[宿命の中で]
転移の寸前。誰かに、腕を掴まれた気がした。
でも、それは、気のせいなんかじゃなくて。
振り返る事も出来ないまま、腕を掴んだ者と共に、光の波に飲み込まれた。
呪われた、出生。
呪われる、目的。
呪っていた、運命。
生まれた時から紋章を身に宿し、成長するにつれ、『夢』の中の出来事が『現実』へと向かっていく様を、まざまざと見せつけられてきた。
その流れの中には、常に自分がいた。抗う術を持たず、そこから逃れる事も出来ず。
”運命”は、何時も残酷で。乗り越えようとすればする程、それに追い打ちをかけるように、自分を世界の端へと追いつめた。
けれど。
もうすぐ、それにも終わりが来る。
願い続けてきた、己が夢。
そうする事によって、未来は、長きに渡る呪縛から解放される。
例え百万の命が犠牲になろうとも、それで、憂う未来が消え去るのだ。
そして、己に与えられるのは、永遠の眠り。
ふと、同時に思い浮かんだのは、自分にとっての”唯一”であった彼女。
数十年を共に過ごした彼女によって、自分は、無いと思っていた様々なモノを見つけた。
誰かを想う心。頬に、背に、手の温もり。
それを『愛情』と知ったのは、そう遠くない昔。
けれど・・・・・・それを捨てた。
元より『自分には、過ぎたモノなのだ』という考えが、あったからかもしれない。
それより、悲願を達成するためには、それが後々邪魔になる。
だから、捨てた。捨てたはずだ。
でも・・・・・・
この胸を締め付け続ける感覚は、なんだろう?
自然と顰めていたのか、寄せていた眉間の力を抜いて、目を開けた。
先ほどの、予想だにしない出来事の所為で標準が狂ったのか、自分が念じていた場所とは全く違う───言うなれば、そこは、シンダルとはまた違った”力”で守られているような洞窟。
松明やランプといった灯りは存在しないはずなのに、僅かにうすらと光を纏っている。
失敗したのかと眉を寄せつつ、何かがおかしい事に気付く。
どうしてだか、ここに来たのは、初めてのような気がしないからだ。
ふと、腕に締め付けを感じて顔を上げた。そういえば、ブラス城から転移する直前、誰かに腕を取られたような気がする。
だが、振り返り、自分の腕を取った者を見て、泣き出してしまいたい衝動にかられた。
「………。」
「…………。」
今しがた別れようとしていた、彼女だった。
感情を極力押し殺して見つめるも、彼女は、項垂れたまま顔を上げようとはしない。
「……。」
「どうしても………紋章を壊さなきゃいけないの……?」
彼女の声は、酷く掠れていた。だがそれに返せる言葉は、今までと同様のものしか持ち合わせていない。
「僕は………止まるわけには、いかないんだ。」
目を合わせず、顔を伏せて、言い聞かせるように呟く。
掴まれている腕が、離される事は無い。
もう一度視線を上げて、別の方向へ目を向けた。
その先には、紋章が祀られていたのだろうか小さな祭壇。壁には、円を描くような彫り込みがあり、その内部には、世界の誕生を伺わせる壁画。それを目にし、やはりここには何かしらの紋章が祀られていたのだと思う。
しかし、所持者を得たのか、そこに紋章自体は、存在していない。
「ここは、いったい…」
「…私の……創世の紋章が、奉られてた場所だよ…。」
「きみの…?」
動揺によって、軸がずれた事は承知していた。だが、何故軸がずれたからといって、来た事も無いこの場所なのだろうか? ただ単に軸がずれただけならば、自分の目指していた場所近くに着くはずなのに。
すると彼女は、僅かに顔を上げると、聞き取れるか取れないかの小さな声で言った。
「……ごめん。私が、軸をいじった…。」
「っ……。もう、そこまで…?」
瞬時に彼女の言葉の意味を解し、そう口に出していた。自分が合わせていた『軸』を、彼女が故意に変えたのだ。しかし、それを簡単に「いじった」と言った彼女に対して、本当に泣き出したくなった。
思えば、最初は『壁』だった。それと知ったのは、もう15年前のこと。
デュナン統一戦争中、彼女とちょっとした口論になったのが、きっかけだった。自分を拒もうとした彼女が、無意識に『魔力による壁』を造り出したのだ。
それが、最初だった。
次に目にしたのは、この地へ来てから。忘れもしない、あのダッククランでの戦いの時だ。
自分達の会話を邪魔しようとしたユーバーを、やはり『魔力』によって拘束した。今度は、無意識ではなく故意に。
それを見た時、正直、大きな鎌で胸を抉られたような気分だった。
共鳴する度に、それに比例して彼女の魔力が高くなる事は、もちろん知っていた。その度に、彼女が『人』と言われる存在でなくなっていくことを。
彼女は、「自分が選んだ道だから、後悔はしていない。」と言った。彼女自身が、その悲しみを背負い、永遠を歩き続けなくてはならないのに・・・。
それでも。
軸をずらした事を含め、彼女の魔力の高さには、驚愕せずにはいられなかった。
そして、嘆かざるをえなかったのだ。
『きみも……もう、人ではなくなってしまった…? 僕と……同じ…?』
・・・・・・違う。
彼女は、それでも”人”だ。紋章に守られ、不老であったとしても。
彼女は、笑うことも泣くことも出来る。そして、自分が解放するだろう”未来”を歩いて行くことが出来る。
彼女は、自分とは違う。心の闇を迷い続け、人ならざる力を得てしまったとしても、彼女は人を”想う”ことが出来る。
過去を嘆き、愛する者を失った痛みに後悔することも、全て・・・。
『僕は………何も想わない………………後悔だって………!』
しない・・・・・・絶対に。
だから自身を悪鬼と称し、ここまで来た。想う事を捨て、後悔の二文字を消し去り、今日こそ『夢』を現実のものとする時が。
「ルック……。」
「っ…!」
ふ、と。
彼女の手が、自分の頬を撫でようと動いた。反射的に、ビクリと肩が引き攣る。
それを見た彼女は、本当に悲しそうな、寂しそうな顔をした。
「私が…………恐い……?」
それは、本当に寂しそうに。本当に、心から哀しそうに。
誰も知らない”孤独”を宿す、その瞳。オブシディアンの双眸。
その瞳を、見た、瞬間。
それまで心に詰まっていた『何か』が、するりと外れた。
そして、今まで内に秘めていたものが、途端溢れ出す。
捨てたはずの・・・・・・・・出すことさえ叶わなかった、積年の『想い』を。