[風と大地]
大混戦が、瞬時に終わりを告げた後。
炎の運び手は、大空洞の北に位置するシンダル遺跡へと乗り込んだ。
そこで、まず軍師たちが勧めたのは、真なる紋章の回収だった。
遺跡内部へ入ると、道が4つに別れていた。それぞれの道の奥には、真なる紋章が安置されている。そう言ったのは、ササライだ。
まずヒューゴが、精鋭を連れて階段を上がった中央の道へ消えていき、次にクリスとゲドが、それぞれ仲間を連れて両脇の道へ進んで行った。
最後にササライが、ディオスを連れて階下の道へ進んでいく。
正軍師であるシーザーがヒューゴと共に向かった為、その場に残ったのは、アップルと数人の兵士たち。そして、成り行きで、事の顛末を見届けようとついて来たシエラや、そしてやの面々。
が、アップルの傍に立つシエラに目配せすると、ゆっくり歩き出した。
だが、シエラは、それを止めた。
「、待ちや。」
「…………。」
もう、そう呼んでも良いだろう。シエラは、戸惑う事なく彼の名を呼んだ。
だが、彼は動きをピタリと止めたものの、振り返る気配はない。そんな彼の想いを解していたが、シエラは続けた。
「…おんしの気持ちは、分からんでもない。じゃがこれは、彼奴らの問題であって、おんしが、これ以上踏み込んで良いものでもない。」
「……分かってるさ。でも…」
彼の気持ちは、よく分かる。彼は、彼女の事をとても大切に想っている。
それが友人以上の感情だったとしても、それ以前に彼女は、彼にとって最も古いの知り合いだ。
昔、彼と二人で旅をしていた頃。
彼から、よく彼女の話を聞いていた。それこそ嫌になるぐらいに。
彼女の話をする時、彼は、決まって少年のような純粋な微笑みを浮かべ、それはそれは嬉しそうに話していたものだ。それだけで、彼の彼女に対する気持ちは理解出来た。
この小僧は、彼女に対し、それ以上の感情を持っているのだ、と。
彼女の事が心配なのは、分かる。だが、今回の件は、あくまで『彼女と風小僧』の関係であり、いくら彼女の『師』から頼まれた事とはいえ、必要以上に介入するのも如何なものか。
それが、シエラの考えだった。
彼は、それも分かっているのだろう。けれど、分かっていても彼女の力になりたいと、体が動いてしまうのだ。
だから、そんな彼を見据えながら、続けた。
「…今、おんしのすべき事は、あやつの傍に居る事ではない。おんしがやるべき事は、必要と思われる最低限の助力をし、あやつらを見守ってやる事じゃ。」
「……分かってる。」
引き止めなければ、すぐにでも駆け出しそうな彼を止められるのは、シエラだけだろう。二人の掛け合いを見ていたアップルは、視線を伏せながらもそう思った。
そっと背後に視線を向ければ、かつて自分や仲間達を導いた『英雄』二人の姿。彼等も、きっと直ぐにでも駆け出したいのだろう。二人とも、拳を握りしめて俯いていた。
『ルックさん……。あなたは、一人じゃないのに……。』
そう思いながら、もう一度視線を伏せた。
と、耳にまたもシエラの声。
「じゃが……。」
「……?」
「運び手の者とやらが、紋章を取り戻した後ならば………何の問題もあるまい?」
「シエラ……。あぁ!」
静かに微笑んだ少女に、彼が、小さく笑い返す。
もう一度背後を見やれば、やも、静かに頷いていた。
長く、ひやりとした空気の続く道に、ゆったりした足取りが響く。
足音から推測すれば、それは成人男性と少年のもの。時折、砂を踏みつける音の反響の長さが、この道の長さを示していた。
「でも、良かったんですか、ササライ様。せっかく助太刀してくれるっていうなら、受けといても損はありませんでしたよ? あのひょろっとした兄ちゃんは、どうかわからないけど、重武装の娘は戦力になりましたよ。」
やる気の無さそうな声が響く。だが裏を返せば、何を考えているのか分からないと取られそうな口調だ。
それに対し、小さく苦笑する声と共に、若い少年の声が響いた。
「いいんだよ、ディオス。これは、僕とあいつの問題だから。」
