[追いかけて]



 「!!!!!」

 オベル王リノの声が、甲板に、そして大空へ響き渡った。






 エルイール要塞で、最後の戦いが終わった。
 そこで達は、勝利を掴んだ。この戦に勝ったのだ。

 しかし、その戦いの衝撃から、要塞は崩れ始める。
 彼等は、軍師エレノア・シルバーバーグの言葉によってすぐさま要塞を脱出した。そして、彼女の帰りを船で待った。だが、彼女が戻ることはなかった。彼女は、かつての教え子と二人、戻ることなく要塞の爆発と共に姿を消した。

 爆発の衝撃が、根性丸まで及ぼうとしていた。その時リノが、にそう声をかけたのだ。
 は、それに頷いた。そして左手を高く掲げ、詠唱を始める。
 だが、そこで待ったをかけたのはだった。

 「……?」
 「駄目だよ、! それを使ったら、あんたが…!!」
 「……いいんだよ。」



 ある時。
 彼が、紋章を使う場面を初めて目にした。
 倒れた彼は、数日間目を覚ます事がなかった。

 ある晩、軍師とオベル王の会話を聞いた。このまま紋章を使い続ければ、は命を落とす事になるかもしれない、と。
 すぐにその会話の意味を知って、戦慄いた。紋章の呪いだ。
 他の事など一切考えず、その二人に食ってかかった。だが軍師の放った一言に、言葉を返すことが出来なかった。

 「あいつは、この船のリーダーだ。そしてそれは、あいつが選んだ道だ。それを手折れるだけの意志や力が、あんたにあるのかい?」

 でも、それでも・・・・自己を犠牲にしてほしくなかった。
 だからこそ、彼を止めた。



 衝撃波は、すぐそこまで迫っていた。あれに飲み込まれたら、仲間達の命が危ない。
 止めようとするその手を優しく退けてから、は自身の紋章に呼びかけた。

 「我が真なる罰の紋章よ……!」
 「……、っ、ダメッ!!!!!」

 が、叫んだ。その時。
 の左手からは、怖気の立つような禍々しい光。同時に、の右手からも光が溢れた。罰の紋章から溢れ出た、まるで人々の悲鳴を凝縮したかのような力の塊が、衝撃派を相殺し、さらにその先にある城塞を破壊する。
 そして創世の紋章から溢れた光は、愛しい我が子を慈しむ母のように、彼の左手を包んだ。






 群島解放戦争は、今日、ここに終結した。

 全て・・・・終わった。






 後、事後処理を済ませたオベル王の王国再建の声明と共に、王リノの発案で『群島諸国連合』なるものが結成された。
 それから仲間達は「旅に出る」とこの地を去る者もいれば、「居心地が良い」と居残る者もいた。
 旅に出るという仲間達を根性丸で各港へと送り、居残る者たちの生活もそろそろ安定するかと思われた頃・・・。



 は、船内の自室で眠り続けていた。



 あの時を止めようと、無意識に紋章の力を開放した彼女は、倒れてから今まで一度も目を覚まさなかった。

 今まで彼女は、創世の紋章の力を使ったことが無い。ルックのように魔力が高いわけでもなく、自分の紋章を支配できるほど、長い年月を生きてはいない。
 そんな彼女が力を使えば、その強大な力を制御することができず、心身共に相当な負荷がかかる。倒れてしまうのも無理のない話だった。

 倒れた彼女を見て、まずアルドが慌てた。
 彼は、すぐに彼女の傍へ駆け寄り、脈があるのを確認して安堵した。ぐったりしたその体を抱き上げて、彼女の自室へ運んだ。
 同じく、紋章を使ったも倒れたため、リノが彼を運んだ。

 2〜3日すると、が目を覚ました。
 事と次第を理解した彼は、すぐさま彼女の元へ向かった。
 だが彼女は、一向に目を覚ます気配がなかった。

 アルドは、そんな彼女にずっと付き添い、看病を続けた。
 少しでも目を覚ます気配があれば、すぐに食事ができるようにと、朝、昼、晩、彼女の分の食事を持って。

 しかし、彼女は目を開けることもなく、ただ昏々と眠り続けていた。

 やリノも、彼女のことを心配して何度も見舞いに来た。しかし同時に、彼女の傍から決して離れることのないアルドのことも心配していた。
 彼女が倒れて以来、睡眠もろくに取らず、つきっきりで看病を続けるその姿は、彼がいかに彼女を大切にしているかの表れ。そんな二人の仲の良さは、自身、嫌というほど知っていた。二人の絆は、きっと他者では計れまい。

