[抗環の縛]
彼女が目を覚ましてから、三日が経過した。
その間、彼女は、それまでの遅れを取り戻そうと書庫へ足を運んでは、碌に食事も取らずに閉じこもっていた。それを見兼ねたは、食事を運びなんとか食べさせようとしたが、彼女は少し口にするだけでずっと机と向かい合っていた。
それに頭を抱えていると、「…ただでさえ状態が安定していないというのに、寝不足に栄養不足では、話にもならん。」と、半ば説教に近いルカの言により、ようやく彼女はその勢いを少しだけ緩めてくれた。
そして、その翌日。
は、いつも通り、起きて早々身支度を整えるとすぐに書庫へと足を向けた。
神殿内は書庫がいくつもあるのだが、自分がいない間に、が『読んでおいた方が良い』と思うものに印をつけておいてくれた。書庫へ入り、目印のつけられた本を何冊か手に取って、置いてある椅子に腰掛け読みふけていた。
これから三日後、副神官長就任の儀が行われるという。ヒクサク直々に勅令が出されたらしく、ササライを含めた神殿内の神官達は、自分達の存在を知っている。
今、自分達がいるこの場所は、神殿内でも中枢の中枢(神官将でも、位が低い者は入れないらしい)であるが、好き勝手に動こうとも誰も何も言ってはこない。
ササライやその部下、他、高位そうな衣を羽織った神官数人とすれ違うこともあるが、相手側はすべて事情を把握しているのか、物珍しい目では見てこなかった。
しかし。
就任の儀の後、有力貴族や高位中位の神官達を集めた『二種類の顔合わせ』(お披露目会といった所か)があるらしい。勝負はそこから始まる。そこから、非難や障害となるものが現れ出すだろう。ただでさえ、どこの馬の骨とも分からぬ輩が、いきなり『副神官長』という大任を任されるのだから。
すらすらと、紙の上の文字を目で追いながら、これから先のことを粗方予想しておく。ここで永遠に囚われていてやるつもりもないが、それは『契約者』次第だ。どちらにしてもこの計画は、簡単に終わるはずもなければ、一筋縄で行くはずもないと思っていた。
「……副神官長殿………。」
「……?」
いつの間に入って来たのか。
背後からかけられた声に振り返るとそこには、かなり高位と見受けられる神官が一人立っていた。その声も姿も、落ち着いている。
だが、その中に感じたのは、嫌なざわめき。かつての自分ならば、それに盛大な嫌悪を見せていただろう。今となっては心に警戒を灯しただけで、表情に現れることすらないが。
深く被るように作られた法衣が、目の前に立つこの神官の顔を全て隠してしまっている。
それが余計に、自分に警戒を灯させた。
「私に……なにか用か? ……名は?」
「…………。」
神官は、答えない。
だがその答えの代わりなのか、不意に懐から何か取り出した。そして、それを目の前に差し出してくる。
「………?」
その手の中にあったのは、封印球だった。
しかし、見たことが無い。封印球とはいえ、その中身は空っぽというわけなく、家族が持っていたような『パーツ』が入っている物でもない。目にして分かるのは、その中にある『色の無い渦』だけ。
黙す神官が、何を考えているのか分からない。
「……それは………なんだ?」
「…………。」
神官は、やはり答えない。
『色の無い渦』は、中央へ巻いていたかと思えば不意に外側へと巻き出す。それを何度も何度も繰り返していた。
ここで、ようやく神官が口を開いた。
「副神官長殿…。貴方へ……我等が『主』より………就任の祝にございます……。」
そう言って神官が、ニッと笑った気がした。
途端、全身に悪寒が走る。
すぐさま防護の結界を張ろうと、右手を振りかざした。
しかし、一瞬遅かった。
それまで全く沈黙を貫いていたはずの封印球が、瞬時にその力を解放する為に大きく輝いたのだ。
「くっ……!」
光が最大になる前に、腰に括っていた刀を抜き放ち神官へ斬りつけた。物打ちの為に殺すことはないが、いざという時の事を考えて『跡』を付けておこうと。
ドッ! という鈍い手応え。
カッ!!!!!!
本当に、一瞬だった。
光は、自分が作り出そうとしていた結界すらも覆い、その中へ閉じ込めた。
「これは……?」
光が収まったのを確認して、目を開けた。
辺りを見回すも、部屋の中に変わりはない。目の前には、おかしな封印球を使用した神官の姿。だがその神官は、笑っていた。胸を刀で打ち付けられ、鈍い痛みが走っていたとしても。その傷跡に魔力が込められ、その痛みが決して引くことがないと分かっていても。
神官は、笑いを止めることをしなかった。
すぐさま神官を捕らえようと、は、刀を握る手に力を込めた。だがなにかおかしい。刀がとても重いのだ。
「………?」
視線を手元へ戻す。
そして、ようやくその『変化』を目の当たりにした。
自分に起こった『それ』に、思わず目を見開く。
「……あんた………私に、なにを……!」
神官は、尚も笑う。
このような魔法は、見たことも聞いたこともない。しかし自分の身に起こった現象に構っている暇も、焦っている暇もない。
神官を捕らえるべきだ、と。”声”がそう告げていた。
だが神官は、それを察したのか、一瞬にして姿を消した。
「”抗環の縛”………成れり……。」と笑いながら。
「!!」
「まったく、いったい何なのだ……次から次へと…。」
なにか巨大な力を感じて、は、ルカを伴ってすぐさま転移で書庫へ向かった。
しかし、扉を開けて目に入って来たのは・・・・・
「こんな所に……子供? どうしたんだ、いったい何が…」
「おい…。ここに、女がいなかったか?」
その場でしゃがみ込んでいたのは、幼い子供。黒く長い髪に、同じく闇色の瞳。
そこに居たのは、彼女ではなかった。
いや・・・・・
そこで、もルカも気付いた。
それは『違和感』ではない。沸き上がる疑問と共に至ったのは、確信。
「きみは、もしかして…。」
「…か…?」
銀に抜き上げられていた髪は、反意するよう艶やかな黒へ。だがその瞳は、変わらず漆黒を灯している。無へと還したはずのその顔が、今は、僅かに眉を寄せていた。
今までと、違う。彼女と思える幼くなったような顔つき。そして、ぶかぶかな『彼女』が着ていたはずの神官衣。その傍らで、鞘に収められることなく転がっているのは、彼女の・・・・
「………………?」
もう一度、その名を呼んだ。
彼女なはずがない。その思いとは裏腹に、『彼女なのだ』という思いをもって。
ゆっくりと、少女が顔を上げた。
ずる、と、衣を引きずるように立ち上がった少女は、確かに『彼女』だった。