[風の子]
──── ────
「………………。」
──── ────
「……だ……れ?」
──── ────
「……声……?」
──── 早く 私の元に ────
「……な…に………?」
──── 継承者よ ────
目を開けた先にまず入ってきたのは、真っ暗な闇。
「ここ…。」
ぼんやりとする頭を抑えながら身体を起こし、どこかに光を探す。
無意識にそれを捕らえ、焦点を合わせると、小さな窓を見つけた。
ゆっくりと立ち上がり、その場所へ近づき見上げると、月。静かに世界を照らしている。
その明かりを頼りに部屋の中を見回した。ここは、床も壁も天井も全て石で作られているのか、ひんやりとした冷たさを漂わせている。
よく目を凝らすと、部屋の隅には木製の机と椅子が置かれている。コンパクトな所を見ると、どうやら一人用だろう。
壁際には、部屋の一辺を陣取るように大きな本棚が三つ置かれており、その中には大小様々な本がずらりと並んでいた。
恐らく、部屋の主が、本好きなのだろう。
次に、今まで自分が寝ていたベッドに目を向けた。これも木製のもので、上に厚手のシーツをかけただけの実に簡素なものだった。
僅かな時間、パッと見えた物だけで、ここが『誰か』の部屋だと判断したが、自分の好みの物はここには置かれていない。言うなれば、質素。生活感のかけらもない程の。
いくら何でも、レックナートの部屋ではないだろう。いや、彼女ならばありそうだけれど・・。
暫くじっとベッドを凝視していたが、それも無意味と判断して、ため息混じりに呟いた。
「誰の部屋なわけ…?」
「僕の部屋だよ。」
「っ!?」
まさか返答されるとは思わなかったので、の肩は、素直に跳ねた。
人間とは実に面白いもので、本人に全くその気がない時に何かが起こると、驚いて目を丸くするものだ。今のがまさにそれで、目を細めて月明かりを頼りに、声の先を伺った。
あの『声』ではない。あれは、頭に響くようなものだった。
今の声は、自分に真っ直ぐ届いてきた。これは、絶対に生身の人間のものだ。
だが、聞こえるのは夜の音だけで、他は何も無い。
「…………。」
一瞬、幽霊とかだったらどうしよう、といった考えが脳内を駆け巡った。と同時に、もの凄い早さで今起きたばかりの布団へ潜り込み、背を丸める。
すると・・・・・
「……ふーん。そんなに恐かったのかい? いい歳して、みっともないね。」
先ほどの位置辺りから、またも声が聞こえた。恐怖のあまりシーツを頭からすっぽりと被り、背を向けて動かないようにする。というよりも、恐くて動けない。
なんまんだーなんまんだー成仏してください。そう頭の中で念仏を唱えていると、シーツ越しに光を見つけた。光具合からして、すぐ傍で。それは段々と強くなり、すぐに消えた。代わりに、オレンジ色の明かりがシーツの先で揺らめいている。
人魂なんて初めてみた。そんな好奇心と恐怖に葛藤していると、今度は近づいてくる足音。
幽霊にも足音があるのか! ギョッとしていると、頭上から声が降ってきた。
「…きみが起きたら、レックナート様に『連れてくるように』って言われてるんだけど?」
ピタ、っと震えが止まった。と同時に思いきり「はァ!?」と声を上げてしまう。
聞き覚えのある人名に、緊張が解けたのだ。
「…きみの怯える姿、実に滑稽だったよ。でも、僕もとっとと用事を済ませたいから、早く起きてくれる?」
突っかかるような物言いに、途端、恥ずかしいやら何やらで怒りが押し寄せる。
おー! ならとっとと起きて、文句の一つでも言ってやろうじゃねーかよ!
