[それから… ─彼ら─]



 ササライが目覚めた後。
 その間、ヒューゴの母ルシアは、ビッチャムらと共同してカラヤクラン跡地への帰り支度を整えていた。
 また、クリスの配下であるボルスやサロメたちもまた、ビネ・デル・ゼクセへ戻る支度を整え終えていた。

 ヒューゴとクリスは、ディオスから、ササライが目を覚ました旨を聞き、本人と面会した後、別れを告げてそれぞれの帰路へついた。
 そしてササライも、真なる風の紋章と、破壊者亡骸の回収云々の報告書を、先に本国へ送ると、ハルモニア兵団を引き連れてビュッデヒュッケ城を後にした。






 それから、更に二日経過した、ある日。
 旅路を急ぐ者、国へ帰る者たちが去り、少し静かになったビュッデヒュッケ城。
 その一室で、は、平和な午後を過ごしながら対話していた。

 「…きみは……これから、どうする…?」
 「そうですね…。一度、デュナンに戻ろうと思います。」

 は、その右手に完全な紋章を宿している為、歳を取ることがない。だがは、不完全な紋章──片割れ──を宿しているため、時の流れをその身に受ける。
 片や時を止めたまま、片や時の流れを受け続ける者という、実にアンバランスな世界。
 しかし二人は、もうそういった事を気にしないのか、静かに言葉を紡いでいた。

 「さんは、どうするんですか?」
 「僕も………一度、トランに戻ろうと思う…。」
 「じゃあ、途中までご一緒しましょう!」

 出会った時から、という少年は変わらない。いや、自分よりも年上なのは分かっているが、あの頃から変わらない容姿のせいでそう思ってしまう。いつも、どこか哀しげな色を帯びる黒い瞳を見つめながら、はそう思った。
 レストランで買ってきた物珍しい『ソーダ水』を手に、テーブルを挟んで座っている少年に「どうですか?」と差し出す。しかし彼は、僅かに微笑んで小さく首を振った。

 もう一口飲んでから、は問うた。

 「ところで、さんは、どうするんでしょう?」
 「……あの人は…」

 ふと目を伏せて、言葉を濁した彼。『口にするべきか』といった表情だ。
 すると、キ、と小さな音を立てて、部屋の扉が開いた。
 中に入って来たのは、今話題の人。

 「あ……。」
 「さん、お疲れ様です!」
 「ん、どうしたんだ、二人とも? 俺の顔に、何かついてるか?」

 いま居る三人の中でも最も歳を経てきた少年に、が小さな声を上げたが、は『そうか、本人に聞けば良いんだ』と思った。

 「さん、聞きたいんですけど。」
 「俺に? …なんだ?」
 「………。」

 いまの疑問を口にしようとすると、に待ったをかけられた。視線を移せば彼は、小さく首を振っている。『自分に関係ない事は、聞かない方が良い』と言われている気がして、は「あ、っと…やっぱり、なんでもありません。」と言った。

 自身、が、これから何処へ向かおうとしているのか気にならなかったわけではない。しかし、それこそ無粋な詮索だと分かっていた。だからを止めたのだ。



 そんな二人のやり取りに、は、終始疑問を浮かべていた。だが、ふと答えに行き着いて困ってしまう。はどうだか分からないが、たぶんの方は、自分がこれから何処へ向かうか何となく察しがついているのだろう。そう思いながら。
 と目が合った。だが彼は、口元に僅かな笑みを浮かべただけで、すぐに視線をそらしてしまう。仕方なしに、肩にかけていた荷物をソファに下ろすと、彼に問うた。

 「…。突然で悪いんだが、教えて欲しい場所がある。」
 「……はい…。」

 彼は、心持ち俯いて頷く。

 「さん…………あなたの目指す場所は………トラン領内にあります…。」
 「トランか…。少し遠いな。」

 ソファに下ろした荷物の中から、古びた地図を取り出す。それをテーブルに広げると、が、トラン領内のある一点を指差した。

 「…彼女の『師』は………ここに住んでいます…。」
 「……ここって、足で行けるのか?」
 「いえ…。」

 彼が指差した場所。そこはの懸念通り、一般の人間では到底辿り着ける場所ではなかった。示された場所は、高低差のある断崖を登り、周りには広大な森林が生い茂っているド真ん中だ。
 更に彼は、「この森の木々は……それぞれが巨大なので、陽の位置で方角を確認する事が出来ないんです…。」と言った。

 「……転移魔法でしか行けない、ってことか…。」
 「使えるんですか…?」
 「いやいや! 生憎、転移魔法なんて高度な技術、学ぶ機会もなかったからな…。」

 どうにかして断崖を登るしかないか、と腕を組んでいると、彼が言った。

 「さん………フッチという人物を、知っていますか…?」
 「フッチ? 確か、デュナンの時にも居なかったか?」
 「…はい。彼に頼めば……そこに連れて行ってくれると思います…。」

 と、ここで、それまで黙って会話を聞いていたが、「あっ!」と声を上げた。やっと話が読めたのか、彼はニッコリ微笑む。

 「そういえば、フッチ、まだこの城に居ましたよ!」
 「え?」
 「ブライトも一緒だったし。どうせなら、帰りついでに乗っけてもらえば良いんですよ!」
 「…そうだね……。」

