[最後の夜]



 クールークとの決戦前夜。
 最後の戦いを決断したは、その夜、船内で仲間達に声をかけていた。
 自分を信じてついて来てくれた、ケネス、タル、ポーラ、ジュエルの騎士団仲間。そこから始まり、中盤で仲間になった者、そして終盤に仲間になった者まで。
 全ての人達に声をかけ終わる頃には、時間はとうに深夜を過ぎていた。

 そろそろ自室に戻ろうか、と第四甲板の廊下を歩く。時間が時間だったため、廊下に人の気配は無い。寝静まっているだろう仲間達のことを思いながら、極力音を立てないようにエレベーターへ向った。

 すると、チン! と音をさせて開いたその中から、が出てきた。
 目が合うと、彼女は笑顔を見せる。

 「よっ!」
 「うん!」

 片手を上げて軽い挨拶。彼女がエレベーターから出るのを確認してから、それに乗り込んだ。そのまま閉のボタンを押そうとすると、「ちょっと待って!」と遮られる。
 てっきり、すぐに自室に戻るかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。満面の笑みを浮かべながら、彼女は言った。

 「挨拶、終わったの?」
 「うん。一人一人にね。」
 「ふーん。……テッドには?」
 「うん。さっき言ってきたよ。」

 やや間を空けて、彼のことを聞いてきた彼女。思わず苦笑する。それに対して彼女は「なに笑ってんの?」と顔をしかめた。

 「いや…。って、テッドのこと好きなんだなぁ、って思って。」
 「なに言ってんの? 友達なんだから、当たり前じゃん。」
 「そんなに睨まないで。馬鹿にして笑ってるわけじゃないんだから。」
 「私のこと、からかってんのかと思った。まぁいいけどー?」

 ふぅ、と彼女が溜め息をついた。それが何となく気になる。

 「は?」
 「へ? なにが?」
 「テッドに、何か聞きたいことがあるんじゃないの?」
 「……バレバレ?」
 「うん、ばればれ。」

 途端、戯けて肩を竦めた彼女に吹き出す。
 見抜かれたことを盛大な溜め息でごまかして腕を組んだ彼女は、暫く思案顔を見せていたが、やがて言った。

 「ねぇ……。あいつ、なんて言うと思う?」
 「んー、そうだなぁ…。」

 あやふやに思える彼女の問い。その真意を、はきちんと理解していた。
 少し考える仕草を見せてから、その『答え』を口にする。

 「駄目だ、か……それとも、来るな……かな。」
 「なにそれ! ?なんで、ぜんぶ否定系なわけ? もっとポジティブな未来を想像してよ!」
 「うーん。それなら無言になるか、勝手にしろ、辺りだとは…。」
 「…じゃあさ。あんたは、どっちだと思う?」

 自分を信頼してくれているのは嬉しいが、全て丸投げとは、彼女は中々手厳しい。

 「…………。」

 不意に、その頬に触れてみたいと思った。だから「ちょっと動かないで。」と一言。
 ゆっくりと、その頬をなぞる。その行動を訝しげに見つめる彼女。
 綺麗な闇色の瞳。自分の好きな、綺麗なその色。

 「大切なのは、きみたち二人の気持ちだよ。それに例え『来るな』なんて言われても、きみ達は、構わずついて行くつもりでしょ?」
 「……うん。」
 「それなら、最初から答えは決まってる。」
 「でもさ…」
 「らしくないよ。いつも強引に自分の部屋に引きずり込んでくあの勢いは、何処にいったの?」
 「……ぷッ! だよねぇ!」

 顔を上げて、私らしくないよね、と笑う彼女。自分にとって、その笑顔はとても眩しくて、綺麗なものだ。世界で一番美しいんじゃないかとさえ思う。その笑顔だけで、心が癒されるのだから。

 「そうだよ。いつものきみらしさが、俺は好きだよ。」

 小さく頷いてみせてから、彼女の頬から手を離す。名残惜しいと思ったが、それを言葉にするのは何となく憚られた。
 そのままエレベーターの『閉』ボタンを押す。彼女は、笑ってそれを見ていた。

 「あっ、そうだ…。」

 ふと、思い出す。彼女に言っておかなくてはならないことがあったのだ。

 「。」
 「ん?」
 「忘れてたけど…。テッドの答えがどうであっても、この戦いが終わったら、俺のところに来てくれないかな?」
 「なんで?」
 「渡したい物があるんだよ。きみに、俺から最後のプレゼント。」

 そこで会話は終了した。扉が完全に閉まったのだ。
 エレベーター内にある数字は、4から上へと昇って行く。きっと彼女は、今頃『渡したい物とはなんだろう?』と考えているに違いない。
 その表情を思い浮かべながら、は満面の笑みを浮かべた。






