[きみのために出来ること・2]



 朝食を終え、宿の主に世話になった礼を言ってから、紋章屋へ向かった。
 小さな村のわりには、紋章屋の看板が掲げられた店先は小綺麗にされており、外からでも雰囲気の良さが伝わってくる。
 だが、中に入った時点で驚いた。意外な人物が居たからだ。

 「あら、いらっしゃい。」
 「あれ? ジーンさんだ。なんでー?」

 そこで紋章屋を営んでいたのは、ジーン。彼女は、先の戦いの時にも根性丸で紋章屋を経営していた。だが、戦いが終わると同時に姿をくらましていたと聞く。
 そんな彼女が、どうしてここに?
 一同が呆気に取られて放心していると、彼女は妖艶に微笑んだ。

 「ふふ……貴方たちを待っていたのよ。」
 「あ、私達を?」
 「えぇ。特にさん…貴女を、ね。」
 「えっ、と…。」

 人々を魅了するような、その微笑み。同性であるはずなのに、なぜかドギマギしてしまう。目の前で妖艶な微笑をする女性に成す術もなく、視線を泳がせることしかできない。アルドも同様なのか、頬を赤くして視線を外そうと俯いている。
 そんな中、テッドだけは、特に何も思わないのか「…札もあるんだな。」と言って、陳列棚を見ていた。

 「さん、こちらへいらして。」
 「あ、はい!」
 「ふふ…。緊張しなくて良いのよ?」
 「すいません。ジーンさんが綺麗過ぎなんで、どうしても…。」
 「あら? ふふ…ありがとう。肩の力を抜いて、リラックスしてちょうだい。それと、さんから貰った封印球を出してくれるかしら?」
 「え…なんでそれを…?」
 「うふふ……。」

 なぜ、から貰った封印球のことを知っているのだろう?
 問うてみるも、彼女は美しく笑むばかり。
 すると、並べられていた封印球を見ていたテッドが、こちらをチラリと見ながら言った。

 「……大方、に言われて俺達を待ってたんだろ。」
 「あら、ばれちゃった?」
 「……あいつがやりそうな『サービス』だ。」

 機嫌が悪いのか彼は、そう言いながらジーンを睨んだが、対する彼女は口元に手を当て微笑むのみ。アルドとは、わけもわからず二人のやり取りを見守るだけだったが、説明するようにジーンが言った。

 「あの船を下りようとしたところで……さんに、捕まっちゃったのよ。」
 「あいつに?」
 「えぇ。そうしたら彼、『に封印球を渡すから、彼女の右手についてる”モノ”を隠すように宿してくれ』って、ね。」
 「!」

 は、ジーンのその言葉に、目を見開いた。
 なぜ、の最後のプレゼントが”紋章”だったのか、ようやく理解したからだ。



 テッドとアルド、二人に紋章の存在がばれた時のことを思い出す。
 あの時、自分の不注意で怪我をした。いつもなら、絶対にやらないようなミスをして。
 手当をしてやると言われたが、やっかいなことに怪我をしたのは、右手。そこには『真なる紋章』を宿していたため、決して誰にも見せることが出来なかった。自分が紋章を持っていることを知られるという事は、それ即ち『不老であり巨大な力を持っていると思われる』ことだ。それが嫌だった。恐かった。
 結果としては、彼等はそういったことは気にせず、今もこうして旅を続けていられるのだが・・・。

 その一件以来、根性丸では、手に怪我をしないよう細心の注意を払っていた。
 彼等の手におえる程度の怪我なら問題ないが、医者にかかるほどの怪我を負ったとなれば、話はまた別だ。
 それは、紋章の存在を他人に知らしめること。いつどこでそれが噂となり、恐ろしいと言われるハルモニアやら紋章の力を求める国や人に伝わるか、分からなかったからだ。

 だからこそ、右手に関しては、ことさら気を配っていた。



 からの最後のプレゼント。それは多分、右手を見せても平気な、”カムフラージュ”というところだろう。そして彼は、ジーンほどの紋章師ならばそれが出来ると見込んで、こうして先回りさせてくれたのだ。

 だが、ここで疑問。彼女は、どうしてこの場所に自分達が来ることが分かったのだろう?
 素直にそう問うと、彼女は「さぁ、どうしてかしらね?」と笑うだけ。
 それに苦笑しながらも、思った。やっぱりには、最初から最後まで面倒を見てもらった、と。
 いつか彼と再び出会い、彼が困っていたら、必ず力になろう。いずれ彼への恩を返せるようになろう。そう思った。

