[それから… ─ササライ─]



 ヒューゴとクリスが、ほぼ同時に目を覚ました。
 二人は、それぞれ彼女が何を伝えようとしていたのか、どうして戦ったのかを理解して、一つ成長を遂げた。

 しかし・・・・・

 同じく、彼女より深い眠りをかけられていたササライだけは、目を覚ますことがなかった。
 ヒューゴやクリスの目覚めを聞いて、それではササライ様も・・・と思っていたディオスは、上司が目覚めぬことに酷く落胆した。
 それよりも、彼の眠りは、ヒューゴやクリスとはまったく違ったようで、終始酷い魘されようだったのだ。

 ディオスは、昼夜問わずに彼の傍に付き従い、せっせと汗に滲む汗を拭いてやり、少し熱があると分かれば窓を開けて換気を良くした。それでも、彼の魘されようは変わらない。
 もしかすると、これは何かの『呪』ではないか? と考えてブリジットに聞いてみたものの、彼女は分からないと答えるばかり。
 将に分からぬものを、自分が分かるわけもない。他に何か知っていそうな者にも声をかけてみたが、結局、原因は分からずじまいだった。

 そんなある日。
 ササライの部屋に、一人の訪問者が、やって来た。
 その男は『』と名乗ると、実に友好的な笑みを浮かべて握手を求めてきた。
 それにディオスは眉を潜めたものの、何も言わなかった。あの『』という女性の名乗っていた偽名。それは、たぶんこの男から借りたものなのだろうと瞬時に判断したからだ。
 いやそれより、あの女性の知り合いで、かつあの『トランの英雄』や『デュナンの英雄』とまで知り合いなのだから、きっと上司の苦しむ原因を見極められるのでは? と思ったのだ。

 「ササライ様は、昼夜問わず魘されています…。もしかしたら、恐ろしい悪夢に苛まれているのかもしれません…。」

 そう言うと、と名乗った男は、上司の傍に近づいた。そしてその額に手を当てて目を閉じると、暫くして「うーん…。」と唸ってから、困り笑いで答えた。

 「…夢自体に害はないけど、もしかしたら……これで、彼の人生観が変わるかもな。」
 「は…?」

 まったくと言って良いほど、ディオスには、何のことだか分からなかった。
 そう問うても、逆に「このこと、他の真なる紋章の所持者に聞いてみたか?」と言われ、応と答える。
 すると彼は苦笑いをしただけで、「起きたら教えてくれ。」とだけ言って、部屋を出て行ってしまった。






 そして、ヒューゴとクリスが目を覚ましてから、更に三日経った。






 今日も今日とて、上司は目を覚ましてくれそうもない。
 落胆に落胆を重ねながらも、ディオスは、小さな桶を腕に抱えて、水を代えてこようと扉に手をかけた。
 と・・・・

 部屋の中に、絶叫にも近い声が響いた。

 「くっ……や…め…………やめろぉッ!!!!!」
 「サ、ササライ様!!?」

 ベッドで眠り続けていた上司が、いつもより酷く魘されながら叫んだのだ。未だの言っていた『人生観が変わる夢』の中で、一人悪夢を見ているのかもしれない。
 いつもは、温厚で優しく大人しい印象の強い上司が、悪夢に魘され声を上げるなど・・・。それほどまでに恐ろしい夢とは、いったいどのようなものか。
 そう思い、早く目を覚まして下さいと、半ば祈りにも近い想いで、寝汗が酷い上司の額やら腕やらを水に濡らした布で丁寧に拭いてやった。

 すると、突如、彼の体がビクリと引き攣った。
 かと思えば、今度は、十日間閉じられていたその瞳が、ふっと開かれる。

 「……っ…。」
 「ササライ様!!!」
 「……ディ…オス…? いったい………ここは……?」
 「ここは、ビュッデヒュッケ城ですよ!! それよりササライ様………ようやく目を覚まされたんですね!!」

 彼は、急激な覚醒により力が入らないのか手を動かすことすら出来ないようで、それを手伝いゆっくりと起こしてやった。

 「僕は………死んだんじゃ……?」
 「何を仰ってるんですかッ!!」

 彼は、『あの時、彼女の一閃を受けて死んだはずでは?』と言っているのだろう。
 ディオスは、すぐさまそれを否定して、今日これに至るまでの経緯を話した。






 「じゃあ……彼女の持っていた武器っていうのは…」
 「刃が逆位置についている、って聞きましたよ。」
 「そうか…、そうだったんだ……。」

 遺跡での戦いの結末、そして今日までのことを聞き終えてから、ササライは、額に手を当て繰り返すよう呟いた。
 自分が目覚めた時の慌てぶりは何処へ行ったのか、ディオスは、もういつもの飄々とした態度に戻っている。

