彼女が、何故あの場で人を殺さなくてはならなかったのか。
 彼女が、どうして彼女自身で決して良しとせぬ『方法』を用い、貴族達を黙らせたのか。

 ・・・・・・分からなかった。

 彼が、何故あの場で何も言わなかったのか。
 彼は、どうして彼女が望まぬ方法を止めることもせずに、ただ笑っているだけだったのか。

 ・・・・・・理解出来なかった。

 有力な者を殺せば、その矛先が己に向かうと、彼女なら分かっていたはず。
 彼が、それを阻止しなければ、逆境にさらされてしまうのは彼女のはずなのに・・・・。
 彼女と彼の心情とは、自分の預かり知らぬところで『一致』していたのだろうか?
 言葉にせずとも、分かり合っている? 言葉にせずとも、互いを知り尽くしている?

 ・・・・・自分には、分からない。理解も出来ない。何も・・・・。

 分からないのは、どうして彼女が人を殺したのか。理解できないのは、どうして彼が彼女を止めなかったのか。でも、それより、きっと・・・・。

 自分が、今願っているのは。

 彼女の傍に居たいという、そんなちっぽけな”想い”の成就なのかもしれない。



[アドバイス]



 軽いノックの音で、ふと我に返った。
 そういえば執務中だった、と、先ほどまでの考えを頭の隅に追いやって部屋の中を見回す。だが、生憎部下は出払っていたようで、溜息を落として席を立った。

 扉を開ければ、そこに居たのは、就任の儀を終えてすぐに彼女と部屋に戻ったはずの少年。『事務的な用件以外、関わるべからず』と、ある種の命令を受けていたにも関わらずやって来た彼に、ササライは僅かに眉を寄せた。

 「…? どうしたんだい?」
 「今、ちょっと空いてるか?」
 「うん、構わないけど……なにか分からない事でも?」
 「いや、違う。先日の件で、きみに謝っておきたくて…。」

 先日の? 頭の中で回想してみるが、分からない。
 だが自分は、彼に謝られるような事をされた覚えがない。

 「先日の件って…?」
 「…ここで立ち話もなんだから、入っても良いか?」
 「うん、良いけど…。」

 彼のいつものような人懐っこい笑みが、心に違和感を作る。こんな優しい顔を出来る彼が、どうしてあの時、彼女を止めずに黙って見ていたのだろうか、と。
 その疑問が顔に出ていたのか、彼は、少し眉を下げて笑った。

 「いま、きみが考えている事に関しても、少しぐらいなら助言出来ると思う。」
 「えっ…!?」
 「前に言っただろ? 俺、なんとなく人の考えてることが分かるってさ。」

 その笑みを見て、ふと感じた。くったくなく笑う、その悪戯っぽい彼の瞳を見て。
 その中には、『嘘』が張り付けられているような気がした。






 入室を促すと、彼は「悪いな。」と言って一人用のソファに腰掛けた。それに続き、自分もその正面にかける。
 顔を上げると、ドジャーブルーの瞳とかち合った。だが彼は、何か口にする事もなく、ただ黙って笑っている。
 どうしたんだろう? そう問おうとする前に、彼が笑みを苦笑に変えて言った。

 「なぁ、ササライ。部屋に客が来た時って……お茶ぐらい出すものじゃないか?」
 「へ…?」

 余りに的外れな言葉だ。思わず目を瞬かせる。
 そんな自分の顔を見て、彼はふっと吹き出した。だが暫しの沈黙の後に、ようやく彼の言いたい事を理解する。

 「あ…ごめん。こういうのって、やった事がないから…。」
 「いや、いいんだ。なんなら、俺が教えてやろうか?」
 「…そうだね。お茶ぐらい入れられないんじゃ、彼女に呆れられるよね。…あっ。」

 つい出してしまった『彼女』という単語にハッとする。けれど、彼は気にもとめないのか「茶器は?」と聞いてくる。いつもはディオスが入れてくれていたので、そういえば場所を知らない。そう言うと、彼は「そこの棚、見てもいいか?」と聞いてきた。

 「うん。でも、そこって…何が入ってるんだろう?」
 「……自分の部屋なのに、知らないのか?」
 「うん。あ、でも、もしかしたら……そこかもしれない。」

 自分の言葉に、彼がまた笑う。でも、そんなに笑う事だろうか?

