[冗談]
力任せに、自分を捕らえていた腕を掴んで、彼女へ向き直る。そして、女を隠しているその首と腰へ腕を回した。自分より少し高い背も、今は気にならない。
反応の遅れた彼女の頭部を、無理矢理、自分へ引き寄せた。
「ル…ッ!!?」
彼女が自分の名を呼び終える前に、その唇を奪った。
咄嗟に引き離そうと考えたのか、彼女は腕をつっぱろうとしたが、生憎離してやろうなどという気は、毛頭無い。
・・・・・・・いや、違う。
止められなかった。
捨てたと思っていたものが、ただ『押し殺していただけだった』事実を知った。今まで抑え込み、心の奥底で彷徨っていたモノが、時を経るにつれ、ただ膨張していただけに過ぎなかった事を・・・。
己が止める術を知らない感情を、他の誰が抑えられようか。
枷の外れた激情そのままに、彼女の唇を貪った。そして、その勢いのままその場に押し倒す。
彼女は、抵抗を見せようとしたが、動揺の方が大きいのか、動作もままならない。
「…ちょっ………あんた、何す…ッ!!?」
一旦唇を離すと、彼女が、待ってましたとばかりに大声を上げる。だが、それを言い終える前にまた唇を塞いだ。起き上がれないよう全体重をかけて覆い被さり、右手を彼女の肩にかけ、左手でその頭部を押さえ付けて。
胸や肩を叩かれたが、今は『痛い』とも感じなかった。
「ッ………ごほっ………っ…!」
もう一度唇を離すと、彼女は、空気を求めて咳き込んだ。その肩を左手で押さえ付けながら、右手を使って青色コートの裏止めボタンを外していく。
ようやく息を整え、もう一度何か言おうとした彼女の顔を、今度は、両手で固定して更に深く口付けた。
・・・・・・・・なんて、甘いのだろう。
なんて切ないものなんだろう。
この『キス』という行為は。
心がとろけていくような感覚。
その快感で、脳天が痺れる。
でも・・・・・・・哀しい。
悲しみのどん底に居るような、苦しみの淵に立たされているような。
眦が、熱くなるような・・・。
その答えが今すぐ欲しいと、純粋な気持ちでそう思った。
もっと知りたいのだと、猟奇的な欲望が芽生えた。
彼女の、全てが、欲しい。
だから・・・・・
そう思い、口付ける角度を変えて、舌を入れた。
「ッ!!? つッ……。」
舌を絡めた直後、痛みを感じて思わず身を離した。口の中に広がる鉄の味。
あぁ、彼女に舌を噛まれたのか・・・・。
そう思った一瞬の隙をついたのか、彼女は、自分を思いきり突き飛ばし、口元を拭いながら身を起こした。
「はぁ……はぁ……、あんた……いきなり………何すんのッ!!?」
息を整えながら、怒りと動揺の入り交じる声で彼女が怒鳴る。
「………………。」
それに答える術を持たず、ルックは、その場で静かに項垂れた。
項垂れた彼を横目にもう一度口を拭いながらも、は、内心酷く動揺していた。
我を忘れて夢中で抵抗したのだが、思っていた以上に、彼の力が強くなっていたことに驚いたからだ。それ故、中々離れられなかった。
なにより、兄弟子兼弟分である彼に、突然キスされたという事で、混乱が広がるばかり。
だが彼は、無言を通すばかりで、それ以上何か言ってやることも出来ない。
だが・・・・・。
ふと、彼は・・・・・・呟いた。
「もし……」
「…?」
「もし…僕が、きみのことを……きみ以上に想っていて…。それを、きみに伝えたら…」
「あんた、なに言って…」
意味が分からない。
そう言おうとすると、彼が、ここでようやく顔を上げる。
「もし……きみが、僕のものになってくれるなら、共に帰ると………そう言ったら……………きみは、どうする…?」
「え…?」
いつもとは違う、哀愁と憂いの籠るペールグリーンの瞳。それを目にし、その言葉を聞いて、胸がぎゅうと締まった。
その言葉の意味は、分かった。『自分が彼を愛する』なら、共に魔術師の塔に戻ると、そう言っているのだ。
けれど、それに対し『冗談を言うな』とは言えなかった。・・・言えるものか。冗談ではないと分かってしまったのだから。その瞳の奥に篭る隠し切れない熱と、その想いを見て・・・。
だが、例え、本当に『もしも』の話だったとしても。
今、自分が、首を、縦に、振れ、ば・・・・・?