 「それで、ササライ様……非常に聞きにくい事なんですが……。」
 「なんだい…?」
 「眠っておられる間、酷く魘されていましたが……いったい…。」
 「…………。」

 ササライは、答えなかった。答えられなかった。
 その質問を聞いた直後、『夢』の内容を思い出してしまったからだ。
 自分の態度に、部下は、何となく気まずそうな顔をしながらも更に問うてくる。

 「いえ、ね…。という男が、言うには…」
 「というのは、彼女の偽名じゃ…?」

 すると、ディオスが話し出した。という『少年』のことを。
 が名乗っていた『』という名。それは、その男から借りたものではないのかと。そして、自分が見ていた『夢』の内容を教えることはなかったが、実に含みのある言い回しをされたこと。

 「って奴は、ササライ様の人生観が変わるかもしれない、と言ってましたので…。」
 「…………人生観、か……。」

 その言葉を聞いて、額から手をどけることなく、自嘲的に呟く。

 「確かに………。人生観が、大きく変わったよ……。」
 「どんな夢だったんですか?」
 「それは……」

 言葉は、どうしても濁ってしまう。
 自分を心配してくれている彼は、掴みにくい部分も多いが、根はとても親身な男だ。しかし、それでも言葉として『それ』を発しても良いものかと悩む。

 『言えないよ……言える筈が無いじゃないか…。ルックが………ずっと、ずっと苦しみ続けてきた夢を見ていた、なんて……。』

 あんな夢を見たのは、初めてだった。そして、その『夢』によって、どれだけ弟が苦しんでいたのかようやく理解した。あんな恐ろしい夢を、それこそ生まれた時から見続けていたなんて・・・。
 ゾク、と身震い。もしかしたら、これから先、あの『夢』を自分が見続けることになるのかもしれない。毎晩毎晩、あの夢を・・・・・生きている限り、見せられるのかもしれない。
 考えるだけで、なんて恐ろしい日々だろう。

 ・・・・・コンコン。

 静寂の中、不意にノックが響いた。すぐさまディオスが「どうぞ」と返す。
 入って来たのは・・・・

 「……きみが………?」
 「あぁ、そうだ。俺が、本物の。」

 ようやく本名を明かした男を、じっと見つめる。
 ドジャーブルーの瞳が、まっすぐ自分を見つめ返していた。






 「きみは、何者なんだい…?」
 「……何者って言われても、俺は、俺だからなぁ…。」

 ディオスに席を外してもらった後、小声で問うた。その意を解しているはずなのに、目の前の男は、的外れな答えを返してくる。

 「じゃあ、きみ達は、どういった関係なんだい…?」
 「…きみ達?」
 「きみと、彼女の関係だよ。」
 「…俺と彼女の関係、かぁ…。」

 独り言のように繰り返して、彼は口を閉じた。
 だが、ふっ、と見た目には似合わぬ実に大人びた素振りを見せながら、言った。

 「彼女とは……そうだな。『旧知』って言えば良いか。」
 「旧知?」
 「古い知り合いだな。友達。」
 「古い? …どれぐらいの?」
 「……さぁ?」

 大人びた笑みを消したかと思えば、次には、子供のような屈託のない顔で笑い、肩を諌めている。それが誤摩化しでも馬鹿にしているわけでもない様に思えるのは、この男が持つ独特の空気のせいだろうか。

 彼女は、50年前の戦争にも顔を出していたと聞く。それだけで彼女が、最低50を超えていることが容易にわかる。だが興味を引いたのは、目の前で微笑む男が、それ以前か以降の知り合いなのかという事。以前といっても、それが年単位か、十年単位か、はたまた百年単位なものなのか。以降であっても、また然り。

 海の地方出身なのかと思わせる、少し焼けた肌を見つめていると、彼は言った。

 「そうだな…………それ『以前』だ。」
 「え…?」

 唐突に、自分の頭の中の疑問に答えられてしまえば、声を上げる他ない。彼は、別段気にした様子もなく「俺、人の考えてる事が、なんとなく分かるんだ。」と笑った。
 何がおかしいのか、ひとしきり笑ってから、彼が椅子から立ち上がる。

