[別れの時]
ササライの元を離れ、向かった先。
それは、先ほどまで死闘が行われていただろう最奥部。
転移の光が消えいくのを目蓋の奥で感じ、ゆっくりと目を開けた。
その先を見て、この場こそが最奥だと理解する。
「…………。」
一歩、足を踏み出した。
そこは、酷く殺風景だった。僅かに髪を揺らす風は、渇ききっている。
自然の光を感じて顔を上げると、そこには一面の空。白の濃い青色の中で泳ぐのは、流れ行く雲。
「………?」
それを目にして感じたのは、既視感。
そのデジャヴュともとれる感覚は、静かに心を梳いていく。
ふと視線を地上へ戻した。視界のすみに入ったのは、目を引く『青』。
促されるよう視線を向けた。
そして、その中心とも取れる場所にいる者たちを見て。
知らず、小さく、その名を口にしていた。
確かに呼ばれた。
己が名を。
懐かしく、悲しく、それでも優しく響く、その”声”。
それは、いったい、誰のものだった?
朦朧とする意識の中で、それでも考えた。遅く鈍くなっていく思考を、なんとかかき混ぜて、声の主を思い出そうと試みる。
ずっと昔から、僕を呼び続けている”声”。
哀しみを漂わせながらも、慈愛に満ちている”声”。
あぁ、きみは・・・・・・・誰だった?
もう一度呼ばれた。「ルック」と。
それは、先ほどより鮮明に。
自分の中に残った、只一つの”感情”。
その声が、その最後の一つを緩やかに刺激した。
・・・・・懐かしいんだ。懐かしくて、でも苦しいんだ。
きみの声は、いつだって、僕の心を締め付けた。
でも、いつだって・・・・・・僕の心に響いてた。
「…………………?」
無意識に零れた名で、そうだった彼女の声だったと、その名が胸いっぱいに広がっていく。
閉じた瞳の奥からは、自分にもあったのかと思うほど、熱いものが込み上げる。それは、頬を伝いポタ流れ落ちた。そして、先に逝った娘の手に落ちて弾ける。
ふと、耳には、微かにだが誰かが近づく音。それを聞いて、僅かに眉を寄せた。
まだ・・・・誰かいたのか・・・。
炎の運び手の誰かが、止めを刺しに来たのだろうか?
でも・・・・・
悔いは、無い。
望んだものを、ようやく手に入れられるのだから。
唯一の心残りは、憂いていた”先”を解放出来なかったこと。
そう、それだけだ。
僕にとって、唯一の『悔やみ』は・・・・・・・・・・
『違うだろう?』
そう、心の奥底で否定する、もう一人の自分。
それをやんわりかわそうと、迫る死の中で葛藤する自分。
もう、その『答え』を考えること事態、意味の無いことだと分かっていたけれど・・・。
けれど、それら全てを吹き飛ばすほど、今度は、ハッキリと”声”として聞こえた。
「ルック。」
ゆっくりと、目を開けた。
滲む、視界の中。
先ほどから、自分を呼び続けていた『”声”の主』。
その姿を見て。
ようやく・・・・・
今日、この瞬間になるまで、決して認める事の出来なかった『想い』を。
ようやく・・・・・・・・・・認める事が出来た。
うすらと目を開けた、彼。
その草原を駆け抜ける緑の瞳は、心なしか、哀しみの陰る安堵に満ちていた。
ふと、娘に目を向ける。
彼女は、静かに息を引き取ったのか、まるで眠るように安らかな顔をしていた。
それを目にして、は、涙を堪えながら、彼女に感謝と心からの謝罪を口にした。
最後まで、彼と共に居てくれたこと。そして、一時でも離れてしまった己が不甲斐なさを。
「セラッ………っ、ごめん……。それと……ッ…………ありがとう……!」
助けたかった。彼だけでなく、もちろん彼女も。
でも、間に合わなかった。自分は、彼女を助けることが出来なかった。
彼女は、きっと最後の最後まで、彼と共に居れた喜びを胸に逝ったのだろう。
ゆっくりと手を伸ばし、冷たくなっていく頬に滑らせた。その反動で、その体がずるりと崩れ落ちる。それをしっかり支えてやり、華奢で繊細な体を優しく横たえた。
彼女の愛した・・・・・・幼い頃から愛していただろう、彼の傍に。
それを終えると、自分を見つめている少年に目を向けた。
死期が迫っている。
その危機にさらされている少年を起こし、その体を抱きしめた。
小柄な体が僅かに強ばった気がして、少しだけ力を緩める。
・・・・・分かっていた。もう手遅れであったこと。
こうなってしまってからでは、助ける方法が、たった一つしかないことを。
諦める事はしたくなかった。諦められなかった。
だから、言った。
「ルック。」
「どうし………て…………きみが…」
「喋らないで。」
苦しそうに咳き込んだ彼の背を、優しくさすってやる。
「私は………どうしても、あんたを……………あんただけでも、助けたい…。」
「これ…で……」
『全てが終わるんだ』
その言葉を、言わせやしなかった。代わりに額をコツンと合わせる。
その額に残るざらつきを感じて、過去に想いを馳せた。もう何年も前についたその傷。自分を守る為に強敵に挑んだ、その心の優しさからついた傷跡。
「あんた……本当に馬鹿だよ…。こんなに優しいのに………優しいから、こんな事してほしくなかったのに…。」
「僕は……優しく……な…かない…………あんなに、沢山………人を……殺したんだ…ら………。」
あくまで捻くれた言い方をする、彼。
・・・・馬鹿だよ、あんたは。本当に大馬鹿だ。
「だから、馬鹿だって言ったの! あんたは、優しいから……私やヒューゴ達を殺せなかった…。だから、こうして失敗したんじゃん…。」
「……そう…だね……。僕は……僕が……思って…た以上…に………甘かっ…た……。」
「違うよ…。優しいから、殺せなかったんだよ…。15年前も18年前も、あんたは、人が殺される”戦”を見てきた。だからこそ……そうやって、優しくいれたんだよ…。」
優しさと甘さは、比例するのだろうか?
