[不完全な人形]



 「ルック。」
 「………。」
 「こっちを向いて。」
 「………もう、関わりは無いはずだ…。」
 「馬鹿言うな。こんだけ関わったんだから、最後には、勝って笑ってやる。」

 そう言って歩み寄る。彼は、一向にこちらに目を向ける事はしない。
 俯き、決して振り返らないと全身で示すその肩に、は静かに手をかけた。

 「ルック。」
 「ッ!!」

 かけた手は、力づくで振り払われた。
 代わりに顔を向けた彼は、眉間を寄せて声を荒げた。

 「今の話を聞いて、きみも分かっただろう! 僕は、”人間”じゃない!!」
 「…………。」
 「ヒクサクの複製として生を受け、死ぬことも、夢見ることも出来ない…………ただの呪われた人形だ!!」
 「………………ごめん、ルック。」

 ここまで感情を高ぶらせて叫ぶ彼に、そう言うことしか出来なかった。
 彼は、それに不可解そうな顔をする。

 「どうして、きみが…?」
 「ごめん、知ってたんだよ…。いや、違う。思い出したから…。」
 「…なにを…言って…?」
 「あんたが、ヒクサクの複製だと……紋章を保管する為に作られたんだって………知ってたから…。」
 「っ!!?」

 それに対し、彼は、大きな衝撃を受けたように一歩後じさった。それは、よろめく程ではなかったものの、それを唯一知るはずの女性の姿を思い浮かべたようだ。

 「…まさか……まさか、レックナート様が…!?」
 「違うよ、ルック……違うんだよ…。」
 「それなら、どうしてきみが…!」

 その『答え』を言うわけにはいかない。言うことが出来ない。

 『私は、ここではない、別の世界から来た』
 『私は、この先にある、一つの結末を知っている』
 『この先の、正規のエンディングを……』

 そう、言えなかった。
 彼は、驚愕の眼差しで自分を見つめている。それに首を振ることしか出来ない。
 その代わりに、彼を優しく抱きしめた。そして、ササライに聞こえないように、そっと呟く。

 「…でもね。例えあんたが、『作られた存在』だったとしても……私もレックナートさんも、ルカもも………セラだって、あんたのこと好きなんだよ?」
 「…………。」
 「あんたは、自分の事を『悪鬼』だの『複製』だの言ってたけど……それでも私たちは、ルックって言う”人間”は、あんた一人しか居ないと思ってる。」
 「僕…は……」
 「あんたは『ルック』であって、ササライやヒクサクとは別人だよ。ササライと比べるだけでも、性格が全然違うでしょ…?」
 「…っ……。」

 彼の肩が、震え出す。

 「それは、あんたもササライも……ヒクサクだって……それぞれ積んできた経験や、歩んで来た道が違うからじゃないの?」
 「………」
 「自分のことを『人間じゃない』なんて………言わないでよ。生まれだけじゃん…。あんたは、人のことを思いやる事が出来るのに……それに、泣くことだって…」
 「…違…う…。」
 「ルック……。」

 彼の心境を、いま一番理解しているのは、きっと自分だ。



 思い出してから、ずっと考えていた。彼が、いかに己の出生を呪い、運命を憎んでいたのかを。
 歴史の記憶と主に封じられていたとはいえ、全く思い出す事が出来なかった自分を恥じ、責めた。

 この子は、ずっと苦しんでいたのに。
 ずっと、ずっと・・・・
 生まれ出てから、今日、この日に至るまで・・・・。

 望まぬ不老と共に彼を追いつめるのは、せめて眠ることで得られるはずの『夢』。灰色の。
 起きていても、眠っていても襲い来るその恐怖は、これまでどれだけ彼を追いつめたのだろう?
 確かに彼は、笑えるようになっていた。けれど、それでもその瞳には、今思えば憂いに満ちた悲観的なものが多かった気がする。
 そんな中、彼は、30余年という長い時をずっとずっと苦しんだ。誰に打ち明けることもなく、ひとりぼっちで。

 そう思うだけで、胸が苦しくなった。

 記憶などに頼らずとも、どうして早く気付いてやれなかったのか。
 共に『それ』を共有することで、彼は、もっと違った道を選び取れたかもしれないのに。
 涙がにじんだ。彼の顔が、ぼやけて見える。彼の顔は、悲観と哀しみに満ちていた。



 強く彼を抱きしめて、今、この胸にある想いを伝える。

 「大いなる戦いの果ての”終末”が、あんたの見た未来なら………変える事が出来るかもしれない。それが、あんたの望みなら………私が変えてやれるよ…。」
 「っ、なんで、それを……!?」

 全ての元凶と呼ばれる”存在”。最初からそれと理解し、封じ込める術を知り、もっとずっと前に、自分がそれを選んでいたのなら・・・・。
 彼をここまで苦しめずに済んだのかもしれない。