 「……あぁ、あったあった。それじゃあ、これを入れてから本題に入ろう。」
 「きみ、入れられるのかい?」
 「おいおい、当たり前だろ? こう見えて、より上手い自信がある。」
 「へぇ…。」

 どうやら、彼女の話を持ち出すことは、タブーではないらしい。ついでに言えば、紅茶云々の下りは、彼の自意識過剰ではないのだろう。手際よく準備するその手つきが、相当慣れているように見えたからだ。

 「ササライ、ちゃんと見ておけよ?」
 「え? 入れ方を教えてくれるんじゃ…」
 「甘いぞ。こういのは、自分で実際トライしないと覚えられないんだ。」
 「へぇ…そうなんだ。勉強になるよ。」

 それから、食い入るように彼の手際を見つめた。やはり笑われたが、勉強になると思えば、気にはならなかった。






 仄かに林檎の香りのするそれを入れ終えてから、彼が話し出した。
 曰く、先日彼女が放ったキツい一言の件で、自分に謝りたいということらしい。
 しかし、確かに、彼女の言葉は自分に辛いものだったが、どうして彼が謝るのか。理解出来ないと言うと、彼は「…俺の判断ミスだったからさ。」と答えた。
 なるほど、意味が分からない。

 きみが謝らなくても、と告げるも、「一応、けじめとしてな…。」と首を振られてしまっては、それ以上言うのも憚られる。彼がそう言うならば、それはそれでいいかと考えた。
 すると彼は、先ほどとは全く違う笑み(安心したような)を見せて、「ごめん。」と言った。

 「元を正せば、俺が、あの場できみにあんな事を言ったのが”きっかけ”だったんだからな。」
 「きっかけ? 何の…?」
 「まぁ……色々さ。」

 わざと自分に聞こえるように言った・・・・ように思えた。だから問うたのだが、彼は答えをくれない。仄めかすように曖昧な言葉を口にするだけ。

 「。きみ、もしかして……何か遠回しに言おうとしてるのかい?」
 「……さぁ?」
 「教えてよ。」
 「……自分で考えても、結果が出てこないってことは、世の中たくさんある。俺が大切だと思うのは、結果が出ないからといって諦めるんじゃなくて…。そうだなぁ…もっと違う角度から見れば、別の意図が見えてくるって事さ。」
 「違う、角度…?」

 そう言って彼は、ティーセットの入っていた棚で見つけたバタークッキーを一口。
 サク、と良い音がした。

 「そうだ。主観ばかりで見ていたら、絶対に見落としが出る。俺が言いたいのは……起きた事や疑問、他すべてのものに対して、客観的に分析した方が良いってことだ。」
 「客観的、かぁ…。」
 「俺は……きみなら出来ると思ってる。」
 「えっ…?」

 彼の言葉。一瞬、唖然としてしまう。
 掴みどころがないと思っていたが、そんな彼が言うからこそ説得力があった。『きみなら出来る』と、彼は自分を励ましてくれている。

 「でも……なんで僕に、そんな事を?」
 「……さぁ、な。」
 「ってば。」

 ふふ、と小さく笑って彼が口元に手を当てる。
 その思惑が分からなくて、無意識に首を傾げた。

 「………何となくかな。何となく、きみに伝えておきたかったんだ。」
 「どうして…?」
 「はは、ササライ。悪いクセが出始めてるぞ。」
 「……?」
 「言っただろ? 客観的に見ろってさ。」
 「うーん…。」

 言ったそばから『すぐにやれ』。そう言う彼は、実は相当スパルタなのかもしれない。
 でも彼がそう言うのだから、後に役立つはず。今まで見て来たどんな者より、彼の言葉には説得力があったのだから。






 「さて、と…。」

 ササライの部屋を出て、いましがた通って来た道を戻る。
 結局あの少年は、自分の言いたいことを全て理解できたとは言い難かった。
 だが、それが楽しみでもあった。

 は、謝罪と同時に、彼女の行動の裏に隠された『優しさ』を遠回しに伝えようとした。彼を変えるには、まず物事の見方から教えなくてはならなかったからだ。彼女も、きっと自分にそれを望んでいたはず。
 『用が無いなら来るな』と言ってはいたが、実はそれだけではない。彼女は、きっと彼が変わる事を望んでいる。

 だが自分は、人の心を完全に読めるわけではない。耳から聞いた情報だけでなく、自分が実際目にしたそれらと照らし合わせて相手の心理に予測をつけるだけなのだ。
 彼女がそれを望んでいるはずだと、そのエゴだけで動いているような気もする。しかし彼女は、大切にしていた少年と瓜二つの彼を、多少ではなくかなり気にかけている。その行動を見ていれば、一目瞭然なのだ。
 彼女は、決して心を無へ還しきったわけではない、と。

 「これから………少しずつ少しずつ、だな。」

 ふぅ、と、らしくない溜息が零れた。疲れたわけではないが、人の心理が手に取るように読めてしまう自分は、意外と気苦労を背負い易いのかもしれない。
 いや、俺は、けっこう図太いからなぁ・・・・。

 苦笑しながらふと足を止めて、先の少年の執務室へと視線を向けた。きっと彼は、まだ唸りながら考えているのだろう。彼が求める『結果』は、自分の見通しでは『もう少し先』だ。
 大抵の物事を冷静に読み取ってしまう自分と彼は、違う。
 あの少年が、とても可愛らしく映った。彼の『弟』と同じように・・・・・。

 「まぁ………頑張れ。」

 そっと、そう呟いた。