[解呪の条件]



 「ん……」
 「目が覚めたか?」

 体が重かった。
 しかし、先までの背の激痛と、右手の震えが無くなっている。
 目を開ければ、いつものように微笑む、優しい灰海色の瞳。

 「私……どれぐらい……」
 「三日ってところだな。」
 「……そう。」

 何か口に入れるか? と、心配そうに自分を見つめる優しい瞳。
 その答えを告げる前に、ふとサイドテーブルに目を向ければ、サンドイッチが置いてある。

 「……頂くね。」
 「あぁ、そう言うと思ったんだ。俺って準備が良いだろ?」
 「……うん、ありがとう。」

 どうぞ、と差し出された物を口に入れて、噛み砕いて胃に流し込む。味は分からなかった。分かる必要などないのだから。

 「………?」

 ふと部屋の中を見回して、ルカの姿が見えないことに気付いた。彼は、着実に準備を進めているのだろう。
 部屋の中を彷徨う自分の視線に気付いたのか、紅茶を入れていたが、思い出したように言った。

 「そういえば、。」
 「……なに?」
 「”抗環の縛”についてなんだけど。」
 「……うん。」
 「これを、ヒクサクから預かった。きみ渡してくれってさ。”抗環の縛”について書いてあるらしい。」

 そう言って手渡されたのは、手紙。封を切ると、見た事のない文字が綴られている。
 じっとその文字を凝視していると、彼が、隣に腰掛けた。

 「これ、なんて書いてあるんだ?」
 「……分からない。」
 「え? でも、彼は、これを見れば『全て』分かるって…」
 「あぁ…。でも、これには……魔力が込められてる…。」

 そう言った直後、違和感。右手が疼き始め、頭に何かが流れ込んでくる。
 隣に座るの声が、自分を呼んでいるが、まるでフィルターがかっているように聞こえる。意識は、その手紙の中に込められた魔力と”共鳴”していた。
 媒介となる魔力から、情報や詳細が、みるみる内に流れ込んでくる。

 「……なるほどね…。」
 「え、読めたのか?」

 説明が出来なかった為、「うん…。」とだけ返して、手紙を燃やした。魔力の消えたそれは、跡形もなく灰となる。

 「”抗環の縛”は……発動した術者以外………解呪できないらしいんだよ…。」
 「…ってことは、術者を探すしかないってことだな?」
 「いや……それは、たぶん無理。術者に『痕』はつけたけど……でも、気配が全く掴めない…。こんなこと……よっぽど高度な技術を持ってないと、出来ない芸当だよ…。」
 「それじゃあ、どうする?」

 彼の顔が曇った。珍しいと、ただそう思った。

 「…今の私では……”抗環の縛”を破るだけの力が、無い。でも、解呪するには……術者に解呪させるか………もしくは『殺す』しかない…。でも、気配が掴めないんじゃ……保留にしておくしか…。」
 「…………。」
 「そんな顔……あんたがしなくて良いよ…。私は、大丈夫だから…。」

 そう言うと、彼が、途端顔を伏せた。
 そして、ポツリと・・・・・

 「…───じゃ……ない…。」
 「…?」

 その顔を見つめる。だが、思わず目を見張った。
 彼が、今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。

 「…、どうし…」
 「大丈夫じゃ……ない…。」
 「………。」
 「大丈夫じゃないじゃないか……きみは、全然大丈夫なんかじゃ……!」

 そう言って、彼は顔を覆った。悲痛な声を上げて。
 黙って、それを見つめていた。
 大丈夫じゃないと、彼は、繰り返しそう言った。大丈夫じゃない、大丈夫じゃないだろう、きみは、大丈夫なんかじゃ・・・。

 「あんたが………そんな顔をすることは、ないよ……。」

 そう言うと、彼はぴたりと動きを止めた。そしてゆっくり顔を上げると、なんとも言えぬ哀しみに満ちた表情で言う。

 「するさ……。」

 その腕が背に回されて、抱きしめられた。しかし、どうしてだろうという疑問も湧かない。そんな考えすら、もう自分には必要ないと・・・・。

 「俺は……俺は、きみの為なら何でもするよ…。約束するよ……約束するから…。だから、きみは……………ヒクサクみたいには、ならないで…。」
 「…………。」
 「今生で一度のお願いだ……。きみは、『きみ』のままでいて……。そうじゃなきゃ、俺は……」

 その言葉には、どうして? と疑問が湧いた。
 何故、彼は、自分という存在にそこまで敏感になるのだろうと。
 でも、その『答え』はいらない。誰かの答えを必要としていないし、まして自分のそれすらいらない。今は、自分の願いを成就させる為だけに、ただ生きれば良いのだから。

 でも・・・・・・

 この心のずっとずっと奥底で、閉じられた蓋を開けようとしているこの感覚は、何だったろう? 自分には、まだ消しきれていない”想い”があるというのか? 自分は、まだ”人”であることを捨てきれていないのか?
 まだ・・・・・無我に達することができないのか?

 「……………。」

 全身に纏わりつくこの感覚が、酷く疎ましいとさえ思った。



 ”人”であるからこそ、消し去れるものなど・・・・・・・・そう多くはないというのに。