 右手をジーンに取られた。彼女は、慣れた手つきで革手袋を外していく。

 「あ…。」
 「ふふ、大丈夫よ。ちゃんと口止めはされているから。」
 「そう、ですか…。」
 「さぁ、封印球を。」
 「あ、はい…、これです。」
 「それじゃあ、つけるわね。」
 「……って、すごい気がつく。」
 「うふふ、そうね。さん、いつも貴女のことを気にかけていたわよ。」
 「……へへっ!」

 封印球を渡し、彼女の言葉に頬を緩ませているうちに、大地の紋章が右手に宿った。見れば、創世の紋章の刻印は消え、かわりに大地の紋章の刻印がはっきりと浮かび上がる。
 それは少し淡い光を放っていたが、やがて姿を消した。

 「……はい、終わり。これで誰が見ても分からないはずよ。」
 「ありがとうございました!」
 「うふふ、どういたしまして。」

 本当に『創世の紋章』の上に宿すことが出来て、しかもそれを戦争に参加していた仲間が出来るということに感動して、感慨の声を上げる。
 ジーンは、ゆるりと微笑んでいたが、一瞬笑みを消して自分の右手を見ながら呟いた。

 「それにしても……、やっぱり不思議な紋章ね…。」
 「え? やっぱりって…?」
 「ふふ…。なんでもないわ。」

 彼女の言葉が気にかかった。まるで、この紋章を知っているような口振りが。だが、やはり彼女が答えてくれることはなく、上手くはぐらかされてしまった。
 と、今までそれを見ていたアルドが、彼女に声をかけた。

 「ジーンさん、あの……。」
 「あら、どうかなさったの?」
 「実は……。」

 何やら相談があったのか、二人が話し始める。邪魔をしてはいけないとその場を離れ、珍しい紋章でもないものか、と陳列棚に近づく。するとテッドと目があった。
 ようやく堂々と人前で右手を晒すことができる。ニヤリ笑って、彼に右手を見せびらかしてみる。

 「じゃーん!!」
 「……なんだよ。」
 「真の紋章って、隠せるんだね!」
 「……みたいだな。」
 「はぁ、超嬉しー!!」
 「…………。」

 ガキっぽいな。そう言いたげな視線に、満面の笑みで答えた。
 嬉しくて、たまらなかった。厚手の革手袋をしていても、森を通る度に枝に引っかけ、寝る前につけたり外したりしていれば、いつの間にか傷んでくる。
 紋章がバレた辺りから、なるべく丁寧に扱うようにはしていたが、どうしても、ちょっとした不注意が重なりボロボロになっていく。
 だが、もうその必要はないのだ。必要以上に気にかける必要がなくなったのだ。

 その開放感が嬉しくて、笑みが止まらなかった。

 対して、その微笑みを真正面から受けた『純情中』テッドは、みるみる内に頬に熱が集まるのを感じた。だめだ、またコイツに突っ込まれる!
 そう思い、サッとそっぽを向いた。

 と、ジーンと話し込んでいたアルドが、彼女に声をかけた。

 「ちゃん、ちょっといいかな?」
 「ん?」
 「それじゃあ、ジーンさん。宜しくお願いします。」
 「えぇ、任せてちょうだい。」

 素直に二人のところへ向かった彼女の後ろにつく。気になって、ひょいと三人を覗き込むと、ジーンが彼女の左手に何か宿していた。

 「………。ふふ、宿ったわよ。」
 「ありがとうございます! 良かったね、ちゃん!」
 「……?」

 微笑むジーンに、アルドが礼を言った。だが、紋章を宿された本人は、わけも分からぬ内に宿されたのか左手を見て首を傾げている。
 そんな彼女に、ジーンは微笑んだ。

 「アルドさんから、貴女に……プレゼントですって。」
 「えっ?」
 「『おぼろの紋章』っていうのよ。」
 「おぼろの…? 確か……。」

 おぼろの紋章。その名称を繰り返しながら、は、記憶を掘り起こした。
 これは、確か戦闘をサポートするための紋章だったはず。だがいったい、何のサポートだったか・・・?

