[緩やかな覚醒]



 「友好条約を結ぶ。」

 軍師という立場である二人が、密かな茶会を達成した翌日。
 執務室に集まったルカとに、は、ただ一言そう告げた。
 は、彼女の意図を元より理解していた為か、にこりと笑っている。
 だが、ルカは、最早彼女が何を言おうと思った通りにやれば良いと考えていた為、鼻を一つ鳴らすに留めた。

 しかし・・・・

 「貴様…。簡単に『条約を結ぶ』と言うが、何か手立ては講じてあるのか?」
 「はいはい、ちょっと待った。それを考えるのは、じゃなくて俺の仕事だろ?」

 ソファに深く腰掛けたまま腕を組んで睨みつけたものの、に邪魔されては意味がない。人を食ったような笑みを見せる少年に、面白くないと思った。

 と、ここで執務室の扉がノックされ、彼が「ちょっと中断…。」と言って、扉を開けた。
 その先にいたのは、ササライと・・・・赤毛で長身の男。赤毛は、と面識があるのか軽く会釈をして中へ入って来た。
 だが、その男と目が合った瞬間、思わず眉を寄せた。すぐさま彼女に視線を向けたが、彼女は、それを受け流すように視線を合わせようとはしない。
 だが、ほんの僅かにだが、その無機質な瞳が揺れた。

 『この男は………破壊者の……。』

 次いでを睨みつけたが、彼は彼でなにか考えがあるのか困ったように笑うだけ。しかし、その瞳が『問うことを許さない』と言っていた。
 訝しむ自分を尻目に、二人をソファへ座らせたが、話を切り出した。

 「、ルカ。紹介しておく。彼は、アルベルト。」
 「アルベルト=シルバーバーグと申します。お見知りおきを。」
 「……シルバーバーグだと? では、レオンの縁者か何かか?」

 元は破壊者に属していた男を見据えながら、皇子時代に面識のあった軍師の事を思い出す。その問いに対して、彼は「…えぇ。私の祖父です。」と答えた。
 すると、が補足として説明してくる。

 「元々、彼は、ササライについてたんだけど、俺が無理言って貸してもらったんだ。すまないな、ササライ。感謝してる。」
 「いや、僕は、構わないよ…。」

 和やかに話す二人を見て、眉を寄せた。
 先ほどの疑問には、答えが出た。今この場で『破壊者だった』という言葉が禁句である、その意味を。ネックとなるのが、ササライであることを。彼は、アルベルトがそこに属していたことを知るまい。知っていたら、それこそ自分の手元に置きはしないだろう。
 アルベルトを見つめると、視線が合った。思慮深いながらも己の力を絶対的に信頼している、その瞳。太々しく映るものの、見ていて実に面白い。

 そう思っていると、が「そろそろ良いか?」と聞いてきた。

 「なぜ、俺に問う必要がある? 勝手に進めれば良いものを…。」
 「そうか? それなら良いんだ。まぁ、彼とつもる話があるなら、後にしてくれ。」
 「……馬鹿馬鹿しい。」

 口を閉じると、良く出来ましたとばかりに彼は頷いて「じゃあ、早速…。」と話し始めた。

 「さっきも話したように、アルベルトには、これから俺の直下として動いてもらう。ササライからも許可は得た。あとは、ルカ。きみの意見を聞きたい。」
 「俺の…? …こいつはどうした?」

 そう言って顎で彼女を示すも、彼女は、目を伏せ静寂を保っている。

 「俺にアルベルトの話をしたのは、彼女なんだ。」
 「…………それなら、勝手にしろ。」

 遠回しに『合点がいった』と伝えると、彼はそれと理解したようで「そうか。それなら話を戻そう。」と笑みを見せた。
 だが、ふとササライに視線を移して、思い出したことがある。あぁ、そういえばササライを引き入れるのは、彼女の本意ではなかったな。そう思い彼に『出ていけ』と声をかけようとした所で、待ったをかけた者がいた。アルベルトだ。

