[運命を抱いて]



 それから。

 家族の眠る棺と共に、転移で部屋を後にした。
 そして、塔の入り口とは反対側に位置する場所で、彼らを手厚く埋葬する。かつて娘が育てていた『百合』と『向日葵』が、咲く庭園に・・・・。

 師以外、誰もここで生活していなかった為、もう全て枯れ果てたかと思っていたが、自然の恵みによるものか、それらは強く儚く命を誇らせていた。
 美しい景色だった。でも彼らは、もうそれを見ることすら適わない。でも、この景色の中で眠るのなら、それはそれで幸せな事なのかもしれない。
 共に育ち、歩み、数々の思い出が、沢山詰まったこの場所ならば・・・。

 気高く優しさを持った百合は、彼女に。
 そして、明るさを象徴し、暖かさを持った向日葵は、かつて自分を「それだ」と言ってくれた彼に。
 掘る道具は、何もない。あるとすれば、昔娘に買ってやった小さなスコップだけ。
 それを使って土を掘り、どこからかやってくる風に髪を任せたまま、作業した。手が痺れても、腕の筋肉が震え始めても、懇々と掘り続けた。
 早く、彼らを『還して』やるために・・・・・。

 脳裏には、彼らと共に過ごしてきた日々が浮かんでは、消えていった。






 紺が濃紺へと変わっても、作業を止める事はなかった。ただ黙々と土を掘り、食事をする事もなく休む事もなく。
 そうして作業は、真夜中を過ぎるまで続いた。

 棺が、完全に土に覆われた。
 今は、もう何も映さなくなった瞳で確認して、ゆっくりと息をはく。吐き出した息は、白かった。
 やっと終わった、という思いは何処にももない。これからも続くのか、という思いこそが正しかった。
 見ることも聞くこともしたくない。だからその場から動かなかった。



 ふと、背後に人の気配。薄らいでいた意識が、はっきりしたものに変わる。
 塔の主レックナートの気配に、違和感を感じた。振り向かずとも、彼女が醸す気配は生身の人間のもの。彼女は、塔から出ることはない。ハルモニアに気付かれぬよう、大抵は、幻影を使って現れる。それは、結界に守護されたこの塔の中でも同じだった。
 けれど今、彼女は、生身でこの場所に来ている。どういう事だろうと思ったが、それならそれで良いとも思った。
 動けなかった。自分だけが亡くしたのではないと分かっていたからだ。彼らを失ったと感じるのは、自分だけではなく彼女も同じなのだ。
 それよりも・・・・。
 背後からゆっくり近づいて来た彼女に、合わせる顔がなかった。誰よりも彼らの帰りを待ちわびていたのは、他でもない彼女なのだから。
 その願いを、自分は叶えてやれなかった。それが何より苦しくて辛かった。

 彼女が、すぐ後ろに立った。・・・・動けない。
 何か言ってくれれば良かった。罵倒でも詰るでも。自分を責めてくれるのなら、どんな言葉でも、甘んじて受け入れられた。
 けれど彼女は、何か言うでもなく自分の背後で沈黙するのみ。責めて欲しいと心から願った。そうしてほしいと、ただただ願った。

 地に手をつき、項垂れたまま、ようやく言葉を発した。

 「………戻りました。報告が遅れて………ごめんなさい……。」
 「………………。」

 彼女は、何も言ってはくれない。それでも構わなかった。今は、言葉にすることに意味があると思ったからだ。

 「……ごめんなさい…。私は、この子たちを……救えませんでした…。」
 「………………。」
 「私は…………っ……運命を変える事が、出来ませんでした……。」
 「…。」

 ここでようやく、沈黙を保っていた彼女が口を開いた。けれど自分には、彼女が次に何を言うかよく分かっていたため、首を振ってそれを遮る。
 彼女は、自分を責めはしないだろう。それより、それが運命だと言って自分を宥めるのだ。バランスの執行者として、運命を見届ける者として。
 でも、それでも・・・・執行者である前に、ルックの母として自分を責めて欲しかった。セラの母である自分に、何故あの時置いていったと詰ってほしかった。