 自身、それを咎めるつもりもなかった。

 しかし、彼まで倒れてしまったとなっては、彼女が目覚めた時になんと言えば良いのか。
 残念なことに、いくら自分とリノが説得を試みても、彼は頑として首を縦に振らなかった。「彼女は、僕の大切な友達なんです!」と言って、その傍を決して離れようとしなかった。

 日に日に衰弱していくアルド。それを見兼ねて、はとうとう実力行使に出ることにした。
 道具屋から購入した睡眠薬を紅茶にまぜ、アルドに飲ませた。疲れていたのだろう、深く眠った彼を休ませ、今度は自分が彼女の看病をした。
 少々強引な手だったかもしれないが、彼に少しでも休んでもらいたかった。彼女が起きた時に、まず彼の顔を見て欲しい。それが自分の願いだったから。

 翌朝、起きてきたアルドに強引な手段を使ったことを謝ると、彼は「こちらこそ、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」と、困ったように微笑んだ。
 そして、交代で彼女を看病することを約束してくれた。






 そして、全てが終わってから一ヶ月が過ぎた頃。
 とある日の、夕刻。

 は、アルドと交代する為、彼女の部屋へ入った。
 そして一言、二言話をして、アルドが席を立った。

 その時だった。

 「……………ん…。」
 「!?」
 「ちゃん!!」

 小さく唸りながら、彼女がうっすら目を開けた。
 慌てて駆け寄ると、彼女は、目を擦りながら自分たちを見つめている。

 「あれ? 私……。」
 「……良かった…。」
 「目が…覚めたんだね。あぁ、良かったちゃん!」

 起きがけに「良かった良かった!」と、まるで祭りのように騒ぎ立てられ、は目を丸くした。
 見れば、が安堵したような息をはいており、アルドはアルドで、ぎゅうぎゅうに抱きしめてくる。

 「ちょっ……あんたら、なんなの?」

 たかが寝起きに、何故そこまで熱烈歓迎されるのか分からず戸惑う。二人は、顔を見合わせていた。そして苦笑しながら、何が起こったのかを説明してくれた。



 『最後の戦いが終わり、一ヶ月眠り続けていたこと。そしてその間、二人で看病していたこと。』

 は簡潔に話した。
 対する彼女は、そんなに時間が経っていると思っていなかったようで、相当混乱しているようだ。

 「え…、マジで? 私、そんなに寝てたの?」
 「うん。」

 全くもって信じられない。そういう顔を全面に出して、彼女は手で額を覆った。だが、それが真実だったため、は頷いてやることしかできない。アルドといえば、先ほどと変わらず「本当に良かった!」と言いながら、彼女を腕の中に閉じ込めたままだ。
 彼女は、暫くとんでもな状況に頭が追いついていない様子だったが、ようやく状況が理解できたのか、礼を述べた。

 「本当にありがとね。それと、ごめんね。」
 「ううん、ちゃんは謝らないで! 僕は、ちゃんの目が覚めただけで本当に…!」
 「アルド……ありがとう。」

 心配をかけたにも関わらず、変わらぬ優しさで接してくれるアルドに抱きついた。彼も負けじと抱きしめ返してくる。
 それを見ていたが、苦笑いしながら声をかけてきた。

 「……アルド。嬉しいのは分かったけど、ちょっと抱きしめ過ぎじゃないかな?」
 「えっ、あ、あぁ!? ご、ごめんねちゃん、僕…!」
 「ん? いいよ、別に。気にすることはないと思うけど…。」

 慌てて離れて謝る彼に、そう言った。むしろ、心地良い温もりが離れてしまったことに少し寂しさを覚える。

 「でも………あれっ?」

 ふと、何か忘れている気がした。
 何かが足りない。何かが居ない。『誰か』が・・・・居ない。

 「そういえば……テッドは?」
 「あっ…、その……。」
 「…………。」

 そう言って部屋の中を見回すも、その少年は見当たらない。
 見ればアルドは俯き、は黙り込んでいる。

 「なんで……?」

 なんで、いないの? どうして、ここに居ないの?
 どこかに出かけてるの? すぐに戻ってくるの?

