[予告]



 テッドと
 二人だけの旅を始めてから、長い、永い時が過ぎた。
 それは、とてもとても長い時間だった。

 実に、138年という・・・・永い時だった。

 それが、これからもずっと続いていくものだと・・・・・・・信じていた。






 紋章を宿す。
 そう決めた時から、分かっていたことだった。

 それは、老いることもなく、”時間の流れに取り残される”こと。
 ”天寿”と呼ばれるものを越えて尚、本来持つ『人』の定めから外れること。
 余程の致命傷を負ったり、自らが幕を閉じようとしない限り、”それ”は終わらないものだと・・・。



 分かっていた。
 分かっている『つもり』だった。
 しかし、それはただの『つもり』なだけだったのだと思い知った。



 紋章を持つ者として与えられた、時間。その”苦痛”に捕われる意味を知った。
 紋章を持つ者として与えられた、恐怖。決して訪れぬ”終わり”の意味を知った。

 それらを身を以て感じるようになった時、年老いず流れに晒され続けることに耐えきれずに、己を閉じ込めた。

 分かっていたはずだった。覚悟していたはずだった。
 自分が”これ”を手放さない限り、永遠の時を生きると。
 この世界を求め、自分を育んだ世界の全てを、捨てた時から。

 しかしそれは、やはり『朧げな覚悟』だった。
 きっと、それだけは、経験しなくては理解出来ぬものだった。

 余りの時間の長さと、老いることなき変わらぬ感覚に、気が狂いそうになった。
 果てない流れの中で、涙の枯れぬ夜が続いた。
 決意がなかったわけではなく、また、覚悟が弱かったわけでもない。
 時間は、永遠と言われる”時”は・・・・それ以上に、『人』にとって重い流れだった。

 真なる紋章を持つ者でも、”人”は、”人”以上には成れないのだから・・・・。



 『この苦しみから解放されたい』と、己の手首を刃で傷つけた事があった。
 河の流れを見つめ『この流れに身を任せれば、自分は楽になれるのか?』と、その身を委ねた事もあった。

 老いることなく、何も変わらず、様々な人が流れ逝く中で、自分は一歩も動かず動けず、ただそこに留まり続ける。それでも、自分と出会った人々は、いつか安らぎを手に入れ旅立っていく。
 初めて味わう恐怖だった。初めて、紋章を手にしたことを悔やんだ。

 どうして、自分の姿は変わらない?
 どうして、眠りにつくことが出来ない?
 なぜ自分は、この道を選んでしまったのか?

 悩み、苦しみ、恨み、呪った。・・・・・・・・・・全てを。



 そんな彼女を支えたのが、テッドだった。
 彼は、彼女達に出会うまで、150年という時をずっとずっと一人で放浪していた。
 彼は、永い時を過ごすその”意味”を知っていた。
 そして、それが人にとって”苦痛”以外の何ものでもないことを。

 二人で旅を始める頃から、ずっと懸念していた。彼女が、いつか”それ”に捕われてしまうのではないかと。無論、彼女だけでなく、その友人であった群島諸国時代の軍主に対しても。
 どれだけ精神が強い者であろうと、真なる紋章を持つ者は、いつか必ず”それ”と対峙する時がくる。
 本来持つ寿命以上の時の流れは、人には重過ぎる。

 遠い過去、彼自身も、尽きることのない生の長さに気が狂いそうになったことがあった。
 その時の彼には、支えてくれる人が誰もいなかった。自傷し、恨み、世界の全てを呪った。

 しかし、死ぬことが出来なかった。死ぬわけにはいけなかった。
 呪われた紋章とはいえ、大切な人から預かったものを捨てて死ぬことなど出来なかったから。呪われた紋章。それだけが、彼女に出会う前の、彼の”唯一”の心の支えでもあったのだ。



