[敵対関係]



 予想外にも、『神殿派』内での彼女の人気は、凄まじいものとなっていた。
 やアルベルトは、あらかじめ『そうなるだろう』との予想をしていた。
 『民衆派』と犬猿の中である『神殿派』は、あの目障りなルクデンブル卿を殺害してくれた『幼い副神官長』の噂を耳に、さぞ小気味良い思いをしたのだろう。瞬く間に『神殿派』内での彼女の人気は、鰻上りに上がっていった。

 「でもなぁ…。」
 「…そうですね。それが『友好条約』となれば、話はまた別となりましょう。」

 その懸念は、すぐに現実となってやって来るだろう。
 そう考えながら、とアルベルトは、それを打ち消す為の話し合いを始めた。






 三日後。

 先日彼女が言った通り、隣り合わせになる国と『友好条約』を結ぶ決定会議の日がやってきた。
 その進行を買って出たのは、ササライ。彼は、やると決めたらとことんやる根性を持っていたのか、自ら「友好条約の決定会議をするなら、僕に進行役をやらせてほしい。」と言ったのだ。そこまでやる気を出してくれたのは、別段悪い事ではないのだが、これから面倒な事になるであろう時に、わざわざ自ら表立つ必要もあるまいに。
 は、そう思ったのだが、諦めたような溜息をついたアルベルトを横目に(仕方なしの意だったのだろう)「それじゃあ、頼む。」と彼に全て任せた。

 連れて来られた場所は、とても広い会議室だった。
 軽く100人は入るだろう。見れば段下の席には、貴族や神官達がすでに集まっている。皆、ハルモニア内でも有力とされている者たちだ。

 「皆、集まっているかい?」

 いつもの柔和な笑みを浮かべながらそう言ったササライの表情には、少しだけ緊張が見られる。彼とて『簡単に決定が下るはずがない』と分かっているのだろう。

 は、段の中央に立って進行を始めた彼を横目に、彼女の手を取り壇上に連れていき、そこにある椅子に腰掛けさせた。そして自分もその隣に座る。
 彼女を挟んだ反対側には、仏頂面を隠そうともせず全面に押し出して座っているルカの姿。彼は、これから起こるだろう惨状を頭に思い浮かべながら、それでも『我関せず』を貫くのだろう。でも、それで良い。彼にまで議論に参戦されてしまっては、いらぬイレギュラーを引き起こす。

 そう考えたからこそは、ササライの隣で進行補佐を務めるアルベルトにそっと目配せした。彼は、それを受け取ると、ササライに耳打ちする。

 「…それじゃあ、始めようか。先日、皆に書面を通じて述べたように、一つ提案だ。」

 ・・・・その調子。その調子で進めてくれれば、何の問題もない。いや、これからあるか。
 これから自分たちに向けられるであろう、非難という言葉の数々。それを『論破』していくのは、彼の仕事ではない。それは自分とアルベルト、そして『彼』の仕事だ。それが、自分たちに与えられた今回の役割。

 「隣り合う各国との『友好条約』。それを決定する為に、今日は集まってもらった。」

 柔らかな透き通る少年の声だけが、室内に響き渡る。

 「その対象となるのは……グラスランド、デュナン共和国、フレマリア親王国、そしてイルシオ幻大国の四国だ。」

 ふと彼女に視線を向ければ、目を伏せている。
 今、彼女は、なにを考えているのだろう? そんな事を考えたが、段下から聞こえた咳払いでそれを打ち消した。見れば、前列から三段目に座っている人物が、自分を睨みつけている。
 あぁ・・・確か、ブリジットだったか。そう思いながらニコリとこれ見よがしに笑いかけてやる。

 「書面にも書いた通り、この案は……すでにヒクサク様の許可を頂いている。」

 ざわ・・・・と段下が、ざわめいた。
 それもそうだろう。姿を消し、死亡説まで囁かれていたあの神官長が『許可を出した』というのだから。しかし、それだけでは納得すまい。姿を現さない彼が『許可をした』とは、いくらでも言えるのだから。自分が貴族側なら、突っ込みどころは満載だ。

 「お聞きしたいのだが…。」

 手を上げてそう述べたのは、中列にいた貴族の男。
 ・・・ほら、くるぞ。
 そう目配せするとアルベルトが頷き、男に発言を許す。

 「本当に……こんな事を、ヒクサク様が許可されたのですか?」

 尤もな意見だ。自分の脳内で思い描いた通りの現実がやってきて、思わず口元が緩んでしまう。だが、それに答えてやるのは自分じゃない。
 目配せをせずとも理解しているアルベルトが、ササライに頷いてみせた。