 そんな想いが胸に沸き上がっては、声に出ることなく消えていく。
 すると、が言った。

 「テッドは……一人で、行ってしまったよ。」
 「え…?」
 「きみが倒れてから、数日はこの船に居たんだけど……。ある日、下ろしてくれって言われて…。何度も引き止めたんだけど……。」
 「…………。」

 言いにくそうに言葉を紡ぐ彼。それを聞いて、思わず俯いた。
 一人で、行った? どこへ? どうやって?
 連れて行くつもりはない。そう言われたあの夜の事を思い出す。それでも、付いていくつもりだった。アルドと二人で。

 それなのに・・・・・・・それなのに!!

 彼は、一人で、勝手に、行って、しまった・・・・・だと?



 俯き、黙りこくった彼女を、それまで目を閉じて会話を聞いていたアルドは、心配していた。開けた視界の先に、肩を震わせる彼女を捉える。
 彼女が傷ついてしまった。そう感じた。だからこそ、そっと彼女の隣に腰を下ろして、その肩に手を置こうとした。

 と、ここで感じたのは、いい知れぬ違和感。彼女がなにやらブツブツ言っているのだ。
 あぁ・・・・なんとなく嫌な予感がする。でも、ここで無視するわけにもいかない。
 故に身をかがめ、そっと、そぉっと、その表情を盗み見た。そして、盗み見たことを後悔した。

 あぁ、なんてことだ。
 彼女が・・・・・・・・・・・・怒っている。

 その表情は、かつて自分やテッドをも震撼させ、自分が悪いわけでもないのに思わず謝ってしまうほど。テッドが「鬼」と揶揄していたのも、今なら頷ける。
 そんなことを大親友が考えているとも思っていない彼女は、ゆっくりと顔を上げて、言った。

 「………………アルド。」
 「ひッ! な、なにっ!? ご、ごめんね?」

 なぜ、彼は謝ったのだろう。反射的にとはいえ、他になにか別の反応があったのではないだろうか? それまで静観していたは冷静にそう思ったが、なんだか可笑しくなって吹き出した。
 当のアルドは、情けない顔をして抗議の視線を送ってくる。
 だが彼女は、自分たちのやり取りなど興味ないように、静かに・・・・・だが、怒りを極力抑えているようだがまったく抑えきれていない声色で、言った。

 「アルド……。すぐに荷物纏めてきて……。」
 「え、でも、な…なんで…?」
 「同じことを何度も言わせんな! いいから早く纏めて来い!!」
 「ひィッ!! ご、ごめんね!? すぐに支度してくるから…!!」

 そう言うや否や、アルドが大急ぎで部屋を飛び出して行った。その背を見送りながら、は、耐え切れなくなって、腹を抱えて笑った。
 ひとしきり笑い終えてから、視線を彼女に移したが、いまだ怒りを増幅させ続けているのか、ゴゴゴゴ、という効果音がつくほど苛立っているようだ。
 そんな彼女に臆すことなく、声をかけた。

 「、行くの?」
 「ッ、決まってんじゃん! あのクソガキ、ぜってー許さねぇッ!!」
 「……きみは女性なんだから、もうちょっと…。」
 「あんのクソッタレマジガキ……ぜってー捕まえて泣かすからな!!!」

 今の彼女に言葉遣いを諌めてみても、どうやら無駄らしい。そう思い、はそっと肩をすくめた。

 彼女は、置いて行かれたことをよほど腹に据えかねているようだ。眠っていたとはいえ、何の挨拶もなく、まるで逃げるように姿を消した彼が、どうしても許せなかったのだろう。
 挨拶は人の基本、と唱える彼女にとって、それはとても重要なのだろうから。
 それだけではない事も、もちろん分かっていた。

 なんとなく、あの決戦前夜の夜、テッドが彼女たちを『連れて行かない』という選択をするような気がしていた。あの時、彼女にどちらだろうと問われたが、彼女を傷つけることをしたくなかったため、敢えてああ言ったのだ。
 その後、彼女が倒れてしまったのは、まったくのイレギュラーであったが、それ以外は、自分が想像した通りになった。彼女に捕まる前に、テッドが姿を消したこと。それを知った彼女が、今こうして激怒していること。更にいえば、その煽りを喰らったのがアルドだということも。