 「私は………結局、なにも………出来ませんでした…。救うことも、変えることも……何も…出来なかった…。」
 「……もう、いいのです…。」
 「良くないです………私は、”運命”を……あなたの望む未来に……導けなかった…。」

 ゆっくりと顔を上げて後ろを振り返り、彼女を見つめる。

 「あなたには……私を責める権利が…………いえ、義務があります…。」
 「何故…?」
 「あなたは、確かに、運命を見続ける人です…。でも私は、前に言いました。あなたには、バランスの執行者である前に、一人の親でいて欲しいと…。」
 「………………。」
 「あなたには、ルックの母として、私を責める義務があるんです…。……恨んで下さい。大切な子を救えなかった、私を………。でなきゃ、私は……」

 また浮かぶ、涙。
 すると彼女は、静かに言った。

 「貴女が、自分を責める必要はありません。」
 「なんで…!」
 「お聞きなさい、。確かにルックは、我が子も同然でした。執行者を名乗っていても、私は……確かに、あの子を愛していました。」
 「………。」
 「それでも…………貴女も、私にとっては、子のようなものなのです。それを責めるなど……出来ません。貴女は、貴女の為に………そして私の為に、この子たちを救おうとしてくれたのですから…。」
 「っ…。」
 「ですが、戦いには、勝ち負けがあります…。勝ち負けがあれば、そこには、笑顔とは反対に涙を見せる者もいるのです。それと……同じなのです。何故なら、運命に背くことは、誰にも出来ないのですから…。」

 彼女の言葉は重いが、真実であった。
 表があるなら裏がある。戦争をすれば、勝敗がある。
 彼女の言った通り、笑顔になる者もいれば、涙を流す者もいる。
 今回の戦いは、グラスランドの民に笑顔が戻った。涙を見せたのが、自分達だったというだけのこと。時や情勢が、それを結果として記しただけのこと。

 分かってはいたのだ。運命の流れには、自分一人の力では、決して勝てないことを。
 でも、それでも・・・・

 「……責めて下さい…。」
 「…、よくお聞きなさい。運命の輪は重く、その流れに巻き込まれた者たちは、それぞれが過酷な宿命を負うでしょう…。ですが、それだけではないのです。失うものがあれば、得るものもある……。運命に逆らえ、とは言いません。貴女は、決して逆らいはしなかった。貴女が出来る範囲で、出来るだけのことをしてくれたのですから…。」
 「………”運命”………ですか……。」
 「はい…。貴女は、貴女が出来ることをしてくれました。その結果が、今この時であっても………それを、どうして私が責める事ができるのですか? 私は、貴女を責めたいとは、思っていません。」
 「運……命…。」



 運命。なんと都合の良い、愚かな言葉だろう。
 彼女の言葉が本心だと、もちろん分かっている。だが自分にとって、それは納得するためのこじつけに過ぎない。
 彼女は、運命という流れに逆らわず、涙を堪えて自我を抑え続けるというのだろうか。

 でも自分は、それで納得はしない。失ったのだ。スタート地点に立つことすらなく。
 それを”運命”という言葉で終わらせたくはない。自分が悪いのだ。全て。
 始まり、経過、そして結果。それを過去形にして、人は、初めてそれらを一括りにして『運命だった』と言うではないか。きっと、ではない。『絶対に』だ。

 『私は……………許さない……。』

 あえて口にしなかった。
 それだけは、決して肯定してはいけないと思ったからだ。
 運命に逆らうことはしなかった?
 ・・・・・否。彼女の言葉に、自分は当てはまらない。
 逆らっていたからだ。封じられていた『あるもの』を、取り戻したことによって・・・。



 「違いますよ…。私は、逆らいました…。”運命”に。忘れていた『歴史』の記憶を取り戻し、この子たちを止めるために、それを使ったんです……。」
 「…ま……まさか…!?」
 「がね……創世の紋章を通して、私に返してくれたんです………………消されていたはずの、『私』の記憶を…。」

