[参謀]
ハルモニア神聖国、円の宮殿。
そこには、外界を全て遮断するように、厚い結界が張られている。
元は『円』という、たった一つの重圧だった。その加護が打ち消された今は、『創世』『罰』『獣』といった新たな結界が、実に三重にも施されていた。
しかし、それらには、円が課していたような『重圧』が無かった。通常では感じられない波長の感知や、招かれざる侵入者を捕らえる為の監視という名目で張られた結界だったからだ。
そして、その外回りには、幾重もの外壁に守られた巨大な庭があった。宮中庭園と言われるそこは、宮殿専用庭師のもと、とても美しく手入れされていた。
そこは、のお気に入りの場所だった。
この場所を知ってからは、すぐに庭師に頼んで簡単なテラスを作ってもらった。人工的とはいえ、自然に囲まれたこの場所をとても気に入っていたからだ。
時間が空いたときは、ここで紅茶をいれて、静かな一時を過ごす。
そして、今日この日も彼は、空き時間を使ってテラスに向かっていた。
神殿を出て渡場を通り、見事な細工の入った木製の扉を開けて、庭園へ出る。茂る芝に足を踏み入れ、咲く花々に目をやりながら歩を進めていると、そこでふと足を止めた。見慣れない人物が居たからである。
それが『男』と分かったのは、高身長のせいだろう。陽に煌めく鮮やかな赤毛が印象に残るその男は、空を見上げている。
こんな奥深い場所に人など珍しい。そう思いながら、にこやかな笑みを作って話しかけてみた。
「やぁ! こんなところで、何をしているんだ?」
そう声をかけると、男はゆっくりと振り返る。
どこかで見たことのある人物だったが、それをおくびにも出さず笑みを保っていると、彼は言った。
「ここは、空気が澄んでいるので。貴方は?」
返答は簡潔で返しも早い。まるで、自分がそう声をかける事を見抜いていたように。
それよりは、その落ち着きと重みのある声色、そして冷静に物事を見定めようとする男の瞳に、素直に関心を持った。
「俺も同じ。閉鎖された場所は、どうにも好きになれなくてさ。」
「そうですか。………それでは、私は、これで。」
・・・・全く。実に簡潔過ぎて、にべもない。今この時、この会話を楽しもうとは思わないのか。
そう思い苦笑がもれたが、このままこの男を黙って行かせるつもりはなかった。横切ろうとするその腕を掴むと、にこりと笑いかける。そして、そのままの笑顔で言った。
「まぁまぁ。俺、退屈してたんだ。良かったら、話し相手になってくれないか?」
秘密のテラスに案内し、紅茶を入れたカップを手渡す。
男は、それを見つめいたものの、口を開くことはない。
不躾にならない程度にそれを観察しながら、は、椅子に座ってカップに口をつけた。
「自己紹介が、まだだったよな? 俺は、。きみは?」
「アルベルト=シルバーバーグと申します。以後、お見知りおきを……副神官長補佐殿。」
「あぁ、宜しく。そうだ。ケーキがあるんだけど、食べないか?」
「……頂きましょう。」
友好的な笑みを見せている自分とは違い、アルベルトと名乗った男は、どこまでも静かだった。
簡素なサイドテーブルに置いてある紙袋を開けて、「ラズベリーとブルーベリー、どっちが良い?」と聞くと、彼は「……ラズベリーで。」と返答。それを器に移してから、フォークを添えて差し出した。
それを受け取ると、彼は丁寧な動作で食べ始めた。無駄の無い、完璧な所作だ。
ブルーベリーケーキを同じく器に置きながら、徐に問うてみた。
「きみは、この国の現状をどう読んでいる?」
「……、質問の意図が、解り兼ねます。」
「きみは、この国を、どう『導いていきたい』と思っている?」
はっきり返してやると、彼が手を止めた。そして手にしていたフォークを皿に置くと、静かに溜息を落とす。
「……ひとつだけ言えることは、私は、あなた方の邪魔をしようとは思っていないという事です。」
「どういう意味か、訪ねても?」
「……言葉のまま、受け取って頂いて構いません。もう一つ付け加えるならば、私も……根底にある考えは、あなた方と変わりません。」
「そうか。それなら助かる。」
「それに……」
そう言って、彼は、視線を動かした。その視線の先にあるのは、罰の宿る己が左手。
・・・・・あぁ、なるほど。彼は、もうそこまで調べているのか。