 あぁ、テッド。彼女が倒れたこと以外、ぜんぶ俺の予想通りになったよ。
 俺、先見の才能があるのかな?
 でも、彼女が怒ったり悲しんだりする姿を、俺は見たくなかった。
 ・・・・・なんで、置いて行くんだよ。
 この様子だと、どんな手を使ってでも、彼女はきみを捜すよ。そして、きみを見つけ出す。それだけは、胸を張って言い切れる。

 まったく・・・。どうせやるなら、なんでもっと上手くやらなかったんだよ。
 きみは狡いよ・・・・・・でも。

 口をついて出るのは、彼女が喜ぶような言葉。

 「。」
 「ん?」
 「テッドのこと、頼んだよ。」
 「言われなくても、そんなの分かってるしッ!」
 「あれで結構、寂しがり屋だと思うからさ。」
 「………ふふっ、知ってる。」

 いつもと変わらぬ調子で接してくるに、は思わず笑みが零れた。それから少し話していると、急ぎに急いだのかアルドが戻ってくる。

 「ちゃん、僕はこれで大丈夫だよ! ちゃんの荷物は…」
 「私も大丈夫。そんじゃあ、行こっか!」
 「あ、。ちょっと待って!」

 そう言って、が待ったをかけた。何か言い忘れたことがあるのだろうか?
 視線を向けると、彼は何かを放り投げてきた。すぐさまそれをキャッチする。と・・・。

 「……封印球?」
 「うん。」
 「なんで? くれんの?」
 「決戦前夜に言ったはずだよ。俺からきみへ、最後のプレゼント。」
 「あっ、あれかぁ!」

 それでようやく思い出す。確かに決戦前夜、彼に『渡したい物があるから、戦いが終わったら来てほしい』と言われていたのだ。彼がくれたのは、土の上位紋章である『大地の紋章』。しかし、なぜ最後のプレゼントが紋章なのだろう?
 首を捻っていると、彼は笑った。

 「それで、テッドのこと……支えてあげてほしいんだ。」
 「…。」
 「実戦経験はなくても、”人並みに紋章は使える”って言ってたでしょ?」
 「うん……ありがとう!」
 「……きみの為なら。もう少しでテッドが下りた港に着くから、もうちょっと待ってて。」
 「あ、それなら大丈夫だよ!」

 もうすでに船をそこへ進めていてくれたとは。
 恐らく彼は、自分が目を覚ましたらすぐにテッドを追いかけると分かっていたのかもしれない。
 だが彼は、大丈夫だと言った自分の言葉に首を傾げた。

 「大丈夫って…?」
 「ねぇ、あいつは、どこに向かうって言ってた?」
 「え、あぁ、確か……赤月帝国の方へ向かうって…。」
 「ふーん…そっか。ありがと!」

 礼を言って、右手を掲げる。途端、空中から光が零れ落ち、床にはその波紋が広がる。
 呆気に取られたのか、もアルドも目を丸くしていた。
 それに笑ってみせてから、問うた。

 「ねぇ、。」
 「えっ? あ、あぁ。なに?」
 「また……会えるよね?」
 「……うん、もちろん。」
 「そっか。じゃあ『またね』だね!」
 「…。うん、また会おう!」

 彼が、にっこりと笑った。握手を交わし、別れの抱擁を・・・。
 それが終わると、黙って見ていたアルドに声をかける。

 「そんじゃあ、アルド、行くよ!」
 「あ、うん! でも、これは一体…?」
 「ああ、これ? 大丈夫。これは転移魔法だから、目を閉じてればいいよ。」
 「う、うん…分かった。それじゃあ、さん。またお会いしましょう!」
 「うん。アルド、また!」

 言われた通り、アルドが目を閉じる。彼は、スルリと地面に吸い込まれていった。それを見届けてから、同じく目を閉じる。
 消え去る直前、もう一度だけに「またね!」と繰り返して。






 「転移魔法まで使えるなんて………。聞いてないよ……まったく。」

 一人残された部屋で、静かに呟いた。
 実戦経験はないが、紋章は人並みに扱える。出会った当初、彼女が言っていた言葉だ。

 ・・・・でも、まぁいいか。いずれまた、きっと会えるだろうから。
 それだけは、根拠が無いながらも『絶対』と言える自信があるから。



 『またね!』



 「……きみが、その紋章を宿している限り…………俺達は、必ずまた出会えるよ。」



 茜色に染まる、群島諸国の秋の空。
 それからどれだけの月日が流れたかは定かでないが、仲間やオベル王達に見送られ、全てに決着をつけた少年もまた、旅に出た。