 滅多に見る事のできない、彼女の青ざめた顔。それを見ても驚きはない。
 彼女ですら知るはずがないのだ。の『記憶』を、自分が引き継いだことなど。

 「私は……逆らっていたんですよ。そして、逆らったことで、抗ったことで………”運命”は、私に罰を与えました……………”孤独”という罰を……。」
 「…」
 「だから、私に出来ることは………抗った”罪”と”罰”を背負って、生きていくことなんです。でも、私は………『生きる』ことにすら、意味を無くしてしまった…。でも、やらなくちゃならない事が、まだあるって分かったんです。だから……。」

 その言葉の意味を、レックナートは、すぐに理解した。
 『この魔術師の塔を出て行く』と言っているのだ。
 目が見えなくとも、その言葉を聞けば、強い決意が溢れていることが分かった。
 だが、それに一抹の不安が胸に過ったのも、事実だった。

 「…?」
 「……私は『生き』ます。絶対に、死んだりしません。いえ………”死なない”んですよね…。そして、この子が『やりたかった事』を、私がやってみせます。だから…」
 「ま、まさか…!?」

 は、ゆっくりと立ち上がった。
 そして、レックナートの横を通り過ぎようとしたが、さっと腕を掴まれる。
 師は、自分がこれから『何を』するのか、分かったのだろう。見れば、その白い顔は更に青白くなっている。

 「、いけません…!!」
 「……止めないで下さい。」
 「ですが…!」
 「……もう、”布石”は、打ってあるんです…。その来るべき日まで、私は…………眠ります。『それ』が、何時来るのか分かりません。明日かもしれないし、一ヶ月後か、一年後か、下手をすれば、何百年になるかもしれません。でも…」
 「駄目です、ッ!」

 「……………………ごめんなさい。」

 ルックとセラを、助けられなくて。あなたを、この塔で独ぼっちにしてしまうこと。
 でも、もう嫌なんです。辛いんです。苦しいんです。
 置いていかれるのが、残され続けることが、これから『生きて』いくことが。
 でも、自分がやらなくてはならない事が、はっきりと分かりました。ようやく分かったんです。
 ルックが教えてくれたんです。セラが教えてくれたんです。

 だから・・・・

 この想いとする所が、彼女に伝わっただろうか。
 それ以上何か言うのが、ただただ辛い。

 目を閉じて、転移を念じた。
 足下に満たされた光に、身を任せようとした、その時。
 彼女が、言葉をくれた。

 「……分かりました。私は、もう何も言いません。ですが…………疲れた時は、いつでも帰っておいでなさい…。ここが、貴女の”家”なのですから……。」






 光すら届かない闇へ堕ち、自らを閉ざした娘は、返答することなく光に飲まれて行った。
 それでもレックナートは、その光の名残を、いつまでもいつまでも感じていた。

 ふと、夜空を覆う星を感じて顔を上げる。盲いた目に映らずとも、感覚で分かった。
 その星の中に、一つ変わった輝きを放つ『存在』があることを。
 それは、”先”に起きるであろう、何か大きな出来事を暗示しているかのような・・・・。

 「これは……?」

 星は、まだ小さな輝きではあった。決して大きく瞬きはしない。
 けれど、この満天の星空の中、不思議と存在感を大きくしつつあった。

 ”それ”は・・・・・

 もっと先に起こる物語に認められた、”証”。
 運命と呼ばれる、壮大なドラマに関わることを認められた、”証”。
 それこそが、更なる”先”と言われる”運命”を分つことになるだろう、”証”。

 ”彼の星”にとっての、最初で最後の『大いなる戦い』。

 「…そう、ですか……。あぁ………ようやく……。」


 それとも・・・・・・



 『お前』が、そうなるように願ったのか?

 彼女の闇を払うべく、そうなるように祈ったのか?

 それとも、なるべくしてなるだろう”運命”だったのか?



 それが、『世界の意思』である、と・・・・・?



 「ようやく……貴女は……………認められたのですね……。」



 その『星』の存在を見出して、レックナートは、目頭が熱くなった。