[多くの傷跡]
「……彫師………?」
「あぁ、そうだ。」
ゆっくり頷くと、目覚めてから滅多に動くことのなかった彼女の眉が、ピクリと動いた。
『彫師』
それは、表社会では絶対に聞くことのない裏での通り名。それを知る者も世界でごく少数であるという。
自身、それを初めて耳にしたのは、つい最近だ。吠え猛る声の組合などと違い、とある技術を古くから守る流浪の民だという。誰もその実体を知らず、人相や居場所も分からない。一部からは『シンダルの秘術を守る一族』と噂されることから、世に出ることもない。
各地を放浪しては、名を変え姿を変え。裏社会のごく限られた者において、その名だけが一人歩きしていた。
そして、それを自分に教えたのは、紋章師であるジーンだった。
英雄戦争終結後、は、魔術師の塔へ戻る直前に彼女に引き止められた。
過去、幾多の戦いに姿を現した謎の紋章師は、何を思ったか、妖艶な笑みを見せてこう言った。『彫師という、魔の力を制御する”秘術”を操る一族がいる』と。
当初は、なぜ彼女がそれを自分に教えたのか理解できなかった。自分は、魔力が高いわけでもなく、紋章術を主軸に戦うわけでもない。
何か意味があるのか? と問うたが、紋章師は、昔から変わらぬ妖艶な笑みを見せて姿を消した。「いつか………必要になる時が、くるかもしれませんよ。」と言って。
「ようやく…、ようやく分かった。」
「……?」
「どうしてあの時、彼女が、俺にあんなことを言ったのか…。」
かいつまんで話をした。だが、戸惑いが大きかった。それを話してしまえば、もう本当に戻れないからだ。
落胆、悲壮。そんな気持ちか。
あの紋章師は、自分にその言葉を伝えた。でもそれは、自分を介して『彼女』に宛てた言葉だ。ジーンは、こうなる事が分かっていたのだろうか?
しかしは、分かっていた。情緒の定まらない『』では、紋章を制御しきれない。彼女の意思でないだろう、暗示がかった言葉や、不可解な現象。今の彼女では、それまで抑えていたはずの『紋章の意志』を抑制する事が、出来ないだろう。
制御できない”力”は、やがて所持者の心を蝕み、『彼女』を殺してしまうかもしれない。ジーンは、彼女の心が見えていたからこそ、自分にその話をしたのではないか? 彼女の”意志”を理解していたからこそ・・・・。
「あの人には、適わないな…。」
「でも、どうして……?」
「もしかしたら彼女は………きみの紋章のことを、何か知っているんじゃ…? いや、それより『彫師』のことだけど…。まぁ、あの人発の情報だから、信憑性は抜群だな…。」
「………彫師の居場所は?」
「待ってくれ。その前に…。」
彫師の居場所は、もう分かっている。紋章師が、滞在しているだろう場所を教えておいてくれたからだ。
しかしは、二つ確認しなくてはならなかった。
「。二つ、答えてくれ。」
「………なに?」
「きみは……、紋章を制御できてない事を自覚しているか?」
「…………。」
彼女は、静かに目を伏せた。覚醒して時間は経っていないが、時折意識が遠くなることを自覚しているのだろう。
「もう一つは…………きみに、身体を傷つける覚悟が…」
「それは、全く問題ない。」
今度は即答。は、思わず閉口した。
ジーンの言っていた『彫師』とは、身体に彫り物をする秘術だ。刺青は、一度身体に入れてしまえば取り去る方法が無い。なまじ彼女の持つ”力”が巨大過ぎるため、制御するとなれば、それは相当な規模になるはず。
だが彼女は、にべもなく『応』と答えた。目的の為なら戸惑う理由がない、と。表情無くそう述べたその瞳に見えたのは、迷うことなき”覚悟”。
そして、次に発された言葉に、もう何も言えなくなった。
「……元々、傷だらけの体だから………問題ないよ…。」
彼女の体に、数多くの傷跡が残っていることを知っていた。
消えることのない傷が、その心だけではないことを知ってしまった。
シンダル遺跡での最終決戦が終わった、その後。
死を覚悟した彼女に『風の眠り』をかけ、ビュッデヒュッケ城へ戻った。彼女を部屋へ運びベッドに横たえてから、とに隣で待つよう指示した。そして、彼女の血に濡れた服を脱がせた。
だが、その時に知った。彼女の全身に、多くの傷跡が残されていたことを。
目を疑った。しかし、どうしてか理解してしまった。納得してしまったのだ。
初めて出会ったあの頃、場所が場所だった為か、彼女はそこまで多く衣を纏っていなかった。「厚いし、薄着の方が好きだよ!」と、笑ってそう言っていたのを今でも覚えている。時として上着を羽織ることはあったが、今のように全身を布で覆うことはなかった。
再開した時から思ってはいた。気候も穏やかな土地で、どうして全身を隠すようになったのかと。
ようやく、理解出来た。全身につけられた沢山の傷跡を見れば、否応なく理解させられた。
けれど彼女は、気に留めないのかやはり表情は変わらない。それが酷く辛かった。
止める気は、無かった。『それ』を教えたのは、他でもない自分なのだから。
けれど・・・・・
全てに傷を負ってまで『願いの成就』を望む彼女は、見るに耐えなかった。