自分を待っていたのは、いつものような「お帰り!」や「…遅い。」といった言葉ではなかった。



 「………な……に……?」



 言葉が・・・・・・・出なかった。



[ソウルイーター]



 自分は、今まで何をしていただろう?
 確か、二人に駄々をこねて、一人街まで買い物へ行って、そこで素晴らしい品物に出会えて、優しい店主に手渡されて、大急ぎで彼等の元に戻ろうとして・・・・。
 それから・・・・・・・それから?

 今、自分が立つこの場で、戦闘があったのは明らかだった。

 まず目に入ったのは、数匹の魔物の死体。
 それらには、何本もの矢が突き刺さり、中には、一発で吹き飛ばされたのか頭と胴が離れているものもいる。

 次に、そのすぐ傍で膝をつき、放心しているテッドの後ろ姿。自分に背を向けているため、その表情を読み取ることができなかったが、自分の気配に気付いても、彼は微動だにしない。

 そして、最後に・・・・

 テッドのすぐ傍には、ぐったりと俯せに倒れ伏した、アルドの姿。背中から奇襲を受けたのか、おびただしい量の血を流して、ピクリとも動かない。

 「……………。」

 一瞬、これは『夢』なのではないかと思った。もしかしたら、自分は全く違う次元に来ていて、瞬き一つでもすれば、目の前の惨状がいつもの光に溢れた日常に変わってくれるのでは、と。
 それも、本当に瞬く間の願いだったのかもしれない。
 すぐに我に帰り、アルドのそばへ駆け寄った。

 「アルド……アルド、どうしたの!? しっかりしなよ!!」

 ゆっくりと彼の体を抱き起こしながら、軽くその頬を叩いて肩を揺さぶる。
 ふ、とその瞳が開かれたことで得たのは、僅かな安堵。

 「…………ちゃん…?」
 「アルド…! そうだよ、アルド! 私だよ!!」
 「あぁ…良かった…………声が………聞けて……。」
 「なに言ってんの、喋っちゃ駄目!!」

 彼を仰向けに寝かせてから、自分の旅荷を解いて、おくすりや特効薬を探す。それを背中の傷に塗ろうと彼の肩に手をかけた所で、止められた。

 「アルド……?」
 「もう………いい…んだ………僕は、もう…………。」
 「なに…言ってんの? そんなこと言わないで! 弱気になっちゃ駄目だよ!」
 「…大丈、夫だよ……ちゃん…………僕は……大丈夫…だから……。」
 「大丈夫なわけ無いじゃんッ! まだ間に合うよ! 応急処置してあの街に行けば、お医者さんがいるんだから、まだ間に合…!」

 「僕……ね…………幸せだっ…た、よ……。」

 ポツリ、と。
 掠れた声で言われた言葉に、目を見開いた。
 だって、彼は、笑っていたから・・・・。

 「僕…は……きみと……テッドくんと、三人…で………旅が出来て…………とても……。」
 「ッ、この馬鹿! これからだって一緒に旅するんだから、とにかく傷の手当をして…!」
 「いいんだ………本当に、もう、いい…んだよ、……ちゃ…。」
 「アルドッ!! ちょっとアルドぉ……しっかりしてよぉッ!!」

 ふ、と。右手に何か乗った。彼の手だ。
 自分よりもずっと大きくて暖かいはずの、彼の手だ。

 「僕は………大丈夫…だよ…………二人と…一緒にいれて………幸せだったか、ら…。」
 「そんなこと、言わないでよ……やめてよ!!!」
 「だか…ら……………誰も……恨ま、な……………で……。」

 でも、何かがおかしい。
 その手が、いつもより冷た・・・い?

 「……そんな顔……しない…で………僕……きみ、の…笑っ…てる顔……好きな…だ……。」
 「止めて…ッやだよぉッ!! アルド、お願いだから……!!!」
 「だか…ら………だから………ね、…ちゃ………。」

 きゅ、と。彼の手に力が入る。それを思わず握り返した。
 それにゆるりと微笑んで、彼は、言った。



 「お願…だよ……僕の………一生…の……お願い…だか…………きみは……ずっ…と………笑っ…て……て…。」



 ぱたっ・・・。



 彼の手が、力なく落ちた。



 彼は、動かない。
 ・・・・・動かなく、なった。

 「アルッ……!」

 途端、胸に沸き上がったのは”恐怖”。
 先ほどよりも、彼の体が冷たくなっている気がした。いつも触れる手は、決してこんなに冷たくはなかったはずなのに。
 それが意味することを恐れた。そんなこと、あるはずがない。

 「……ッ………!」

 心臓が、早鐘を打つ。頭が真っ白になり、全身が脱力した直後、わなわな震え始める。唇も震えた。その震えを止めようと、必死に歯を食いしばる。
 その強さに、ツキと頭が痛んだ。
 
 彼は、もう・・・・ここには、居ないの・・・・?