「……私が、少しでもおかしな真似をしようものなら、瞬時に命を落とすでしょう。私には、まだやらなくてはならない事があるのです。私が命をかけるべき時は、今ではない。」
「どうして、そう思う?」
「……貴方のその目を見れば、自ずと理解できることです。貴方は、必要とあらば、顔色一つ変えずに……いや、その微笑みを張り付けたまま、簡単に人を葬り去るでしょう?」
静かな口調。どこまでも冷静を貫き通す男だ。
「なるほどな…。流石は、シルバーバーグの人間だ。読む事に関しては、右に出る者がいないと言われてるだけあるな。でも……あぁ、良い判断だ。」
「……それは、褒め言葉と受け取っても宜しいのですか?」
「あぁ、もちろん。でも、きみは、少し人情味が足りない気もするな。」
俺と同じで。
そう言って笑って見せると、彼は、ようやく左手から視線を外した。そして、すっと視線を合わせてくる。
あぁ、なんて眼差しだろう。己が決めた”道”の為ならば、己が”意思”を殺すことすら厭わないと言う、徹底したその瞳。
「……導きを与える者に、”感情”は、必要ありません。」
「まぁ、間違ってはいないな…。でも、当たっているとも言い兼ねる。」
「貴方も、ご存知でしょう? ”心”というのは、時に決意を揺るがせる。悲願という希望に緩やかなヒビを入れ、いずれ大きな音と共に崩れ去り、多くの命だけを奪うのです。……『あの男』が、そうだったように……。」
「…………否定はしない。」
重く静かにすらすら流れ出る彼の言葉に、は、少し目を伏せた。彼の言った『あの男』を思い出したからだ。その優しさ故に、躊躇を繰り返し、結果、命を落とした少年のことを。
「それに、貴方も、こちら側の人間でしょう?」
「…どうして、そう思う?」
「言ったはずです。あなたの目を見れば分かると。貴方は、これまで私が出会った者の中でも、最上位に位置するほど強い”意思”を持っている。」
「…そうか。でも、俺は、たぶん………きみより、更にその先にいると思う。」
「……その先…?」
「俺ときみは、その『対象』が違うだけで、持っているものは同じだ。きみは”世界”なんだろ? でも、俺は……」
言葉にしなくても、理解出来たようだ。
まったく、本当に頭の良い男だ。今まで出会った中でも最高峰の。
すると彼は、静かに溜息を落とした。
「……そこまで『彼女』に固執する理由が、私には、解り兼ねますね。」
「そう言わないでくれよ。正直言えば、俺は、彼女がいればそれで構わないんだからさ。」
「…………。」
そう言うと、途端、彼は僅かに顔を曇らせた。
「アルベルト。一つ忠告する。『軍師』であると自負するなら、顔色は絶対に変えるな。」
「…………。」
「まぁ、いいか…。それに俺は、彼女さえいれば、この世界がどうなろうと構わないんだよ。どの国が瓦解しようが、それこそどこで誰が死のうがな。率直に言ってしまえば、この国がどうなろうと、正直、俺には全く関係ないことなのさ。」
「…なるほど。確かに、貴方は、私のさらに”先”にいるようですね。」
「だろ? でも、彼女が、それを望んでいない。望んでいないから、俺はここにいるんだ。彼女が苦しまなければ、俺はそれで良いんだ。それにな…………彼女の『望み』を手っ取り早く叶えたいなら、簡単な方法がある。」
自分の意図する事を瞬時に読み取ったのか、彼は、表情を戻して紅茶を一口。
「………『それ』は、穏やかではありませんね。」
「あぁ、確かに穏やかじゃないな。彼女の示す道筋は、犠牲は少ないけど、長い月日を必要とする。でも、俺の描く”道”を辿れば、大きな犠牲の元に『再構築』が必要になるが、短い月日で終わらせることが出来る。」
「………そして、彼女が『それ』を望めば、貴方は……何の迷いもなく実行する。」
「そういう事だ。でも、彼女がそう望んでくれないから、俺はここでこうしてマッタリ神官将生活を送ってるのさ。」
言い終えて、紅茶を一口。
すると彼は、静かに問うて来た。
「ですが……貴方がたが関わった時点で、それを『人の標す道』と言えるのでしょうか?」
「うーん、それは、手痛い質問だな…。俺たちが、真なる紋章を持っているからか?」
「えぇ、そうです。」
なんと遠慮のない。躊躇なく確信を突いてくる、強かで真っ直ぐな瞳。
それを見ては、本来自分の持っている満面の笑みを浮かべた。
もう一口紅茶を飲んで静かにカップを置く。そして両手を組んで、彼を見つめた。
