［貴方への道］
一人、歩き続けた。ただ闇雲に。
人の道を避け、ひたすら森を、川を、山を歩き続けた。
見つかるわけにはいかない。あの『女』には。
捕らえられてしまえば最後、この150年が無駄になってしまう。
だからこそ、止まる事なく歩き続けた。
山をどれだけ越えただろうか。そろそろ足が棒になりそうだった。
陽は沈み、辺りが暗闇に覆われ、月の明かりだけを頼りに歩く。
しかし、これ以上無理をしてしまえば、この先の保証が何もない。何か起こった際、的確な対応が充分に取れないだろう。
そう考えて、今宵は休息を取ることに決めた。
近くに落ちている枝や葉を薪がわりに火をおこし、道中、狩りをして手にいれた肉を適当な枝に刺して火にくべる。
パチパチ、と音をさせる火を暫く見つめていたが、どうやら体は相当疲弊していたようで、胃に何か入れるよりも先に眠りを欲していた。
しかし、とにかく体力を継続させていなくてはならない。せめて肉が焼けるまで、ほんの少しだけ眠ろうと目を閉じた。
目を閉じてまず脳裏に浮かんだのは、彼女。出会ってから間もない奴だった。
彼女は、よく笑い、よく怒り、よく食べた。
彼女を怒らせると鉄拳が下ると知ったのは、出会ってすぐのこと。
彼女は、下らない話でよく笑った。ちょっとした事で怒っては、手を出してきた。食べるのが好きだと言っては、モリモリとよく食べていた。
次に、常に彼女や自分を気にかけては身を案じ、優しく暖かい目で見守ってくれていた青年。
彼も、いつも笑っていた。笑っていたというより、優しく微笑んでいた。
話し方もおっとりとしていて、本当にこんな奴が戦えるのかと思ったこともあった。かと思えば、自分と彼女が喧嘩になる度、彼女を止めようと仲裁に入るだけの度胸も持っていた。
彼らは・・・・今、どうしているだろう？
彼女は、まだ眠ったままなのか？ 彼は、その傍に付き添ったままなのか？
それとも、もう目を覚まして、自分の話を誰かに聞いているのだろうか？
・・・・・・怒っているだろうか？
それとも、自分のことなどとっとと忘れ、二人でどこか旅に出たのだろうか？
それとも・・・・
いや、彼女のことだから、きっと般若の形相で怒っているだろう。そしてその隣では、あの優しい青年が、本当に困った様子で彼女を精一杯宥めているはずだ。「落ち着いて！」と。
そして、いつものようにキツい言葉で黙らされて、逆に謝っているのかもしれない。
戦争のリーダーを勤めていた少年には、問われた際に『赤月帝国方面へ向かう』と答えたが、実のところ、自分が今どこへ向かって歩いているのか、どの位置にいるのかすら把握していない。地図を見ることなく、北風の吹いてくる方向へただ我武者らに歩いて来たため、どの地域のどの森にいるのかすら分からない。
そういえば、ここは何処なのだろう？
そんな事を考えながら目を開けると、肉が丁度良い具合に焼けていた。同時に、クゥッっと腹が鳴る。
枝に突き刺し立てておいた肉を手にとり、口へ運んだ。
と・・・。
何かの気配。
ふとした瞬間でもそれを感じ取ってしまうのは、今まで逃げ続けて来た自分にとって、生き残るための習慣でもある。
気配は、焚き火をはさんだ茂みの奥に居る。誰か迷い込んだのかとも思ったが、生憎、それは人間の出すものではない。
「………くそっ、こんな時に！」
あと数センチで、夕餉が口に入るというのに。
邪魔が入ったことに苛立ちつつ、肉を放り投げて弓に手を伸ばし、矢をつがえて気配のある方へと狙いを定めた。だが、放とうとしたその時、思わぬ方向から何かが飛び出した。それをすぐに視界におさめて、それが何であるか確認する。ドレミの精だ。
「なッ…！」
慌ててターゲットを変えて矢を放った。放たれた矢は、飛び出してきたモンスターの額に命中する。「キ…！」と小さくうめき声を上げて、そいつは絶命した。
だが、そこで眉を寄せる。
ドレミの精。あいつらは、大抵数匹で出現する。ならばこれだけでは終わらないはず。現に一番初めに気付いた気配は、まだその場所にいる。