 嘘だ・・・・・・嫌だ。
 こんなの悪い夢だ。こんなの幻想だ。
 誰かが作ったまやかしで、夢で。目が覚めれば、きっと・・・。

 ・・・・・・・・・・なんでなの?

 当たり前にあった”今まで”との、突然の決別。胸から噴き出しはじめたのは、混乱か。

 なんで、なんで、なんで、なんで・・・!?
 たった数十分の間だったじゃないか。たった数十分、ここから離れていただけじゃないか。
 笑って「行っておいで!」と、そう言って送り出してくれたじゃないか。
 いつものように、優しく笑っていたじゃないか。

 それなのに・・・・・・・なんで?

 「なん…で……? やだよ、こんな……。う、うっ…。」

 なんで。なんで、なんで、なんで?
 なんで、こんなことになっちゃったの?
 なんで、私はここにいなかったの?
 なんで、私のいない間に、こんなことになったの?
 なんで・・・・・どうして?

 これまでも、そしてこれからもずっと一緒だよって、笑い合っていたのに。
 私たちを・・・・・・・・置いていくの?

 「アル……ッ……こんな……こんな…の………っ………いやだあぁァッ!!!!!!」

 涙が、止まらなかった。
 自分が何を言っているのか、本当にそれが言葉になっているのかも分からない。
 そんな事、どうでもよかった。

 彼の胸に顔を埋め、冷たくなっていく手の平に、指をからめた。
 その体を抱き起こし、ここに居てくれと抱きしめた。少しでも、その体に暖かさを取り戻そうとして。まだ間に合うはずだと、そう思い込みたくて・・・。

 ただただ泣いた。
 思いもよらぬ出来事。受け止められない現実。

 それに、ただただ涙が流れた。






 「…………。」

 ふと、顔を上げた。
 どれぐらい泣いていたのだろう。いつから泣いていたのだろう。
 ・・・・・思い出せない。

 見上げれば、空が茜に染まり始めている。
 枯れ果てたのか、もう涙は出てこない。
 後ろを見れば、未だに放心しているテッドが目に入った。
 立ち上がり、ふらふらする体を引きずりながら、彼に問う。

 「テッド……。」
 「……………。」
 「テッド、何があったの…?」
 「っ…。」

 少しでも知りたくて、その肩に手をおいた。途端、彼はビクリと体を震わせる。
 その震えが、徐々に大きくなっていった。

 「テッド……?」

 呼びかけると彼は、我に返ったのか、いきなり右手を地面に叩き付けた。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! そう何度も叫びながら。何度も何度も、彼は拳を叩き付けた。
 彼が、こんな大声を出す姿を見たことがなくて呆気に取られていたが、慌ててその腕を掴んで止めに入る。

 「ちょっと、テッド! 何やっ…!」
 「ちくしょう! ちくしょう! ッ……ちくしょおぉッ!!!!!」

 彼は、手を振り払うと、尚も強く叩き付けた。革の手袋をはめた右手から、血が滲み出ているのも気にすることなく・・・。

 「テッド、止めて!!!」
 「離せ!! っ…ちくしょう!! ちくしょおッ!!!」
 「テッド!!」
 「なんで……なんで奪うんだよ!! いったい、どれだけ俺から奪えば、お前は気が済むんだよ!!!!!」

 涙声で叫び、拳を叩き付ける彼の手を、今度は体で抱え込んだ。そのままにしておけば、本当に彼の手が血まみれになってしまう。
 その行動を止めさせようと、彼の右手を庇うように、両手で抑え込んだ。

 その時・・・・。

 ようやく”その時”になって、二人の右手が、初めて重なり合った。
 瞬間、彼の右手から溢れ出たのは、黒い霧。
 は、思わず目を見張った。

 「なっ…!?」
 「くッ…や、やめろっ……止めろ!! 、俺に近づくな!!!」

 途端、彼は右手を体で覆い隠し、背を向けた。
 そして、涙ながらに叫んだのだ。

 「止めろ……もう…もう止めてくれよ!! もう、俺から……奪わないでくれよぉッ!! もう嫌だ……止めろ、止めてくれッ!!! ソウルイーター!!!!!」

 その言葉を聞いて、は、全てを理解した。



 彼は、真の紋章を持っている。
 ソウルイーターと彼が呼んだ”それ”が、きっとそう。
 そして、彼の持つ”それ”は、彼にとてつもない苦痛を与え続けている。

 『他者の命』を奪うことによって・・・

 奪うな、と、彼は言った。それで分かった。
 その紋章は、きっと宿主の意思に関係なく他者の命を奪うのだろう。
 その対象者とは、きっと宿主にとっての『大切な人間』なのだ。