 彼の心配は、彼女と共に旅を始めてから数十年後に的中した。
 思った通り、彼女は全てを呪った。
 それは、まるで過去の自分を見ているようで。
 だからこそ、テッドは、彼女を支え続けた。

 自暴自棄になり、手首を切った彼女から、慌てて刃を取り上げ。

 ふらりと河へ足を運び、ふと目を離した隙にその身を投げた彼女を、救い出し。

 幾夜、死ぬことのない恐怖に泣き狂う彼女を、只ただ抱きしめて・・・・。



 そんな時間が、何年も、何十年も続いた。



 そんな彼に支えられていく内に、少しずつではあるが、彼女は自我を取り戻し始めた。
 完全に取り戻すまでには、気の遠くなるような時間を要したが・・・。

 そして、ようやく本来の自分を取り戻した彼女は、それまでの人生を思い返した。
 そして思った。『彼も自分と同じだったのだ』と。
 彼も自分と同じ。いや、それ以上の苦しみを味わってきたのだと。

 自分と出会う前、彼は、すでに齢100を超えていると言っていた。
 そして、自分と出会い共に長い時を過ごした。
 何十年という時間を、自分を支えることだけに尽してくれた。

 本当に申し訳なかった。ポツリとそう漏らすと、彼は、優しく抱きしめてこう言ってくれた。

 「人は……いつか死ぬ。でも、俺は………絶対に、お前を置いて逝ったりしないから。」

 その言葉に、『死』に逃げようとした己を恥じた。
 そして再度、心に誓った。『この人と生きて行こう』と。『自分は、この人と永遠を生きよう』と。
 決して・・・・決して、違えることのない想いを。



 永い長い時の中で、二人の絆は、更に深いものとなった。
 そんな中で、いつしかは、彼に淡い想いを抱きはじめた。だが、それを伝えることはしなかった。彼は、きっと自分を『友人』として見ているだろうし、自分もまたそうしてきたのだから。
 これまでの関係が崩れるのが、恐かった。だからこそ知らなかった。

 彼も、自分に同じ想いを抱いていたことを・・・・・。






 そうして、138年という、長い永い時が過ぎた。






 数え切れないほど陽は昇り、沈んだ。
 数え切れないほどの戦いを経験し、絆はさらに深まっていった。
 そして、の刀を扱う術も、今や強敵を一撃で仕留めるまでに上達していた。



 その日の夕刻。
 久々に人里に下り、旅の疲れも相まって、二人は早々に宿を取って就寝していた。
 相当量の疲労がたまっていたため、すぐに寝付くことができた。

 真夜中。

 ふと、何かの気配を感じて、は目を覚ました。とても懐かしく思える、その気配。
 ゆっくり体を起こしてベッドから出ると、気配が、すぐに部屋から移動を始めた。彼を起こさぬように部屋の扉を開けて、気配の導くままに宿を出る。

 宿の裏手に着いた辺りで、気配は消えた。代わりに、ボゥ、と淡く白い光が現れる。
 この光を知っていた。

 光は、ゆるゆるとその幅を広げ、やがて人の形を成した。

 「……レックナート……さん…?」

 光の中から現れた人物。それは、かつて共に暮らし、自分を過去へ飛ばした女性。
 思わず目を見開いていると、彼女は、ゆっくりと口を開いた。

 「。」
 「な、なんで……」
 「貴女は強くなりましたね。そして、苦しみを乗り越えました。」
 「苦しみ…?」

 最初、彼女が何を言っているのか分からなかった。だが、すぐにその『苦しみ』というものに思い当たり、僅かに眉を寄せて俯く。
 彼女の言った苦しみとは、即ち”時間の流れ”のことだろう。そして、それを乗り越えたのだと言ったのだ。

 「……はい。私は、彼のおかげで……苦難を乗り越えることが出来ました。」
 「…。」

 彼女は手を伸ばすと、自分の頬に手を滑らせようとした。しかし、どうやら実体ではないらしい。その白い手は、触れることなく擦り抜けた。
 少しだけ、彼女の表情が動いた気がした。

