[どちらでも]



 「待てっ!!!!」
 「……?」

 決定会議が『応』として下された後。
 会議場を出て執務室に戻っている最中、後ろから声がかかった。
 振り返ればそこには、先程自分たちの策に上手く乗せられ、あれから何も言わずに押し黙っていたはずのブリジット。

 「なんだ、ブリジット?」
 「貴様ではない! 私は、この女に用があるのだ!!」
 「に?」

 国の長が登場しただけであれだけ大人しくなったはずなのに、それが消えたと同時にここまで勢いが復帰するとは・・・もう笑うしかない。
 だが、はそれを腹の内に留めると、チラとを見つめた。彼女は静かにブリジットを見つめている。

 「で、。どうする?」
 「分かった…。あんた達は、先に戻ってて…。」
 「あぁ、でも…」
 「平気…。いいから先に戻って、アルベルトと”先”の話をしてて…。」
 「分かった。それじゃあ。」

 一人にして、大丈夫だろうか?
 そんな不安が過ったが、彼女が大丈夫だと言うのだから問題ないだろう。
 そう考え、は、ルカやササライ、アルベルトと共に執務室へ歩き出した。







 「……それで? 何の用?」

 静かに問えば、目の前の女がキッと睨みつけてくる。別にそれがどうという事でもなかったが、彼女からすれば自分に物申したいことは山ほどあるだろうと考えて、はじっとその瞳を見つめるに留まった。

 「どういうつもりだ!?」
 「……どういうつもりって?」
 「友好条約のことだッ!!」

 国を想うが故なのか。それともヒクサクを想うが故なのか。
 ・・・・・・どちらでも良い。目の前の女が、何を想おうと。自分という人間が気に入らないという事だけは、よく分かっているのだから。

 「それが……ヒクサクの”意志”だからだ。」
 「っ…!」

 そう言えば、彼女が言葉を詰まらせる。
 何が言いたいのかは定かでない(考える必要もない)が、それでも彼女はこの国を愛しているというのか。それまで従っていたのは、『ヒクサク』ではなかったというのに・・・。

 「…私の就任が不満なんでしょ? それは分かってる。でも、それを決定したのはヒクサク本人だよ…。」
 「そんなはずがないッ! 先程のあれも、幻影に決まって…!」
 「…それなら、あいつのいる場所に、今から連れて行ってやろうか…?」
 「っ…。」

 静かに瞳を向けてそう言えば、彼女が黙る。
 ・・・・そう言うことで『邪魔』が減るなら、それで良い。
 それで『始末』しなくて済むのなら、それで・・・・。

 「本人と直接話をしたいのなら、いつでも私に言えば良い。いつでも会わせてやる…。」
 「貴様、何様のつもりだッ!?」
 「私は、何のつもりもない。……もう”人”でも……まして”神”でも、ないんだからね。」

 静かに、静かに。
 心が体が、意識が遠くなっていく。

 「……?」

 ・・・・おかしい。
 また、あの感覚。意識が遠くなり、飲まれていく、よう、な・・・・?
 ・・・・あぁ、そうか。『私』ではなく『お前』が表に出るのか。それならそれで良い。

 私の”意志”をお前が実行し、この『願い』を叶えてくれるというのなら・・・・・。




 ズ・・・・・・

 途端、その場にかかった『重圧』に、ブリジットは戦いた。
 それは、国の長の『加護』とはまた違った違和感を放ちながら、自分を取り巻いている。
 ・・・・いや、違う。『彼女』がその重圧を出しているのだ。

 「これは…!?」
 「…………。」

 彼女はそれに答えることなく、静かに発した。

 「……人の子よ…。お前は……我が子による世界の”支配”を望むか…?」
 「貴様、何を言って…」

 おかしい・・・おかしい。
 目の前の少女は、あの忌々しい女ではない。直感的にそう感じ取った。

 「貴様……誰だ!?」
 「………我を問わず、汝自身に問いかけよ。汝は、人の道を望まぬのか…?」
 「何を…」

 これは彼女ではない。彼女という『器』をした『何か』だ。
 その気配と共に切り替わったのは”意志”か。その色の無い瞳に映るのは自分ではないが、どうすることも出来ない。