そう考えていると、気配が多くなった。1、2、3・・・・4匹か。見れば、すでにそれらは、自分を囲むように姿を現していた。
「くそっ、まずいな…。」
小さく舌打ちする。いつもならば、この程度のモンスターに遅れは取らない。
だがここ数日、殆ど眠らず歩き通したおかげで、これだけの数を相手する為の体力が残っていなかった。こんな事になるのなら、少しずつでも休憩をおりまぜながら進めば良かった、と歯噛みしてももう遅い。
その気持ちを嘲笑うように、モンスター達は、一斉に襲いかかってきた。
二匹目、三匹目は、何とか倒すことが出来た。
このモンスターは、超音波による攻撃を主体としているが、素早さが然程高くなかったため先手を取ることができた。
しかし、四匹目と五匹目は、そうはいかなかった。残りの二匹は、自分が遠距離攻撃主体で戦うことが得意と判断したのか接近戦で挑んできたのだ。
近距離では、矢をつがえているヒマなどない。それを自分が一番良く知っていた為、迷わず懐から護身用の短剣を取り出し、応戦する。しかし、あまり使い慣れていない武器ゆえか、どうしても扱い方にぎこちなさが残る。
短剣で攻撃を繰り出しながらも、敵の攻撃を受けてしまい、少しずつ傷をこさえていた。
食事も睡眠もとっていない体が、悲鳴を上げていた。
モンスター達の超音波を受けて、クラリと目眩。寝不足のせいか、やっかいなことに頭もまともに機能しなくなってきた。
片方のモンスターが、大きく息を吸い込んだ姿が視界に映った。止めを刺そうというのだろう。頭では分かっているのに、体が反応してくれない。なんと腹立たしいことか。
『マジかよ…。俺、こんな所で………こんな奴らの手にかかって死ぬのか？』
悔しさと情けなさで、キツく目を閉じる。
脳裏に過ったのは、彼らの姿。自分に向かって微笑む、あの姿。
『俺が死んだら………泣いて、くれるか…？』
そう、思った。
「テッド伏せて！！！」
それは、聞き覚えのある声だった。
その声に、咄嗟に意識が引き戻される。同時に、反射的に身を屈めた。
ドスッ、と、何かが突き刺さる音。次に、ドサ、と倒れる音。
それは、二度繰り返して聞こえた。
目を開けた。そこには、自分に止めを刺そうとしていたモンスターの亡骸。
自分が相手をしていたもう一匹は、小さな胸に矢を受け絶命していた。
ゆっくりと、声のした方へ振り返る。
「……………アルド………。」
視線の先には、ホッと息をついていると、弓を手にしたアルドの姿。
その姿を見て、唖然と立ち尽くす。
「なんで……お前らが…？」
そう言うと、彼女がツカツカ歩いてきた。と思った矢先、思いきり頬を張られる。
バチン！ と響く、乾いた音。
自分が引っ叩かれたと分かるまで、少し時間を要した。わけがわからず頬を張られたままの格好で立ち尽くしていると、もう一発。
なるほど。これが『往復ビンタ』ってやつか。・・・・って、そうじゃない！
「なっ、なにするん…！」
ようやく我に返り、なにするんだよと言おうとした。だが声を上げかけて、思わず言葉が詰まる。彼女が、目にいっぱい涙をためて自分を見つめていた。その唇は小刻みに震えている。
「なんで……お前が、泣くんだよ……。」
「言っておくけどね！ 今のは、置いてかれた私とアルドの痛みだからね！」
そう言って、彼女はボロボロ涙を流した。アルドを見れば、悲しげな顔が返ってくる。
「…………。」
彼等に、何も言えなかった。ごめん、とも。心配かけた、とも。
なにも言うことが出来なかった。
「確かに……あんたは、私に『連れて行かない』って言ったよ。でも、何の挨拶も別れもなしにいなくなるなんて……。」
「……………。」
「どれだけ……どれだけ心配したと思ってんの！ このバカッ！！」
「っ！？」
肩を掴まれたと思ったら、強引に引き寄せられた。思いきりギュッと抱きしめられていた。
