[冷たく笑う]
就任の儀まで、残り一日。
その日までにやる事は、まだまだあった。
とりあえず、彼女の体の事に関しては、今はどうする事も出来ないし、『彼』と会うまで問題を解決する事は不可能だろう。とはいえ、彼女自身ずっとこのままやられてばかりではない。もルカも、そう考えていた。
子供返りした分、彼女の能力(体力や腕力)は大幅に落ちているため、いずれあの”抗環の縛”とやらの解呪方法を見つけなくてはならない。だが現状が現状なために、その問題は先送りされることとなった。
就任の儀まで残り一日となった、今日。
「これ以上、何かあっては困るだろう?」とルカに言われたため、彼女は、彼をお供に渋々書庫へ向かって行った。
それを見送ってからは、彼女の執務室で一人、これから先に起こるかもしれない事態を予想したり、時折復習として政治に関する本を読み返していた。
ふと喉が渇いたので、ティーセットのある棚へと足を向ける。
すると、コンコン、というノックの音。ルカでもなく彼女でもあるまい。ササライも、昨日彼女から『私用で来るべからず』の言を突き付けられてしまった為、違うだろう。
それなら、誰だろうか? 一応、警戒しておいて損はない。
そう考えて扉の外の気配を探ったが、すぐに懸念は消えた。戦いを生業とする者ではないと思ったからだ。
扉を開けて、中に入って来たのは・・・・
「…あれ? きみ、確か…」
「ディオスですよ、殿…。」
「あぁ、そうだったな。近頃、物忘れが激しくて…。それで、どうしたんだ?」
彼女なら書庫へ向かったぞ、と意地悪く返してみる。実は、来客が彼と分かった瞬間、なぜ彼がここへ来たのか理由を察したのだが、あえて素知らぬフリでそう問うてみたのだ。
すると彼は、小さな溜息をつくと(キレ者と言われている彼のことだから、自分が恍けたことを分かっているのだろう)、「用があるのは、彼女じゃありませんよ…。」と言った。
「それなら、ルカか?」
「…殿。今は、化かし合いは止めませんか? 私としましても、相当困っているので…。」
「ごめんごめん、分かった。」
彼の訪問相手は、やはり自分だった。
その理由が頭をよぎり、少し苦い顔をしてしまった。
「……と。そういうワケなんですよ。」
「ははは、きみも苦労してるんだな。」
部屋を通し、一通り彼の話を聞いた。ある程度話して胸のつかえを吐き出せたのか、彼は、出された紅茶を飲むとまた溜息。
ちなみに、の思った通り、彼の話は『上司』の事だった。
『昨日、彼女の部屋へ向かったはずの上司が、酷く気落ちした様子で戻ってきた。先日も同じような事があったが、今回はそれに輪をかけたような落胆ぶりだった。何があったのか聞いても、何でもないよの一点張り。そう言うわりには仕事が全く手つかずで、書類に目を落としては溜息ばかり…。』
要するに彼は、上司が彼女になにか酷いことを言われて落ち込んでいる、と考えたのだろう。当たらずしも遠からずであるが、彼女の気持ちを知らぬ者であれば、当然の意見か。
苦笑いを隠そうともせず、彼に言った。
「……俺が下手なことを言ったから、ササライに迷惑かけたんだ。」
「貴方が? …なにを仰ったんですか?」
「まぁ、なんて言うか……彼にとっては、とばっちりみたいなものか。」
「とばっちり? ということは、ササライ様は悪くないのですか?」
「そうだな。」
あの時、自分がいらぬ事をしたために、結果ササライに嫌な思いをさせてしまった。他に言い様もなかったし、もちろん彼女も、彼を嫌って言った言葉ではない。
挟まれてしまったとしてみれば、そう伝えるしかなかった。
「この件に関しては、彼も彼女も悪くない。後で俺が、ちゃんと謝りに行く。」
「で、ですが…」
「なんだ?」
「ササライ様が、あそこまで落胆される姿を初めて見たものですから…。」
ふと間を空けて「いえ、二度目ですね…。」と言い換えた彼に首を捻る。視線で問えば、彼は『英雄戦争辺りから、少し様子がおかしかった』と答えた。だが、それに関しては「私にも、話して下さらなかったんです…。」と付け加えて口を閉ざす。
しかし、ふと何か思い出したらしく「そういえば…。」と顔を上げた。
「英雄戦争終結後、貴方に言われた事が気にかかっていまして…。」
「俺、何か言ったか?」
「覚えていませんか? ヒューゴ殿やクリス殿、それにササライ様が眠りに落ちていた際の…」
「あぁ、あれか。」
彼は、『何故ササライだけが、終始魘されていたのか?』と問うているのだろう。あの時、自分が言った『人生観が変わる夢』を彼なりに気にしているのだ。
とはいえ、ササライ本人が話さなかった事を、彼に話しても良いものだろうか。
出るのは苦笑い。
「貴方は、ササライ様の人生観が変わると仰っていましたが…。確かにここ最近、ササライ様は、変わられました。仕事に関係の無いことでも、積極的にご自分で調べるようになりましたし…。」
