[闇の涙]



 彼女の醸す重圧の中、次に口を開いたのは、クリスだった。

 「。」
 「私の名前は、だって、さっき言ったよね…?」
 「っ……。」
 「なに?」

 静かに正され、クリスは、素直に彼女の名を呼ぶ。

 「聞きたい事が…あるんだ……。」
 「……その聞きたいことってのが、ワイアットに関する事なら…………いつか、じっくり話してあげるよ。」
 「……………。」

 言葉を先読みされて思わず眉を上げたが、『それは、また今度』と言われては、項垂れるしかない。
 すると彼女は、次にアップルを見つめた。

 「アップル……。ごめんね…。」
 「いえ…。」
 「あんたには、色々世話になったし、迷惑もかけた。」
 「いいのよ、さん。私は…」

 笑顔であるにも関わらず、絶望しか宿さぬ彼女の闇色の瞳を見て、アップルは哀しくなった。大丈夫、と笑ってはいるが、家族を亡くした彼女の心情を思えば思うほど、心苦しい。
 彼女が、苦い顔をした。ごめんなさい、あなたにそんな顔をさせたいわけじゃないのに。
 そう思っても、涙が零れた。

 思えばルックとは、18年前、そして15年前の戦争から知る仲だった。戦友と呼べるべきものだろう。共に戦い、共に戦の結末を見届けた、かけがえのない仲間。
 それなのに、苦楽を共にしたはずの仲間を、自分達が手にかけた。けれど、その家族であるはずの彼女は、それを咎めようとも詰ろうともしない。
 昔から、彼のことを『可愛い弟分だ』と笑っていた彼女の面影は、もうどこにも無い。目の前にいるのは、家族を亡くして悲観に暮れる一人ぼっちの女性。
 その女性の愛する者たちを、殺めた。他でもない自分達が。それが覆されることは、決して無い。

 自分が、今、こうして流している涙は失意か。それとも後悔か。
 アップルには、それがどの類に属するのか分からなかった。



 は、次にルシアに目を向けた。途端、彼女は視線を伏せる。

 「ルシア…」
 「……もう何も言うな。」
 「…うん。」

 あえて言葉を交わさぬことも、彼女なりの気遣いなのだろう。言葉にしなくとも、目を合わせれば分かるのだから。

 次に、フッチと目が合った。彼は、きっと最後の戦いに参加していたのだろう。そして心を痛めながら、かつての『仲間』と戦ったのだ。
 現に、自分がこの場にいることに、彼は動揺を隠せないでいる。

 「さん…。」
 「ごめんね、フッチ…。あの子は、あんたにも、辛い思いをさせたんだよね……。」
 「………。」
 「……ごめんね。でも、あんたが……そんな顔する必要は無いよ。」
 「っ、でも…!」

 言葉にせずにはいられないのか、彼は顔を上げたが、それをそっと制した。



 フッチは、彼女が、何を言いたいのか分かってしまった。

 『誰の所為でもないんだよ…』

 彼女の瞳は、そう語っていた。誰も悪くないのだと。
 涙が流れた。どうして彼女は、自分達を責めないのだろうかと。それでも笑顔を作る彼女が、今、誰よりも絶望しているはずなのに。
 どうして・・・・・笑う事が出来るのだろう?

 涙は、幾筋も頬を伝う。その場に膝をつき泣き崩れると、ブライトが「キュゥン…。」と鼻を鳴らした。



 次にナッシュを見つめて、視線だけで『ありがとう』と述べる。
 彼は、ハルモニアの工作員だ。それ故、上司であるササライに関係が知られれば、ただでは済まないだろう。自分もルカも真なる紋章を持っていることを、彼は、ずっと黙っていてくれたのだろうから。彼は、口元だけで『構わないさ』と言ってくれた。
 ゲドにも同様に、視線のみで礼を述べる。彼は、ナッシュのように口元を動かすことすらなかったが、その瞳は、同じことを語っていた。

 最後に、視線を宙へ彷徨わせる。
 と、エッジの背にかけられていた星辰剣が、ポツリと言った。

 「おい、小娘…。」
 「……珍しい。あんたまで…?」

 今まで、その存在に気付かなかった。
 意外な顔をすると、それを気にかける風もなく、彼は、たった一言・・・・・・

 「闇に…………捕われるな。」
 「……闇? ……闇、だって…?」

 それを耳にした途端、の顔から笑みが消えた。代わりに浮かび上がったのは、僅かな怒色。
 星辰剣には、彼女の心に巣食う『闇』が、はっきりと見えていた。そしてその言葉は、『夜を司る者』として彼女へ宛てた、警告だ。
 それには、彼なりの意図が含まれていた。彼女自身が心で押し殺している面をさらけさせ、それを言葉にさせる事で、その闇を少しでも明るみに出しておこう、と。

