[強制共鳴]
闇の中。
そこは、静寂に支配されていた。
その場を司る『主』は、椅子にゆったりと腰掛けており微動だにしない。
そして己が望むように、何の音を発することもしなかった。
その『主』の中で眠る『彼』は、静かに待っていた。
『彼』を押しのけて『器』を操る『主』は、僅かに俯く。その動作で、頭に被られている衣が、小さく衣擦れの音をさせて頬にかかった。
ゆら・・・・。
人には、決して成せぬその動き。魔力によって『主』は、立ち上がった。
鼓動すらも殺してしまうように、それから『主』は動かなかった。その目が映すのは、この部屋の扉。その瞳が憎悪するのは、今、静かに自分の元へ向かっているであろう『女』。
けれど・・・・・
その中で、『彼』は待っていた。『主』に奪い去られた『器』を唯一、押さえ付けることの出来る『彼女』を。
この世界の理を、その全てを統べることの出来る『彼女』を。
そう・・・・・
『彼』は、確かに『彼女』を待っていたのだ。
ギ・・・・・ィ。
精巧ながら厳重な結界の施された扉が、ゆっくりと開かれる。
しかし、その扉は、自分の直下の人間に守らせていたはず。
ということは、『女』が、赤子の手を捻るより雑作なくその者たちを叩き伏せたのか。
扉が閉まった。返り血を一つも浴びずに、現れた『女』。
『主』は、目を細めた。
「………殺したか……。」
「あぁ。」
「手応えは………どうであった……?」
「……あの程度の連中が、お前の直下だと? それは、笑わせてくれるな。」
抑揚無き『主』に対して、女もまた、幼い声の中に感情のない返答をする。
「悪いが、こんな会話をしに来たわけじゃない…。私も、これから色々と……多忙になるからな…。」
「……………。」
「お前には、もう用が無い。『あいつ』を出せ…。」
「……………。」
淡々と用件のみを告げる『女』。
『主』の口端が、静かな微笑みを作り上げた。
言う通りにする気はない、と言っているのだ。
「もう一度、言う。……『あいつ』を出せ。」
「この者は………我が支配を受け入れたのだ……。」
「こちらには、お前を抑え込む『術』がある…。強制されたくないのなら、黙って言う通りにした方が良い。」
「……………否。」
それでも否定する『主』に、今度は『女』が眉を寄せた。
女────は目を伏せたが、やがて彼をまっすぐ見つめた。
「そもそも、その体は『あいつ』の物だ。お前の物じゃない。歴史を紡ぐのは、お前たちじゃない。”人の心”だ。」
「…………否。」
「…そう。それなら……仕方ないね…。」
『主』の言葉を聞いて、は、ゆっくりと目を閉じた。
静かに息をはきながら、右の手袋を外す。
それを嘲笑うように、『主』が、喉の奥で笑った。
「……貴様が、それを使ったとて………我を抑えられるとでも…?」
「安心しろ。お前が、私の体をこんな風にしてくれる前に………”対処法”は、すでに刻み付けてある。」
「……”対処法”…だと……?」
「そうだ…。『彫師』を知っているか?」
そう言った途端、『主』が顔色を変えたのを、は見逃さなかった。小さく息を飲み、それを抑えようとした挙動を。
『主』は、忌々しげに言った。
「……ふっ……戯言を…。彫師の一族は……」
「ハルモニアによって、一族が壊滅状態になったと聞いている…。」
「ならば、なぜ…」
「生き残りがいた、と言えば、分かるか…?」
「っ………。」
彫師の元を訪れた、あの日。
その生き残りである男は、言っていた。
『一族は、ハルモニアによってその殆どが犠牲になった』と。
そして、その男は、背に彫り物を頼む自分に涙ながらに言ったのだ。
『貴女に秘術を使うことで、一族を根絶やしにした者に復讐出来るのなら、この力を使うことを惜しまない』と。
人目を避けた薄暗い洞窟の中で生活するその男と、そして僅かな生き残り達は、自分の頼みを、手を尽くして叶えてくれた。
体力や腕力が”抗環の縛”によって封じられようとも、”魔力”さえあれば、自分の成すべき事が成就できるのだから。
この・・・・・・・・・・『禁縛』の効果によって。
「くっ……!」
「ついでに、教えておいてやるよ…。彼らは、すでに私の保護下に入った。この紋章の『加護』を受ける、あの場所で…。」
「我は……」
「という事は………残念なことに、お前は、もう二度と彼らを害すことが出来ないということだ。」
「我は………我は………………────を手にいれるのだ!!!!!!」
その言葉の直後、『主』の体が発光し始めた。だが、逃がしてやろうという気は毛頭無い。
今までどれだけの犠牲を、どれだけ沢山の人の命を奪ってきたのか。その頭目とも呼べる『主』を逃がしてやる気など、さらさら無かった。
ゆっくりと、『主』に向かって右手を掲げた。
勝敗は、すでに決まっているのだ。目の前で自分に憎悪の瞳を向ける彼は、本当に小さなミスで『器』を取り上げられてしまう。自分を怒らせたことで、永遠にその”意志”を摘まれてしまうのだから・・・・・。
後は、それを自分が『上手く抑え続ける』だけ。
『主』の発する光を押しとどめるように、自分の右手からは強い輝き。
それは、徐々に『主』を取り込んでいく。
その光に押されて膝をつく姿を、哀れなものだと内心、嘲笑った。
「我が創世の紋章よ…。この世界の”元凶”となり、幾千幾万の悲しみを振りまいた、呪われし其の”忌み子”を…………我が”意志”によりて、”永遠”の名に封じ込めろ!!!」
カッ!!!!!!!
目を閉じた、その直後。
『主』の憎しみに満ちた”声”が、頭に響き渡った。
「…あぁ………ならば、我は……………そなたに『苦』を与え続ける存在であろう……。」
「……………。」
その場に舞い降りたのは、またも静寂。
発光していた場は治められ、それの『器』を制していた気配が、完全な『人』のものに戻る。
膝をつき、短く呼吸を繰り返す『彼』は、確かに、過去英雄と詠われこの国を作り上げた『彼』であった。
コツ・・・・・。
その存在の変化に一つ息をはいて、は、その傍に歩き出した。
目の前で膝を折る者は、すでに『主』から『彼』に戻っている。だが『彼』は、急激な覚醒からか顔を上げることすら出来ないようだった。
自身も膝をつき、その青の衣にてをかけた。返ってきたのは、ピクッ、という反応。
そして『彼』は・・・・・・・・いや、虚構の神官長ではない、真のハルモニア神聖国神官長『ヒクサク』は、顔を上げてを見つめた。
そしてその頬に右手で触れると、僅かな笑みをこぼし、呟いた。
「………そなたを……………待っていた……。」
憂いのある微笑み。
それに、自分の記憶の中に居る『誰か』が、ほんの一瞬、重なった気がした。