[眠りを守る者]



 サク・・・サク・・・サク・・・



 世界の何処にも名の伝わらない、彼の地。
 澄み渡る空の下、昼下がりという事もあってか、目を奪われるほどに景色が輝いている。
 暖かな光を浴びた草木は膝ほどの長さを持ち、そこから見える大きな森をなす樹々は、どこの大陸でも見られぬほどに古い。

 太古より、密かにこの地を見守る任を持った民族からは、『すべてがこの場所へ還り、すべてがここから巡り出す場所』と、代々口頭で語り継がれていると聞く。そして『望まれぬ者が一歩でも足を踏み入れれば、二度とは戻って来れないだろう』とも。

 その、生きては帰れないと言われている平原を、女性、男性、更に少年の三人が、ゆったり歩いていた。
 大隊を連れて来たはいいが、それらの部隊は、この島を覆う『結界』に耐え切れぬだろうと考えたため、隊長である少年が「ここからは、三人で行くから待機。」と命じたのだ。



 サク・・・サク・・・サク・・・



 草を踏みしめる音が、三重。
 その音が、どこか靄がかかっているように聞こえるのは、気のせいだろうか。

 ・・・・・・何故だろう?

 少年は、一瞬、頭がくらりとした。
 自分のすぐ後ろを歩いているはずの女性と男性。だがその気配は、数里も離れているように感じる。そんな錯覚。きっと、この島を遠巻きに守る者たちが『帰って来れない』と言ったのは、これの所為だ。結界内に踏み込んだ瞬間から、感覚が麻痺する毒を突き刺されたような。
 歩いている。ゆっくりと、だが確実に。根拠などないが、歩いているこの道こそが『目的の人物』へ繋がっていると確信している。
 しかし、時折やってくる浮遊感。そして、先ほどから絶え間なく聞こえている鳥の”声”。鳥が鳴き止み、次に頭の中に響いて来たのは『帰れ』という”声”。

 後ろを歩く男が、「様子がおかしいです…一度戻りましょう。」と言っていたが、少年が首を縦に振ることはなかった。僅かな恐怖を見せた男に、女が「臆したならば、一人でお戻りになれば良い。」と、実に挑発的な言葉を投げかけていたのを覚えている。その言葉にムッとしながらも「別に、恐怖したわけではありません!」と言って男が顔を背けたことも。
 それから少年も、男も、女も、無言で歩き続けていた。

 何故なら・・・・・・

 この場所にいるだろう『彼女』を、国へ連れ帰ること。
 それこそ、今は姿を消して久しい、少年達の属する国の『トップ』の命であったのだから。






 この地を見つけ出すには、相当な労力を要した。いくら自分の所属している国が、巨大とはいえ、それに関する資料を集めるだけでも相応の時間がかかった。
 それらしい文献をようやく探り当てるまでに、半年。
 最初は、個人的な興味から、暇な時間帯を見つけて探していただけのことであったが、いざそれらしき物を見つけたと同時に、最上部からの命令。

 『彼の地へ赴き、丁重に、その主を連れ帰れ』

 その後、面倒な国内での書類通過や、目的地までの食料の手配。そして大軍を連れていくとなると馬を使うのだからと、その行程を終えるまでに更に半年。
 月日にして、英雄戦争が幕を閉じてから、ちょうど一年が過ぎていたのである。






 創世の洞窟。
 そう呼ばれることもなく、今は、それを宿している女性の『眠りの場』となった、その地。
 出入り口の無い閉ざされた空間の外では、今日も、その眠りを守る三人の男達が、打ち合いをしたり読書をしていた。
 打ち合いをしているのは、とユーバー。そして、岩壁を背に読書に勤しんでいるのはルカだ。

 は、先ほどから休む間もなく、繰り返し首を狙ってくるユーバーの攻撃を、双剣で上手くいなしていた。金の三つ編みを靡かせる悪魔は、手合わせだというにも関わらず、まるで本気で殺しにかかってくるような殺気を漲らせている。
 彼の繰り出す二本の刃が、首や心臓を正確に狙ってくる。彼と実際に戦ったのは、この地へ来てすぐのことだったが、考えていた通り、剣やスピードだけでは、自分に勝ち目はない。故に、この『お遊び』の時間でも、バランスの執行者お墨付きである『頭脳』をフル稼働させて戦っていた。

 剣戟の音が止んだのを期に、読書をしていたルカは、顔を上げた。
 どうやら決着がついたらしい。今日の『お遊び』の勝者は、またしてものようだ。
 ユーバーは、今回も『隠し武器』に虚を突かれたのか、その首筋には、ナイフが突き付けられている。

 舌打ちした彼に笑いかけて、は、それを引いた。
 止めておけば良いのに、それを見たルカが、口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。

 「また負けたのか、ユーバー。」
 「…ふん。だらだら読書をしている奴に、言われたくはない…。」
 「貴様の相手なんぞ、その小僧で十分だ。」
 「……殺されたいのか…?」

 突如、ユーバーが殺気立つ。しかしルカが、それに『下らん』と言いたげな顔をして、その殺気を平然と受け流して読書を再開した。
 どうやら彼は、ユーバーをからかうのが日課のようだ。
 しかし、これ以上もめては面倒だと思い、は、その間に入った。

 「まぁまぁ。二人とも、それ以上は、ストップ。」
 「……なぜ、貴様に勝てない…?」
 「え、何故って…。」
 「力も技も早さも、全て俺が勝っているはずだ…。」
 「あぁ…なるほど。」