 にも、もちろん彼の意図は読めていた。だが悔しいことに、沸き上がる怒りの感情は、彼の思惑通りに抑えることが出来ない。みるみる内に、失意からくる怒りに沸き上がり、気付けば声を荒げていた。

 「闇に、捕われるなだと…? 今更、何を言うんだ星辰剣!! あんたに、私の何が分かるッ!?」
 「…貴様は……闇に心を捕われてはならんのだ、よ…。」
 「ッ、ふざけるな!! あんたに、私の心が分かるってのか!!? 失った哀しみも、苦しみも……この想いが、分かるものかッ!!!!」
 「私が、何の具現化であるか……忘れたのか?」
 「っ……!」

 そう言われ、我に返る。
 彼は、確かに、人の心の闇を見ることが出来る。今、自分の内にあるこの絶望すら。
 ・・・・・・もう、笑うしかなかった。笑うしかなかったのだ。

 「ふ……ふふ、あっはははははっ! そうだ!あんたは、確かに人の闇を見ることが出来る。私の中の『それ』をも、あんたは全部見通している! これまでの罪を、この鎖を…………そして、これから先の”罰”をもなッ!!!!」
 「ならば……なぜ、己の『闇』を認めてやらんのだ…?」
 「ふふ…認めろ? 捕われるなの次は、認めろだって? はっ、冗談も休み休み言えよ…。」

 正直に言えば心中は、穏やかではなかった。見透かされている気がしたのだ。
 自分の中に巣食う闇と、それと向き合うことをせず、ずっとずっと逃げ続けている己の弱き心を。

 これ以上、何も聞きたくない。焦りが一気に浮上した。
 だから、遠回しに『やめろ』と言った。それ以上言うな、と。
 だが彼は、それでも言葉を止めてくれない。
 唇が震えた。

 「今のお前は、ただ……自分の闇を見つめるだけの勇気が、無いだけではないか…?」
 「黙れ…」
 「何故、向き合おうとしない? お前は、そこまで弱い者だったのか?」
 「黙れ……」
 「そんな貴様を見て、貴様を『生かした』者たちが知れば…」
 「黙れッ!!!!!」

 悲しむぞ、などと言われたくはなかった。言われなくても、それぐらい自分が嫌という程分かっている。
 それでも『彼ら』が、自分に生きてほしいと思いながら逝ったこと。それでも幸せになってほしいと願い、逝ったこと。

 でも・・・・・

 例えそうであったとしても、『彼ら』以外の者に口に出されるのは、我慢ならなかった。
 彼らの事を知らない奴なんかに・・・・。

 だが、自分の怒声で我に返った。声を荒げてしまったことを恥じ、冷静になろうと息をはく。震えながらも、まだ熱の篭る額に手をあて、自身を取り戻した。
 目を閉じて、心にある闇に委ねる。そうすれば落ち着きを取り戻せるのだ。

 ゆっくり目を開けた。
 すると、もう一度、星辰剣が言った。

 「小娘…。」
 「……もう黙れ、星辰剣。私は、闇に捕われてこそ……………罪を償えるんだ。」

 彼だけではない。自分自身にも言い聞かせるように、そう呟いた。
 それが、自分の償いなのだと。死した者たちへ。自分が愛した、大切な人たちへの。
 自分が生きることこそが、自分に課せられた罰なのだ。

 それが、結論。

 愛する者を救えずに、自分だけが、幸せになる?
 愛した者に先立たれ、自分だけが、未来永劫を生きる?

 ・・・・皆、いずれ自分から去っていく。天命を身に受け、それに従い、自分には得られぬ安息をいずれは手にいれる。真なる紋章を宿していた者でさえ・・・。
 だから自分は、闇に身を委ねるのだ。そしてそれを、誰にも文句は言わせない。

 例え、それが・・・・・・・・・・自分の愛した『彼ら』であっても。



 星辰剣が、それ以上口を開くことはなかった。
 ただ、夜の闇を司り『それ』を知る事の出来るその瞳だけは、何かを必死に語りかけてくる。

 そう。

 ただ・・・・・・・・・・・・それだけだった。