[記憶の消去]
自分を覆っていた光が、消えた。
少し恐いような、暖かいようなそれが引いたあと、そっと目を開けた。
よく見ると、そこはゲームでも見たことのある場所。
辺りは生い茂る木々に囲まれ、広大な森と呼ぶに相応しい場所。そして、その中心地であろう円柱で縦に長くそびえ立つ、巨大な塔。
その門前に立っていた。
「魔術師の、塔…?」
「…ここが、今日から貴女の”家”となります。」
ゆるゆると迫って来る感動、感激の嵐に身を震わせる。
「家…ですか?」
「そうです。貴女は、今日からこの塔で生活していくのです。」
「家、かぁ…。」
ふと過る。
離れてまだ一日と経たぬ、本来自分の居た場所であった家を。
苦笑いとも、自嘲とも取れぬ顔をしたに、レックナートは問うた。
「まだ……未練があるようですね。」
「ありませんよ。」
そこから一歩も動く気配を見せない彼女に、はっきりと言った。彼女は「そうですか。」と呟いただけで、動こうともしない。
家というのだから、これから中へ入るのだろう。だが、部屋の案内どころか動こうともしない家主。
「あの…。」
「そういえば、貴女の名前を聞いていませんでしたね。」
「あっ……です。。」
「…そうですか。」
「はい。」
話をすり替えたわけではないのだろうが、出鼻を挫かれたと思った。だが、確かに自己紹介をしていなかった為、素直に自分の名を口にする。それに頷くこともせず、自分の名前を繰り返しただけのレックナートに顔を引きつらせていると、彼女が、途端全身を発光させた。
「えっ!?」
「……。貴女はこの扉から中へ入り、最上階へ来てください。」
「……は?」
「私は、先に戻り……貴女を待っています。」
言い終わるか否かで、レックナートがその場から姿を消した。
その場に硬直するしかない。
「ちょっと……自分だけ? ……ズルくない?」
の言葉は、誰に聞かれるともなく静かにかき消えた。
塔の中は、外観で見たイメージの通りだった。
最上階を目指す折り、所々ランプが吊るされているが、薄暗く少し寒いし、自分が階段を上る以外の音という音はまったくない。
灯されたランプの明かりだけでは分からないが、それでも、ずっとずっと上まで続いているだろうこの登り。
正直、この寒さや暗さに、恐怖を抱き始めていた。
同時に、本当にこんな所で生活できるのか、という疑問が浮かぶ。
しかし、階を上がるうちに不思議とその恐怖感はなくなっていった。何故だろう?
確かに、寒いし暗いことこの上ないが、どことなく漂ってくる安心感。
例えるならば、見えない何かがこの塔全体を守っている・・・ような。
そう感じながら、ふと足を止めて、思い立ったことを口にした。
「今……どの時間軸なのかな…?」
なんとなく口に出しただけだったが、ここでまた、違う考えが頭をよぎる。
あとどれぐらい登れば、最上階とやらに辿り着くのだろうか、と。
ならば、こんな所で足を止めては意味がない。そう思い、またゆっくりと階段を上り始めながら、その場その場で思った事を口に出してみた。
「幻水って言っても…いきなり3以降ですとか言われてもなぁ…。でも4より何百年前とかでも困るよね。それより…私はこの塔に来て、何をするんだろう? やっぱアレかな? ルックみたいに、小間使いみたいなことさせられんのかな? っていうか…ほんとマジ、どの時代なんだろ?」
気になる疑問点を上げていくうちに、気がつけば、最上階と思われる場所に到着していた。
ランプが両側に灯された、重厚に作られた大きな扉。
なるほど、家主に相応しい立派な扉だなどと一人納得して、扉の前に立ちそれに手をかけた。
しかし、それを引く前に中から声がする。
「お入りなさい…。」
「あ、お邪魔します。」
見かけとは違い、少し力を入れただけで扉は開いた。
木製であるが故の音は鳴ったが、不快ではない。
自分が入れる程度に開けて中をのぞくと、レックナートが部屋の中心にひっそりと立っていた。
この人が座ってる姿は、ゲーム中でも見たことがない。そんな若干的外れな事を考えながら、中へ足を踏み入れた。
途端。
ズッ、と、何かが全身に負荷をかけた。それは膝をつくほどではなかったものの、軽くよろけてしまうほどの重みだ。
『重圧』とでもいうのだろうか。体全体にのしかかる重みに、不快感が湧く。
「うッ!? なにこれ…?」
「…やはり、貴女には、相応の負荷がかかりますか。」
「は? 言ってる、意味…っ、よっ、く…。」
「……その説明は、いずれ。今は、我慢を強いる事になりますが…。」
「…っ、頑張り…ます…。」
「では、こちらへ…。」
「………はい、ッ。」
彼女は、負荷を感じないのか平然と立っている。それを見て、紋章が関係しているのかもしれないと考えたが、なにしろ全身へかかる負荷や不快感ゆえ、それどころではない。彼女の傍へ行くだけでも、相当な時間を要した。
常人なら十歩とかからずそこへ辿り着けるはずなのに、何しろ、一歩一歩がとてつもなく重い。ようやく彼女の傍に辿り着いた頃には、全身汗だくになっていた。
それとはお構いなく、レックナートは淡々と言った。
「まず、この世界での生活を始める前に、貴女にいくつか注意をしておかなければならない事があります。」
「注意ッ…です、か? という、と…?」
「一つは……ハルモニアという国には、絶対に近づいてはなりません。」
