[儚い笑み]
彼女の言葉が、胸を貫いた。
『この結界を抜けたいのなら、自分を殺して行けば良い』
それは、彼女が今まで自分にかけてきたどの言葉よりも厳しいものだった。そしてそれは、彼女にとって最後の説得。苦々しく切羽詰まったその表情を見れば、いかに本気か分かる。
だが、彼女は分かっているはずだ。自分が殺せないことを。それでも彼女は、自分の命を救うために苦肉の策を用いた。
・・・・分かっていた。でも、止まるわけにはいかないのだ。
『きみを……きみの歩んで行く未来を…………僕は、守りたいんだ……。』
視線を向けても、彼女は顔を伏せたままで、抜いたはずの愛刀を突きつけもしない。戦を嫌い、人を傷つける事に嫌悪する彼女は、動こうともしない。
彼女もまた同じ。互いに刃を交わす事を、ずっとずっと躊躇している。その瞳は、葛藤に満ち嘆き悲しんでいる。
彼女は、きっといかに卑怯な事をしているのかと己を責めているはずだ。それでも、卑怯な手を使ってでも自分を止めたがっている。その想いを痛いほど分かっていた。
だからルックは、静かに右手を上げた。
「ルック…。」
「きみが、邪魔をするなら………僕も容赦はしない。」
「なんで分かんないんだよ!? あんたの憂う未来は、これから何とでもなる! 何とかしてみせる!! あんたが抱えこまなくたって、仲間が沢山いる! それなのに、なんで…!!」
彼女が言い終える前に、目を閉じ右手に意識を集中した。だが、決死の覚悟で放ったはずの魔法は、彼女が刀を掲げた瞬間音も無く消え去る。それを見て『やはり』と思う。
「やっぱり……その刀に宿しているのは……。」
「私に、紋章攻撃は……通じないんだよ。」
「……きみのみならず、きみの武器までも……僕の邪魔をするんだね。」
じっと彼女の獲物を見つめる。そこに記されている刻印が、なんとも忌々しい。
「ルック……許してくれとは言わない。あんたの望むものを知っていて尚、それでも生きて欲しいという考えは、ただの押し付けにしかならない事もよく分かってる。でも、あんたにもセラにも、後で『生きてて良かった』って言ってもらえるように、必ず未来を変えてみせる! だから、軽々しく命を落とすな!!」
「……僕は、命を落とす覚悟は、始めから出来てる。」
「馬鹿ッ!! 生きたくても生きれなかった奴は、この世に五万といるのに……生きててこそじゃん!!」
「………話は、終わりだ。」
「ルッ…っ!??」
頭痛。
それも、かなり激しい。
それが何であるのか、ずっとそれに苛まれてきた自分が、分からぬはずもない。
ズキッ、と痛みが走ったかと思うと、急激に激しいものに変わっていく。これに堪え切れなければ、自分は意識を失う。それは、イコール結界を解いてしまい、彼の道を許すこと。
だが、いつもと違うのは、それを促しているはずの『声』が聞こえないことだった。痛みに抗うように、絶対に意識を手放すものかと声を荒げる。
「くっ、そ………やめろ…やめろ!!! ここで倒れるわけには、いかないんだッ!!!」
「……?」
急に頭を抑え、うずくまってしまった彼女を見て、ルックは眉を潜めた。小さく彼女の名を呼ぶ。だが、それすら聞こえていないのか彼女は、頭を抑えて必死に抵抗していた。
カラン・・・・。その手に握られた愛刀が、地に落ちたのを皮切りに、彼女は膝をつき頭を振りながら、必死に「やめろ!!」と叫び続ける。
・・・・それを見て、確信した。彼女は、やはり紋章を支配出来ていない。
いつかのシンダル遺跡の時も、彼女は、同じような状態に陥っていた。そしてその時も、今と同じく紋章に抗うように抵抗を見せていた。
しかし、不思議に思っていた『なぜ彼女の裏の面が出るのか?』という疑問に対しては、『紋章を支配出来ていない事』と『封印を解いた後遺症である』ことが分かった。
それならば・・・・。
彼女が、今こうして苦しんでいるのは、やはりその後遺症なのか?
だが、それでは矛盾が生じた。自分の知る彼女に身に起きる『それ』は、裏側に入れ替わるものだ。それが出るのは、彼女が自分と敵対した時だけ。冷酷無比な『彼女』へと変化し、残忍で凶暴なもう一人の彼女に変わる。
それなのに、今、目の前にいる彼女は? 必死に襲い来る『何か』と戦っている。ということは、共鳴した相手の紋章を使用できる、という後遺症とはまた別のものなのか?
だとすれば、彼女は、また新たな封印を解いたのだろうか?
けれど自分は、彼女の新たな能力を見ていない。封印を解いたのならば、彼女は、それをフルに使って自分達を止めようとするはず・・・。
ふと、思考の迷路から舞い戻り、彼女を見つめた。苦しげに寄せられた眉。抵抗の証であるのか、その額を流れる汗。
それをただ見つめていると、彼女が動いた。落ちていた刀を拾い上げ、それを太ももに突き刺したのだ。自ら痛みを伴ってでも決して意識を手放すまいという、強い意思。
それを見て、心底胸が締め付けられた。そうまでして彼女は、自分をここから出したく無いのだ。そうまでして彼女は、自分に生きて欲しいと願っているのだ。
集中低下のためか、彼女の作り出した結界が、弱まっていくのが分かる。これなら簡単に壊す事が出来るだろう。
だからルックは、言った。
「僕は…………行くよ。」
「くっ、待て…!!」
バチッ!
右手をかざし、彼女の結界を解いた。それに気付いたのか彼女は、頭痛を振り払うように、いましがた太ももに突き刺した愛刀を支えに立とうとする。しかし、更に激しくなる痛みにがくりと尻餅をついた。
けれど、その瞳には『諦める』という意志が感じられなかった。
だからこそ、言った。
「僕は………きみの歩む未来を、守りたいから………だから……。」
「ルッ……」
どうして、そんな事を言うのだ?
なんで彼は、自分を信じてくれないのだ?
どうして、そこまで焦る必要があるのだ?
時間なら、いくらでもある。いくらでも在るはずなのに・・・・!
は、溢れる涙を抑える事はせず、咄嗟に手を伸ばした。
「僕は……この世界の”未来”を、救いたいんだ……。」
「だ、駄目……ダメッ!!!」
視界が霞む。その中に見えたのは、いつか見た『夢』。
・・・・・夢? あれは、夢だったのか? それとも、これから先に起こりうる『現実』?
シンダルの最奥であの子が倒れている、あの映像は・・・・?
「ッっ…! 行くな、ルック!! 言っちゃ駄目だッ!!!! 行くなァッ!!!!!」
哀しげに目を伏せた、彼。
「ルック!!!!!!」
その叫びも虚しく。
全身から・・・・・・力が抜けた。
それは脱力からではなく、痛みに耐え切れずに限界を超えたため。
前のめりに倒れながら、完全に意識を失う直前、己の目に映ったもの。
それは、最愛の家族の「さよなら…」という言葉と。
酷く哀しみに満ちた・・・・・『笑顔』だった。