[望むこと]
「眠るから……。」
かつて自分の命を助け、「生きろ」と言ったのは、誰だったか。
自分に向けてそう言ったはずの女が唐突に放った言葉に、俺は、耳を疑った。
深夜を遥かに過ぎ、明けにも近い刻限、こいつは俺の部屋へ来た。
家族を埋葬し、それを報告に来たのだ。
そう、思っていた。
目の前に立つ女は、何も映らぬ瞳を細め、まるで微笑しているようにすら見受けられる表情で、そう言った。眠るから協力してほしい、と。
その瞳を真正面から見据えながら意図を解そうとする俺に、こいつは言った。
「ルカ…………私、疲れたよ……。」
だから眠るよ、と。
それだけで、こいつがどうしたいのか、何をしようとしているのか、分かってしまった。それが口惜しくて、自分でも気付かぬうちに、眉を寄せ睨みつけていた。
それでも、こいつが表情を変えることはない。
『眠るから・・・・・この永遠の時の中で』
そうとしか、聞こえなかった。
いや、この場にいるのが俺でなかったとしても、こいつは、それしか言わないのだろう。相手がユーバーであれ、あのとかいう小僧であれ・・・・。
だが、分かっていても、あえて問い返した。
「眠る……?」
訝しげな顔をしているように映ったのだろう。それは正解だ。
だが、それでもこいつが表情を崩すことはない。分かっているくせに、とでも言いたげに笑みを消すことはせず、僅かに頷いた。
「私は……罪を背負って生きていく。でも、もう……何も見たくない。感じたくない。」
「…………。」
「勝手な事を言ってるのは、分かってる…。でも……皆、いずれ私を置いていく……。それに”生きる意味”を見出せないんだよ…。私には…………もう、この方法しかない…。」
・・・・生きる意味? 今さら、何を言っている?
生きる意味など、初めから無い。貴様は、それをよく知っているはずだ。
生というもの事態が虚ろであり、その中でも、俺たちが最も空虚な存在であることを。
お前は、過去、俺に何と言った?
『殺した者たちの為にも生きろ』と・・・・そう言ったのは、お前ではないか。
憎悪に支配され、渇きを癒すためだけに生きてきたこの俺を、『家族だ』と、笑って受け入れたのは、お前ではないか。
それなのに、どうして今さら・・・・・。
「貴様には………まだ、残っているだろう……?」
「…………。」
「貴様には、まだ……レックナートや、俺が………残っているだろう!!」
「…………。」
内から込み上げたのは、久しく感じていなかった怒り。
・・・・・・怒り? 俺は、いったい何に怒っているのだ?
・・・そうだ。お前は、俺を『家族だ』と言った。歓迎すると言い、笑っていた。それなのに・・・・。
気がつけば、胸ぐらを掴んで壁に叩き付けていた。だが、こいつは、悲鳴を上げることも、まして苦痛に顔を歪めることもない。項垂れ目を伏せ、沈黙するばかり。
それが更に怒りを煽った。何も言わず、聞かず。まるで自分だけが絶望の中にいるような、目の前にいる俺すら映さぬ、その瞳。
・・・分かっていた。分かってはいたのだ。こいつが、どれだけ大切な者を失ったのか。
だが、自分が助けた命すら否定しようとする目が、気に入らなかった。
単にそれに腹が立っただけかもしれない。
だから、もう一度、言った。
「貴様には、まだ……貴様を想う者がいるということを忘れるな!!!」
「…………忘れて……ないよ……。」
「なに…?」
返って来たのは、意外な答えだった。
忘れていないのなら、何故、自ら閉ざすような真似をする?
すると今度は、はっきりと俺を瞳に写すと、消え入りそうな声で言った。
「もう……亡くしたくない…。もう、誰も……失いたくない…。だから……眠らせて…。」
これ以上、失うことも、それを見続けることも辛い。これ以上、大切な人の死を目の当たりにしたら、本当に”死”を望んでしまうから。
目の前で散り逝く命。それをただ看取っていくことしか出来ない歯痒さ。残されても尚、『生きてくれ』と願われ続ける、永遠の”孤独”。
・・・・・分かっていた。分かっていたはずだ。
こいつが、どれだけ力を尽しても、後悔しかしない事を。
怒りに任せ、拳を振り上げた。簡単に逃げられるように。胸ぐらを掴んだ手の力は、緩めて。
けれどこいつは、逃げようともしない。動こうともしない。
俺に殴られれば、簡単に骨が折れることなど、分かっているはずなのに・・・。
それでも尚、こいつは、黙って拳が振り下ろされるのを待っていた。
「……っ…………………勝手にしろッ!!!」
結局、手を離して背を向けた。
殴ろうなどと、思っていなかった。・・・・・・最初から。
ただ、こいつが『生きたい』と思えば、それで良かった。
『生きていたい』と、思わせたかった。
・・・・・・・・・・・・・・それだけだった。