 「を出せッ!」
 「………我が主に害成すか? それは、この世界の”意志”に逆らう事になるというに…。」
 「くッ!」

 これは、紋章だ。紋章の”意思”が、表面化しているのだ。
 それは分かっていたが、自分が用があるのは目の前の『何か』ではなく『彼女』なのだ。
 しかし、目の前の何かは、彼女を出す気はないらしい。何も映すことのない瞳で言った。

 「汝が『それ』と想うなら……存分に成せば良い。存分に抗えば良い。」
 「貴様…!」
 「私には……成すべき事がある。故に、私に”個の意思”をぶつけても、意味無きことと知れ…。また、お前一人でどうあがこうとも、それも私にとっては意味無きこと……。」

 話には聞いた事があったが、それが本当に表立って表れるということを知った。原因は分からなかったが、ブリジットは『紋章にも”意思”がある』ことを思い知った。
 しかし、これでは埒が明かない。自分が話したいのは目の前の者ではなく『彼女』なのだ。

 「あの女を出す気はない、ということだな?」
 「……人の子が、我が主に怒りをぶつけ、いったい何になるというか…?」
 「どうしても出さぬというなら、手段は選ばぬ!」
 「……………哀れな。」

 すぐさまレイピアを抜き放ち構える。だが、目の前の何かは、それに構えるでもなく静かに佇むのみ。
 ならば、力づくで・・・!!
 そう考えて、飛びかかろうとすると、後ろから声がかかった。

 「おい、何をしてる!?」
 「貴様は、確か……」

 振り返れば、ササライ直下の金髪男。名は、確かナッシュと言ったか。

 「ナッシュ、邪魔立てするか!?」
 「おっと! 待て待て! 俺は、あんたとやり合う気はない。とりあえず剣を収めてくれ。」
 「お前は、悔しくないのか!? この女に国が滅茶苦茶にされてしまうやもしれぬというのに!!」
 「……さぁな。俺は、上からの命に従って裏方を務めるだけだ。それに彼女は、まだ敵と決まったわけじゃないだろ?」
 「馬鹿者が、国をどうにかさせられてからでは遅いではないか!! 、私は貴様を認めない! いずれ貴様等を、この国から……!!」

 そう言って、転移を使ってその場を後にした。
 必ず、必ず・・・・・・・彼等をこの国から追いやってやると、そう心に固く誓って。







 「おい、大丈夫か?」
 「……………。」

 上司から、粗方の経緯は聞いていた。『抗環の縛』なる呪いをかけられ、女性から少女へと遡ってしまった彼女のことを。しかし、目の前で虚ろな瞳をしている少女があの彼女だとは・・・。
 ナッシュは静かにしゃがみ込み、目線を合わせた。

 「大丈夫だったか?」
 「……………。」

 『』であるはずの少女からは、何の返答もない。
 ・・・どうするべきか。上司に報告するべきか、それとも・・・・
 すると彼女は、抑揚の無い、けれど無慈悲でもない声で言った。

 「……人とは………………人であるが故に……その心に脆さを宿すか。」
 「?」
 「しかし同時に、人であるが故に……”意志”という強さを併せ持つか。脆くもあるが、強くもある………なんと面白き”存在”か…。」
 「、お前……どうしたってんだ?」
 「っ…!?」

 彼女の名を呼んだ途端、それまで色の無かった瞳に”意思”が戻った。一瞬彼女はビクリと肩を引き攣らせたが、自分の姿を見て僅かに眉を寄せる。
 それの意図するところは分からなかったが、彼女が持つ闇色に戻ったことで安堵した。

 「私は……何を…?」
 「おいおい。今、ブリジットの奴と揉めてただろ? どうしたってんだ…。」
 「……そうか……………私は……」

 「。ブリジットは?」

 と、ここで横合いから声がかかった。見ればそこにはという少年。彼女やルカと共にこの国へやって来て、そう時間もかけぬ内にアルベルトやササライまでも引き込み、果ては友好条約決定まで取りなしてしまった男。
 彼は、自分と彼女の間に入ると、彼女の手を取って立ち上がらせた。

 「……どうして…?」
 「紅茶を入れたから、迎えに来たんだ。きみの為に入れたんだから、暖かい内に飲んでほしくてさ。」
 「…そう。」
 「俺もすぐに行くから、先に戻っててくれ。」
 「…分かった。」

 淡々と返して、彼女は去って行く。それをどこか朧げな感情で見送っていたが、ふと視線を戻せば、彼がその背をじっと見つめている姿。
 それもすぐのこと。自分に目を向けると、彼は静かに微笑んだ。

