[兆し]



 「まぁ、とにかく。今日は、お引き取り願うよ。長い時間をかけて来てもらって悪いけど…」
 「……分かったよ。」

 暗くなる思いを打ち消して笑みを張り付け、ササライにそう告げた。彼も、それで仕方なしと諦めたのか、渋顔を苦笑いに変えて頷いている。
 そして「それじゃあ…。」と言って踵を返した。

 ササライとしてみれば・・・・

 正直、この場所にやルカ、果てはユーバーまでいるとは思いもしなかった。
 本国から『創世の地へ赴き、紋章を、その宿主ごと連れ帰ること』と命を受けてこの地へやってきたが、そこには彼女を守るように立ちはだかる男達。それも、ただ武道を嗜むだけの人間ではない。個々に真なる紋章を──ユーバーは、定かではないが──所持している強者である。
 それだけで、彼女の慕われようが分かった。

 やっかいなのは、それだけではない。真なる紋章のみならいざ知らず、かつて『狂皇子』とあだ名された男と、先の英雄戦争で残虐非道の限りを尽した『元破壊者』がいるのである。
 『』という男の実力も、彼女との、あの一戦で知っていた。

 紋章だけでなく、剣の腕だけを取ってみても、こちらに勝ち目はない。
 こちらは自分とディオス、そしてブリジットの三人。そして残念なことに、ディオスは戦闘向きな神官将ではないため、自分とブリジットの二人だけで戦うことになるだろう。連れて来た大隊も、2対1の真なる紋章合戦となれば、力負けして壊滅状態になる。

 自分なりにそう結論したからこそ、ササライは、波風を立てぬよう今来た道を戻ることを考えた。

 実は。

 彼は、英雄戦争を終えた後、本国に戻る前に、シーザーが言っていた『50年前の彼女』が描かれている本を見ていた。目覚めてから、不思議とそれが気にかかっていたからだ。
 図書室へ向かいそれらしい本を見つけて、半日とかけず『彼女の描かれている部分だけ』を読んでいった。
 それで分かったのだ。彼女が、どれだけ情に厚い人物なのかを。

 炎の英雄は、後、彼女より人として大切なことを学んだと言う。彼女は誰にでも分け隔てなく接し、優しさを見せ、時に敵にも慈悲深く情けをかけたという。
 哀しみを知る故の”沈黙”。喜びを素直に受け入れる”勇気”。彼女は、誰よりも強く、また儚い存在であったのだと。

 あぁ・・・・・・・だから彼女は、戦ったのか。
 戦乱を憂い、人ゆえの醜さを嘆き、人の世の息苦しさに涙を落とし。哀しみをその胸の中で押し殺して、彼女は、きっと戦ったのだ。
 心の奥で血の涙を流しながら、戦友達と打ち合い。愛する者がいたからこそ、それを失わぬよう戦火へと身を投じたのだ。大切な者を何度となく亡くしてきたからこそ、彼女は、自分自身を責めたのだ。

 そこでようやく、僅かながらも彼女を理解することが出来た。
 愛し、想い、誰かに手を差し伸べることの出来る『彼女』を。



 だからこそ、今は、彼らと戦うべきでないと思った。
 彼女は、この場にいない。けれど、きっとこの地にいる。
 そしてこの場所を守る彼らは、彼女を守るためならば、迷う事なく自分達に刃を向けるだろう。殺すことを決して厭わないだろう。

 命が惜しいわけじゃない。
 死にたいわけでもない。

 でも、知りたかった。彼女のことを、もっともっと。
 そして、彼女から学んでみたいと思った。
 それは、自分が初めて心から願った、初めての”想い”だった。
 無知と言われたが、よくよく考えてみれば、なるほどそれも当たっているのだから。

 それなら、どうすれば良い?

 簡単だ。知れば良い。
 知らない分だけ、求める事が出来る。想い求めた数だけ、それは誰もが得られるものだ。
 知ることを望んだ。ただそれだけを望んだ。

 そして、それは・・・・・・・彼女が、自分に与えてくれた『選択』でもあった。



 「さぁ、戻ろう。」
 「は、はぁ…。」

 穏やかな口調で言って、踵を返す。
 ディオスは、何だか拍子抜けしましたと言いながら後ろについた。
 しかし、その時。

 「覚悟しろッ!!!」
 「っ!? …ブリジット、ッ、やめろ!!!」

 怒声に振り返ると、ブリジットがレイピアを手に、へ切り掛かる姿。すぐさま彼女を制止するも、それすら無視して、更に二刀三刀と剣を振りかざす。は、その攻撃を双剣の柄を上手く使って難無く受け止めている。

 と・・・・・

 ふ、と。
 小さく冷たい笑みを見せた、彼。
 その微笑みを見て、ササライは、思わず震えた。

 「貴様、なぜ反撃しない!? 私を馬鹿にしているのか!!」
 「……それは違うさ。反撃しようと思えば、いつだって出来る。」
 「っ、ならば剣を抜けッ!!!」

 早く、彼女を止めなければ。そう思うも、彼の冷たい顔を見て体が動かない。
 と、彼が冷笑を消した。代わりに、感情を一切取り払ったような無機質な顔をして、抑揚すらない声で冷たく言い放つ。

