[異論]



 就任の儀、当日。
 ハルモニア神聖国、円の宮殿内で儀式が執り行われた。
 神官長ヒクサクの名の下、その進行を任されたササライは、集まった神官達の前で、そしてルカを紹介した。

 「…………。それでは、この決定に、何か異論のある者は?」

 声を上げる者はいない。皆が一様に沈黙し、肯定を示していた。
 ササライは内心それにホッとしたが、不意にこの場に響いた女性の声に『しまった…』と眉を寄せた。

 「お待ちください!!」
 「………何だい?」

 正式な決定直前に声を上げた人物に、あぁ彼女の事を忘れていたと思った。
 声を上げた女性──神官将ブリジット──は、前に出るとじっと睨みつけてくる。

 彼女がそんな態度に出たのは、もちろんやルカと対面した事があるからだ。それより、『副神官長』となる少女の中に見えた『彼女』の面影が、そうさせたのかもしれない。いや、気付いているのか。
 彼女からすれば、確かに『創世の地へ赴き、という女を連れ帰れ』と命を受けていたものの、まさかその三人がこんな役職に就くとは、思ってもみなかったのだろう。

 「ササライ殿。私は、納得がいきません。その男二人が神官将になる事には、目を瞑りましょう。ですが、何故その女を…!」
 「…ブリジット。僕は、最初に言ったはずだよ。ヒクサク様直々のご命令だと。」
 「ですが…!!」
 「決定権が、僕らにあるわけじゃない。ヒクサク様が、お決めになった事だ。僕らは、それに従わなくてはならない。」
 「何を言われるのです!? その者は、あの英雄せん…」

 彼女が言い終える前に、その場は、ピリッとした空気が張りつめた。それを醸した者は、ではない。その隣に立つのものだ。
 彼は、見る者すべてを凍てつかせるような静かな瞳でブリジットを射抜いている。その視線に捕われた彼女は、急激な緊張感からか声を詰まらせていた。
 冷たさだけを表す瞳がこれほどなら、その殺気たるはどれだけのものか。その空気に晒された神官達は、一様に身を固めている。それほどに、彼の発した空気は動けぬような静かな冷たさを秘めていた。

 進行役を務めている自分にも、緊張が走る。しかし今は、口を閉じている事が正解だ。
 ややあって、その空気が元に戻った。そしてが、不意に先の空気を放った者とは思えぬような柔和な笑みを作り、ブリジットに言ったのだ。
 「…過去の話を蒸し返すのは、もう止めないか?」と。






 「。例の神官は、あの中にいたか?」
 「いや……居なかった…。」

 ブリジットの言葉を止めた彼のお陰で、その隙に上手く進行を進められた。神官達に対する就任の儀は、無事に終わった。
 しかし、次に行われる『貴族』たちは、そう簡単にはいかないだろう。
 ただでさえこの国は、二つの派に別れているのだ。神殿内とて『ヒクサク様のご命令』と言っても、先のブリジットのように納得しないだろう者たちは僅かながらもいるはず。表立っての異論はのお陰でなんとかなったが、次の相手はそうもいくまい。

 神殿派を味方につけることは、簡単だろう。しかし『民衆派』を歌う者達は、こぞって彼女を否定する。それを”力”で押さえ付けるには簡単だが、その不満はいずれ爆発する。それは、6年前に起きた内乱で痛いほど痛感していた。
 あの時は、デュナン側の策にはまったが、それ以上に『国内の派閥という不調和』が原因だった。だからこそ痛感した。

 前を歩く自分のすぐ後ろでは、と彼女が、先ほどから何やら小さな声で話している。ルカは、自分の隣を歩いて『我関せず』といった顔だが、ササライ自身、先日彼女より手痛い言葉を受けていたので、堂々と話に入るのは憚られた。

 「それじゃあ、やっぱり…。」
 「……『あいつ』だろうね…。」
 「きみは、これが終わったら、すぐにでも行くのか?」
 「……少し回りが落ち着いてからね…。」
 「そうか…。」

 彼女達が話している内容は、”抗環の縛”に関してだろう。僅かに聞こえてきた『例の神官』というワードで分かる。だが、『あいつ』とは?
 その考えも虚しく、彼女達はそこで会話を終えてしまったのか、廊下にはコツコツと靴の踵が鳴る音だけが響いた。






 神官達と行った場所とは別の部屋で、貴族に対する就任の儀が始まった。
 しかし、『民衆派』やら『神殿派』やら、そうだと公言する者は少ない。そう表立って唱えるのは、余程の地位を持つ者──高位の貴族だけ──だ。それも、先のブリジットのような挑発的な発言ではなく、論を絡めた物言いが多い。非常に立ちが悪いのだ。
 なまじ同派閥の貴族間で行われている密会やら会議やらは(実際に目撃したわけではないが)、驚くほど結束力が高いと聞いている。6年前の内乱の立役者となった者は、当然、当時秘密裏に処分されたが、それでもその結束力は損なわれてはいなかった。

 ・・・・あぁ、本当にタチが悪い。

 ササライは、今もそれに頭を痛めていた。

 「……皆、集まっているか? これより、就任の儀を執り行なう。」

 軽く百人は入る広い部屋で、自分の声だけが響く。有力とされる貴族たちは、どうやら何処かから彼女たちの情報を掴んでいたらしく、みな無表情だ。
 ・・・・幸先が悪そうだ。そう思いながら、紹介を始めた。

 「それでは、紹介する。彼女が、今回ヒクサク様直々のご命令で『副神官長』に就任した、殿。そして彼らが、彼女の直属の部下となる殿、ルカ殿だ。」

 「…………それは、本当に、ヒクサク様のご下命なのですか?」

 紹介が終わると同時に、すぐに貴族が一人声を上げた。結束力が高く情報網も広いだけはある。だが、もう一度口を開く前に、派閥の違う貴族間で口論が起こり始めた。

 「そもそも、そのような少女が、副神官長という大任を任されるのですか? ……ササライ殿、我らを馬鹿にされては困る。」

 「待て。何を言われるのだ? ササライ様が、そう仰っておられるのだ。疑うとは、なんと無粋な!」

 「何を…。ただでさえ、こんな素性も知れぬ子供が、ヒクサク様の直下になると? ……ふん、馬鹿馬鹿しい。呆れて物も言えませんな!」

 「そのヒクサク様が、そう仰られたのだ。貴殿等は、少し言葉を慎むべきであろう!」

 「ふん。ササライ殿は、その子女狐に摘まれているのではありませんか? それとも、よもや『幼女趣味』がおありで?」

 「この無礼者! ヒクサク様の右腕とも言われるお方に、なんたる暴言か!」

 「はっはっは。これは面白い。そのようなご趣味がおありだと知られれば、それこそヒクサク様の名も地に落ちましょうぞ!」

 ザワザワ。
 部屋がいきり立ち始める。
 神殿派と民衆派。明らかな敵対関係が見えるものの、今はそれをどうこう言っている場合ではない。

 ササライは、自分がどう言われようが構わなかった。だが、彼女とヒクサクに対する侮辱は許せない。珍しく頭に血が上っていくのを、自分で感じた。

 しかし・・・・・

 そんな中、不意に、渦中の彼女が口を開いた。