[きみを想って]



 全てを生み出した紋章。
 それを手に、自らが”唯一だ”と称えるたった一人の女性が眠りについている、洞窟。そこを目指してから、そろそろ半年が過ぎようとしていた。
 様々な大陸を歩き回り、ようやく手に入れた情報を元に、この地へ来ることが出来た。
 その合間にも、出会いや別れがあった。自分に良くしてくれた者もいれば、中には、小金を掴ませた者もいた。

 あと少し・・・・・・・あと少しで、自分の願いが叶う。

 だが、”運命”と呼ばれるものは、そう簡単に自分の欲するものを与えてはくれないらしい。時に足止めを、時に謎掛けを、そして、時に生死を賭けた試練を、まるで自分の決意を試すように唐突に振りかけてくるのだ。

 『俺って………運が無いんだろうな……。』

 あと数刻歩けば、目的の場所へ到達する。そんな時に限って、半ば『最終試練』とでも言う様に、切羽詰まった状況へ追いやられた。
 は、そんな事を考えていた。
 今、何が最悪かと問われれば、即答で『自分の運の無さ』と答えるだろう。

 先ほどまで大地を照らしていたはずの光は、休息を得て、交代制でやってきた闇。
 月と星のあかりのみとなったこの広過ぎる森の中では、その光すら届かない。
 巨木が並々生い茂るせいで、まったくと言って良いほど、存在の意味を成していないのだ。
 何万分の一の確率、と言っていいだろう。自分が、今身を隠しているこの森には、僅かな光も届かなかった。せめて一筋の光りあればこそ・・・・。
 まるで狙い済ましたかのような、意図的とも取れるこの状況に、小さく溜息が漏れた。

 瞬間。

 「っ!?」

 ヒュッ、と何かを振りかぶる音が聞こえた。
 は、咄嗟に隠れていた巨木から横へ飛び退いた。
 直後、ギ、と何かを抉る鈍い音。次に、ズズ・・・と擦れる音。

 一点の光すら届かぬ中で、目も慣れぬ内に何が起こったのか、まったく理解できない。
 だが遥か頭上で、バキバキッ、と音が聞こえた事で、何が起こったのか理解した。自分を襲ってきた何者かが、この巨木をなぎ倒したのだ。

 先の音と照らし合わせて、まずいなと思った瞬間。
 今まで自分を隠していてくれた巨木が、ズン! と大きな音を立てて崩れ落ちた。



 では、なぜ、このような状況に置かれたのか?



 始まりは、この森に入って暫くしての事だった。
 相変わらず、夢の中にいるような感覚のまま、道無き道を歩いていた。
 侵入を拒否しようとする”声”は、いつの間にやら消えていたが、自分を否定しようとする”気配”は、色濃くなっている。
 森へ入る前までは茜色だった空も、陽が沈み行くにつれてか、それとも森自体に灯りがささないのか鬱蒼としていた。
 自分を否定し続ける気配に眉を寄せながらも、それでも一歩一歩進んでいた。

 しかし。

 森へ入って半刻も経たない内に、『それ』は突如仕掛けてきた。初めて感じる殺気にもよく似たその気配に、まず戦慄する。
 背後を取られた、と思った瞬間『それ』は、気配を狂気そのものに変えて、自分の背に剣を突き立てようとした。それを、長年で培われた経験と勘をもって察知し、貫かれる直前に、振り向き様、抜いた双剣で弾く。
 しかし『それ』は、姿を消したのか、どこにも見当たらなかった。

 これはマズい、と、らしくなく下唇を噛んでいると、第二の攻撃。相手は、殺気を隠せないのか、はたまた隠そうともしていないのか、どうやら攻撃時にはそれを全面に出して挑んでくるようだった。またも背後からの攻撃。慌てず右の剣でそれを弾くと、左の剣で切り返そうとした。

 だが・・・・・

 キンッ!!

 『……………厄介だな…。』

 闇のみが支配し、視覚だけでは、一切相手を捉えることの出来ない状況に、内心舌打ちした。今の切り返しだけで、相手が『双剣』を持つ者だと判断したからだ。
 右の剣で弾くと同時、左の剣で相手を薙ごうとした。だが、右が弾ききる前に、相手は左の攻撃を受け流したのだ。
 そこから結論出来るのは、やはり双剣か、もしくは個々に武器を手に持つ者。感触だけで言ってしまえば、相手の獲物は、やはり双剣なのだろう。

 190年ほど生きてきたが、双剣の扱いで、自分の右に出る者に会った事はない。
 性格上、自分から戦いを挑むことはなかったものの、これだけ生きているのだから面倒事に巻き込まれたのは、一度や二度ではない。その最中、何度か同じ獲物の使い手と戦いはしたが、負けた事など一度もなかった。

 だが、そこで思った。自分を狙っているのは、かなりの使い手だ、と。
 本来ならば、まず話し合いでの解決を試みるのだが、生憎今回の相手は、それで通じる輩ではなかった。襲い来るその狂気を身に感じれば、嫌でも分かるのだ。
 久しく感じなかった『背筋を伝う汗』を頭の隅へと追いやると、背を巨木であろう───如何せん、この闇夜で目だけの判断は、不可能に近い───固い部分にピタリとつけて、息を潜めた。

 左に持つ剣を音を立てずに鞘へ納め、その手で右腕を探る。そこにあった固い感触に、口元を緩めた。一人旅をするようになってから必ず仕込む事にしてある、投げナイフ。剣による攻撃では、長距離の相手に向かないため、いつからかこれを用いるようになったのだ。
 相手は、剣での攻撃を主体としているのだろうが、他に何をしてくるかは分からない。そんな時の為に、2〜3本は使い物にならなくなっても仕方ない、と考えた。