 「……。再び、宿星の集う時がやってきました。」
 「宿、星…?」
 「はい…。貴女は、己が苦難を乗り越え、そして……必要不可欠であった”経験”を手に入れました。」
 「……はい。」



 「貴女は、ようやく……貴女の”在るべき時代”に戻る時が、やって来たのです。」



 淡々と告げられた、その言葉。それは、自分を驚愕させるのに充分だった。
 心臓が、早く脈を打つ。
 いきなり現れて、いきなり『戻る時がきた』と言われ、愕然となった。
 それは、次第に『信じられない』という気持ちに変わっていく。

 いきなり現れて、突然何を言い出すのだ、この人は?
 戻る、だって? どこへ?
 ・・・・・・・・・未来へ?
 自分が元いたはずの未来へと、戻れと言うのか?

 ・・・・・・・いまさら?

 なぜ、今じゃなくちゃならない?
 なぜ、こんな突拍子もなく・・・?
 ・・・別れる? 彼と別れろというのか? 離れろと言うのか?

 彼を、また一人にしろと・・・・そう言うのか?

 ザワ、と胸中がわなないた。大きな戸惑いと、僅かな怒り。
 それは次第に心を浸食し、最終的には、感情的な声となって現れる。

 「なんで…!?」
 「……星は、再び貴女に出会うことを、待ち続けているのです…。」
 「なんでいきなり…! 私は、テッドと一緒にいるって誓ったんです!」
 「…落ち着きなさい、…。」
 「もう、絶対に一人にしないって……ずっと一緒に生きるって…。だから、私は、…っ……帰れません!!」
 「………。」

 はっきりとそう言った。けれど彼女は、それに僅かに首を振るのみ。

 「それに、あと数年すれば……私が来た時代になるはずです、だから…!!」
 「それは、なりません……。」
 「なんでッ!? だって、あと少しなのに…!!」
 「、勘違いしてはいけません。貴女が、このままこの時代に存在し続けるのなら、この時間軸には、貴女という存在が”二人”になってしまう…。」
 「私が……二人?」
 「はい…。忘れましたか? 貴女がこの世界へやって来たのは、太陽暦451年。貴女がこのまま戻らなければ、この時間軸には、貴女が二人存在してしまうことになるのです。それでは、世界に混乱を招くのです。」
 「っ……。」
 「同じ時間軸に、同じ人間が二人……。それは、決してあってはならないことです。」

 確かに。
 同じ時間軸に、同一人物となる者が二人いたとあっては、彼女の言う通り、それこそ混乱を招くだろう。それに、どこで”歪み”が生じるか分からない。
 自分がどこかで誰かに会うことで、”過去の自分”が、その誰かに会ってしまう可能性もある。同じ人間であっても、経験の差は埋められない。それは、同一人物でも”経験値”によって、物の見方や考え方が異なるということだ。

 しかし・・・・・。

 彼女の言うことに、どうしても納得出来なかった。テッドを残して自分の居た時代に戻れ、と言われているのだから。
 彼を一人にすることなど・・・・今の自分には、到底出来ない。

 「…………嫌です……絶対に嫌です!!!」
 「……。どうか、分かってください…。」

 彼女を見つめる。少しだけ、哀しみにも似たその表情を見て、胸が痛んだ。

 「。貴女に…僅かではありますが、時間を与えましょう。期限は、次の満月の宵。その時が来たら、貴女は、元居た場所へ戻るのです…。」
 「そんな……!」
 「……どうか、許して下さい。私は、貴女の望みを叶えることが出来ません。ですが、どうか分かって下さい…。」

 そう言って、レックナートは、光を残して消え去った。






 「なん…で……どうして………?」

 彼女の残した言葉を、心で噛み締めながら、そう呟くことしか出来なかった。