勢い良くシーツをブン投げ、起き上がった。だが、またも「はぁ!?」という声を出してしまう。
そこには、自分よりも随分年下であろう、緑と白を基調とした法衣を纏う少年が、ランプを手に立っていた。
もしかしたら、先ほどの光は、レックナートの使っていた転移魔法と同じものなのかもしれない。
こんな小さいガキんちょに脅かされ、軽く現実逃避に走ってしまう。だが、じっとこちらを見つめてくる少年の瞳には、嘲笑いと軽蔑の念が含まれていたため、『こんな子供に負けてられない!』と、気を取り直してニッコリ笑い尋ねてみた。
「…で、ボクの名前は?」
「…………。」
子供扱いが気に入らなかったのか、少年は、眉間に盛大に皺を寄せてため息をついた。思いっきり深く。その短い中にも『これ見よがしの嫌味』を見つけて、思わず口元を引きつらせる。
このガキャ、ほっぺた千切れるぐらい抓ってやろうか。そう考えて手を伸ばしたが、すんなりと交わして少年は答えた。
「僕は、レックナート様に、きみが目を覚ましたら『連れてくるように』って、言われてるんだけど?」
このクソガキはなっから質問に答える気ねーだろ、こっちが友好的に話してるっちゅーのに、むしろてめーの用事とっとと済ませたいってだけで、そもそも会話すら希望してねーだろ、しかもいま鼻で笑いやがったぞこのクソガキ、洒落たつもりでイカしたランプなんか手に持ちやがって、クソクソクソクソ・・・!
口元を引きつらせ続ける自分を他所に、少年は話を進める。
「もう目は覚めたよね? だったら、とっととこっちに来てくれない? 僕、これ終わらせたら本読みたいからさ。」
このクソガキ、いつかひったたく! そう考えながら、舌打ちしてベッドを出た。レックナートが呼んでいるのなら、行くよりないだろう。
それに、記憶の消去とやらをした後に自分がぶっ倒れてしまったせいで、迷惑をかけた可能性が高い。それなら、この少年に突っかかっていても仕方がない。
そう考えて立ち上がり、少年に目を向けた。
「……あれ?」
ここで違和感を感じ、少年の顔をまじまじ見つめた。
見覚えのあるその顔、雰囲気。このいつでもどこでも不機嫌丸出しの顔。オリーブグリーンの肩口まである髪に、ペールグリーンの綺麗な瞳。
「もしかして、あんた……ルックって名前?」
「……? ………行くよ。」
問いを黙殺された。が、それこそが肯定なのだと知り、納得する。
たぶん彼は、『なぜコイツが、自分の名前を知っているのか?』とでも思ったのだろう。少し得意気になってフフンと笑って見せると、少年は、更に不機嫌そうに目をそらしながらも手を差し出してきた。
自分よりも、ずっとずっと小さなその手を取って、これから来るであろう光の出現に目を閉じた。
「目が覚めたようですね…。」
「は、い。ご迷、惑をおかっ、け、しました。」
ルックに連れられて、レックナートのいる最上階の部屋へ向かったものの、あの時と同じく部屋に入った途端に重い荷物を背負わされているような『重圧』。一度ならず二度までも、のしかかってきやがった。
余りの辛さに膝を折ってしまったが、隣に立つルックは、平然と突っ立っている。なんつー憎たらしい小僧だ。そう思ったが、とある違和感を感じた。
「ちょっっ、と…なんであん、た平気な…の?」
「そんなきみは、なんで、途切れ途切れに話しているんだい? 随分と面白い奴だね。」
「ッ、ム、カツ、クっ…!」
「……惨めだね。」
対抗してベラベラ言い返してやりたいが、それすら許されないこの状況。かたや跪いたまま憎々しそうに少年を見上げ、かたや平然と姿勢良く立ち、涼しげな顔をして女性を見下す。
マジムカツクマジムカツク! 睨みつけていると、レックナートがそれを遮った。
「…、どこか異常はありませんか?」
「は、い?」
思わずそう聞き返してしまったが、すぐに思案した。記憶の削除のことだろうと合点がいったが、それはすぐに『なぜ異常を問うのか』という疑問に変わり、別段何も異常はないと告げようとする。
