[闇の誓い]



 目を開ければ、灯りのない漆黒の闇の中。
 そこで淡く輝くように存在を主張しているのは、人知では明かされる事のない、光。それらは、この空間の主の眠りを妨げぬよう、控え目に発しては、また薄らいでいる。
 創世を見せる壁画は、よくよく見れば、洞窟内すべてに描かれている。なるほど、これなら、この大陸を守る民族が『廻り、還る場所である』と言っていたのも頷ける。
 その中心にて守り、また守られている一人の女性は、遠きあの日に想いを馳せて眠っているのだろう。冷たく、幾重にも結界の施された、巨大な氷柱の中で。
 だが、その中で微笑むように眠っている彼女。良い『夢』を見ているのだろうか?

 それを見上げながら、は、一歩踏み出した。
 ジャリ、と小石が足下で音を立てたが、瞳が彼女から離れることはない。

 「……。」

 その場を照らし出す水色。内から外へ溢れているそれを目にしながら、様々な感情が色を成して心に広がっていく。
 全身でその色を感じながらふと視線を戻せば、ルカが手袋を外していた。
 いったい何を? と問う間もなく、彼は『烈火』の浮かぶ右手に力をこめた。途端、その刻印を押しのけて出てきたのは、本来彼が所持している『獣』。

 「ルカ……?」
 「……黙ってろ。」

 精神集中しているのか、それだけ言うと、彼は彼女と向き合うように氷柱の前に立った。
 それに習って口を閉じる。彼の右手からは、荒々しい光が放たれ始めた。

 「我が、獣の紋章よ…。」

 その口から紡がれ始めたのは、『解呪』という名の不慣れな言霊。
 その呼びかけに応じるがごとく、獣が、更に光を増した。

 『……。』

 一つ彼が息をはき、ゆっくりと吸い込んだ。

 「そして……創終在無天地が百万を………停変すべてを統べる者よ……。」

 愛しい彼女の右手が、彼の言葉に反応するよう、僅かに輝き始める。

 『やっと……きみに……。』

 目を閉じた。これからくるだろう光と衝撃を受けるために。

 「我、獣が交わした『約』におき、汝が主の呪縛を……」

 彼女が自ら捕われた『夢』と『今』を繋ぐ、堅固な鎖が切れ始める音。

 『やっと……会える……。』

 鎖は・・・・・いずれ錆び、崩れ、消えていく。



 「解き放て!!!」



 瞬間。
 目を閉じていても分かる、眩い光。
 全ての色をなくしたかのように暖かで、けれど、どこか悲しい光。
 光よ・・・・・・どうか、彼女が本来持っていた色を・・・・・どうか穢さぬよう。

 漠然とそんな事を思いながら、その衝撃に耐えるべく足に力をこめた。
 その光は、洞窟だけでなく、この地全土を覆い尽くした。






 光が収まり、暫く。
 辺りには、耳鳴りがするほどの静寂。

 ポタ・・・ポタ・・・ポタ・・・

 それを壊すよう聞こえてきたのは、水の滴り落ちる音。
 光は、もう無い。予想していた通り、解呪の衝撃も自分達を傷つけるものではなかった。

 ポタ・・・ポタ・・・

 その音色に促されるように、は薄く目を開けた。衝撃に耐える際俯いていた為、目に映ったのは大量の水たまり。氷柱から発された封印の解放によって、四方八方が水に濡れている。

 パシャ・・・・

 俯いている自分の少し前方で、水が跳ねる音。
 誰かが、僅かに動いたのか。
 ゆっくり顔を上げれば、ルカが背を向け自分の前に立っている。

 そして、その向こう側にいるはずの。
 自分が最も求めていた、彼女は?

 「……歩けるか?」

 彼の声が、静かに響いた。その、彼らしからぬ心配するような声色が、この空間の時間の流れを遅くする。向こう側にいるだろう彼女は、目覚めたばかりで思考が働かないのか、返答がない。

 と・・・・・

 バシャッ!!

 「おいっ!」

 彼女が、がくんと膝を折ったようだ。長きにおいて眠り続けたためか、足下がおぼつかないのだろう。どうしてか、の頭は冷静だった。

 現実感が、湧かなかったのだ。
 会いたいと願っていた。でも、安息を求めるままに眠り続けて欲しいとも、思っていた。
 彼女自身の望むままに・・・。
 でも、彼女は目覚めた。敷いた道を歩むために。望んだ事を成すために。
 しかし彼女は、声を発することもしない。

 頭の中は酷く冴えているのに、目に見えるその光景が、非現実的だった。
 僅かにでも発されたのなら、『それ』は、すぐにでもリアルとなって、この意識や想いを現実へと引き戻してくれるだろう。
 きっと、彼女と同じように・・・。

 「おい、大丈夫か…?」

 ルカが彼女を助け起こそうと膝をつき、濡れた肩に手をかけた。だが彼女は、小さく首を振ってそれを止めると、自力で立ち上がる。

 「まったく……世話の焼ける。」

 そう言い、何を思ったか、ルカが一歩横にずれた。それは、自分と彼女の物理的な隔たりが無くなったことを意味する。
 は、じっと彼女を見つめた。これを『夢現の感覚』というのだろうか?
 ポタ、ポタ、と、彼女の全身から滴り落ちている雫。俯き額に右手を当てているため、その表情は伺えない。
 ややあって、彼女が、ゆらりと髪を掻き上げた。その瞳は閉じられていたが、分かっている。それがすぐに開かれること。
 だからは、ただ待った。自分よりも深い闇に身を置き、それでも決して心を忘れることのない彼女を。

 無だ・・・・・。
 とても静かな、無だ・・・・・。

 「……………。」

 ゆるりと開かれた、黒き双眸。
 その時の流れの緩やかさに、彼女はそれすら支配してしまうのかと思った。
 でも、それならそれで良い。自分は、その後ろをどこまでも付いて行くだけなのだから。

 そして、彼女から発された言葉。
 その抑揚なき声。表情なき顔。

 「私は……世界の創世者。世界を生み、いずれは全てを還す……理全てを統治する者。百八の”運命”と”宿命”、そして”永遠”のバランスの名の下……創終在無天地停変、それら全ての行く先を見届ける者……。」

 彼女が望むなら、なにも厭わない。
 彼女が許してくれるなら、”運命”すら、敵に回しても構わない。
 彼女のためならば、どこまでも堕ちていける。

 体が、心が、魂が。
 彼女が、この世界に存在してくれているというだけで、全て満たされた。



 あぁ きみとなら・・・・
 きみとなら 歩いていける
 どこまでも

 他の誰か なんかじゃなくて
 きみとだから

 闇を持って どこまでも行くよ
 彼らが それを望まなくても
 きみが ここに居てくれるのなら

 きみが 生きていてくれるのなら

 例え 世界に二人 取り残されてしまったとしても
 俺だけは ずっと傍にいるから
 きみだけの傍に

 ・・・・・・・永遠に



 そう、思った。
 まっさらになった頭の中で、ただそれだけ想えた。