 「………抜いても構わない。けれど、きみに命を落とす”覚悟”があるか?」
 「なんだと!? 私は、貴様のような輩に負けはしない!!」

 早く・・・・・早く、止めなくては。自分が止めなくては、ブリジットが死ぬ。

 「……言っておくけどな、ブリジット。俺は、とは違う。彼女とは違って、俺は、戦いに関して容赦はしない。相手が老人だろうが、女だろうが、子供だろうが………俺は、自分に剣を向けて来る者に『情け』はかけないぞ。」
 「下らん御託は…!!」
 「俺は、彼女を守りたいだけなのに……それなのに、きみ達は……それを邪魔しようとする。きみが本気で俺と『死合』を望むなら、俺は、本気できみを殺しにかかるぞ。」

 彼の顔に見えたのは、僅かな苛立ちだろうか。思えば、飄々とした表情を見ることはあったものの、ここまで殺気だった彼を見た事は、短い間ながら無い。その瞳の奥に見えたのは、彼女の安息を奪おうと再び世へ引きずりだろうとする『敵』に対する、明らかな殺意。

 出来ることならその安息を奪うことなく、黙って踵を返してほしい。
 自分に剣を取らせることなく、ただ静かに。
 怒りを胸の内に殺し続けながら、それでも、彼女が望むやり方で話を終わらせようと努めているのに・・・・。
 でも、これ以上この場に留まるのなら、もう容赦はしない。
 『敵』を全て滅し、再び、彼女の眠りに平穏を。

 「私を愚弄するか!!」
 「……馬鹿にしているわけでも、愚弄してるわけでもない。それに、対峙する者の力を見極められない程度の”弱者”が、神官将をしているというのが驚きだ。ヒクサクの為に、と言えば聞こえは良いが、こんなことで命を落としていたら……それこそ、とんだ笑い話にもならないな。」
 「っ、貴様ぁッ!!!!」

 ブリジットが声を荒げ、またもに切り掛かろうと構えた、その時だった。二人の合間を縫うように、巨大な岩盤が突き上げたのだ。ササライが、真なる紋章を使ったのだ。
 それと見たブリジットが、声を荒げた。

 「ササライ殿! なぜ邪魔をされ…」
 「…ブリジット。『命令違反』により、きみには、暫く謹慎処分を命じるよ。」
 「なっ…!」
 「僕は、ここへ来る前にきみに言ったはずだ。決して剣を抜いてはいけないと。でも、きみは、その命令を破り、彼女の友人に傷を負わせようとした。これは、立派な命令違反だ。」
 「くッ…!」

 自分にしては、随分とキツく言ったものだ。だが、それを聞いて彼女がようやく剣をしまう。
 ふとに目を戻せば、彼は、いつもの表情に戻っている。

 「…済まなかったね、。怪我はないかい?」
 「いや、大丈夫だ。平気さ。」

 他二人に目をやれど、ユーバーはいつの間にやら姿を消し、ルカは腕を組んで状況を静観している。

 本当は、彼女に話したい事があった。聞いて欲しい事があった。教えて欲しいことがあった。でも、それが出来ないというのなら、今は引き返そう。
 必ず、また会えるのだから。

 「それじゃあ、僕らは帰るよ。」
 「…あぁ。変な言い方かもしれないけど………気をつけて帰ってくれ。」
 「うん、ありがとう。それじゃあ、またね。」

 笑みを見せて、来た道を戻り始めた。






 小さくなっていく背中を見つめながら、は、これから先の事を考えていた。
 そして、ふと呟く。

 「俺の、独りよがりは……もう止めなきゃな…。」
 「……なんの話だ?」

 視線を向ければルカが、じっと自分を見つめながら、考えを読み取ろうとしている。

 「まぁ、なんていうか…。俺も、彼女の『望み』を叶える為に、力を貸そうかと…。」
 「……だから、なんの話だと聞いている?」
 「ルカ……ひょっとして、俺が気付いていないと思ってるのか?」
 「……………。」

 そう言ってやると、彼が口を閉じた。
 生憎だが、もう彼の気持ちも、彼女の思惑も、全て見通しているのだ。

 「ルカ、きみを責めるつもりは、これっぽっちもない。きみはきみで、彼女に口止めされていたんだろ?」
 「……あいつは…。」

 彼は、天を見上げた。

 「あいつは、こうなる事が分かっていた。いや……こうする為に、あえて紋章をハルモニアの連中に……。あいつは、いつか必ず、ここへ戻らねばならないことを知っていた。だが、俺は……」
 「…分かってる。俺だって、きみと同じ気持ちだ。出来ることなら、彼女にこれ以上辛い思いはさせたくない。」
 「…結局、何も出来ずじまいだ。」
 「俺だってそうさ。でも、この力が彼女の為に役立てられるなら…。」
 「……あいつは、何と言って答えるのだろうな?」
 「さぁ…な。」

 静かに、夜は明けていく。