と・・・。
「………きみ、三日間、ずっと眠りっぱなしだったんだよ。」
「え、っ、えぇ! マジ、でッ!?」
起きた時に月が出ている事から、てっきり数時間しか経っていないのかと思っていた。だが、それはただの勘違いで、実際は、意識を失ってから三日半も経っていたのである。
故に、レックナートが心配しているのだと悟り、頭を下げた。
「ほ、本、当っに、ご、御迷、わッく、を…。」
「……全くだよ。」
おい待てなんでお前がそんな上から目線で返答する。と、またも口元を引きつらせる。
部屋にかかる重圧と胸に湧くムカつきのせいで、思うように言葉にならないため、彼を横目で睨みつける。
上手く口が回らない、回らせてくれないこの部屋を、心底憎々しく思う。
握りしめた手にもしマンゴーでもあったなら、それは間違いなくグチャグチャに潰れていただろう。あまりの憤りで、目が座る。それを嘲笑うように鼻を鳴らす少年。
敗北決定の攻防戦は、またもレックナートによって遮られた。
「…ルック、ご苦労でした。貴方は、もう下がりなさい。」
「はい。」
「えっ? ちょっ…」
彼女への返答を合図に、彼の身体が眩い光に包まれる。
そして去り際、彼は、小馬鹿にしたような笑みで、言った。
「………僕に感謝するんだね。」
待ったの合図をかける暇もなく、彼は姿を消した。
「…僕っ、にか、んしゃ?」
光の名残すらなくなった部屋で、眉を寄せる。
すると、黙って彼を見送ったレックナートが、「貴女が眠っていた三日間、ルックが看病していたのですよ。」と言った。
思わず「え、うそッ!?」と声を上げてしまう。
「貴女の部屋の用意がなかったので、貴女が眠っている間、ルックの部屋に寝かせておいたのです。」
「う、わー…マジで、すかっそ、れ?」
「……意外ですか?」
「当た、り前で、す!」
自由にならない身体の代わりに、腹から声を出す。その言葉のつかえっぷりが自分でもおかしくなって、思わず笑った。だが次には「困ったなぁ」と呟いていた。まさか自分の寝ていたベッドが、あの少年のものだとは思わなかったからだ。
「どうしました…?」
「いや…、あとっで、お礼に行、きたいんで、あの、子の部、屋…教えても、っらってもいい、ですか?」
「分かりました。」
「そ、だ。それっ、で、何か用、があったん、じゃ?」
思い出したように問うと、彼女は、「では…本題に入りましょう。」と言った。
「この世界の歴史に関して、何か思い出せることはありますか?」
「えっ? っ、と…。」
そう問われ思い出そうとする。
・・・・・・・何もない。何もないのだ。本当に、何も・・・・。
いくら頑張って思い出そうとしても、知っていたはずの『幻想水滸伝という世界の歴史』だけが、ぽっかりと消え去っていた。
「………思っ、い出せ、ま、せん。」
「そのようですね。では……。」
「あ、のっ!」
「…なにか?」
「あ、の、私、ルッ、クのこと、覚えてた、んですけっど…。」
「……それが、何か? 私は『歴史の』と貴方に伝えたはずです。私が消したのは、何度も言いますが『この世界の歴史の記憶』。それは、歴史に関する事柄だけで、人物に関する記憶はその対象ではありません。」
「分かっ、たよ、な、分からな、いよう、っな…。」
疑問に対する返答は、混乱だった。
たとえ記憶を消したとて、対象となる人物との接触により、なんらかの形で色々とズルズル芋づる式に思い出してしまうのではないかと思ったからだ。
だが、どうやらそうではないらしい。何故なら、ルックの事を覚えてはいるのだが、彼が何をしてどうの、なんて事柄がさっぱりと思い出せない。もちろん、レックナートに関しても、彼女の顔と名前がレックナートだということ、そしてこの魔術師の塔に住んでいるということ。ただそれだけしか思い出せないのだ。
それが、封印などという生易しいものではなく、綺麗さっぱりの『削除』なのだなと思い知る。