その『答え』が欲しくて、彼は、そう言ったのだろうか?
けれど、絶対にそうと言えるだけの『答え』を持ち合わせていなくて、悲しくなる。
でも、それなら『絶対に』と言える”唯一”を、彼に教えれば良いだけだ。
「上手くいくか分からないけど…………私の紋章の力を使うよ。」
「……何を……」
「絶対に、死なせないからね。」
言い切って、ペールグリーンの瞳を見つめる。
しかし、彼は、目を開けているのも辛いのか、そっとそれを伏せた。
彼女の言わんとすることが分かった。朦朧とする頭の中でも、それだけは、はっきりと。
彼女は、『壊れかけた自分の魂を修復する』と言っているのだ。その”命”をかけて。
それは、真なる風の紋章と共鳴している彼女だからこそ行えるのだろう。創世と呼ばれる紋章の中に、自分の持つ『風』は、組み込まれている。それを『管』として、ありったけの力を流し、彼女は、自分の命を救おうと考えているのだ。
それを証拠に、彼女の右手からは、少しずつ光が溢れ始めている。
だがルックは、僅かに笑みを浮かべると、言うことを効かなくなり始めている右手に、少しだけ力を込めた。途端、彼女の手から溢れていた光が、徐々にその勢いを失っていく。
ルック自ら、その救済を拒んだのだ。風の気配を、その”存在”を絶つことにより、繋がりのある『管』を断ち切ったのだ。
「ルッ…」
「…………聞い……て……。」
目を見開く彼女の背に、残り少ない力を使って腕を回す。だが、上手く力が入らない。小刻みに震える己の体が、『もうそれだけの時しか残されていないのだ』と教えている。
それだけで、本当に悲しくなった。
ず、と、上半身から力が抜けた。
それを支えようと、彼女は、背に手を回し抱きとめてくれる。
お願い・・・・もう少し・・・もう少しだけ・・・・どうか、僕に・・・・時間を。
「ルック……気配を断つな………私を受け入れ…」
「僕は……沢山の命を………奪った…。それなの、に………目的すら、果たせなか…た…。運命に……打ち勝つこ…も………未来を変える………ことも、出来なかっ……た…だ……。」
「この馬鹿ッ!! 目的なら、私が、これからちゃんと果たすよ! あんたの代わりにやってやるから!! だからあんたは、あの塔でゆっくり静養して元気になれば、まだ……!」
「……お願、い………お願………だか、ら………聞い…………。」
ゆっくりと、彼女の肩に顔を埋めた。
支えのきかない頭を、彼女は、優しく支えてくれる。
・・・・・いつも、そうだった。
今まで、ずっとずっと、ずっと・・・・。
今この時も、彼女が、この心の支えだった。
もう、それだけで・・・・・・充分だった。
「ルッ…!」
「…僕は…ね…………初めて……きみ…に……………素直に…………なる、よ…。」
そう言って・・・・・
笑った。
初めて、笑えたのだ。
それは・・・・・・・30余年、という時を。
苦しみの『時』を。
たった独りで、堪えてきた中で。
最初で最後の、心からの笑み。
「きみ……は………僕の、たいせ…、な………家族だ……よ………。」
「ルック……?」
優しさに満ちた、きみの手。
「こん……な……僕を…………追って来、て……くれ…………あり…が……と……。」
「っ、なんで、そんなッ……!」
いつだって、安堵をくれた、きみの声。
「…最後……ま、で……………傍に……居て………く……て…、あ…りが……と……。」
「ッ! 嫌だ、嫌だっ!! そんなこと言わないでよッ!!!!」
そして、何者にも代えられない、きみの温もり。
ずっとずっと愛してくれた、きみに。
今になって、ようやく、僕は・・・・・認めることが出来るよ。
僕は、人を想える。
僕は、人を愛せる。
僕は、きみを残して逝くことを・・・・
とてもとても・・・・そう、心の底から後悔しているんだ。
・・・・・・・本当だよ?
僕は、いつだって、きみにだけは、嘘をつきたく無かったんだから・・・・。
でも・・・・・・ごめんね・・・・
僕まで、きみを残して逝くことになってしまって・・・・。
本当に・・・・・・・ごめんね。
だから、きみだけに伝えるよ。
僕から、きみへ・・・・・・・
これまで生きてきた中で、精一杯の感謝を、真心を込めて。
それが、少しでも、きみの救いになってくれることを・・・・あの星に祈りながら・・・
「ありが…と………………大切な………僕…の…………家族…………ず…っと…ず…と…………愛し…て……る…………よ……。」
ふ、と。
力が、抜けた。
けれど、もう、それすらも。
気には・・・・・・・・・・・ならなかった。