 その答えを持ち合わせていたが、それを告げるべきか否か悩んでいると、またルカが余計な事を口にする。

 「貴様…そんな事も分からんのか?」
 「…………。」

 再度、殺気を漲らせてルカを睨みつけるユーバー。

 「まぁまぁ! 簡単に言えば、ここの違いさ。」

 自らの米神をトントンと突いてみせる。それに賛同するように、ルカが「その通りだ。」と笑っていたが、どうやらユーバーには分かりづらかったらしい。苛々している。

 「要するにだな、ユーバー…」
 「貴様の力や技、それに早さなんぞよりも、の頭の性能が、それを上回っているというだけの話だ。」
 「貴様ッ…!」
 「はいはい。分かったから、苛々しない!」

 なんてはた迷惑な。沈静化させる気もないくせに、彼を煽って楽しむのは止めて欲しい。
 面白がるルカに溜息をつきながら、ユーバーを後ろから羽交い締めにして教えてやる。

 「ユーバー。きみは、確かに俺より強い。でも、それだけじゃ足りないんだ。もし俺に勝ちたいなら、今度は、頭の方を鍛えれば良いだけさ。」
 「頭…?」
 「そうだ。戦でも、一個人の戦いでも……大切なのは、情報や弱点を的確に見定めて、利用することなんだ。それだけの賢さを持てば、きみも俺に勝てるようになる。それらの知識は、戦術や戦略にも関わるんだからな。」
 「…意味が、分からない…。もっと分かりやすく話せ…。」
 「……………。」

 自分としてみれば、かなり分かりやすく説明したはずなのだが、どうやら彼には理解し難かったようだ。どうやって説明しなおせば良いものかと考えていると、ルカが言った。

 「頭脳戦、だな。」
 「そうそう、それだ。俺が言いたかったのは。」
 「頭を…?」

 笑いながら頷いていると、ユーバーが、剣をしまいながら言葉を繰り返した。しかし、本能で動くであろう彼にとっては、それすら理解しがたい言葉だったようだ。結局、彼は「頭なんぞ使わなくても、俺は、貴様に勝つ…。」と言って、森の中へ姿を消した。





 ユーバーが消えた後、は、双剣をしまってルカの隣に腰掛けた。
 無言で渡された革の水筒には、ぬるい水。それでも喉を潤してくれるには、充分だ。
 ゴクゴク、とそれを飲み下していると・・・・

 「………ルカ。」
 「あぁ……。」

 『創世』による加護。そこから派生している、この島全土を覆う結界。
 更にその上からは、『獣』と『罰』の二重の結界。
 三重にも連なるその中に、誰かが足を踏み入れた。それが『誰』かは、分からない。しかし、『足を踏み入れれば、二度と生きては帰れない』と言われているこの地に、自らの意思でやってきたのは、どうやら三人だ。
 声をかけると、彼も読みかけの本から顔をあげて、その視線を森の先───この島の入り口へと向けた。

 「ユーバーは、どうしようか?」
 「…放っておけ。あいつは、と交わした契約がある。」

 そっけなくそう言って、視線を本へと戻した彼。
 だが、一つ気になった。

 「そういえば、『契約』って…なんなんだ?」
 「…………。」
 「言えないことか? まぁ、それなら構わないけど…。」
 「……傍にいることを許す。その代わりに、無益な殺生を禁ずる。それが、奴らの交わした『契約』だ。」
 「なるほど…。」

 そう言いながらも、眉を寄せた。
 彼の言葉を聞いている限りでは、彼女が、ユーバーに『契約』を持ちかけたのだろう。彼が何よりそれを望んでいると、彼女は知っていたのだから。

 「それじゃあ…」
 「…お前も知っての通りだ。ユーバーの奴は、あいつの紋章に惹かれていた。あいつも、それをよく理解していた。奴の渇きを癒せるのは、あの紋章しかないと…。」
 「……そうだな。」

 彼の言葉を理解して、目を伏せた。
 彼女は、ユーバーの憎悪を打ち消す”唯一”を持っている。そして、それを元に契約を交わしたのだろう。生きる者の命を、これ以上、彼の手によって刈り取られてしまわない為に。
 だから、傍にいることを許す代わりに、奪うことを禁じた。癒しを与えてやる代わりに、渇きを満たす行為を禁じた。

 「彼女は、そこまで考えていたんだな…。」
 「…あいつは、意外と……”先”を考えているのやもしれん。」

 彼の物言い。それは、どこか含みのあるような。
 けれど、それ以上問わなかった。分かっていたからだ。彼が何を望み、何を守ろうとしているのかを。
 そして、それを自分は知っていた。気付いてしまった。彼女が、あえてハルモニアの者たちに己が紋章を『見せつけるがごとく使用していた理由』を。

 でも・・・・・

 『俺は、きみを守るよ。でも……。』

 出来る事なら、このまま眠り続けることを願う自分がいた。
 生きていて良かった。そう思って欲しいと思う反面、そう願ってしまう自分がいるのだ。
 過去に心を置いたままでも構わない。今に戻って来なくても良い。
 彼女が願う未来は、何を犠牲にしてでも自分が叶えよう。彼女の”意志”を自分が受け継ぎ、彼女の憂う未来を守る。

 『それが、きみの望みなら……………俺は、どんな事でもするから…。』



 そのまま目を閉じて、地べたに横になる。結界内へ侵入した者たちがここに辿り着くには、まだ時間がある。ルカもそれ以上口を開くことはしなかったし、多分彼も、自分と同じことを考えているのだろう。

 辺りには、静寂が舞い降りた。
 体を撫でる風が、心なしか、彼女の匂いを運んでくれるような気がした。