 そうして、話は冒頭へ戻る。



 隠れる場所は、他にいくらでもあった。だが、いつまでも逃げ回っていては埒が明かない。
 相手は、予想通りというか、困ってしまうぐらいに強い。
 だが、骨が折れると思うと同時に沸き上がったのは、彼女に会いたいのに邪魔をされた『怒り』。

 『悪いけど…………いつまでも、付き合っていられないからな。』

 力では負ける。素早さは互角か。だが、近距離転移を使用している所を見ると、それを使えない自分は、やはり劣勢。
 魔力の程は定かではないが、たぶん、相手は剣を使い続けるだろう。
 ・・・・この不利な状況を覆せるもの。自分にとって、最大の武器は?
 大規模な戦争でも一対一の戦いでも、それらの不利を逆転させられるのは、やはり・・・。

 『頭を使うしかない……だな。』

 眉尻を下げて、心の中で苦笑する。
 では、手始めに、と、一本目のナイフを適当な場所へ投げつけた。それはヒュン、と空を切り、どこかへ飛んで行く。
 相手は、それが『探り』と分かっているのか気配はない。夜目がきくのだろう。それなら、それを逆手に取ってやれば良いだけだ。

 「……俺は、こっちだ。あんた、夜目はきくんだろ?」

 相手は、答えない。
 だが、ふと背後で僅かに空気が揺れた。口元を緩ませたのだろう。

 「俺は、ここの洞窟に用事がある。だから出来れば……とっとと終わらせたい。」
 「…………。」
 「さぁ、さっさと来いよ。来ないなら、こっちから行くぞ?」

 「クッ……面白い…。」

 響いたのは、低く地を這うような声。
 その声に、聞き覚えがあった。だが、今は、それを頭から追いやる。
 ただ、彼女に会いたいだけなのだ。

 「…………。」

 背後の気配が動いた。予備動作なしに自分を貫こうと、動きを最小限に留めたことが分かる。
 だがは、ふっと口元を緩めると、振り向きざまに至近距離で二本目のナイフを投げつけた。

 ガ、キンッ!!

 音のみでそれが弾かれたことを察知し、構わず相手に聞こえるように舌打ちする。それで相手がほくそ笑んだのが、手に取るように分かった。
 今の舌打ちが、フェイクだとも知らずに・・・・。

 金属の擦れ合う音が、森一帯に響く。

 鞘に締まった左の剣も抜き、相手の攻撃を弾きながら、機会をうかがう。
 数合打ち合うと、サッと相手が距離を開けた。どうやら反動をつけて一気に決着をつけに来るようだ。

 「さぁ、来いよ。」
 「…弱い犬ほど……よく吠える…。」
 「俺が弱いかどうかは、勝負がついてから決めてくれ。」
 「ククッ……口とは違い、表情は苦しいな…。」

 やはり夜目はきくようだ。この光の届かない闇の中で、自分の表情を見ることが出来るのだから。夜目というよりも、むしろその口調は、闇の中でこそよく見える、とでも言っているような。

 そんな相手に対する挑発と、そして、それに似合わぬ苦い顔。
 それを見て、相手は笑ったのだろう。
 しかし・・・・・

 『悪いけど………これも演技なのさ。』

 これでもかと表情を作りながら、内心ほくそ笑む。だが、相手がそれに気付くことはない。自分の心内を知る者など、この世界で自分だけしかいないのだから。

 ス、と空気が揺れた。構え直したか、と思った瞬間、相手が気配を断った。
 と、またも背後に殺気。

 『よくもまぁ、背後背後で……。』

 サァ、と風が森を揺らした。
 木々が揺れ、その僅かな隙間からは、待ちこがれていた月明かり。
 振り返ると、間近に見えたのは、赤と灰色。
 珍しすぎる、オッドアイ。

 「死ね…!!」

 振り下ろされたその攻撃を、双剣を交差させて受け止める。
 力では負けると分かっていても、絶対に引かなかった。
 なぜなら・・・・

 ・・・・ギィンッ!!!!

 まず、左の剣が弾き飛ばされた。天狼牙双と名付けたその片割れは、綺麗な弧を描きながら宙を舞う。同時に、左手首に朱が走った。
 続けとばかりに、今度は、右の剣を弾き飛ばされた。それでも『予想の範囲内』として、わざと焦った顔をしてみせる。

 「クククッ………終わりだ…!!」

 トドメとばかり、相手が双剣を振り上げた。
 腕を交差させ、自分を真っ二つに切り裂こうと。
 だがは、はっきりと、凛とした声を張り上げた。

 「俺相手に油断すれば、どうなるか………教えてやる!!!」

 高らかに響いた声に、相手───ユーバーは悪寒を感じたのか、咄嗟に飛び去ろうとした。だが、傷を負わされた左手でその襟首を掴み、グイと強く引き寄せる。
 20cmの身長差を物ともせず、は、右の拳を彼の鳩尾に勢い良く叩き込んだ。
 『彼女』の持つ得意技の一つ、角度の深いアッパーにも似たそれは、的確に悪魔の急所を突き上げる。

 「ぐッ……!?」

 くぐもる声。勝利を確信していた笑みが、苦痛の嗚咽に変わった瞬間だ。
 膝を折った彼に逃げられぬよう、は、その襟首を掴んだまま素早く背後に回ると、仕込んでいた三本目のナイフをその首筋に当てた。

 サァ・・・・・。

 再度、風が吹いた。月明かりが、辺りを照らし出す。
 ・・・やっと終わった。
 思わず笑みが零れたが、それをいつもの飄々とした顔に変えて、言った。

 「……俺は、弱かったか? ユーバー。」