「一緒に……帰って…………くれんの……?」
「……………。」
瞳が、かち合う。だが、彼は返事をしてはくれない。
でも、それでも。
『紋章を壊す』などと言う目的を止めて、自分のもとへ、戻って来てくれるというのなら。
彼とあの娘が、自分のもとへ・・・・・・帰って来てくれるのなら・・・!!
「私……は…」
「…………ごめん。冗談だよ。」
遮るように、彼はそう言った。そして静かに背を向ける。
その言葉を聞いて、正直、戸惑いながらも安堵を隠せなかった。実際返事をしようとして、言葉に詰まったからだ。
『分かった』と言って、彼を”生”につなぎ止めようと、そう考えていたのに。
けれど・・・・・
自分には、永遠の愛を誓った人がいた。その人が死して尚、それでも『愛し続ける』と。
首を縦に振るという事は、すなわち、『誓い』と『ルック』に嘘をつくことになる。
だから内心、彼が「冗談だ」と言ってくれた事に、胸を撫で下ろしていた。でも、それをしてはいけないと、否定する自分も存在していた。
あれは・・・・冗談なんかじゃない。
あの瞳を見れば、これまでの付き合いがなくとも、分かるのに・・・・。
動揺と安堵。
彼の気持ちを理解出来ず、気付く事も出来ない『心』であったならば、どれほど残忍で楽だったことか・・・。
『私は……………テッド以外は…………。』
「ごめん、ルック…。」
先ほど、彼が自分に向けた言葉を、今度は自分が彼に返した。
嘘はつきたくない。これまで自分に決して嘘をついたことの無い、他でもない彼には。
失ったあの人以外、決して愛せないのだと・・・・。
「でも、私は……!!」
大切に想っている。家族のように。本当の弟のように。
そう口にしようとするも、彼は、それを遮るよう背を向けたまま言った。
「僕は………もう行くよ。」
「ルック…。っ、行かせないよッ!!」
立ち上がり、決して行かせまいと彼の肩に手をかけた。そして力づくで振り向かせ、自分の今持つ言葉すべてを伝えようと、口を開く。
しかし・・・・・
「……っ……え…?」
突如、彼が、自分の額に手をかざした。と思ったら、目の前が霞み始める。
それは、誘うように。己が意識を、すべて飲み込むように。
「…ルッ…………なん………で……?」
目蓋が重い。襲い来る、過去に一度経験したことのあるこの眠気は、風の紋章によるものだ。
抵抗という抵抗も出来ず、意識はゆっくりと、だが確実に、自分を眠りへ誘っていく。
ずる、と音を立てて、体から力が抜け落ちた。
必死に意識を保とうとするも、どうしてか、抗い切れない。
『あぁ…………あいつが………呼んで…る………。』
遠くから、自分を呼ぶ”声”。
風の眠りと、自分を呼ぶ”声”の、二つの要素に勝てる事も出来ず。
の意識は、とうとう、深い闇へ落ちた。
彼女の体が、地に伏すことは無かった。代わりにルックが、その体をしっかりと抱きとめたからだ。
自分の肩に凭れている、バンダナに覆われた彼女の頭をゆっくりと撫でて、背に回した腕に力を込める。反応が返ることは無いと分かっていたが、それでも、先ほどの名残なのか、横たえてやった彼女の額に口付けを落とすことだけは、どうか罪とはせずに許して欲しい。
彼女は、ピクリとも動かなかった。その頬には、一筋の涙の跡。
自分の使った風の眠りによって、暫く目を覚ます事は無いだろう。離れるのが名残惜しいと、素直にそう思えたのは、自分の『願い』が叶う直前だからだろうか?
この世界で、たった一人の愛しい人。
眠る彼女を見つめながら、ゆっくりと立ち上がる。そして背を向けると、右手を掲げた。
光が宙に落ちるのと同じくして、黄金色に光る波紋。
この洞窟内部の光を取り込み、反射して、キラキラと輝いている。
「………………ごめんね……。」
目を閉じ、その光を感じながら、光の波に身を任せた。