「ハルモニ、っア?」
重圧に必死に抵抗しながら、彼女から出された意外な単語に、首を傾げる代わりに眉を寄せる。ハルモニアといえば、幻想水滸伝のゲームでよく出てくる単語だ。
関連するものを上げていけば、神官長ヒクサク、ササライ、領土侵略、階級制度、虐殺等々。
しかし、何故、今ここでその国の名前を出したのか、理解できなかった。
構わずに、彼女は続ける。
「そして、もう一つ。この世界では、貴女の本名……即ち、『 』という名を名乗ってはいけません。」
「ッ、は? 名前、を? どう、っ、してですか?」
「『』という者は、この世界に存在しないと考えてください。ここは、貴女の居た場所ではありません。これからは、という名を捨てて、新しい名を名乗るのです。」
「名前を…っ、捨てる…?」
彼女の言葉の真意を図ろうとする。釈然としなかったからだ。
自分は、今まで『』として生きてきた。それをいきなり「名を捨てて、新しい名を名乗れ」と言われても、そこに意味を見出せない。
だが、それが彼女の提示する『ルール』であるというのなら、それに従うしかない。第一、この世界にこの名前では、確かに違和感がある。なにより自分は、全てを捨ててこの世界で生きる道を選んだのだから。
名を捨てろと言うのなら、捨ててやろう。言われた通り、新しい名で生きてやろう。今は、全て素直に受け入れよう。
「分かりま、した。とッ、いう名前は、今から…っ、捨てま、す。」
「そうですか。それでは、これから貴女のことを何と呼べばよろしいですか?」
そう問われて、考えた。
捨てるとは言ったものの、新しい名前など、いきなり思いつくはずもない。
だが、フッ、と。
とある名前が、頭に響いた。
同時に、それまで全身を覆っていた”重圧”が、跡形もなく消え去る。
「あれ? なんか軽くなった…。」
「っ…………!?」
何が起こったのか分からず、レックナートを見つめる。だが彼女は、僅かに戸惑いを見せた後、何か思案しているようにこちらを向いたまま動かない。
訝しげに思って声をかけようとすると、彼女は、顔を心持ち俯かせた。
「……名が、決まったようですね。」
「えっ? あ、あぁ、はい…。」
「では、何と…?」
「。」
「ですか。良い名ですね。」
「本当ですか? ありがとうございます!」
自分の新たなる名を褒められ、素直に喜びを口にする。だが、直後、またもあの重圧。
「いっ…!? 何ッ、で?」
「………………。私にも分かりません。では、もう一つだけ、貴女に承諾してもらわなくてはならない事があります。」
「…なんですっ、か?」
次々と起こる不可思議な現象。それを頭の隅に追いやり、まだあるのかと彼女を見つめると、その表情は険しい。これは更なる試練が待っていると考え、気を引き締める。
暫し口を閉ざしていたが、やがて彼女は、静かに、ゆっくりと言った。
「貴女の…、この世界の”歴史”に関する……”記憶の消去”です。」
その言葉に目を見開く。知らず知らず、眉間に皺を寄せて俯いた。
レックナートは『記憶の消去』と言った。『歴史に関する』という部分で、彼女の思惑は大体分かる。恐らく、自分がこの世界の歴史を知っているのはまずい、ということなのだろう。
だが、何故、彼女がそれを知っているのだろうか。それを口にすると、彼女は僅かに首を横に振った。『言えない』ようだ。
「何でっも、みえ、るんでっ…すね。」
「………歴史とは、人の想いが紡ぐもの。ですが貴女は、この世界の行く先を、僅かながらも知っている。それがどういうことか、分からないわけではないでしょう?」
「えぇ…っ。」
「……貴女は、この世界では、”異端”と呼ばれる存在です。あなたがどのような記憶を持ち、どのような道を進んで行くのか、それはまだ私には分かりませんが、その記憶が貴女の中に存在し続けることを、この世界は決して許しません。」
その記憶の存在があり続けることを、この世界が許さない。実に厳しい口調をもって、彼女はそう言った。その絶対的な意思に、一瞬、目に見えぬ巨大な何かを感じ、思わず戦く。
しかし、なるほど。それがこの世界で生きていくために不要ならば。それが、この世の意思であるならば、逆らうことはしない。
それに彼女は、『この世界の歴史に関する記憶』と言った。つまり、自分の本当の名、生まれ育った場所や記憶を失う事はない。まっさらになるわけではないのだ。
それなら・・・。
「わっ、かりまッ、した。」
その答えに、彼女は、意外そうな顔すらしなかった。自分が『Yes』と答えることが分かっていたのだろう。
「宜しいのですね?」
「っは、い。」
「では、もっと近くに…。」
傍に寄ると、額に手を当てられた。よく分からないが、黙って目をつむる。額に触れる白い手が、ひんやりとして気持ち良かった。
何か言霊のようなものが聞こえ、それに促されるよう彼女の手が光に包まれるのが、瞼を通して伝わる。目を閉じていても分かる、眩く淡い光。
あぁ、そういえば、レックナートは”門の紋章”の片割れを持っていたなぁ、と思った。
「我が手に宿りし紋章よ。この者の、歴史の記憶を……」
きっと、最後は「消し去れ」だったのだろう。
しかし、その言葉を聞く前に、の・・・・・・の意識は、闇へと落ちた。
太陽暦451年。が20歳の時。
そしてそれは、これから長い永い時を生きていく、一人の女の『物語』の序章。