相手をしている間にまた召還されては、正直面倒だ。近距離転移を使って背後に回り込み、その脳天に刀を振り下ろすと、また悲鳴を上げて二匹目も姿を消した。
三匹目は中々に素早く、カウンターをさせてくれない相手だった。仕方がないので、これもこちらから打って出て、弱点に思いきり回し蹴りを入れてやると、三匹目もこれで姿を消した。
その間、セラが回復魔法を詠唱していたようだが、魔物の持つ体力と、速攻で前衛を潰そうとする自分の攻撃力を比べれば、無意味なことだった。
「なっ…」
「って……めちゃくちゃ強いじゃないか!」
それを見ていたクイーンとエースが、目を見張った。二人の思うことはそれぞれ違ったが、エースとしてみれば、ビュッデヒュッケ城を出る際に『戦闘には参加しない』と言っていたに対して、これほどの腕ならもっと楽にルビークに来れたじゃないか、と愚痴るほど。
それを聞いていたゲドは、言った。
「………あいつは………元々、無益な殺生を好まない……。」
「なに言ってんスか大将! あんだけ強けりゃ…ってて!?」
「やめなよエース。にだって、なんか理由があるんだろうから…。」
昔からの知り合い、といった口振りのゲドに、エースが痛めた足を抑えながら言うも、クイーンがそれを一蹴した。あれだけ「ルック、ルック」と、破壊者の一人の名前を連呼しているのに、あくまで運び手として行動しているのだから、何かしら理由があるのだろう。そう考えたからだ。
だからこそクイーンは、ゲドならその理由を全てではなくとも知っている、と考えたのだが、あえて口にしなかった。
「それに……は、好きであいつらと戦ってるわけでもなさそうだし…。」
「なんだよそりゃ? まぁ、戦いが嫌いってんなら、好きじゃねぇよな。」
「馬鹿だね、ったく! そういう意味で言ってんじゃないよ!」
「いてて! 止めろって! 分かったから、叩くなよ!」
そんなやり取りを横目に、ゲドは視線を上げた。その先には、詠唱している彼女の横顔。
だが途端、ゾクリと背が震えた。彼女には、表情と呼べるものが無くなっていたのだ
。先ほどまで口元に浮かんでいたはずの笑みは、既に消え失せ、まるで無機質な人形のように表情が無い。
人形、とも言えない。いうなれば・・・・・?
言い合いをしていた二人も気付いたのか、その横顔を見て声を上げた。
「お、おい……の奴、どうしたんだ!?」
「…?」
気のせいか、場の空気までもが変容している気がする。
彼女を中心として、この場所一帯が、冷たくひやりとした空気に包まれ始めているのだ。
「…………………?」
思わず彼女の本名を呟いたが、それは誰に聞かれることもなく、静かに沈んでいった。
「永遠の風!!!!!」
彼女が大地の紋章を詠唱している最中、ルックは、詠唱終了と同時に声を上げた。
前衛が全滅してしまえば、次に狙われるのは、自分かセラの二択。彼女も『彼女』でなくなりかけている今、自分達に武器を向けることを、きっと厭わない。そう判断したからだ。
自分が狙われるならまだしも、今、セラに倒れられるわけにはいかない。
右手に力を込めると、遥か頭上から一対の竜。それは、天から下り、次に地を這いながら上昇すると、巨大な竜巻を起こして彼女に襲いかかった。
いくら真なる紋章を持ち、その加護によって『魔法耐性』が高いといえども、この一撃を受ければ、彼女であれまともに立っていられまい。そう考えたからこそ、あえてこの最強呪文を使った。
しかし・・・・。
突如、彼女が刀を掲げた。そこからは、眩い光が溢れ出す。
光は、辺り一面を真昼のように輝かせながら、風の竜を取り込むように纏わりつくと、それらと共に姿を消した。
自分の放った呪文は、彼女を傷つけることもなく『相殺』されたのだ。
「なんっ…!?」
元々、彼女の魔法耐性やリフレクトの高さは知っていた。だがこんな光、自分は知らない。息を詰まらせ目を向けるも、彼女は、目を閉じたまま詠唱を続けている。
予期せぬ出来事に、ルックは、咄嗟に思考を巡らせた。
なんだ・・・・? いまのは、なんだ?
あんな光、見た事もない。
どうして、僕の魔法が・・・・?