慌てて離れようとしたが、体が言うことを聞いてくれない。疲れているから、という理由でないことも自分でよく分かっていた。
その腕を振り払って『ついて来るな』とは・・・・・もう言えなかった。拒絶を口にすることが、どうしても出来なかった。
嬉しかった。泣きたいほどに。涙を流してくれるほど、自分を気にかけてくれていることが。
そして不安だった。彼女達が、すぐに自分のことなど忘れてしまっていたらと思うと。
ずっとずっと、逃げて来た。これまでも、これからも。
人と関わることを避け、全てから身を隠して生きて来たのだ。でも・・・。
離したくない温もりが、いつの間にか出来てしまった。それは、自分にとって、もう拒絶できないほど暖かで優しい手だった。だからもう、拒絶することなんて出来なかった。
涙が込み上げた。自分は『想われているのだ』と。
なんとか、込み上げてくるそれを我慢しようとするも、上手くできない。
でも、彼女にだけは見られたくなくて、その肩に顔を押し付けた。なんだか最近、涙腺が弱い気がする。紋章を手にした頃は、ずっと孤独や恐怖に泣いていたけれど・・・。
それから先、涙を流したかどうか。それすら覚えていなかったのに。
『あぁ……そっか。』
唐突に理解した。
あの船に乗り、この人達に出会ってから、自分は変わったのだ。
彼の、全て受け止めてくれるような優しさ。彼女の、時に手を出しながらも場を和ませるような気遣い。
彼等に出会い、彼等の優しさに触れて、自分は再び涙を流せるようになったのだ。
色々な想いが溢れた。
涙を流している自分の頭を、彼女が優しく撫でた。その行為が不思議と嫌ではない。
アルドが近づき、自分と彼女を包むように抱きしめた。
「……テッドくん。僕たちは、テッドくんのことが大好きなんだ。」
「あんたは、あぁ言ってたけど…。私達、勝手についてくからね！」
「……っ……。」
涙が止まらない。止まらなかった。
二人は、抱きしめる腕に力を込めた。一緒に居るよ、と。
その二人の背へ、腕を回す。彼らへ、初めての抱擁。
いつもは、すぐに自分の大切なものを奪っていった紋章が、この時だけは何の反応も示さなかった。それに少しだけ安堵して、ついつい、いつものような悪態をついてしまう。
「っ……勝手に……しろ…！」
「はぁ！？ ウザッ！ 勝手にするし！」
「うん。ずっと、きみ達と一緒に居るよ。」
テッドの悪態を平然と受け流し、二人は、互いに顔を見合わせて笑った。
と・・・・・。
ふ、とテッドの体から力が抜け落ちた。は、慌てて腕に力を入れた。だが少々無理があったようで、その体はそのままズルズル崩れ落ちる。それを見たアルドが、彼の体を抱き上げてくれた。
「ねぇ……こいつ、どうしちゃったの？」
「うん、大丈夫。脈はあるよ。それと目の下の隈を見る限り……多分、一睡もしないでずっと歩き続けてたんじゃないかな？」
「へー、なるほどねー。ってことは、疲労か！」
「ふふっ、たぶんそうだよ。」
「ったく！ 心配させやがって、コイツめ！」
「あ、ちゃん、起きちゃうよ！」
『とんだ取り越し苦労だった』と彼の頬を突くと、アルドがそれに苦笑して、その小柄な体を焚き火の近くに横たえた。そして、彼を挟むように座ってから、顔を見合わせて笑う。
「ねぇ。」
「うん、どうしたの？」
「テッドってさぁ、可愛いよね。」
「え？ どういう…」
「寝顔、見てみなよ。こうしてると可愛いなぁって思うよ。普段は、憎たらしいけどね！」
「あぁ、そういうことかぁ。」
肩を寄せ合い、二人で彼の寝顔を見守る。
今夜は、ゆっくり、おやすみなさい。
きみを大切に想い、守りたいと想っているのは、一人だけじゃないから。
きみが思っている以上に、たくさん、いるのだから。
アルドは、夜空を見上げた。もそれにならった。
空には、輝く満月。その周りには、離れ行く星たちが、再開の時を待つようキラキラキラキラ輝いていた。
だから、今は・・・・・・ゆっくりと、おやすみなさい。
