[どうでもいい]



 その日の内に、副神官長による『ルクデンブル卿殺害事件』は、民衆派たちの間に広がった。
 何とか裏で手を回して握りつぶそうと、その話を『事故』もしくは『不敬罪』に留めようとしていたササライの努力は、全くの無駄となった。
 本当に、あの様な形で儀式を終了させて良かったのかと、不安だけが込み上げた。






 場所は変わり、彼女の執務室。

 部屋へ入り、そのまま気怠げにソファへ腰掛けたルカに続き、がその正面に座った。彼女は、職務用の椅子に腰掛け、組んだ手を額に当てている。
 が「お茶にしようか?」と、いつも通りの笑みで彼女に声をかけた。彼女は、顔を上げることすらせずに「うん…。」と答えている。

 その違和感しかないやり取りを、ルカは、鼻を鳴らして聞いていた。
 思うことは、一つ。何の感情も出さずに自らが禁忌を破るとは。人を殺さずと言っていたはずなのに、つい今しがた彼女は、一人その手にかけた。

 茶を用意する彼や自分と目を合わせようとはせず、その手で隠されている表情は、どういったものだろうか。
 後悔しているのか? それとも、その無表情の通り、何も思ってすらいないのか?
 それとも・・・・・・・それを”運命”だと、嘘で固められた仮面をかぶり、納得しようとしているのか?

 ・・・・・自分には、どちらでも良かった。

 しかし、その幼子に返った手で禁忌を破らなければならないほど、ササライと関わり合いたくないのだろうか。そうは思ったが、分かっていた。彼女なら、あの時決して貴族を殺すことはせずに、その実力を認めさせる事が出来たはずだと・・・。
 だが彼女は、あえて当人の望んだ『首を狩る』という方法を用いて、周囲を認めさせた。別段、あのままの動きで背後に回りその首に短剣を突き付ける、という動作でも良かったはず。
 それなのに、あえて全てを実行してみせた。

 ・・・ササライの身を案じての事なのだろう。貴族の不満が、彼でなく彼女に向かうよう。
 今ごろ民衆派とやらの間では、彼女の話で持ちきりになっているはず。『就任の儀の際、ルクデンブル卿を殺害した、非情な副神官長』として。
 それでも彼女にとってササライを巻き込まないことは、禁忌を破ることより大切だったのだ。

 ルカは、そう結論した。

 「、ほら。」
 「……ありがとう…。」
 「ルカも飲むか?」
 「……あぁ。」

 目の前で微笑む少年も、自分と同じような結論を出したのだろうか? それとも、更に深く彼女を読み、違う結論を導き出したのだろうか?
 分からなかったが、自分には、関係ないことだ。そう思い視線を逸らした。

 「さて、ルカ。これからどうする?」
 「……なぜ、俺に聞く?」
 「は、現在ティータイムなんだ。あとは、俺たちで話し合おう。」
 「……なぜ、そうなる?」

 先の件など既に忘れてしまった、とでも言いたげな少年は、ニコニコと笑むのを崩さない。
 また良からぬ事を考えているのか? そう思ったが、自分に彼は読めないのだ。

 「あぁ、その前に…。きみに、お願いがあるんだ。」
 「…おい。これからの事を話すのではなかったか?」
 「それは、やっぱり後で良い。」
 「…………。」

 ・・・・この狸が。
 これ見よがしに舌打ちしてやったにも関わらず、彼は「俺は、ちょっとササライの所に行って来るから、きみだけで考えておいてくれ。」と言うと、入れたばかりの紅茶に口をつけることもなく部屋を出て行ってしまった。

 「…………ふん。」

 彼が、何をしにササライの元へ向かったのか、分からなかったわけではない。
 しかし『これから先のことについて』という議題を自分だけに出して行ってしまうなど、全くもって面白くない。
 どうせ貴様には、これからどうするか、何をするべきなのか、とっくに見えているだろうに・・・・。

 上品な柄の入ったティーカップを手に持ち、一口。柔らかい香りとさっぱりした味が、口内に広がっていく。
 ふと彼女に目を向ければ、口をつけるどころか顔を上げることもしない。

 「……………。」

 ・・・勝手にすれば良いと思った。たったこれだけの事で『後悔』にかられてしまうなら、それはそれで構わない、と。
 沈黙には慣れている。そして、こいつの自虐的な面も呆れるほどに見てきていた。子供返りした容姿とはいえ、結局その本質が変わるわけではない。

 その沈黙がどれだけ続いたのか分からなかったが、やがて彼女が顔を上げた。揺らぐことのない闇色の瞳は、カップに広がっているだろう波紋に向けられている。
 『宿主の老化を止める』という真なるそれの支配は、彼女の精神にまで影響してしまったのだろうか? 進むことを許さずに、ただ、そこに・・・・・留まり続ける?
 違う。彼女は、きっと前を向くことはせずに、後ろを見つめたまま願い続けるのだろう。

 『戻りたい』と・・・・・。

 何とも下らなく、哀れな想いか。いや、それより彼女は、その想いにすら見て見ぬフリをして、時の流れを漂い続けるのだ。
 戻れるはずが無いのに。そんなこと、自分が一番よく理解している。時を戻せるのなら、自分とてそれを願う。しかし願ったとしても、それは叶わない。過ちを犯したあの瞬間へ戻りたいと思うのは、この流れに生きるすべての者が思うこと。
 それを司る”神”がいたとしても、自分にその願いを聞き届けてもらえるとは思っていない。

 ならば、そんな願いなど捨ててしまえばいい。それを糧にして生きていくしかないのだ。
 いったい、いつになれば、自分の闇と向き合うのか。そんな彼女と共に歩もうとしたのは、もちろん自分である。しかし、それでも彼女は誰の想いに気付こうともせず、ただ己を責め続けるのみ。

 永遠など、ありはしないのに・・・・・。

 だからこそ、今を愚直に生きるべきだと思った。犯した過ちを糧とし、ただただ歩み続けることこそ。それこそ・・・・・・・・・・・・前向きに?

 「……………下らんな。」

 らしくない自分の考えに、ふと言葉が零れる。それが聞こえていたのかいないのか、彼女は顔を上げることもなければ、視線だけを向けてくることもない。その瞳は、じっと揺れる波紋を見つめたまま。

 彼女がどう考えていようと、どういった結末を望もうと、どうでも良かった。

 そう・・・・・・・自分には、どうでも良かった。