 と別れてすぐ、はテッドの部屋へ向かった。誰もいない廊下を音を立てないようにゆっくりと歩き、部屋の前に辿り着く。
 もしかしたら、寝ているかもしれない。でも、反抗期だから起きているかもしれない。

 明日は最終決戦だ。
 もしかしたら彼は、最後の戦いにかり出されるかもしれない。だから一度ノックして駄目なようなら、明日の朝に話そう。いや、二度ぐらいなら許されるか。
 そう考えながら、ふと思い出すのは、先ほどのとのやり取り。

 『駄目だ、か……それとも、来るな……かな。』
 『うーん。それなら無言になるか、勝手にしろ、辺りだとは…。』
 『大切なのは、きみたち二人の気持ちだよ。それに例え『来るな』なんて言われても、きみ達は、構わずついて行くつもりでしょ?』

 彼に言われた言葉が、頭の中を巡る。
 そういえば、彼には、何から何まで世話になった。この時代に来てからすぐに。そして今まで、ずっと・・・。

 最初は、旅に必要な物ばかりで路銀の1ポッチも持たせてもらえず、腹を減らしていた自分をこの船に誘ってくれた。金の無い自分に「いいよ、俺が出すから。」と言って食事をおごってくれた。
 次に、戦闘の経験がなく大して役に立たない自分に「俺が勝手にやってるだけだから。」と、部屋まで与えてくれた。更には、この船から余り出ることのない自分に「はい、これ。」と、毎度毎度お土産を持って来てくれては、すぐにまた仲間を引き連れどこかへ行ってしまう。

 何より、自分の不安や悩みを、笑顔で答えに導いてくれたのも彼だった。

 「私……なんの恩返しもしてないや…。」

 そう呟きながら、自分の中で、もう彼は『戦争を仕切るリーダー』でも『ただの仲間』でもなくなっていた。彼は・・・・・『大切な友達』だ。
 そして、それは、これからもずっと、ずっとずっと。
 この時代に来てからの出来事が、次々に脳裏に駆け巡った。

 しかし、すぐに思考を中断させた。目の前の扉が、突如開いたからだ。

 「っ!?」
 「………何やってんだよ、こんな時間に。」

 目の前に現れた眠そうな仏頂面に、我に返る。
 そうだ。そういえば、彼と話すためにここへやって来たのだ。

 「……なんか用か?」
 「えっと…。」

 彼の言葉がぶっきらぼうなのは、いつものことだ。それが当たり前なので、今更気にすることもない。それより何より自分を驚かせたのは、ノックもしていないのに、どうして自分がいるのが分かったのかということ。

 「よく部屋の前にいるのが、分かったね。」
 「……扉の前に、人の気配がしたから…。」
 「あんた、それ凄くない!?」

 思わず声を上げてしまい、慌てて両手で口を抑える。てっきり彼に注意されると思ったが、どうやら機嫌を損ねずに済んだようだ。
 だが彼は、なぜか頬をうっすら染めていた。

 「あんた……なに赤くなってんの?」
 「っ、べ、別に…!」
 「大丈夫なわけ? 明日決戦なんだから、熱出しちゃったとか言わないでよ?」
 「ち、ちがっ…!」

 突っ込むと、彼は、更に顔を赤くする。
 その様子に、つい意地悪な心が疼き出し、ニヤリと笑ってみた。

 「テッド、もしかして……………私に惚れちゃった?」
 「ッ、なっ、ち、ちがっ! 誰が、お前なんか…!!」
 「ほらほら、あんまりデカい声だしてると、みんな起きちゃうよ。」

 もちろん冗談で言ったのだ。だが、予想以上に大きな反応が返ってきたため、人差し指を口に当てて「静かにしなさい。」と叱る。
 彼は、バツが悪そうに頭をかいたが、拗ねたのか部屋に入ってしまった。しかし、扉を閉めない辺り『入ってこい』という事なのだろう。小さく「お邪魔しまーす。」と言って、部屋に入った。

 彼は、いつも部屋に余計な物を置かない。だが今日は、それにも増して殺風景なことになっていた。まだ使うであろうベッドは、それまで寝ていたのかシーツがよれてはいるものの、テーブルの上には何も置かれておらず、本棚にも何もない。
 唯一、壁にハンガーでかけられた空色のコートが静かに存在を主張していた。ふと視線を落とせば、小さく纏められた旅荷と、彼が愛用しているらしい木の弓。荷物という荷物は、本当にこれだけのようだ。

 相変わらず、生活感のない部屋だ。そんな失礼なことを思いながら、扉を閉める。彼がベッドに座ったので、自分は椅子に腰掛けた。
 彼は暫く俯いていた。そんな姿を見て、なんとなく話し出すきっかけを見出せない。

 先に口を開いたのは、彼の方だった。

 「……で、なんだ?」
 「んー……。」
 「用があるから来たんだろ?」
 「まーね。」
 「なら、早く言えよ。いま何時だと思ってんだ?」
 「うっ…。深夜に押し掛けたことは、ちゃんと謝るってば! だってさぁ…!」
 「はぁ……。まったく。」