 「どうしたんだい…?」
 「…俺、そろそろ行かなきゃならないんだ。」
 「行くって……どこへ?」
 「………秘密。」

 軽く屈伸して彼は、無邪気な笑みで「じゃあな!」と言い、歩き出そうとした。
 ササライは、咄嗟にそれを止めた。

 「ちょっと、待って!」
 「ん、なんだ?」
 「じゃあな、って…。きみ……結局、ここに何しに来たんだい?」
 「なにって……軽い興味か?」
 「…………。」

 あっけらかんと答えた彼に、体の力が抜けた。飄々としているものの、自分の部下のように『知ってしまえば分かりやすい男』というワケではなさそうだ。『一筋縄ではいかない』という言葉が、この男には当てはまるだろう。

 「待って…。最後に、一つ聞かせて欲しい。」
 「俺に聞きたいこと? なんだ?」
 「彼女は………は、どうして僕を殺さなかったんだい?」

 そう来たか、と言わんばかりに彼が目を瞬かせた。と思えば、急に真剣な顔つきをして近づいてくる。
 色々な表情を持つ男だ。興味が尽きない男だ。

 「そう…だな。彼女は、元々、誰ひとり殺す気なんてなかったからだ。」
 「元々って…」
 「………彼女の言った通り、きみは、本当に”無知”なんだな。」
 「な…!」

 さらりと歯に衣着せずに言うのは、たぶんこの男の性格なのだろう。彼女の時とは違い、それに哀れみを含めた感情はなく、ただの『感想』といった程度にしか聞こえなかったからだ。
 面食らっていると、彼は、少し考える仕草をして続けた。

 「教えてやるとするなら…。きみたちハルモニアの連中が『帰りやすい状況にしてくれた』って所かな。」
 「…?」
 「要するに、だ。彼女は、真なる風の紋章もルックたちの亡骸も持ち帰りたかった。でも、きみ達も、それを国に持ち帰らないといけなかったんだろ? でも彼女は、絶対にそれを譲る気なんてなかった。だから彼女は、きみ達と戦った。……ここまでは分かるな?」
 「…うん。でも、僕たちが帰りやすくって…」
 「戦わずして盗み去られれば、きみ達にも、それなりの処分が下るんだろ? でも、きみ達ほどの者が戦って負けたのなら、国は、きみ達を責めることは出来ない。何故なら、きみの手に負えない者なら、他の者の手にも負えないだろうからな。」
 「…………。」
 「きみが、国に帰りやすいように……誰からも責めを請け負うことが無いように………彼女は、戦ってくれたんだ。」
 「それじゃあ、なぜ、ヒューゴやクリスとも…」

 言い終わる前に、彼が右手を突き出した。それ以上は言うな、と言っているのだ。

 「どうして…」
 「話は、ここまで。きみは言ったよな? 『一つだけ』聞かせてほしいって。」
 「そんな…!」
 「彼女に認められたいのなら………そうだな。まずは、有言実行してみせろ。」
 「っ……。」

 痛い所を突かれて口元を引き攣らせてしまったが、それ以上は問わなかった。彼の言葉と意志の強い瞳に、喉をつまらせたからだ。
 彼は、静かにポツリと呟いた。

 「………『灰色の夢』に……………捕われるなよ。」
 「え…?」
 「なんでもない。それじゃあ、またな!」
 「あ…」

 まるで一陣の風のごとく、あっという間に去って行った。
 終始あの男のペースのままであったことを思い返し、苦笑いする。
 変わった男だった。だが、決して嫌いじゃない。もし出会う場所が違っていたら、仲良くなれたのかもしれない。



 あの日、あの時。
 彼女は、自分に言った。
 が、自分に言った言葉を。

 無知な子だ。哀れな子だ、と・・・・。

 だが、ふと、彼女があの時言っていた言葉の中に、一つだけ色濃く残るものがあった事を思い出す。『あんたは、あんたという”人間”の役割がある』と。
 しかし彼女は、自分が人と呼ばれる存在でないことを知っているはずだ。ルックとの一騎打ちの際、彼女は、それを『知っていた』と言ってたはずだ。それなのに・・・・・。

 彼女のその言葉に、自分が幾らか救われていることを感じた。そう、感じていた。
 それが故意かどうか定かではないものの、彼女が自分を『人間だ』と言ってくれているような気がした。

 ふと、右手に視線を移す。使用しているはずのないそれは、僅かに淡い光を放っていた。
 なぜ・・・・?
 そう思ったと同時、光は、静かに消えていった。

 窓際に立ち、両開きの窓に手をかけて、空を見上げる。四角く囲われた先に見えるスカイブルーは、風の旅路を、暖かく見守っているような。
 きっと『彼ら』も、それをどこからか見守っているのだろうか? 風の行き着く先を。そして、解放することの出来なかったこの世界の”先”を。

 そんな気がした。

 そんな・・・・・・・・・気がした。