 「お待ちください、ルカ様。ササライ様には、この場にいて頂きます。」
 「…なんだと?」
 「ササライ様には、これから先、様にご助力いただく旨を話しており、すでにご本人からも了承を頂いています。」
 「……貴様、どういう事だ? おい、。」

 平然と『ササライには、こちら側についてもらう』と言った彼。それを聞いて、僅かに苛立つ。なぜなら、それは、彼女の意図せぬものと思ったからだ。
 だが彼女は、何も言わなかった。静かに目を伏せているだけで・・・・。
 睨みつけたものの、彼女は、何も語らない。だが、よくよく見てみれば、僅かに眉を寄せている。それを見たアルベルトが、「様は、よく御理解されているようです。」と言った。

 「おい、どういう事なのだ…?」
 「簡単なことです。ササライ様が、それを『望んだ』からですよ。」
 「ササライが、だと…? こやつの意思は、ここでは関係あるまい?」
 「では……はっきりと申しましょう。様がこの国にやって来た時点で、すでに後には引けない状態だったのですよ。彼女は、そのお心故にササライ様を遠ざけようとしたのでしょう。冷酷な言葉を浴びせ、ルクデンブル卿を殺害してみせ…。しかし、いかに非情な対応を取られていても、それは、ササライ様の御身を守るどころか却ってそのお立場を危うくするだけだったという事です。それは様が、一番御理解されているはずですが?」
 「……………。」

 静かに淡々と述べた彼から視線を外し、次に彼女へ目を向ける。彼女は、やはり何も言わない。そんな彼女を一瞥しながら、彼は、構わず続けた。

 「私としても、上司の立場を危うくするのは困りますので、どうしたものかと考えていました。ルクデンブル卿殺害後、ササライ様の貴方がたへの尽力が、結果どう転んだとしても、『尽力した』という時点で民衆派から反感を受けるのは、必須。ササライ様が、せめてその場で彼女を責めるなり詰るなりしていれば、彼女の描いた通りの”未来”が出来上がった事でしょう。様の盲点は、ササライ様の思想や行動を考えすらしなかった事です。」

 アルベルトの言葉に、ふっ、と誰かが笑った。見ればが、自嘲にも似た笑みを浮かべている。睨みつけるも、彼は困ったように笑うだけ。
 もしや、ルクデンブル卿を殺した時点でこうなる事を、彼も予想していたのだろうか?
 視線をササライに向ければ、彼は、静かにアルベルトの言葉を聞きながら沈黙を守ろうとしている。だが、その瞳は悲しげに伏せられている。

 そんな中でも、アルベルトは、更に続けた。

 「それに、私を引き込もうと考えた時点で、こうなる事を……貴女は、考えていたのではありませんか? 様。」
 「……………。」

 ルカは、ここで首を傾げた。彼女が、『アルベルトの上司が、ササライ』だと知らなければ、彼はそうは述べなかっただろう。ということは彼女は、それを知った上で・・・・・ササライを引き込んでしまうと理解した上で、アルベルトにを接触させた事になる。
 だが、しかし・・・・

 「おい、…。貴様は、以前言っていたな? 『ササライをこちら側へ招こうとは思わない』と。それなのに、なぜ今になって、こいつを引き入れる? 自分自身でやっている事が、矛盾していると思わんのか?」
 「……………。」
 「いい加減に、黙す貴様を見るのも飽きた。何を考えているのだ? きちんと説明しろ。」

 おかしい・・・・・・・・おかしい。何かが『おかしい』のだ。
 彼女の言うことに、やること、そのすべてが・・・・。
 何かが違う。何かが狂っている。いったい、彼女は『何を』望んでいる?