 「ちゃんは、戦闘初心者だから、何か役立つ紋章をって思ったんだ。そうしたらジーンさんが、これを進めてくれて…。」
 「……どんな効果があるんだ?」

 そう聞いたのは、テッドだ。
 彼は、あまり紋章のことを知らないのか、腕を組みながら不思議そうな顔をしている。

 「あ! 確か、敵の攻撃を避ける……んでしたよね?」
 「うふふ、正解よ。よく勉強しているのね、さん。」

 正確には『敵の攻撃を50%の確率で回避する』ことの出来る紋章である。なんとなくそんな感じだったなぁと思いながら、は、紋章術に関して滅茶苦茶スパルタだったルックに、今さらながら感謝した。

 「ちゃん。僕とテッドくんが、前衛に出るって言ったけど……もし、敵がちゃんを狙ったら怪我しちゃうでしょ?」
 「アルド……。」
 「だから、きみが怪我をしないように、その紋章が良いかなって思ったんだ。」
 「っ……。アルド、ありがとう!!!」
 「ぅぐッっ!?」

 その思いやりに感極まり、思わずアルドに抱きついた。しかし、抱きつかれた方は、受け止めようにも飛びつかれた瞬間に、それが”猛烈なタックル”だと分かり、支え切れずに尻餅をつく。お決まりのようなうめき声を上げて・・・。

 「………情けないな。」
 「うふふ…。」

 それを見ていたテッドは、胸にやや苦い思いを抱きつつも、頭を振った。
 そんな三人の関係性を一発で見抜いたジーンは、妖艶に笑っている。

 この日は、記念すべき日だった。
 彼女が、初めて戦闘参加を決めた日。
 右手には、から贈られた『大地の紋章』が。
 そして左手には、アルドから贈られた『おぼろの紋章』が宿った。







 紋章師に丁寧に礼を言い、意気揚々と店を出て行った、青年と女性。

 その背を追おうと足を踏み出しかけた時、テッドは、ふと視線を感じた。
 振り返れば、紋章師が自分をじっと見つめている。それまでの妖艶な笑みは、一切かき消して。

 なんだよ、という言葉は出てこなかった。そのかわり、息が詰まる。彼女の視線が、心の奥底を見透かすような色を帯びていたからだ。
 なんとなく、何も出来ないのは嫌だからと見つめ返す。

 次に彼女は、自分の右手に視線を向けた。反射的に身震いが起こりそうになるが、それをぐっと抑えて、今度こそ「…なんだよ?」と問う。だが、彼女が答えることはなかった。
 その瞳が、また自分に向けられた。今度は、ほんの少しだけ哀れみの灯る色。
 暫し無言の見つめ合いが続いたが、彼女は、小さな・・・本当に小さな声で言った。

 「………貴方は…………良いのかしら?」
 「ッ……。どういう意味だ…?」

 きっと、彼女は”敵”ではないだろう。でも、”味方”でもない。
 虚をつかれて少しだけ動揺を出してしまったが、それを無理矢理押し隠して言葉を返すと、それ以上の追求はなかった。ただ一言「そう…。」とだけ言って、紋章師は店の奥へと入って行く。
 それを見て、内心安堵した。

 二人の後を追おうと考えて、店の扉に手をかけた。
 すると、店の奥から声がかかった。

 「テッドさん…。例え、気配を……その刻印を、一時的に隠せたとしても………『真なる紋章』という存在は、その巨大な”力”ゆえに、一度でも使用してしまえば簡単に浮き彫りになってしまうものです…。でも…、”それ”を隠すことを…………ただの”慰め”と思わないで下さいね…。」
 「ッ、………何が言いたいッ!!!」

 また背後へ振り返り、店の奥に向かって思わず怒鳴りつける。
 しかし、店主が姿を見せることはなく、言葉だけが続く。

 「……それで危険を回避できる可能性が上がる、というのなら………それは、一時の慰めなどではなく……生き残るための”一つの方法”なんですよ…。」
 「何が言いたいと聞いてる!!」
 「…………。貴方が、本当に『必要だ』と思った時に……私の所へ訪ねていらっしゃい。貴方が望めば、私ならその『呪い』の上から別の紋章をつけて差し上げられます。慰めではなく、あなたのその身を守る術の一つとして……。世界に存在するどの紋章よりも、継承者に苦痛をもたらす、その『ソウルイーター』にも…。」

 バン!!!!!

 遠慮もせず、店の奥へ続く扉を、思いきり開けた。だが、その先にある部屋には、誰の姿も無かった。人の気配も、他の『何か』の気配すら・・・・。

 「あの女………何者だ………?」

 転移を使ったのだろうか。そう考えかけて、すぐに思考を止めた。これ以上、ここに長居しないほうがいい。あの二人が、心配して戻ってきてしまうだろうから。
 テッドは、一度呼吸を整えてから、今度こそ主の居なくなった紋章屋を後にした。



 「”それ”は、決して………慰めなどでは……………ないんですよ……。」