 ようやく。ようやく理解した。彼が、なぜ人と関わろうとせずに生きてきたのか。
 どうして彼が、孤独を選んで生きてきたのかを。
 関わるな、と。その意味をようやく・・・。

 彼と親しくなっていくことで、この紋章に”選定”される確率が、格段に高くなるのだ。彼と懇意になればなるほど、この紋章は、きっと彼の意思に関係なくその者を喰らう。

 けれど、同時に、安堵する自分もいた。

 彼は、人が嫌いなわけではない。人と生きることを嫌っていたわけではない。
 ただ、その紋章の”力”を制御できず、大切な誰かが奪われる事を”拒絶”という行為でしか守れなかったのだ。

 『俺に関わるな』

 それはきっと、今まで彼が、経験してきたからこその言葉。
 初めてそう理解して、また涙が溢れた。彼のことを想って。彼は、呪いによって奪われ続けたのだろう。奪われる痛み、亡くす痛み。それを経験する度に、彼は独り涙を流してきたのだろう。

 なぜ奪う?
 自分と出会わなければ、きっと彼等は、もっともっと生きることができた。
 自分と出会わなければ、きっと清らかな魂のまま、あの空へと昇ることができた。
 これ以上、奪われたくない。亡くしたくない。

 それ故、もう二度と悲劇が起こらぬように、彼は”拒絶”したのだ。自ら人との関わりを絶ち、自ら隔たりを作り。ずっとずっと、”孤独”という高く厚い壁のその中で、一人寂しく佇みながら・・・。

 そうして彼は、どれほどの時を、ひとりぼっちで過ごしたのだろう?



 「、逃げろッ!!」

 彼の声で、ハッと我に返った。見れば、黒い霧が自分を取り込もうとしている。
 彼が、叫んだ。

 「やっ、止めろ……止めろ!! 、逃げろ!! 逃げてくれッ!!!」

 ・・・・・飲まれる。
 そう、思った。



 ──── 大丈夫だよ……恐れないで。貴女なら………できるよ ────



 誰かが、そう言った。そう、言ってくれた。
 途端、それまで恐怖にかられていた心が、驚くほど軽くなる。
 ふ、と視線を落とすと、自身の右手が、光を発していた。

 「テッド……大丈夫だよ……。」

 どうしてか、そう思えた。自分なら、その紋章に安息を与えてやれる。そう思えた。
 霧に向かって右手を掲げると、光はいっそう強さを増して光る。

 「この…光は……?」

 それまで自分を覆うとしていた黒い霧が、逆に、自分の右手の光に包み込まれた。暖かで厳かで強い光。優しく優しく、霧を包み込む。
 霧を飲み込むと、光は、跡形もなく消えた。

 「いったい……なにが…?」

 テッドが、自分を見つめていた。
 手袋を外して右手を見てみると、余韻のように、その刻印からは僅かな淡い光がもれている。

 「まさか…その、紋章が…?」

 彼が、そう呟いたのを期に、ゆっくりと彼の右手に自身のそれを重ねた。
 途端、彼は、勢い良く振り払おうとする。

 「なっ、止めろッ!!」
 「大丈夫……。」
 「や、止めろ! 俺に触るな!!」
 「大丈夫だよ、テッド…。大丈夫だから…。」

 振り払おうとする腕を抑えて、彼の体を抱きしめた。優しく、優しく。
 離れようと彼はもがいたが、そうさせなかった。

 「止めろ…止めろ、離せ!! 俺は…ッ……俺は、アルドをッ…!!」
 「……大丈夫だよ。大丈夫だから。アルドを………土に還してあげよう。」
 「っ……。」

 その言葉に、彼は抵抗を止めた。脱力したように、ずるりと手を下げる。その体が小刻みに震えていることに気づいて、あやすように、ゆっくりとその背をさすってやる。
 彼の腕が、自分の背に回された。それは少しずつ力を増し、震えていった。



 「ッ……っ…………うわあぁあァーーーー!!!!!」



 彼は、声を上げて泣いた。
 ただただ、泣いていた。



 暮れ行く街外れの平原で、泣き叫ぶ少年の声が、寂しく木霊した。