「それなら、良い変化じゃないか。」
「それは、そうなんですが…。なんだか、少し暗くなったような気もするんですよね…。」
「……全てが、良い経験となるわけじゃないさ。裏切られたら、警戒心が強くなる。嫌な思いをしたら、次は同じ轍は踏むまいと慎重になるだろ?」
「分かってはいるんですが……何だか寂しいんですよねぇ。」
事務的に『ササライ様の精神面調査』だったはずなのに、いつの間にやら彼の私情がどんどん流れ込んでくる。キレ者と言われているはずなのにどこか抜けている彼は、にとって『面白い存在』と映った。ササライが傍に置くのも頷ける。
「誰しも、一定の時期からは、自立するようになるだろ?」
「自立……ですか。なるほど……そういう言い方もありますねぇ…。」
「きみは、まるで彼の親だな。」
そう言うと彼は目を丸くしたが、次に困ったように笑った。歳こそ上司の方が上ではあるが、その容姿や性格を考えれば、そう思えてしまうのだろう。
「息子に似てるんですよねぇ…ササライ様。」
「…………きみの息子は、奥さんに似てるんだな。」
「え? どうしてそう決めつけるんですか?」
「いや……なんでもない。」
真顔で『何故だ?』と問う彼に、またも苦笑い。正直、彼とササライでは似ても似つかないのだから、やはり息子は奥方似なのだろう。
自分から見れば、彼の上司は『まだまだ子供』。いや、意志ある何かによって精神の時を止められてしまった哀れな子、か。その元凶を感じている身としては、ササライは”無知”ではあるが、『哀れ』という言葉の方が強い。
しかし、その彼の中で確かに”意志”が芽生え始めたのも事実。己で問い、己で確かめ、己の想う道を進まんと。
彼女が、今まで彼に取ってきた態度は、何より彼の事を思っていたが故。『家族』として愛した、あの風の少年に瓜二つである彼の事を、どうして彼女が憎めようか。
自分は、風と土の少年の関係を知らない。けれど彼女を通せば、何となくではあるが、あの二人の繋がりは分かる。
「……慰めじゃないけど、一つだけ、言えることがある。」
「はい?」
「でも、これは………ササライには、言わないでくれるか?」
「え? えぇ…。」
急に真顔になった自分に、彼は眉を寄せた。
「ですが、何故、ササライ様に言ってはいけないのですか?」
「…強制は、しない。言うか言わないかは、きみに任せる。」
「………。」
「でも、もし、これをきみが伝えてしまったら………彼は、永遠に変わらない。成長を止めたままになる。」
「……分かりました。」
彼にとって、全ては上司のためなのだろうか? それとも、自分の出世の為か?
には、どちらでも良かった。
「少なくとも…………彼女は、彼を嫌っていないさ。」
「え?」
「確かに彼女は、きみ達に『家族』を殺された。でもそれ以上に、自分が家族を止められなかったと自分自身を責めているんだ。今も…。………ここまで言えば、あとは分かるだろ?」
「…………はい。」
大切な者の命を奪われた。でも彼女は、奪った者を憎んだりはしない。ただひたすら止める事が出来なかった自分を責めるだけ。
彼女にとって、非は全てその身の内に抱えるべきものなのだ。誰の所為でもない。全て自分。だからこそ彼女は、あの戦争の後、誰一人として殺すことはなかった。
ディオスが、そっと目を伏せた。少しだけ『謎』が解けたのだろう。
「は、ササライに……道を示してやりたいんじゃないかな?」
「…そのようですね。まったく、大した方ですよ…。」
「へぇ…。意外に、素直に認めるんだな?」
「当たり前ですよ。自分より能力のある者に逆らっても、損こそすれ得はありませんからね。それだったら、好かれた方が良いじゃないですか。もちろん出世したいですし。」
「ははは。でも本来のきみは、根っからのお人好しみたいだけどな。」
「………貴方は、私じゃ全く読めませんけどねぇ。」
面白い人材だ。言葉のやり取りも上手い。話で聞いただけだが、補佐としての能力も高いと聞く。
は、ディオスという存在に、そっと笑った。
使えるものは、使おう。
彼の能力も、その人柄も。出来ることなら、彼の関係もすべて上手く。
そして、言葉のやり取りを好む自分にとっての『遊び相手』として。
出世街道を目指していても、やはり人柄故か、面倒見のよい彼を。
こういうタイプとは、公私共に楽しめそうだ。
「まぁ、明日が就任の儀だからな。」
「そうですねぇ…。恙無く終了すれば良いんですが…。」
友好的な笑みで近寄れば、大抵の者は落とせる。人を食ったような笑みでは、怪しまれるだけだ。彼は、また別な部類であるだろう。しかし経験は、こちらが上だ。
少年らしい笑みを見せて、彼に笑いかける。
「でも……まぁ、何とかなるでしょうね。」
「そうだな。まぁ、これから先………………宜しく頼むよ。」
彼に笑いかける裏側で、小さく小さく、違う自分が冷たい笑みを浮かべた。