「それなら、きみは……俺たちの所に来れば良い。」
「……貴方がたの?」
「そうだ。はっきり言って、『中立』なんかを装って様子を伺うより、とっとと俺たちの所に来た方が、有意義じゃないか? きみにとっても、”先”が望めるんだ。それに……」
一つ、区切る。
「そう思ったからこそ、きみは……今この場所で、俺とこうして話しているんだろ?」
「………………。」
そう言ってやると、彼が一瞬目を見開いた。そしてすぐにそれを伏せると、問うてくる。
「………大した方ですね。いつからですか?」
「はは。ここに来てすぐだ。まぁ、シルバーバーグには、昔知り合いがいたから、縁を感じてたっていうのもあるしな。」
「知り合い? ……名を伺っても?」
「………彼女は、もういない。それだけ昔の話だ。」
「そう、ですか…。」
「それと、きみの家族構成や表向きの経歴。それに『裏』の経歴諸々も、ついでに全部調べさせてもらったよ。」
「大方、ユーバーの奴でしょう。」
「察しが良くて助かるな。それじゃあ、種明かしをするか。実は、今日ここへ来たのも『彼女』から頼まれてたからなのさ。」
「……それ以上は、仰らなくて結構です。」
静かに言葉を制した彼に、は苦笑した。
本当に、頭が良い。良過ぎて困る。そう思いながら。
「それなら、答えを聞かせてくれないか?」と問うと、彼は、首を振ってまた一つ溜息を落とした。
「……ユーバーは、彼女をいたく気に入っていました。あの戦が終わった後、彼女の後を追ったのでしょう。その彼女がこの国に来た時点で、あの男もここへ来ているはずです。しかし彼女は、あの男を『表』に出すような真似は、決してしない。大方、裏方でしょう。そして、あの男は、彼女にこう言った。『破壊者をしていた時のメンバーが、宮殿内にいる』と。彼女にとっては、余計な横槍を防ぐため………いえ、無駄な”犠牲”を増やさない為に、私の真意を探る必要があった。」
・・・・なるほど。よく理解している。
は、素直に感心の意を示した。
対して彼は、目を伏せたまま、静かに自分の言葉を待っている。
「大したものだな。もしかして、最初からこの流れが、見えていたのか?」
「……世界は、原因より過程を経て、結果へと美しく流れ続けるものです。楽曲が紡ぎ出す音色のように…。時に優しく、時に哀れとも言える激情に飲まれながら…。」
「…なるほど。まぁ、何はともあれ、きみがそこまで理解してくれているなら、俺としては何も言う事がない。」
「……しかし、予想外の事もありました。」
「って言うと?」
「貴方ですよ。殿…。」
そう言って、彼が、じっと自分を見つめる。
その凛とした瞳、嫌いじゃない。むしろ『共感』すら覚える。
「私の予想では、彼女が『大きな仕事』に向かった後、貴方が来るものだと踏んでいました。」
「あぁ、それか。実は、俺もそう考えていたんだ。でも、早い内にやっておいて損が無いものは、やっておいた方が良いだろ?」
「…そうですね。」
「それで、どうする? 俺たちの所に来る気はあるか? 無いなら無いで、大人しくしていてくれればそれで良い。」
アルベルトは、すぐに返答する事を控えた。代わりに、そっと空を見上げる。
風は、緩やかに雲を彼方へと運んでいた。するりするりと、木々の合間を泳いでいた。
いつも、彼女の周りを、優しく、優しく取り巻いていた。
「大人しく……ですか。しかし、今ここでYESと答えないと、私の力は埋もれたままになってしまう。この世界が変わり終える頃には、私の命は、尽きてしまっているでしょう。それでは私がここにいる意味が無い。私という価値が、無くなってしまう。………どう転ぼうとも、私は、貴方がたの力になる他、道はありません。」
「ははっ。その口でよく言うな。彼女が彼らを追ってグラスランドに姿を現した時点で、こうなることを………きみは、一つの未来として視野にいれてたはずだろ? そして、あの戦争の後、彼女の紋章の”力”をこの国の機密事項で知った。その時点で、きみは、”今”の確証を得ていたはずだ。」
「……まったく、大したものですね。ここまで私を理解出来る人物に出会ったのは、貴方が初めてですよ。殿。」
ようやく口元だけ微かに微笑んだ、彼。
それに「亀の甲より年の甲っていうだろ?」と笑いながら、は、残っていた紅茶を飲み干した。