 「…そうだよ。副神官長である殿が、先日、ヒクサク様に御目通りされたんだ。ここに、ヒクサク様直々の署名を頂いてる。」

 そう言って彼が、一枚の書状を皆に見せる。
 それに書かれていたのは、友好条約を由とする旨と、ハルモニア神聖国の神官長しか使えないとされている押印。皆が皆、その書状を目に驚いている様子だった。

 「しかし…! ここ数十年、ヒクサク様は御姿を隠し、ご健在なのかすら分からぬ。それなら…」
 「…御体調が芳しくないんだよ。でも、あの御方は、ちゃんとこの神殿内にいらっしゃる。それは、殿が確認済みだ。」
 「それならば…!」

 ・・・・だろうな。
 次に相手が口にするのは、「ヒクサク様も、この場にいらっしゃるべきだ!」だろう。
 まぁ、大丈夫。手は打ってあるのだから。

 と、その次に、別の者が声を上げた。

 「ササライ殿。ヒクサク様は、どちらにおわすのですか?」
 「……ブリジット。」

 あぁ、ここで彼女が声を上げたか。でも、これも予想の範囲内。万事順調だ。
 問われたササライは、僅かな期間直下にいた彼女に、困ったような顔をしている。
 それならば、と、アルベルトに目配せしようとする前に、彼女は言った。

 「そもそも、他国と友好条約を結ぶなど…。我が国は、真なる紋章を集めることを国政に掲げていたはず! それなのに……。このような話も、その書状も、とてもヒクサク様の御意思とは思えませぬ!!」
 「…でも、これは、本当にヒクサク様の御意思なんだよ。何故なら、この『印』は、あの御方しか使うことが出来ないんだからね。きみは、それを知らないはずがないだろう?」
 「っ…。」

 ざわざわ。室内が、ざわめく。
 そもそも、ヒクサク様がこの場にいらっしゃらないのなら、意味をなさないことではないか? いや、御気分が優れないからこそ、あの印を押されたのでは? いやいや、しかし、その御姿を見せていただければ、すぐにでも・・・・。

 ・・・ざわざわ煩いな。そう思ったが、ササライに進行を任せたのだから、自分は口出しをしない。そう決めてここに来たのだから、あとはアルベルトに任せよう。

 「…静かに。ここに、きちんとした押印が成されているのに、きみ達は、それでも納得できないのかい?」
 「当たり前です! そもそも、その女が、ヒクサク様の名を語って押印している可能性も…!」
 「…そう。それじゃあ、きみは、ヒクサク様の御意思に背くというんだね?」
 「なっ…そ、そういう意味では…!」

 ヒクサクの名を出せば、いとも簡単に己を引っ込める。それだけブリジットの忠誠心は、本物ということだ。しかし、やり方が手緩い。高位の神官将なのだから頭は悪くないのだろうが、まだまだ若く青い。別にそれがどうという事ではないのだが、は、ふと笑った。
 でも、あぁ、そうか・・・・・それほどまでに、ヒクサクに会いたいのか。

 それなら・・・・・

 そう考えて、隣に座る『彼女』の肩にそっと手を置いた。彼女は、ふぅ、と小さな息をつき、僅かに首を振る。それが『無理だ』という反応でないことを知っていた。あらかじめ、そうなるだろうと示し合わせていたのだから。
 そっとアルベルトに目配せすると、彼がササライに何事か囁いた。それに対し、ササライは唇を噛む。

 「…皆、よく聞いてくれ。僕は、先程、ヒクサク様の御気分が優れないと言った。それでも、あくまでヒクサク様がここに来る事を、きみ達は望むのかい?」
 「…………。」

 あえて『皆』と言ったのには、ササライなりの配慮があったのだろう。性格こそ激情型だが、ブリジットとて、国を思いああ言っているはず。
 しかし、そんな彼らの心情など、にとってはどうでも良いことだった。『彼女』の望みが叶えば、他の者の心内など、箸にも掛からぬ些細な事なのだから。
 またアルベルトに目配せすると、また彼がササライに囁く。ササライが「でも…。」と不安そうな顔で自分を見つめてきたが、それに僅かに口端を上げてやる。

 それが『合図』だった。

 「それなら……ヒクサク様直々の御言葉があれば、きみ達は、納得するというんだね…?」

 その言葉に、また、ざわざわざわざわ・・・・・。

 あぁ、また煩くなった。たかが数十年姿を現していなかっただけの『神官長』が、ここに来るか来ないかの話で、こうまでざわめくとは。
 まったくもって馬鹿馬鹿しい事この上なかったが、は、酷く冷淡な瞳でそれを黙って見つめるに留まった。