 「ルカ。お前は、納得出来る答えが欲しいのか?」

 黙す少女と自分の間に入ったのは、またしてもだった。
 その言葉に、更に苛立つ。

 「貴様……。なぜ、こいつに聞いたことに対して、いちいち貴様が答えるのだ? 俺は、こいつに聞いている。貴様、いったい…」

 何様のつもりだ。そう言う前に、彼が、彼女に「いいんだよな?」と優しく囁いた。その言葉に、彼女は「……あぁ。」と小さな声で答える。小さな拳を握りしめながら・・・・。

 「おい……まだ、俺の話は…」
 「それじゃあ、今日は、これでお開きにしよう。……アルベルト。」
 「…畏まりました。三日後には、決定会議を行えるよう手配しておきます。では、ササライ様、戻りましょう。」
 「うん、分かった…。」






 ササライとアルベルトが出て行った後、ルカは、を睨みつけた。かつて『狂皇子』と言われていた頃のような、殺気じみた目で。
 だが目の前の少年は、それに動じることもなく、静かに彼女を見つめていた。その顔が、少し申し訳なさそうに映ったのは、はたして自分の目の錯覚だったのだろうか?

 「おい、。」
 「ルカ、済まない……。今は、まだ…。」

 頼むから、今は、何も聞かないでくれ、と。
 悲痛な面持ちでそんな視線を向けられてしまえば、もう何も言えない。

 「…………チッ!」

 やるせない気持ちばかりが、ひしめき合う。
 ルカは、立ち上がると、乱暴に扉を開けて部屋を出た。






 ルカが部屋を出て行った後。
 は、いつものように、紅茶を入れた。
 いつものように、彼女の為だけに・・・・。

 「……お茶にしよ…」

 そう、言いかけた、その時だった。



 ズ・・・・・・・。



 突如、身の毛がよだつ感覚に襲われた。
 これは・・・・・体験した事がある。それも、近い過去に。

 咄嗟に彼女に目を向け、傍に駆け寄り、その肩に手をかける。

 「…」
 「……”人”というのは…………難儀なものだな……。」

 彼女は、抑揚の無い、だが無機質でもない”声”でそう言った。
 ・・・・あぁ、彼女ではない。は、直感的にそう感じた。

 「人とは、難儀であるが………我が子らと同じく、”意志”を持つ、か…。その個は、千となり、万となり………やがて、強き”想い”となる…。それを、私は、見てきた………感じて来た……。」

 彼女の”意思”。それは、今どこにあるのだろう?
 彼女は? 彼女は、いま、何を”想って”いるのだろう?
 彼女ではない『彼女』の言葉。それが自分の思考をかき乱す。
 怖気立つような大きな不安ばかりが、胸中を支配した。

 「だが……そこには、やはり………幾万もの”矛盾”を生じさせよう…。それは……そう、我が子らの様に…。全くもって、理解し難い…………しかし、故に……興味深い…。」
 「…。」

 は、その小さな体を抱きしめた。今の自分には、それしか出来なかったからだ。

 「全ては……”必然”であるというだけの事…。”今”が、理に『望まれた』というだけの事…。従うも抗うも、それは、お前たち次第…………お前たちの”心”次第だということ…。」
 「もう、いい……やめるんだ。」
 「許せ……我が子らよ…。私は、お前たちに、求める事が出来ぬ………与える事が出来ぬ…。」
 「もういいんだ………、もう……!!!」

 幼い少女の体を、ただただ抱きしめた。
 戻って来てくれ、早く戻って来てくれと、強くそう願いながら。

 「だが…。私は、”人”には求めよう………”人”には与えよう……。全ては、お前たち”人”の”想い”次第だということ……。」
 「っ…。」

 そっと、己の背に手が添えられた。
 顔を上げれば、目の前には、自分に向かって優しく微笑む彼女。
 今の『彼女』には、決して見られない、慈しむような微笑み。

 「…お前は………聡明な子だ…………………『罰』の子よ……。」
 「っ……。」

 母親のように自分へ囁かれた、その言葉。
 そして、自分の頭を撫でる、その手。
 柔らかな気配を醸しながらも、絶対に揺るぐことのない、存在。



 は、その小さな肩に顔をうずめ、『彼女』を想うことしか出来なかった。