「でも、わたくしはお供してますよ。」
「……きみは、それで給料をもらっているのだから、当たり前だろう。」
緊張感に欠ける。そんな言葉がぴったりな程、男と少年の対話は、拍子抜けしたものだった。
だが、男が、何かの気配を感じて怒声を上げたことによって、それが緊迫したものに変わる。
「まぁ……そうなんですが…………………………誰だ!!!!」
柱の影から現れた人物を見て、少年、ササライは目を見開いた。
「お前は!!!!!」
「……温室暮しの神官将が、こんな所まで乗り込んで来るなんて、感心したよ、兄さん。」
ササライの視線の先には、髪型と服装だけが違う、うり二つの少年。髪の色も背丈も、顔の細部まで。
ササライは、ルックを見据えると、一歩距離をつめた。
「真の土の紋章を返してもらい、同時に、お前の真の風の紋章も、ハルモニアに持ち帰る。それは、元々ハルモニアの物だ。魔女レックナートが、お前と共に、クリスタルバレーから奪い去った物だ。」
「…………………………。」
ルックは、その言葉を黙殺すると、凍るほどの視線をもって、冷淡に告げた。
「そんな話は、僕を倒してからにしてみろ。」
彼らの戦いは、中々決着がつかなかった。ルックが攻撃を仕掛ければ、ササライが返し、ササライが仕掛ければ、ルックが返す。押しつ押されつの攻防が、長く続いた。
だがルックは、やはり15年前や18年前の戦に身を置いていたのが幸いしたのか、結果としてササライが敗北し、その場にがくりと膝をついた。
「くっ……」
深手とまではいかぬものの、やはりそれに近い傷を負い、ササライは苦しげに息をした。それを瞳に写しながら、ルックは、静かに言う。
「……兄さん。貴方に、ここで訂正してもらう。」
「な、なんだ……」
彼は、ディオスに支えてもらっているが、足に力が入らず体勢を変えることはない。
ルックは、構わず続けた。
「レックナート様は、真の風の紋章を奪い取ったわけじゃない。この僕を助けてくれたんだ…………ただ、運命を哀れんで………。」
「哀れんで…だと?」
「そうさ。土の紋章とともに生まれて来た貴方は、神官将として育てられたが、僕は………紋章の『保管庫』にすぎなかった。だから、レックナート様の誘いに乗って、あの神殿を逃げ出したんだ……。」
ここで言葉を止めた。
その視線が、ササライ達の通ってきた道に固定された為、ササライもディオスもそちらに目を向ける。
そして、そこに立っていた者は・・・・・
「きみは…?」
「殿…? あなたは、確か運び手を去ったはずでは…?」
『目的を遂げる』として運び手から去ったはずの者の登場に、ササライとディオスが目を丸くする。対して、青のコートに身を包んだ者は、彼等に視線を向けることはない。
その瞳は、ルックだけに注がれていた。
「聞いていたんだね……。」
「……うん。」
「それなら、話が早いよ…。」
そう言って、ルックは───に背を向けた。
それに横槍を入れるように、ディオスが声を荒げる。
「殿、あなた、やはり…!!」
「…ディオスだっけ? 安心していいよ。俺は、こいつらの仲間じゃないから。」
「何を、今さら! そもそも、その男と親しげに会話が成立している時点で…!」
「ディオス、黙るんだ。」
「ですが、ササライさ……ッ…!?」
興奮するよう捲し立てるディオスを止めたのは、ササライ。それでも収まらないのか、更に声を上げようとした彼が、急に意識を失った。が指を弾いた瞬間、ササライを支えていた体ごと、前のめりに倒れたのだ。
「ディオス…?」
「…安心していいよ。煩いから、眠らせただけだから。」
「…。きみは、いったい…?」
「……ひとつだけ言えるのは、あんたら二人の『関係』をどうこう言う為に、ここに来たわけじゃないよ。」
支えを失い、両手を土につけた彼に、ルックを顎で示してみせながら、そう言った。その言葉に何か含むものを感じたのか、二人が眉を寄せる。
その空間には、背筋が凍るほどの静寂が漂っていた。