[殺すはずがない]



 刀を振り下ろそうとしたものの、突如背後に殺気を感じて、転移を使い遠退いた。
 殺気相手に目を向ければ、そこには、煩いからと眠らせていたはずのブリジット。それまで自分がいた場所には、めり込むほど彼女のレイピアが刺さっていた。

 「…なーんだ、もう起きちゃったんだ?」
 「ふん。あの程度の攻撃で、この私がくたばるとでも思ったのか?」
 「ふふ…。そういう向こう見ずな性格って嫌いじゃないけど、相手を見て言った方が良いんじゃないの?」
 「なんだと…? 貴様、この人数を相手に勝てると、本気で思っているのか?」

 おそらく、180はあるだろう長身の女の言葉。
 それを聞いて、笑いを抑える事ができなかった。

 「ふ……ふふっ……くっ………あっははははははっ!!!」
 「何がおかしい!?」
 「ふふ…。私…やっぱ、あんたみたいな女って大好きだわ。」
 「っ、私を愚弄するか!? 只では済まさんぞ!」

 刀を向けてくる女神官将。だが、どうにも笑いが止まらない。

 「勝てると思うのか、だって? 当たり前じゃん。勝てると分かってるから、わざわざこうして時間を割いて、あんたらの相手をしてやってんじゃん。それより、なるほどね…。あんたって、相手の力量を計る事も出来ないんだねぇ。」
 「貴様ッ!!」
 「ふふ…。知ってる、ブリジット? 無謀と勇気っていうのは、全然違うんだよ?」
 「ッ!!!!」

 煽ってやれば、彼女の怒りはすぐに頂点に達したようで、その大柄な体躯に似つかわしくないスピードで距離を縮めてくる。同じくして、彼女に加勢するようにヒューゴとクリス、ゲドが戦いの輪に加わった。

 4対1の戦い。

 前後左右から繰り出されるコンビネーション攻撃───唯一、ゲドだけは本気を出していないらしいが───にも、の余裕は崩れなかった。
 ブリジットの剣をパリングし、隙をつくよう背後より短刀を突き出そうとしたヒューゴの攻撃を、おぼろの紋章で避ける。
 クリスが横に薙ごうとすればそれをまたパリングし、その隙を狙ったヒューゴの攻撃もカウンターで返す。
 ゲドだけは、威嚇に集中するためか、時に剣の柄で首や腹を狙ってきたが、生憎その程度の攻撃を避けられぬほど自分は弱者でない。

 四人に囲まれながら、身動きを取るのも一苦労な範囲であっても、笑いが隠せなかった。

 再度、腹部を貫こうと突き出されたブリジットの剣を弾き、その反動を使って背後のヒューゴを牽制する。
 すぐに背後のブリジットが、剣を振り上げる音。その殺気に笑みを消すことなく、それを逆手に取るように、振り向きざま彼女の鳩尾に肘をいれてやった。反動のよくついたそれをモロに受けた彼女は小さく呻き、それ以上の追撃を逃れるように飛び退る。
 それで出口を見出したのだが、あえて口元を吊り上げ笑って見せてから、背後に回ったヒューゴに身を屈めて足払いを食らわせようとした。だが彼は、それを読んでいたのか、一歩引いて距離をあける。

 前後に隙間ができたが、それでも間合いを取ることをしなかった。面白がるように、楽しむように笑いながら、まだまだだ、と鼻で笑って挑発してやる。
 自分が輪から逃げない理由に気付かないのか、ヒューゴが、首に狙いを定めて飛びかかってきた。これが『罠』だと知らずに。隙有り、とばかりに突っ込んで来るなど、なんと純粋な少年か。ナッシュぐらい用心深ければ、決して飛び込んだりはしないだろうに・・・・。

 「……!」

 ヒューゴと競り合いながらも、どこかでこの戦いを楽しんでいる自分に気付いた。それと同時『さぁ、殺せ!』という”声”。途端、おぞましいほどの憎悪や殺意が沸き上がってくる。
 ・・・・・これはいけない。そう思いながらも、体を止めることが出来ない。

 力では負ける、と先ほどの競り合いで学んだのか、彼はすぐに間合いを取ろうと反動をつけた。しかし、こんな単純な罠に飛び込んで来た初々しさを見逃してやるほど、自分は甘くない。さっと髪を鷲掴んでやると、彼は、苦悶の声を上げた。

 「うあッ!」
 「二度も捕まるなんて……進歩のない子だね。」

 有無を言わさず少年の体を宙づりにして、顔を近づける。背後には、ブリジットとゲドの気配。その気配を感じたのか、少年が、彼らに僅かな期待をしているのが分かった。
 思わず笑ってしまったが、その希望を打ち砕くよう優しく囁いてやる。

 「……甘いよ。あんたには、もう少し経験が必要みたいだね。」

 そう言うと、髪を掴んだまま彼の背後に回り込み、その首根に腕を回した。直後、後ろにはっきりとした殺気を感じて、飛び退き距離を開ける。その反動で息が詰まったのか、ヒューゴが、ルフトを落とした。抵抗することも出来ず、締め付けられる苦しさに呻きながらも、彼は、自分の腕に爪を立てている。

 「………?」

 そこでふと、自分に抱いたのは、違和感。
 爪を立てられているのに、痛みが無いのだ。自分は『痛み』を・・・・・感じていない?
 おかしいと思ったが、それより優先すべきことがある。

