正面に向かい合い、静かに見つめ合う。
 その中にあったのは、無言だった。
 だが時間は、確実に流れ続けている。

 一方は、完全な”無”に支配されている。
 しかし、もう一方は・・・・・

 「そなたが……───か……?」
 「…………。」

 異質な空間を覆う、不可思議な岩。
 それは、この空間の主へと言葉を投げかけるように、淡く瞬く。
 哀れむべき、その”運命”。儚き『夢』の中。呪われ続ける御身を、ただ嘆くかのごとく。
 同時に歌われるのは、同情と称賛か。

 「…ならば………そなたは、───か……?」
 「なんで、それを…?」

 自ら望んだこの”先”が、ゆっくりと、だが確実にこの手の中に舞い降りてくる。

 「───を……──者は……………────しかないからだ……。」
 「それなら…──の連中は…?」
 「………否。」

 その実感と共に己の口に浮かべられたのは、動いたのかすら分からない皮肉な笑み。
 身を震わせるような歓喜とは違い、酷く自嘲めいた、それ。
 『糧』となったものは、愛する者たちの”死”。そして、呪うべき己が”無知”。

 しかし。

 還さなければならないはずの『想い』は。
 それでも、幾らかは・・・・・・・・残っていたのかもしれない。



[凍った言葉]



 「───、…?」

 ふと意識が引き戻されて静かに視線を上げれば、が、心配そうな顔をして自分を見つめていた。
 彼らは、ササライの従者と見られる者から渡された神官服を身に付け──ルカは、心底嫌そうだったが──すでに準備を整えたようだ。自分も別室で着替えていたのだが、それから動くことが出来なかった。視線を動かすこともなく、ただ鏡に映る自分を見つめていた。
 そうしている内に、いつの間にやら近い過去を思い出していた。彼が、ノックしたことにも全く気付かず・・・・。

 「……なに?」
 「どうしたんだ? 聞いてなかったのか?」
 「あぁ……ごめん。」

 鏡の前に立つ彼女が、それよりもっと遠くへ意識を向けている事に、はすぐに気が付いた。それは『懸念』ではあるまい。恐らく彼女は、最も近い”過去”を視ていたのだ。
 だが、問うことはしなかった。彼女が答えることは無いだろうと分かっていたからだ。

 「着替えが済んだなら、あっちに戻ろう。」
 「……うん。」
 「。」
 「……なに?」

 愛しい人の名を、そっと呼ぶ。優しく。
 けれど彼女は、相変わらず無機質な顔。目の前にいる者に名を呼ばれたから視線を向けた、というように、そこには迷いも憂いもない。

 「俺は……。」
 「………戻るよ。」

 ただ一言。それが口に出来ないだけで、この胸の痛みと戦い続けなくてはならない。人は、なんと脆い生き物だろう。自分も含めて。
 結局、彼女に何も告げることは出来ずに、は踵を返した。






 先の怒りをなんとか懐柔できたのか、部屋に戻ると同時にササライが入ってきた。
 自分の姿を見て、ルカが『心底待ちくたびれた』とでも言いたげな顔。口にする事はなかったが、彼は、それだけで充分苛立っているのだろうと分かる。
 彼女と自分とササライ。それを確認して、ルカが鼻を鳴らして顔を逸らした。

 先ほどの位置にそれぞれが腰掛けて、暫く。
 最初に口を開いたのは、ササライだった。

 「…ヒクサク様の従者を通じて、粗方の話は聞いたよ。」
 「そっか。それで、どこまで聞いたんだ?」

 彼女の代わりに答える。

 「事細かい所までは、分からないけど…。でも僕なりに考えてみたんだ。」
 「何をだ?」
 「は、創世の洞窟にいたよね。それで僕らが出向いた時には、もうきみ達が、守るように壁になってた。」
 「あぁ、そうだな。」
 「正直に言うと、僕は、きみ達までいるとは思ってなかったんだ。でも、ある仮定を入れることで、いるのが当然なんじゃないかなって思った。」
 「仮定、ね。聞かせてくれるか?」
 「うん。」

 そう言って、彼は、彼女をじっと見つめて言った。



 「…。きみは、僕らがあそこに来ることを分かっていたんじゃない?」



 ・・・・なるほど。確かに”無知”ではあるが、やはり馬鹿ではない。今まで黙って彼らのやり取りを聞いていたルカは、素直にそう思った。
 彼の言った『ヒクサクの従者から得た情報』は、大したものではないだろう。しかし、目の前で困ったような顔でそう言った彼は、その情報から推測したのだろう。舌を巻くほどの事でもなかったが、素直に感心した。

 馬鹿ではない。ただ”無知”なだけだ。『知らない』だけなのだ、と。

 創世の地に定住していた際、から聞いていた。ササライが、彼女に無知と言われていたことを。そして自分もも、なぜ彼女が彼を”無知”と言ったのか分かっていた。
 彼は軍務に関しては、一軍を任されるほどの腕だ。各国の戦に派遣されては顔を出している。だが彼の持つ『スキル』は、それだけなのだ。
 戦を嫌う部分を人として評価するならば、優しさには溢れているだろう。けれど大切な部分が抜けている。彼に課せられた『存在意義』が、『神官将』という役のみだからだ。

 しかし彼は、馬鹿ではない。知らないだけだ。
 彼は知ろうとしていなかった。幾多の人の心を。幾千の人の想いを。
 そして彼は、その殻を砕こうとしている。家族の死を嘆きながら涙を流し、心を無へ還してしまった『彼女』を見て。
 無知と言われぬために、それを自身で望んだ。それまで知ることのなかった物を、取り戻すために。



 変化を望んだ少年を見て、『人は変われる』と、ルカだけでなくも実感した。
 しかし・・・・・

 そんな彼の『答え』にも、彼女は、眉一つ動かさない。何の感情も示さなかった。
 その瞳が見つめるのは、朧げな虚構。何を考えているのか読み取ることは、不可能。
 だが、ややあって彼女は答えた。

 「………うん、分かってた。」
 「でも分からないのは、どうしてきみが『分かっていた』のかなんだよね…。」
 「…………。」

 また黙り込んだ彼女に、チラと視線を向ける。思った通り彼女は、この場にいる誰とも目を合わすことなく宙を見つめている。ササライに視線を戻せば、彼は黙って彼女の言葉を待っている。
 ・・・・馬鹿ではないのだが、やはり『欠落』している部分が多い。ルカだけでなく、もそう思った。その予想を逆立てて考えれば、答えなどすぐに出るというのに。

 「…私は………あんたらハルモニアの連中に……………”力”を見せた…。」
 「創世の紋章、だったよね…。」

 言われた通りに調べたのか、彼は、彼女の右手に視線を向けた。

 「…ブリジットは、私の持つ紋章のことを……知っていた。この紋章の”特性”……『真なる紋章を回収出来る』ことも…。」
 「それじゃあ、回収が出来るきみに僕たちが会いに来るのは、当然…っていう事だね。」
 「……うん、そうだよ…。」

 なるほど。そう言い目を輝かせた彼は、僅かに微笑んだ。
 だが、しかし・・・・
 次に、彼女から発された言葉に、目を見開いた。

 「でも………………それがどうしたの?」
 「え…?」

 褒めるでもなく貶すでもなく、彼女は、ただ一言そう言った。
 そして、更に彼に追い打ちをかけるように続けられた言葉に、もルカも苦い顔を隠せなかった。



 「ササライ……………もう聞くことがないなら、出てって。」