 の提案に、も賛成する。

 「それじゃあ、その言葉に甘えさせてもらおうかな…。」
 「はい! じゃあ、これからフッチにお願いして来ますね!」
 「ありがとな、。」






 善は急げ、とばかりに慌ただしく部屋を出て行った青年に、は苦笑した。見れば、隣に座るも小さく微笑んでいる。

 「……さん…。」
 「ん?」
 「…………『彼女』は……。」

 言いづらそうに言葉を濁した彼に、一つ頷く。

 「……は、俺を許してくれないだろう。今は、そう思う。俺も許される事をしたとは……思ってない。死を望んでいたのに、俺は、自分の身勝手で彼女を生かした。彼女は優しいから、きっと俺を恨まないだろう。でも…」
 「はい……。だから彼女も……あの時、一人で帰ったんだと思います…。」
 「でも、俺は…傍にいたいんだ。彼女が、それを拒否したとしても………傍にいてやりたい。」
 「…それは…………罪滅ぼし…ですか?」
 「…………。」
 「済みません…。失言でした…。」

 静かに問われた言葉に返すことが出来ずにいると、彼が目を伏せた。
 しかし、確かに、言われてみればそうなのだ。傍にいるということは、彼女に対しての『それ』である。けれど同時に、それは、彼女を更に追いつめることにはならないか?
 そんな考えが浮かび、内心失笑して、小さな笑みを作る。

 「…きみの言う通りだ。俺は、また残されるのが嫌で……俺という存在を、昔から覚えていてくれる人が、いなくなる事が嫌で……彼女を生かしたんだ。それは、俺の身勝手な理由だ。でも、彼女は……俺に言っていた。『自分が生き続けることこそ、自分への罰なんだ』と…。俺は、そうは思わない。そう思って欲しくないんだ。ルックたちを助けられなかったのは、彼女の所為なんかじゃないんだ。」
 「…………。」
 「だって、そうだろ? 彼女は、ルックたちを救う為に戦っていたのに…。テッドの事だって、そうじゃないか…。彼女は、『自分が手を離したから、こうなってしまった』と言っていたけど、それは違う……違うだろう? 彼女は、いつも自分を責め過ぎなんだ。自ら罪をかぶろうと、いつもいつも……。」
 「さん……。」
 「…本当は、俺だって……”運命”なんて言葉を信じたくはない…。でも、それでも…………”運命だった”と言わなくては、皆が、傷つくだけなんだ…。」

 そう言い、項垂れるしかなかった。



 弱り切った顔を見せたに、正直、は驚きを隠せなかった。いつもの飄々とした顔を取り払い、自ら招いた罪に苦しむ姿を見て。
 つい先ほどまで、笑みすら浮かべていたはずなのに。

 そして、思った。彼女の事になると、彼はここまで内面を露にするのだと。それだけ彼にとっての彼女とは、大きな存在であるのだと。
 本当に大切な者に対して、彼は、ここまで自分を見せるのだ。それは、きっと彼女だけ。
 テッドが生きていたならば、彼もそうなのかもしれない。だけどもう、という存在を古くから知るのは、彼女だけになってしまった。

 じっと彼を見つめていると、ドタドタ、とけたたましい音を立ててが戻ってくる。
 すると、それまでの表情を消し、彼が笑みを作った。完璧な笑顔だ。
 でも、どうしてそこまで自分を殺せるのだろう?

 「戻りました!」
 「あぁ、おかえり。どうだった?」
 「すぐに了解してくれましたよ! って……さん、どうかしたんですか?」

 にそう言われたが、すぐに「…何でもないよ。」と答えて立ち上がる。それに続き、がソファから立った。

 「さぁ、フッチも待っててくれてます! 行きましょう!」
 「そうだな…。、行こう。」
 「…はい……。」

 に続き、も、荷物を肩にかけて出て行った。



 「…えっ……?」

 も、それに続こうと腰を上げた。だが、ふと違和感。
 誰かに呼ばれたような気がしたのだ。
 振り返った先に見えるのは、窓の外に広がる、グラスランドの大地。

 ・・・・気のせいか。
 そう思い、踵を返そうとすると、またも誰かに呼ばれた。
 それは、「なぁ…?」と。自分に問いかけている。

 頭の中にぼんやりと響いたその”声”に、聞き覚えがあった。忘れるはずがない。
 でも、その”声”の主は・・・・・もう、この世には居ない。
 その御霊のみが、己の右手の紋章の中で、永遠に存在し続けている。

 「…………テッド……?」

 無二の親友の名を呼んだ。
 けれど、それに答えは返らない。

 ふと、自らがリーダーとなり終焉まで導いた、あの戦を思い出した。
 そして、あの深い谷の中、親友が命を落としたときの記憶が、鮮明に蘇る。

 あの時、親友は、宛てていた。彼女の他に、もう一人へ『言伝』を。
 それは、彼と彼女に共通する、”唯一”の人物。

 目蓋の裏に蘇ったのは、すぐにでも壊れてしまいそうな、儚い親友の笑顔。
 そして、宛てられた・・・・・・『』への言葉。
 それを彼に告げたのは、もう15年も前のこと。

 約束は、時に重みを持って、時に哀しみばかりを残して、人々を縛り付ける。
 でも、それでも。『その言葉』が、なかったとしても・・・・
 という男は、彼女を捜し、その傍に居ようとしたのだろう。

 「……今は………まだ…。」

 目を伏せ、答えるように呟いて、ノブに手をかけた。
 去り際、また呼びかけられた気がした。
 けれど、は、もう振り返らなかった。

 その”声”に・・・・・・”彼”の言葉に、「大丈夫だよ…。」とだけ告げて。



 『………………。のこと……………………頼むな?』