 そう言うと、彼は、顔を伏せた。

 「もう、そこまで………気付いてしまったんだね……。」
 「………もう終わりにしよう。あんたじゃなくて良い……私がやるよ。私が、全部やってやるから…。だからあんたは、セラと一緒に…」
 「っ…もう、戻れないんだよ……。」
 「まだ戻れる。あんたは、私の大切な家族だ。だから、私が守る。私が、全部…」
 「ッ、止めろ!!!」

 言葉を紡ぎ終える前に、突き飛ばされた。幸いバランスを崩す程度ではあったが、怒りは湧かない。

 高ぶる感情を抑えるように、けれどそれを押さえ付ける術が無いのか、彼は、今までに無いぐらいの大声で叫んだ。

 「きみに何が分かるッ!!? 生まれた時から紋章を宿し、死ぬことも、夢を見ることも出来ない、この呪われた身の………いったい何が分かると言うんだッ!!!!!」
 「っ……。」
 「自ら紋章を得ることを決め、夢を見ることすら出来るきみにッ……!!!!」
 「ルック…。」
 「呪われた生を憎み、抗う術の無い運命に………僕は、ただただこの日を待ち望んだ!! 未来を解放し、僕自身にもやっと安息が訪れるんだ!!! それなのに……っ…なんで………きみは、いつもそうやって邪魔ばかりするッ!!?」

 それは、きっと。彼の心の叫び。
 今まで誰に打ち明ける事も出来ず、ずっとずっと溜め込んできた・・・・。

 その言葉に、涙が流れた。同時に嬉しく思った。やっと彼の心の声を聞けたような気がしたから。涙を拭う事もせず、ただ彼を見つめた。

 彼は、視線を外し、言った。

 「…僕は、もう……戻れない…。」
 「……それで死ぬことになっても?」
 「言ったはずだ。それで、未来が変わるなら…」
 「行かせない!!」

 彼が言い終える前に、右手を一振りした。瞬間、この場に『見えない膜』が張られたことに、彼は気付いたようだ。
 絶対に、ここから逃がさない。なぜなら、ササライとの死闘を終えた後、彼がこの場から去る事を知っていたからだ。
 最終決戦が行われる祭壇。その場所へ行かせてやる気など、さらさら無い。

 「まだ、邪魔を…!!」
 「あんたを死なせたくない……それが、レックナートさんたっての望みでもある!!」
 「っ…」

 と。

 遺跡全体が揺れ出した。
 ズズ、という振動と共に、天井の強度の脆い部分が、カラカラ音を立てて落ちてくる。

 「火と水と雷の紋章は、本来の所持者に戻ったらしいね。」
 「くっ…!」

 奥歯をギリと噛み締めながら、彼は目を閉じ、結界を破壊しようとする。だが、彼でも歯が立たない程、自分の魔力は強くなっているのだ。

 「ルック……風の紋章の記憶だけが、未来じゃない。あんたの憂う未来を、必ず私が変えてみせる。だから…!」
 「ッ、黙れ! 見たことも無いくせに!!」
 「っ……皆で協力すれば、きっと未来は変えられる!! あんただけが犠牲になる必要なんかない!!」
 「なんで、きみは分かってくれないんだ!? 世界は……何も変わっていないじゃないか! 1000年という月日を経ながらも、人の争いの種になるのは、いつだって『真なる紋章』だ!! その永劫めいた呪いの螺旋を、きみ一人の力で変えられるわけがない! だから、僕は……!」
 「こんの大馬鹿ッ!! あんたに死んで欲しくないってのが、なんで分かんないんだよ!? 絶対に行かせないからねッ!!」

 辛い。彼の哀しくて苦しそうな顔を見ているだけで。
 どうしてこんなに、皆が皆、辛い想いばかりをするのだろう?

 ゆっくりと、腰に履いていた刀を抜き放つと、彼が目を細めた。



 「……どういうつもりだい?」

 目を細めると、彼女は、小さな声で続けた。

 「ルック…。一つだけ、教えてあげる。この結界を解きたいなら、簡単な方法がある。」
 「何を……」

 そう言って、自分を見据えた彼女の瞳。それは、闇よりも更に深い『無』を宿していた。
 それは、かつて己を震撼させた『裏』ではない。『』という女性の『深い闇』だった。

 その瞳に、吸い込まれてしまうかと思った。いや、吸い込まれてしまいたいと、あの頃から願っていた気がする。それは、デジャヴュ・・・・・?
 おかしなものだと首を振り、瞬時にその考えを散らした。

 すると彼女は、小さな声で言った。

 「どうしても、この先に行きたいなら……………私を殺せばいい。」と。