[不在二日目]



 彼女が姿を消して、二日目の昼。
 神殿内の一室にて、ルカは、と昼食をとっていた。

 相変わらず、全身にのしかかってくる『加護』が、非常に鬱陶しい。
 だが、自分の正面に座りテーブルに並べられた食事を黙々と食す相方は、流石に「慣れた」と言っていただけあって、顔を顰めて気怠げな自分とは対称的に、その挙動はいつもと変わらず軽快だ。

 「ルカ、どうかしたのか? 全然食べてないじゃないか。」
 「………ふん。」

 ここへ来てからというもの、不快な思いばかりだ。それなのに目の前の小僧は、いつものような飄々とした顔。それが更に不愉快だった。
 それに気付いたのか、彼は──それとも、わざと気付かぬフリをしているのか──スープを啜りながら問うてくる。
 なんて白々しい奴だと、思わず鼻を鳴らす。

 自分のあるべき位置。それはよく分かったが、ここまでとなると些か面白みに欠ける。実際、彼女がここへ来てすぐ姿を消した原因は、恐らくこの小僧だろう。
 いや、小僧と皮肉ってみたものの、たぶん自分よりずっと年上か。

 そこで、疑問。

 「……おい。」
 「ん?」
 「貴様……いくつだ?」
 「…は?」
 「いくつだと聞いている。とっとと答えろ。」

 半ば脅しめいた口調でも、彼が怯えることはない。それよりも、悪戯を思いついた子供のようにニッと口端を上げた。

 「じゃあ、いくつに見える?」
 「見たまま、という意味でか?」
 「見たままでも良いし、なんとなくでも。」
 「…………。」

 暫し間を空けて「……見たままなら、20にも満たん。」と言うと、彼は腹を抱えて笑い出した。



 ここへ来てから、初めて腹の底から笑った気がする。普段は、他人に無関心な男が、仏頂面で自分に年齢を聞いているのだ。
 虚を突かれたと言うべきか、それとも、それが彼らしさと言うべきなのか。

 彼と初めて会った時を思い出す。彼女が、自分に名前を借りに来たときだ。
 あの時、外にいた彼と初めて目を合わせた。『あれが大陸を跨ぐほどの異名を馳せた、元狂皇子殿か』と、当時は、その男の命を拾った彼女の肝の太さに感心したものである。よくもまぁ、あれだけの男を手なずけたものだ、と。

 だが、それが間違いだったことを知った。
 彼女は、元々『来る者は拒まず』気質なところがあったが、逆にそれが彼にとって居心地良かったのだろう。自分も、まさにその言葉通りの気質ではあったが、一定の距離を置きながらも『癒し』を与えることの出来る彼女に、他の者は居場所を見つけられるのだ。
 彼も自分と同じく、彼女と行動を共にすることで、己の存在意義を感じられるのだから。

 彼女の眠りを守っていた一年間、彼とは、なにかと話す機会があった。しかし、一度もデュナン統一戦争の話をしたことはない。他人の過去をほじくり返すような無粋な真似を好まなかったからだ。
 とは言っても、彼は、質問をすれば答えてくれた。趣味、好きなもの、嫌いなもの、諸々。饒舌である自分が話題を振り、彼がそれに答えたり意見を述べたり。
 何故なら、彼から話題を振ってくることなど皆無だったからだ。それでも数え切れないほどの血を浴び、残虐の限りを尽したこの男を『無口』だとは思わなかった。

 人は、誰でも傷を抱えて生きている。
 一度だけ、『理由』をテーマに議論したことがあった。といっても頭を働かせたいと無意識に振った話題だ。話すことを楽しむ自分が、彼なりの意見を聞いてみたかっただけだ。
 まずは自分が話した。暦を言う事は控え、とある戦争について自分が戦った理由を話した。彼は、それに頷くでもなく話の腰を折るでもなく黙って聞いていた。その、じっと聞き入る姿を見て、『彼は、根が真っ直ぐなのかもしれない』と思ったものである。