 確かに、こんな夜中に訪問するのは、はっきり言ってマナー違反である。もちろん、そんなこと重々承知している。彼が怒るのも不機嫌になるのも分かる。
 だが、出来れば褒めてほしかった。なぜなら、今日一日彼を捜し回っていたからである。それなのに、目の前の彼は、まるで身を隠しているかのように捕まらなかったのだ。

 ふと顔を上げれば、不安そうな表情をしている彼。
 なんでそんな顔をするんだろう。そう思いながら、本題を切り出した。

 「あんたさぁ……。この戦いが終わったら、どうすんの?」



 彼女の問い。
 それだけで、『やはり明日まで、どこかに身を隠しておくべきだった』と後悔した。
 元より彼女が、このあと何を言うか察してはいた。彼女やアルドの性格を考えれば、おのずと想像できる行動だからだ。

 『一緒に行こうよ』

 彼女達がそう言うのは、目に見えていた。そしてそれは、過去、自分が人を拒絶し始める前に、幾人もの人から言われてきた言葉だった。
 しかし、それは一時のことで、その先は真っ暗闇に覆われるであろうこともまた理解していた。

 この戦いは、明日で決着がつく。群島諸国が勝ってもクールークが勝っても、明日の戦いが、この国に生きる者にとっての全てなのだ。
 しかし、嫌な言い方をすれば、この戦争は自分になんの関係もない。たまたま成り行きで参戦を頼まれ、借りを返すために力を貸したまでのこと。本当のところを言えば、この戦争が終わったら、誰にも何も言わずに姿をくらますつもりだった。

 自分は追われる身。逃げている身。これまでも、そしてこれからも。自分の故郷を、大切な人達を全てを奪った『女』から。
 150年、ずっとそいつから逃げてきた。極力人混みをさけ、食料を調達する以外、決して街に入ることはせずに、深い森を歩き。全てから身を隠して、たった一人で生きてきた。
 捕まるわけにはいかなかった。捕まれば、見つかれば、大切な人からの”預かり物”を奪われてしまうから。

 だが皮肉なことに、その預かり物が、今、自分を悩ませている。

 親しくなった相手の魂を好み、取り込み、喰らう。
 その悪しき力に怯え、恐怖した。来る日も来る日も人を避け続け、何度も何度も苦労を重ねた結果、一度は”それ”を手放す選択をしたこともある。
 だが、それが呪いと分かっていても、自分に巨大な代償が課せられるとしても、その力を人の為に使い命をかけることの出来る少年と出会って、ようやく決心することが出来た。
 『自分も立ち向かえるかもしれない』と。再び、それを取り戻す決心がついた。

 けれどその所為で、今こうして悩んでいる。
 彼女は、自分と共に行くと言うつもりだろう。そしてやっかいな事に、自分自身も『彼女と共に生きたい』という思いが芽生えていた。それは、自分が一番自覚していた。

 けれど。

 は、以前言っていた。彼女は、紋章の呪いには取り込まれないと。
 そう。も彼女も性質は違えど、自分と同じ『真なる紋章』を持つ者だ。しかし、それ以前に彼らは人間だった。いくら紋章を所持しているとはいえ、魂食いと称される自分の呪いから、はたして逃れられるのだろうか。
 懸念は、それだけに尽きた。

 同時に、溢れ出る想い。



 『嫌いじゃなかった。好きでもなかった。…………嘘だ、違う。大切なんだ。』

 『最初は、ただただ鬱陶しくて、構ってほしくなくて突っぱねてた。あんまりしつこい時は、はっきり言ってやった。でもお前らは、それでもめげずに笑顔で、俺にお節介を焼いた。構うなってあれだけ言ったのに……。』

 『お前らに何が分かる、って何度も思ったよ。紋章の本当の恐怖なんて何も知らないくせに、って。でも、それは俺の間違いで…。お前らは、それを持ってた。それなのに拒絶ばかりする俺と違って……いつもいつも笑ってた。』

 『自分に何かしらの呪いを与える”それ”を持ってても、笑っていられるお前らを……羨ましいと思った。その笑顔を見ているうちに、気持ちが軽くなる自分に気付いた。次第に、お前らと一緒に生きたいと…。』

 『でも………。』



 ふと名を呼ばれ、顔を上げる。彼女が、心配そうな顔で自分を見つめていた。

 「テッド、どうしたの? どっか痛いの?」
 「……………。」

 視線を、彼女から外す。

 「なに?」
 「俺は………。」

 自分の意志を告げた。

 『お前達と共に、行く気はない』と・・・・。



 決戦前夜。
 これから、また離れ行くであろう星々が、彼の心情を表すよう寂しげに瞬いた。