 「ヒューゴ!!」

 我が子が捕まったのを見て声を上げたのは、母であるルシアだった。
 ブリジットもゲドも、ヒューゴを捕われている為、下手に近づけない。
 そちらへ目をくれず、は、少年の耳元に口を近づけ囁いた。

 「ふふ…見てみなよ。あんたのお母さん、あんなに心配してるじゃん?」
 「ぐッ………く…そ……!」
 「お母さんの所に帰りたい? 坊や…。」

 以前、子供扱いされることを嫌がっていた事を思い出し、小馬鹿にするよう問うてやる。だが、締め上げているせいで意識が朦朧としているのか、彼は、うわ言のように言った。

 「ち……くしょ…………お前な……か…!」
 「…ふーん。まだ、そんな可愛い事が言えるんだ? でも口の悪い子はさ……お仕置きが必要かもね。」

 そう言って、締め上げていた腕を解いてやった。途端彼は、本能から空気を求め、咳き込みながらも呼吸した。それを目にしたブリジットが、すぐさま間合いをつめてこようとしたが、そうさせてやるほど自分はお人好しではない。咄嗟に新たな結界を張り、誰も入れないようにした。手を触れようにも、バチッ! と音をさせて弾かれてしまう為、中に入る事は無理だ。
 その中にいるのは、自分とヒューゴだけ。

 殺される!!

 ルシアが、滅多に見れない焦りの表情を出した。彼女は、戦闘に巻き込まれないよう作り出した防護結界から出ようとしている。だが、それを止めた人物がいた。シエラだ。
 彼女は、ルシアの腕を掴むと、静かに言った。

 「……出るでない。」
 「邪魔をするな!!」

 声を荒げ、その手を振りほどこうとする彼女に、シエラは続けた。

 「あやつが、人を殺すはずが………殺せるはずがない。」
 「何を言っている! 今まさに、殺そうとしているではないか!!」
 「……例えおんしがここを出ても、あやつは、更に結界を張っておるのじゃぞ? おんしは、ここで黙って見ておるのじゃ。」
 「くっ! だが、ヒューゴが…!」

 「……安心していいよ、ルシア。今、返してあげるから。……ふふっ。」

 再度、シエラの腕をほどこうとした彼女に、目を合わせることなく言い放った。
 子を求める母の”愛”。それがどれほど大きなものなのか、目の前の少年に分からせるには、ちょうど良い。
 未だ咳き込む少年の前に回り、その首根を再び掴んで吊り上げる。それに抵抗を見せるように腕を掴んできたが、今の自分に適うはずもない。自分の腕は、力は・・・・・・『魔力によって強化されている』のだから。

 愛する我が子の苦しむ姿。ルシアも、ずっと見ていたくはないだろう。

 「や、止めろ、ッ!!」
 「ルシア……返すには、返してあげるよ。でも…、”無事に”、とは言えないなぁ…。」
 「や、止めろッ!!」

 彼女の制止を聞くことなく、締め上げていた手を離した。そして、少年の足が地につく直前に、その腹部に『魔力のこもった一撃』を叩き込む。
 ド、と鈍い音がして、彼は意識を失った。その体からは力が抜け、拳が腹部にめりこんだまま宙づりになっている。右手で少年を宙づりにしながら左手を掲げた。現れた光の波紋に、無造作に少年の体を投げ入れる。
 それを見て『いったい何処へ…?』と思ったのは、ルシアだけではないのだろう。

 だが、防護結界───ルシアたちの居る場所にヒューゴが現れたことで、皆一様に驚いた。



 「ヒュ、ヒューゴッ!!」

 ルシアは、すぐさま息子を抱き起こしてその脈を確認した。そして、生きていることに胸を撫で下ろす。

 ふと視線を上げる。
 ここで、と目が合った。
 てっきり彼女に殺されるかと思っていた。だが彼女は、そうしなかった。
 どうして・・・・?

 「………ルシア。これで『借り』は、返したからね…。」

 息子を殺さなかったのは、この地で協力してくれたから。彼女は、そう言っているのだ。
 それでもルシアは、感謝せずにはいられなかった。息子が生きていてくれただけで、十分なのだから。

 だが、ふと思う。
 この場にいる殆どの者たちが、何かしらの形で、彼女に『貸し』があるのではないか?
 ハルモニアの連中はいざ知らず、彼女は、クリスの父親にも貸しを作っている。彼は、彼女の素性を、決して誰にも口外しなかったのだから・・・・。

 「まさか……。」

 そこで、とある結論に至った。
 もしかしたら彼女は、ハナから誰も殺す気など、なかったのではないか?
 死にたくなければ本気で来い、とは言っていたものの、それは、あくまで何がしかの理由があって彼らを挑発する為のものだったのでは?

 その理由とやらまでは分からないが、彼女があえて『借りを返す』と口にしたのだから、それを僅かながらも示している。
 問おうと口を開いた。だが、彼女に睨みつけられてしまった為、口を閉じる。しかし、今さらながら、彼女に改めて感謝の念を抱いた。過去に自分を助け、そして現在、息子を殺さずにいてくれたのだから。

 『あやつは、人を殺さない』

 そう言ったシエラの言葉が、今ならよく理解出来た。