[不在三日目]



 三日目。

 その日、がやけに落ち着きがない事に、ルカはすぐに気付いた。
 こいつにしては驚くほど挙動不審だ。そう朝から感じていたものの、その意味が理解できなかった為に時間だけが過ぎていった。早いのか遅いのか、それすら分からぬ流れ。
 入国してからそう日も経っていないはずなのに、もう何週間もいるような。

 軍事関連の本に目を通していたが、ふと彼に視線を向けた。その人好きされる笑みとは裏腹に、その頭の中では、どれだけの策謀や計略を織りなそうとしているのか。
 常人では決して計り切れない少年は、その不躾な視線に気付いたのか、いつもと同じように微笑み──張り付けたように見える──を浮かべて小首を傾げた。

 「どうした? 俺の顔になにか付いてるか?」
 「……ふん。」

 相も変わらず白々しい奴だ。
 睨みつけてから本に視線を戻すと、それが面白かったのか彼は苦笑した。

 「ルカ。言いたいことがあるなら、遠慮せずに言えば良いだろ?」
 「別になにも無い。」
 「嘘だな。言いたいなら、言えば良いじゃないか。腹の中に溜め込まれるより、ずっとマシさ。」
 「…貴様が言うな。」

 それもそうか、と言って、彼は手にしていた本を閉じて立ち上がった。今朝からそわそわ落ち着き無かったが──他の者には分からないだろうが──、こうも目の前で落ち着きの無い動きをされると、正直目につく。普段が普段なだけに、滑稽にすら感じるのだ。

 その態度は・・・・・・・今か今かと、『誰か』の帰りを待ちわびている・・・ような?

 「っ……。」
 「ルカ?」

 そこでようやく彼の挙動の意味を解して、顔を上げた。その空気の揺れに気付いたのか、彼が声をかけてくる。
 ルカは、ここで今日まで問うに問えなかった疑問を、彼にぶつける事にした。

 「……いまさらだが、仕方あるまい。あいつは、何処へ行った?」
 「……………。」
 「いまさらだと言ったはずだぞ? いい加減に黙るのは止めろ。」

 彼は黙ったが、今日はそれでは済まさない。睨みつけると、口ごもっていたが、やがて観念したように言った。

 「………今日辺りには、戻ってくるはずだ。ただ……」
 「なんだ?」
 「……彼女が………落ち着くまでは……」

 彼が言い終わる、その時だった。自分たち間に、光の波紋が広がったのは。

 「っ…!!!」

 波紋から姿を現したのは、彼女。そう思ったと同時、彼女がその場に崩れ落ちた。駆け寄ろうとするも、その体を支えたのはだ。
 支えられながらも、彼女が声を発することは無かった。不安に駆られ、人を呼ぶため部屋を出ようとする。だが、に制された。

 「やめろ、ルカ!! 誰も呼ばなくて良い!!!」
 「…………理由を言え。」
 「っ……とにかく……誰も呼ばないでくれ…。」

 ぐったりと力なく倒れ込んだ彼女を抱きかかえた彼は、その体をソファに寝かせた。とはいっても、俯せに寝かせたこと疑問を感じる。

 「おい、なぜ、俯せ…」
 「聞かないでくれ。頼む。」
 「…………。」

 意識が混濁しているのだろう彼女の頭部に右手を乗せて、彼がそう言った。
 その言葉に鬼気迫るものを感じて、ルカは一つ溜息を落とすと、何も言わずに部屋を出た。






 バタン・・・・・。

 扉が閉まる音を確認して、彼女の髪を梳いた。熱があるのだろう、その首筋は少し汗ばんでいる。
 先ほど彼女を支えた瞬間、違和感を肌を目を通して感じた。ルカは気付かなかったのかもしれない。彼女の背に触れた途端にビクリと体を引き攣らせ、それまで必死に保っていただろう意識を手放したことを。立っているだけでも声を出せぬほど、凄まじい激痛をかかえていたのだ。

 彼女は、彫師の元へ足を運んでいた。そして、姿を消したその日から彫り始めてもらったのだろう。それは時間をかけて丁寧に体に刻み込まれ、三日後の今日、その作業を終えたのだ。そして彼女は、すぐに戻って来たのだろう。

 「……………。」

 そっと、その額に浮かぶ汗を拭ってやる。短い呼吸を繰り返す唇が僅かに開かれ、その眉間には、苦しいのだろう皺が刻まれている。
 時折ヒュッ、と喉の鳴る音。それを聞いて、少しばかりでも水を含ませてやろうと考えた。

 「……。………。」

 意識を失いながらも尚、苦しげな彼女の顔。意識を取り戻す可能性が低いのは明白だが、は、それから2〜3度その名を呼んだ。しかし彼女は目を開けない。

 「………ごめん。」

 一応の謝罪を述べると、その背に触れないよう抱き起こし、そっと口移しで水を飲ませた。ゆっくりゆっくり注ぎ込むと、コクリと喉が鳴る。それを数回繰り返す内に、少しずつ呼吸が安定してきた。
 そっと体を横たえると、血の色を連想させるような絨毯に膝をつき、彼女の右手を両手で包み込む。『呪い』を手にしているのは、自分だけではない。それを如何に上手く活用し、他の誰かを助けることが出来るのも、また自分だけではなかった。
 彼女も・・・・・。

 「………ごめん……。」

 握りしめたその手は、自分よりも少し小さくて心許ない。武器を握るとは思えぬほど優しい手をしていた。
 それを己の額に当てて、そっと目を閉じる。浮かんだのは、出会って間もない頃の彼女。楽しそうに笑っていたあの顔は、もう二度と見る事が出来ないのだろうか? 頑張って!と背を押してくれたあの微笑みは、変わってしまった。
 そう・・・・・・・何もかも・・・・・。

 懺悔は、届かない。これまでも、これからも。
 それでも彼女は、生きていくのだろう。そして『生きていて良かった』と彼女が言ってくれる日を待ち望みながら、自分はその隣に居続けるのだ。
 心に決めたばかりの”誓い”。それは、少しでも気を抜けばすぐに目から溢れるものと共に流れて行ってしまいそうだった。

 「……ごめん…………ごめんね………。」

 時は、夕刻。
 窓の無いこの部屋にいても、例えそれが、悠久の大地の中であったとしても。
 何も想わなかった。それが定まらぬ”今”の中であっても。

 自分のこの”想い”は、ただ彼女にのみ捧げられるものなのだから・・・・・。