と、ここで、一つの『可能性』に思い当たった。
「魔法を打ち消す』紋章。自分の持つ知識の中で、思い当たるのは、一つだけ。そして、その『紋章』こそが、己の最大魔法を打ち消し、飲み込んだのだ。
彼女の愛刀に目を向けると、そこに刻まれていたのは、かつて見たことのある『刻印』。
「ま、まさか、それは……!」
「……あぁ、これ? ………まぁ、旅の途中で拾ったんだよ。」
笑みを浮かべることもなく、彼女はそう言った。一瞬、その口元が僅かに上がった気がしたが、それに不気味さを覚える。
とうとう、入れ替わってしまった。思わず臍を噛む。懸念していたことが、現実となったのだ。そして、それは、自分達の敗北が格段に跳ね上がったということ。
「くっ!」
「ふふ……よそ見は、大敵だぞー。ルック。」
彼女は、実に楽しそうな口調でそう言い笑った。それは小馬鹿にする、というものではない。この戦いを、心から楽しんでいるのだ。
彼女の右手が輝いた。咄嗟に反応し、すぐさまセラに視線を向けるも、間に合わない。
直後、荒ぶる大地の怒りが、自分とセラを襲った。
「きゃっ…!」
咄嗟にリフレクトしたものの、セラは、反応が遅れたのか巨大な一撃を受けて倒れる。ドレスがあちらこちら擦り切れ、そこから血が滲んでいた。
だが、完全に倒れる前に、ロッドを支えに持ちこたえた。
「セラ!!!」
思わず駆け寄ろうとするも、の方が反応が早かった。彼女は、セラの背後に回り込むと、その細い首に手刀を入れる。そして、気絶したその体をかかえて飛び退くと、距離を空けた。
次に、その体を優しく横たえると立ち上がり、自分に向かってまた剣を向けた。
その一連の行動に、まだ彼女は彼女であるのか、と思った。もしくは『本来の彼女』の意識が、無意識に『彼女』に抵抗しているのかもしれない。そう思いながら、後ずさる。
一瞬だけ、彼女から目を離した。
直後。
・・・・・・・・・・・真横に、人の気配。
顔を向けることも出来なかった。何故なら己の首筋には、刀が突き付けられていたのだから。
前方には、意識を失ったセラ。真横には、刀を構えている彼女。
逃げ場は、無い。不運にも、空いていると思っていた後方は壁で、追いつめられていた。
逃げようと思えば、逃げることはできる。しかし、セラを置いていくことは出来ない。
・・・・・どうする?
どうすれば、この窮地を脱することが出来る?
そんな心境を見抜いたのか、彼女が、静かに言った。
「……もう諦めろ。あんたの負けだ。」
「…………。」
「人質にするワケじゃないが……セラを置いて、逃げられないだろ?」
「まだ……」
彼女が、まだ彼女を保っているのなら。そう思い、口を開いた。
すると「なんだ?」と返ってくる。彼女は、完全に変わったわけではない。まだ、本来の意識が残っている。
それなら・・・・・
「まだ、そんな紋章………持っていたんだね。」
それが『大地の紋章』のことを指していると分かったのか、途端、彼女が顔色を変えた。ころりと。それまでの冷たい空気が、かき消えるように。
「…うるさい。あんたに『そんな』なんて言われる筋合いは無い。これは、大切な友達からの贈り物だ。あんた、何回言ったら分かんだよ?」
「……土紋章なんて、大して役にも立たないだろ。」
ピク、と眉を上げて刀を引いた彼女。それを見て、ルックは内心ほくそ笑んだ。表情が戻ってきている。ということは、本来の彼女が戻ってきたということだ。
これなら、まだ勝算はある。勝てるかもしれない。
視線を向ければ、剣を鞘に収めている彼女の姿。
あとは・・・・・
「さぁ、ルック。もう終わりだ。帰ろ…」
「セラッ!!!」
彼女の隙をつき、前方に声を上げた。気絶していたセラに向かって。
その声で、彼女がセラの方を向いたが、もう遅い。セラは、既に目を覚ましていたのか、彼女の間合いに入らぬ場所で、ロッドを掲げて詠唱していた。
封印球を、手元に浮かばせながら・・・。
「それは…!?」
「、避けろ!!!」
突如上がったゲドの声で『攻撃』が来ることを知り、は、刀を掲げようと柄に手をかけた。だが、セラの詠唱終了の方が一瞬早く、封印球が光りを発する。
それは、本当に一瞬だった。
大地の紋章よりも『遥かに強い力』が、襲いかかってきたのだ。
「ぐっ……!!」
終わったという油断から、虚を突かれた。
瀕死とまではいかなくとも、巨大な一撃をまともに受けて、はその場に崩れ落ちた。