[前提条件]
ビロードが、更なる真紅に染まる。
血の匂いの充満する部屋で、なにかお喋りしようとは誰も思わない。
ササライの「片付けさせるから、別室で話をしよう。」との言により、達は移動した。
新たに案内された部屋は、『本当にあの部屋ではないのだろうか?』と思うほど、全く同じ作りだった。その、とことんまで同一を目指したような作りに、ルカは嫌悪感すら覚えたが、チラと視線を向けた先──と──は、それを気にする素振りはなかった。
彼女が到着してからというもの、それまでの飄々とした仮面を脱ぎ捨てた彼の空気を感じ、場までもが一変した。
ササライに勧められた装飾の施された椅子にかけども、表情無く口を開くこともない彼女。そして、先ほどの一戦時よりいくらか表情が和らいではいたものの、やはり彼女に続くように口を開かない。
自分よりもササライの方が、居心地が悪かっただろう。その証拠に彼は、自分たちに勧めたソファの横に立っているものの、第一声をどうするべきか考えあぐねているようだ。
しかし、こうしていても埒があかない。
ルカは、静かに問うた。
「いったい……どういうつもりだ…?」
「…………。」
問われた彼女は、身じろぎ一つせずに沈黙を保っている。自分の問いの意味が、分からなかったわけでもないだろうに。
正直言えば、この空気は好きではない。だから第一声でそう問うた。その方が、皆にも伝わると思ったからだ。
「おい…」
「……じきに分かる。」
ただ一言そう呟いて口を閉じた彼女。
それ以上問わなかった。何か考えがあって、彼女がこの国に来たことが、分かっていたからだ。故に周りを気にせず舌打ちして、足を組んだ。
すると今度は、沈黙を守っていたが、彼女に言った。
「。」
「………?」
「まさか、ハルモニアに来ることになるとは、思ってなかったけど…。俺は、きみの為なら何でもする。」
「……うん、ありがとう。」
どんな言葉にも、誰の言葉にも抑揚無く返す彼女。誰とも視線を合わせず、問われた事にのみ答えを返す姿勢を貫いている。
だが答えてくれただけで嬉しいのか、彼は「いいんだ。俺が望んだことだから。」と微笑む。
「しかし……ハルモニアか…。」
「ルカ。この国は、俺たちにとっては危険だ。でも、だからこそ、逆にそこへ入ってしまえば…」
「…いちいち言われんでも分かっている。」
この国に入ってしまえば、最大の防御ともなる。言われなくても分かっている事だ。だから鼻を鳴らしたが、彼はその態度を気にしていないのか、彼女に視線を戻すと続けた。
「ところで、。」
「……なに?」
「きみは、ヒクサクに………どういう『条件』を出したんだ?」
「…………。」
と、ここでササライが、僅かに眉を動かした。『どういうことか?』と、視線を向けてくる。だがルカとしてみれば、彼女からは『条件をいくつか…』としか聞いていなかった為、無視を決め込む。
しかしルカ自身、思案していた。の事に関してだ。
彼は、彼女がヒクサクに『条件を突き付ける予定』だったことを知らないはず。自分が教えた覚えもないし、彼女とて教えるつもりもなかっただろう。だが彼は、真っ向から彼女に『当然、条件は飲ませたんだろう?』と問うている。
・・・・なんて奴だ。どこまで先が見えるのだ。そう考えながら、内心舌を巻く。
だが彼女は、彼がそれぐらい見抜けて当然だとばかりに、表情無きまま答えた。
「…一つは、私に、彼に継ぐ権威を与えること。」
「ってことは…」
「…『副神官長』の座を手に入れた。」
「なっ…!!」
それに大きな反応を見せたのは、ササライだ。彼はヒクサク直属の部下より『彼の者らの当面の面倒は、お前が見るように』と言われていた。だが『条件云々』の話は、全くと言って良いほど聞かされていない。
「ちょ、ちょっと待って! 僕は、そんな話は…!」
「ササライ、悪い。ちょっと黙っててくれないか?」
「あ…ご、ごめん…。」