深い納得に頷いていると、彼女は、この話題を終わらせ次に入った。
「それで、貴女の部屋ですが……。」
自分の部屋になる場所を聞いた後、まず向かったのは、ルックの部屋だった。
レックナートからランプを受け取り、重い荷を彷彿とさせる重力がかかる部屋をなんとか這い出て、階段を軽やかに舞い踊り(途中、踊り場で派手にコケたのは内緒だ)ルックの部屋の前につく。
扉をノックすると、想像した通りの仏頂面が顔を出した。
「……何?なにか用?」
「お礼言いに来た。」
「………は?」
「なに、その超意外そうな返事? だから、お礼言いに来たんだってば。」
「…っそ。」
そっけない返事をして、彼は部屋に入っていった。しかし扉を開けっ放しにするあたり、入って来いということなのだろう。
続いて部屋に入り扉を閉めると、自分が三日間ぐっすりとお世話になっていた生活感のない部屋模様が目に入る。
どうやら彼は、読書をしていたようで、一人用の机にはランプと本が置かれていた。
「…で?」
「で、って?」
「お礼を言いに来たんでしょ?」
「あ、そうだった。」
「早くしてくれない? 僕、本読んでるんだけど。」
「…はいはいごめんよ。」
なんでこう、上から目線でいちいち勘に触るような物言いをするんだろう。
そう思いながら、彼の正面に立つ。
本音を言えば、その頭をド突いてやりたかったが、一応、三日間も御迷惑をかけたとの事なので、ここは自分に出来る限り下手に出ておこう。それに、彼の言うことに一々腹を立てていたら、こちらが先に参ってしまう。
そんな事を考えながら、思いっきりはきはきと礼を言ってやった。
「ルック、ありがとうね!!」
「っ……。」
思いっきり笑顔で、思いっきり高いトーン。これには、流石の彼も、一瞬だけ目を丸くしていた。
どうだ参ったかこのガキ。そう思ってしまったのはご愛嬌だが、さておき。
レックナート部屋の重圧の疲労を残したまま、この少年の毒舌を喰らったら、たぶん相当参ると思ったため、「じゃ、おやすみ…。」とだけ言って、さっさと部屋を出ようとドアノブに手をかけた。
腕を取られたのは、ノブを回す前だった。
「なに?なにかよう?」
「………それ、誰の真似だい?」
「さぁ?」
「………。」
目を合わせてニヤリと笑ってやると、彼は、無言で睨みつけてくる。
自分をジロリと睨みつけるその瞳を、綺麗な色だなと思った。
「ふふっ。で、何? どしたの?」
降参のポーズを取りながら向き合うと、彼は、ため息をつきながら言った。
「名前……聞いてなかったよね。」
「え? レックナートさんに聞いてないの?」
「……聞いてるわけないだろ。僕は、きみを連れてきたレックナート様に『看病をお願いします』って言われただけだし。」
「へぇ…。けっこう適当なんだね、レックナートさんって…。」
「……まぁね。で、分かったなら早くしてくれない? さっきも言ったけど、僕本読んでるんだよね。」
ツンとした最後の言葉には、流石に頭にきた。考えるよりも先に、本能が優位に立ち無意識に手が出る。ベシッ、と小気味良い音が部屋に響いた。
「………!?」
彼は、何をされたのか分からないのか、暫く目を丸くしていた。が、すぐに自分がされた事を察知してか、咄嗟に声を上げた。
「なっ、何するのさ!!」
「可愛くないから。」
「っ……きみに言われたくないね。」
声を上げたことを恥じたのか、すぐ冷静さを取り戻した彼が応戦に入る。しかし、すぐそれに裏拳を飛ばしてやった。立て続けに二発目を喰らった彼は、叩かれた頭をさすりながら、涙目で睨みつけてくる。
「きみ………覚えてなよ。」
「はぁ? 覚えてるわけないじゃん。明日になれば忘れてるし。」
復讐を予告する不穏な少年に、歯を見せて笑ってやる。そして、手を振りながら「私は、。これから宜しくね!」と言って、部屋を後にした。
「………………変な奴。」
一人になった部屋で、少年ルックはそう呟き、椅子に座って読書を再開した。