 話し終えると、彼は一つ鼻を鳴らした。だが口を開くことはしなかった。『俺には関係ない話だ』とも、『下らん』とも言わなかった。
 そこで、純粋に彼の意見を聞いてみたいと、その時初めて思った。『彼女以外の人間の前では寡黙とすら映るこの男は、いったい何に理由を求め、その理由をどう昇華するのだろう?』と。
 静寂が流れ、沈黙は続いた。
 それなら仕方ないと考え、話を終わらせようとした。だが彼はふと呟いた。「母は…」と。そして、少しだけその過去を聞いた。
 一通り話し終えると、彼は小さく息をついた。それを聞いて、は思った。その『幼き日の記憶』こそが彼の傷であり、また『理由』だったのだろうと。
 彼は、覚えていないのかもしれない。気付いてすらいないのかもしれない。眠りに落ちている合間、時折「ジル」という名を口にするのを。それが彼の妹であると聞いたのは、彼女が目覚める少し前のことだ。

 その話には、続きがあった。
 デュナン統一戦争終結から十数年後、彼は彼女と旅に出たという。旅に出ることになったきっかけは、直接彼女から聞けなかったと言っていたが・・・。
 唐突に、彼女が言ったのだそうだ。「妹に……会いたい?」と。
 それに彼がどう答えたのかは、分からない。けれどその胸元に光る銀色のロケットは、とてもこの男が身につけるような代物ではないと思っていた。真実を知るのは、彼と彼女とそのロケットのみ。中を見たいとは思わなかった。それが彼の『戒め』であり、また、彼をこの世界へ生み出した、きっと彼が、何より『愛しく思う人』なのだろうから。
 でも、それを見つめる彼の顔は、やはり”人”だった。

 懐かしむように、静かな微笑みを向ける”情”をたたえていたのだから・・・・・。



 それも彼らしさであり、また、時折こうして笑わせてくれるのも、彼らしさなのだろう。意識を戻せば、余りに笑い過ぎたせいか、彼は呆れたような顔。
 それに涙目で「ごめん。」と詫びると、鼻を鳴らされた。それにも彼という人柄が込められている。

 話を戻そう。そう思い視線を上げると、彼はテーブルに肘をついて──育ちが良いとは思えない──問い直してきた。そんな彼にまた笑いながら、食事を再開する。

 「まぁ、いまさら隠すようなことでもないか。」
 「…それなら、とっとと言わんか。全く貴様は、いつもそう…」

 焦らすか煙に巻くかのどちらかだ。
 自分でそうと分かっていたので、苦笑しか出てこない。それに、これ以上お小言を食らうのは、この後予定している『この国を知る為の勉強』に差し支える。
 実に自己中心的とも言える己の考えに更に笑みが零れたが、正面に座ったまま食の進まぬこの男は、それ以上何か言ってくるつもりもないらしい。
 あの時の自分と同じく、ただ『純粋に』年齢を聞いているのだろう。

 「そうだなぁ…。はっきりした年齢じゃなくて良いなら。」
 「ならば、早くしろ。俺は、これから予定があるのだ。」

 食事すらマトモに進めていない彼の『予定』とは、いったい何だろうか?
 だが、下手にこれ以上焦らせば、ナイフやフォークが飛んできてもおかしくない。
 故には、笑いを堪えながら最後の一口を飲み込んで席を立つと、訝しげな顔をしている彼に静かに告げた。



 「出会った当初は、彼女より『年下』だったけど…………今は、彼女より『年上さ』。」



 ただの疑問から、一転。
 混乱を招いて部屋を出た少年の『答え』が、全く理解出来なかった。
 しかし・・・・・

 「……ふん。なるほどな。」

 それは、『頭を働かせるべし』という、実に彼らしい答えだったのだろう。

 わけもなく、笑いが込み上げた。