そんな彼の言葉もによって一蹴される。ルカは、黙ってそれを静観していた。
彼が戸惑いながらも口を閉じたことで、彼女は続ける。
「…もう一つは………これから私がやろうとする事に関して、一切口出しをしないこと。」
「…それだけか?」
「…………。」
視線を合わせず問うと、彼女が口を閉じる。だがそれは、肯定の意ではないのだろう。自分が思っている通り、彼女は、ヒクサクにそれ以上の『条件』を提示しているはずだ。
「……他の条件に関しては…………ここで過ごしていく過程で、理解出来るから。」
「あぁ、分かった。それで俺たちは、何をすれば良い?」
「…二人には……『神官将』の地位を与える。」
「おい、待て。今なんと…」
「あんた達には……その力で、私がこれからやろうとする事を助けてほしい。」
彼女は、淡々とそう言ってのけた。神官将の地位につき、自分の望みを叶える為に助力して欲しい、と。
彼女がヒクサクとそう『契約』したのなら、それが彼女の『望み』にとって絶対的に必要な条件だったのだろう。そう理解したからこそ口を閉じた。も『何の依存もない』と言うよう頷いている。
だが、この中でそれを知らされておらず、たった今聞かされただろうササライは、納得がいかない顔だ。「ちょっと待って!」と言って、彼は彼女に食いついた。
「。きみが副神官長云々は、この際置いておくよ。でも、どうしてやルカが…」
「さっきも言ったけど……これからは、この国内でヒクサク以外に私に意見出来る奴は、いないんだよ…。ヒクサク以外に、私の決定する事に文句を言える奴は、誰もね…。」
「っ……。」
ピシャリと彼女から放たれた言葉。それは、ササライの胸に深く突き刺さった。
再開した瞬間から『彼女から感情が消えた』と感じてはいたが、ここまで冷徹かつ非情とも言える物言いは、短い付き合いではあるが聞いたことがない。
彼女と長きを共にしている男二人は、どうして彼女がそういった言動を取るのか理解しているのだろう。しかし、何が彼女をそこまで変えたのかササライには分からなかった。『何が』彼女にそうさせているのかが・・・・・。
人として、僅かなものが足りない彼にとっては、分からない事が多過ぎた。
故に彼は、奥歯を噛み締め、僅かに湧いた怒りを鎮めるために部屋を後にした。
「……正気の沙汰とは、思えんな。」
ササライが退室した後、そう口にした。
誰にともなく呟いたのだが、三人しかいないこの部屋には、よく響く。
「何より貴様は、このハルモニアという国を、極度に嫌っていたではないか。」
「…この国を……好きになるわけがない…。でも…」
「なんだ?」
「…権威を握れば……恐いものは無い…。後は、それを…どう使うかだから…。」
カタ、と音がして視線を上げた。彼女が椅子から立ち上がったのだ。
ふと視線をずらせば、が腕を組んでいる。
「。きみには、とてつもなく……大きな『目的』があるんだろ?」
「…うん。」
「そっか。」
「…でも……今は、まだ……それを言うつもりは無い…。けど、この地位を悪用するわけじゃないから……それだけは…………信じて。」
「あぁ、もちろん分かってる。俺は、いつだってきみを信じているよ。」
「……ありがとう。」
静かに言霊のみを紡ぎ続ける彼女。それだけでも、彼にとっては『癒し』となるのだろう。
ルカには、よくわかった。
「ところで、ユーバーの奴はどうした?」
「…あいつには……あんた達と違って、少し別の任務をお願いしたから…。これからは……色んな問題が出てくるだろうし…。」
「ふん、どうだかな。」
憎まれ口を叩きながらも、ルカは内心不安を隠せなかった。動揺を表に出す事はなかったが、一抹以上の不安が過ったのだ。
それは、己が持つ『絶対的な勘』であったが、その『見えざる不安』が起こることなきよう、その考えを消し去ろうとした。
彼女の纏う空気に・・・・・・・・僅かに胸を締め付けられながら。