 「……ナッシュ、だったよな。」
 「あ、あぁ…。」
 「きみの腕の良さは、旧知からよく聞いているよ。」
 「旧知…?」

 彼にとっての旧知。真なる紋章の所持者であり、恐らく感じただけではかなり長生きしているであろうその落ち着き。そして、英雄戦争時の・・・・・。

 「……シエラか?」
 「あぁ、そうだ。でも、その話はまたにしよう。きみ……俺の所にくる気はないか?」
 「………生憎だが、俺には家族もカミさんもいるからな。下手な事に首を突っ込んで、そいつらに迷惑かけたくないんだよ。」

 外敵ならまだしも、それが国内のことであるなら尚更だ。身内に被害が及ばないとも限らない。はっきりそう言うと、彼はニコリと笑った。

 「随分と弱気だな。シエラから聞いていた通りだ。」
 「…そういや、あんた、シエラと旧知って言ってたが…」
 「あぁ。きみより深い仲だ、とだけ言っておこう。」
 「…………。」

 屈託なく笑ってはいるが、目の前の少年は自分と同じ『人種』だ。しかもその裏は深く、闇の色に染まっている。だから返答に困ってしまった。
 すると彼は、さも名案を思いついたかのように、手をポンと叩いて言った。

 「そうだ! それなら、ササライに頼めば…きみを譲ってもらえるかな?」
 「……俺は、物じゃないんだが…」
 「さっきの話を聞いている限りじゃあ、上からの命令には逆らえないみたいだからな。」
 「…………。まぁ一応、ササライ様には話を通しておいてくれよ…。」
 「分かった。でも一応、が表立ってきみを欲するまでは、彼女本人には伝えなくて良い。」

 それはきっと『面倒な裏方を、彼女に知られないように上手くこなせ』ということなのだろう。しかしそれは、自分にとってかなりの苦行になる。それまでの『任務』よりも、更に危険な・・・・。

 「……これでも家族がいるんでね。それにもう良い歳だから、あまり過激な仕事は…。」
 「ははっ。俺の見立てでは、あと10年は現役続行でいけると踏んでるんだけどな?」
 「、あんた………結構良い性格してるな…。」
 「よく言われる。彼女の為なら、俺は何でも出来るからな。」

 一瞬、その大らかそうな裏のある瞳に見えたのは、酷く鋭利で好戦的な意思。
 ・・・・まったく。ルカといいユーバーとかいう奴といいこの少年といい、彼女の周りはこんなクセの強い奴ばかりなのか? そこに自分の上司が入ってしまったということは、これからどんどん彼等に毒されていくということか・・・。
 そんな諦めと共に、それを一瞬でも出してしまったのが『運の尽き』か。それとも、逆にそれが気に入られてしまったのか。彼はもう一度屈託なく微笑むと、言った。

 「ついでだ。シエラ繋がりで、今夜一杯どうだ?」
 「…………。」
 「シエラの居場所、知りたくないか?」
 「……はぁ。分かった。」
 「ははっ。本当に、彼女の気紛れには頭を痛めるな? 大方、英雄戦争の後になにも言わずに姿を消されたクチだろ?」
 「……あんたには、本当頭が下がるな…。」

 ポンと肩を叩かれてじっと表情を覗き込まれてしまえば、この少年相手に誤摩化しはきかないだろう。彼の言ったことは、ほぼ全て大当たりだったのだから。長い物には巻かれろとは良く言ったものだ。
 そう考えながら、ナッシュはもう一度溜息を落とした。







 誰もいない執務室。
 扉を開けて中に入るも、そこにルカはおらず、本だけが無造作に放り投げられていた。
 は、すぐに戻って来ると言っていた。

 目を向けたテーブルには、湯気の立っている紅茶。
 気配もなく足音もなくソファに腰掛け、そっとそれに手を伸ばす。

 だが・・・・またも意識を引かれた。

 ・・・・・・あぁ・・・また『お前』が表に出るのか?
 そんなに『器』が欲しいのか?
 私の代わりに成してくれるというのなら・・・・・・いくらでも使え。



 ズ・・・・・・・・・



 「”先”は、まだ見えぬ………終わりも、まだ見えぬ。”人”であればこそ、果てることが出来ように…。だが”人”であるが故、その”先”を見ることは適わぬか。……………世界の”果て”は、まだ見えぬ。そう………………この私でさえ……。」