[氷柱の疑思]



 「破壊すると言っても……五行の紋章、全てを壊すと言うのか?」

 静まり返る中、次に口を開いたのは、ルカだった。彼が声を発するということは、次に反応を示すのは、その声に聞き覚えのある者だ。記憶の中の忌々しい『誰か』を思い出したのか、顔を上げたのはだった。
 しかし、それを遮るように答えたのは、だ。

 「いえ……違います……。」

 の否定を耳にしながらも、は、バンダナに隠された大柄の男の瞳を伺おうと試みた。しかし隠れていない部分(輪郭、鼻筋、唇)を目にしただけでも、ざわざわとした戦慄が蘇る。

 「違うだと…? ならば、何故、五行全てを集める必要があった?」
 「それは…」
 「そもそも、紋章を破壊するということは、本当に可能なのか?」

 じっと、その男を見つめている合間にも、会話は続いていく。
 彼女と行動を共にしていただろう目の前の大男は、はたして自分の知る『彼』なのだろうか?
 すると、ここでが一つ咳払いをした。それは、とても控え目なものではあったが、『話に集中しろ』と言われているように感じた。視線を向ければ、彼が、じっと自分を見つめている。

 「……………。」

 は、その意志の強い瞳に負け、項垂れた。今、勘ぐるべきはそこではないと、そう言われている気がしたからだ。それは今でなくとも良い。



 あぁ、これは、気付いているな。の様子を見て、はそう思った。
 彼の気持ちを考えれば、彼の過去を顧みれば、ルカの声に反応しないはずがない。当時の惨状を当事者として知っているからこそ、その声を、それこそ死ぬまで忘れまい。
 しかし今、優先されるべきは、それではない。だからこそ、会話の流れていく合間に彼に視線を向けた。だが、彼と目が合うことはなかった。彼は、自分ではなくと視線を交えたからだ。
 ややあって、彼は項垂れた。の瞳に称えられた想いに気付いたからかもしれない。

 とりあえず、これで暫くは。そう思った、その時だった。



 「っ……!?」



 まず最初に感じたのは、ザワ、とした違和感。

 自分の心に、体に。

 『何か』が、浸食してくるような感覚に捕われたのは・・・・・






 が俯いたのを期に、は、ルカの質問に答えた。

 「可能だから…ルックが、それをやろうとしているんだ。」
 「だが、どうやって…?」
 「一つの紋章を破壊するには、一つの紋章の力だけじゃ足りないんだ。要するに、大勢の中の”神”と呼ばれる一個体。それを殺すには………”大勢の神”の協力が、必要になってくる。」
 「…なるほどな。」

 口元に手を当てて、合点がいったとばかりにルカが頷いた。

 「それと、これもレックナートさんに聞いたんだけど……このグラスランドには、シンダル遺跡が、いくつかあるんだろ?」
 「あぁ…。」
 「その中の一つに、紋章を破壊することが出来る祭壇が、あるらしいんだ。」
 「なんだと…?」
 「そして、ルックが壊したがっている紋章を壊す為には…」

 「ちょっと待って。」

 話に割って入ったのは、だ。彼女は、それまで黙って二人のやり取りを聞いていたが、つまづいていたのは、どうやらこの部分らしい。
 は、一つ頷いてみせると、彼女の言葉の続きを促した。

 「そもそも、あの子が、壊したがってる紋章って……?」
 「っ………。」

 ここで、思わず言葉に詰まった。なんと言っていいか分からなくなったからだ。
 答えを黙秘していると、彼女は、更に続けた。

 「…?」
 「俺は…」

 自身、それを彼女に告げるべきではないと考えていた。すでに手一杯な彼女に、更なる不安な気持ちを持たせたくないと思ったからだ。
 だが彼女は、それでも諦めることはせず、強く言った。

 「言って。私には、知る権利がある。」
 「……………真なる、風の紋章………………ルック自身の紋章だ……。」
 「っ!?」

 彼女は、目をいっぱいに開いた。ようやく、全てにおいて合点がいったのだろう。
 何故レックナートが『彼を助けてほしい』と言ったのか。なぜ、バランスを崩してまで執行者である彼女が、最後の手段とばかりに自分達をこの地へ送り込んだのか。
 正直、レックナートに会い、この話を聞いた時点で、それを彼女に告げるべきかどうか非常に迷った。そう口にすると、執行者は「…貴方次第です。」と述べただけだったのだから。

 しかし・・・・・

 それがいらぬ気遣いだったのだと、彼女を見て思った。その瞳は、嘆きの中にも諦めが見られなかったからだ。その瞳には、固く誓われたであろう『決意』があるのだと。
 きみは、強くなった? 守りたいと思う者を、必死に守ろうという気持ちで。
 あの頃よりも、ずっとずっと、強くなった?

 それならば、もう一つだけ、きみに伝えておこう。

 「それと、。ルックは……その”出生”ゆえに、紋章との繋がりが深いらしいんだ。」
 「出生? どういう…」
 「ごめん…。それは、教えてもらえなかった。でも、レックナートさんは言ったんだ。『それ故に彼は、紋章を介して”この世界の終末”を見ていた』と…。」
 「どういう…こと……?」

 本当に、その意味を知ることは出来なかった。出生という部分が、自身酷く気にかかっていたのだが、執行者は、その事に関してだけは決して口を開かなかった。

 彼女を見つめる。彼女は、キーワードとなるだろう『出生』『終末』という言葉に宿る意味を導き出そうと頭を働かせているようだ。しかし、今すべきことはそれではない。
 だから、静かに彼女に言った。

 「とにかく、今は、ルックを止めることが先決だ。だから……」

 そう、言いかけた、その時だった。