[告白]



 翌朝。
 薄いカーテンの隙間から漏れる明かりで、テッドは目を覚ました。とは言っても、まだ昼は過ぎていないようで、陽はそう高くない。
 そのまま流れで隣のベッドを見ると、どうやら彼女は、すでに起床済みのようで、簡素なシーツが綺麗に折り畳まれていた。
 しかし、その姿はどこにも見当たらない。

 「……?」

 いつもなら、自分が起こすまで、グースカいびきをかいて寝ているはずなのに。
 ・・・・何かおかしい。よもや、天変地異の前触れか?
 そんなことをボンヤリした頭で考えながらベッドを下りて、簡単に身支度を済ませてから部屋を出た。






 彼女の様子がおかしい。そう思ったのは、それからすぐのことだ。
 部屋を出たところで彼女と出くわし、軽く挨拶を交わした。
 しかし、感じたのは、言い知れぬ違和感。

 昨晩は、特に喧嘩もなく、それに繋がるようなやり取りもなかった。彼女は笑って「おやすみ。」と言って就寝したはずだし、自分もそれに「おやすみ。」と返して眠りについたはずだ。

 それなのに起きてからというもの、彼女は何も話そうとしない。目を合わせばニコリと微笑んでくれるものの、すぐに視線を逸らしてしまう。なんとなくではあるが、会話したくなさそうな空気。そう感じた。

 旅荷を整えて宿の会計を済ませる間も、彼女は何も言わなかった。黙って、俯いて、なにかじっと考えこんでいるようだった。

 街を出て、険しい山道を登り、途中から獣道へ入る。
 いつものような、「まーたモッサリした道なわけー?」と言う愚痴がなかった。

 ・・・・・やはり、おかしい。
 問いつめるには簡単だったが、これだけ長い付き合いがあるのだから、切羽詰まればいずれ自分に相談してくるだろうと考えて、取りあえず歩を進めることにした。






 陽が西へ沈み、月が夜空へ昇り始める頃、森のまっただ中にいた。
 今日は、これ以上進むのは諦めよう。そう思い、テッドは彼女に伝えた。
 いつものように、近くにある木の枝やら葉やらで火をおこし、その周りに枝に刺した食料を焼べる。
 適当に焼けたものからパクつき、村の井戸で汲んでおいた水を飲み、そっと彼女を盗み見る。ゆらゆら揺れる火を見つめながら、その瞳は、遠い場所へ向けられていた。

 「なぁ……食わないのか?」
 「ん…?」

 いったい何をそう悩んでいるのかは知らないが、考え事をするなら、先に腹を満たしてからにした方が良い。そう思いそう言った。しかし、あまり食欲がないのか、はたまた考え事に集中したいのか、彼女は、実に曖昧な返事を返すだけで手を動かそうとはしない。
 その様子から『これは、流石に問いつめた方が良いか』と考える。だが、それを口に出そうとするより早く、彼女が立ち上がった。

 「おい…。」
 「あー……。ちょっと……枝、拾ってくるわ…。」

 ・・・・このまま行かせてはならない。なんとなくそう思った。
 それは『勘』とも言えない、ちっぽけなものかもしれない。けれど、彼女の腕を掴むには充分な理由だった。

 彼女は、肩を引き攣らせた。だが離してなるものかと、痛がらない程度に手に力を込める。
 彼女は、振りほどこうとはしなかった。それがなんとなく癪にさわる。こちらを振り返りもせず、作ったような明るい声で「なに?」と聞いてくる。僅かに苛立ったが、それを極力表に出さないよう、静かに問うた。

 「お前……何かあったのか?」
 「………。」

 短い沈黙。その後、彼女は、俯き背を向けたまま「……何もないよ。」と言った。

 「嘘付け。お前、今日絶対におかしいぞ。」
 「別に、そんなこと…」
 「絶対おかしい。起きたときから、おかしかった。」
 「………。」
 「何があった? 俺に言えよ。」
 「別に…なにも……ッ!?」

 彼女が、声にならない悲鳴を上げた。自分がその腕を思いきり引き寄せた事で、バランスを崩したのだ。受け身を取る構えも見せないほど、きっと彼女は『何か』に動揺していたのだろう。
 その体を包みこむと、自分は全ての衝撃を背に負った。それで良かった。彼女が怪我をするぐらいなら、こんな痛みは安いもんだ。

 彼女を後ろから抱きしめて、もう一度、問うた。

 「………もう一回、聞くぞ。何があった?」
 「だから、別になにも…」
 「ッ!!」

 流石にもう怒りを抑えておくことは出来なかった。はっきりと言ってやるべきだ。
 対する彼女は、耳元で怒鳴られ肩を震わせた。自分がここまで大声を出すなど、珍しいからだろう。きっと今、もの凄く辛そうな顔をしているであろう彼女を思い、我に返った。そして「ごめん」と言う。
 けれど、抱きしめる力を緩めるつもりはない。

 「その…。怒鳴ったりして、悪かった…。」
 「ん…。いいよ…。」

 そこから彼女は動かなかった。されるがまま、じっと抱きしめられていた。

 やっぱり、おかしい。
 そう思いながら、体勢を変えた方がいいかと考えた。
 心拍数が上がる。抱きしめた彼女の体は暖かくて、銀に抜き上げた髪からは甘い香りがした。

 意識し過ぎて、気まずい沈黙が流れた。でも、自分だけかもしれない。彼女は、怒鳴られて驚いたから動かないだけなのかもしれない。だからこそ、下手に動かないようにしなくては。
 どうやってこの体勢を元の状態に戻すか。それだけを考えていた。
 すると、ようやく、ここで彼女が口を開いた。

 「テッド……。」
 「ん?」
 「そのままで、聞いてくれる……?」
 「……なんだ?」

 少しの沈黙。それが、やけに重いと感じたことは、どうか錯覚であってほしい。
 次に、彼女からどんな言葉が出るのかと、甘い香りに包まれながら待っていた。
 すると、ポツリ。

 「私さ………あんたのこと、好きだよ……。」
 「……へ?」
 「はぁ……聞こえなかった? 私、あんたが好きって言ったんだけど?」
 「えっ…、って、へッ? ちょっ、待っ…!」

 驚くしかなかった。よりにもよって、まさか彼女がそんな事を言うとは、思いもしなかったから。彼女が、そんな事を思っているなんて・・・考えもしなかったから。
 同時に考えた。ここで有頂天になってはいけない、と。彼女の言う”好き”は、はたして自分と同じ部類のものなのか?
 それが、例えば『友情』という意味ならば、彼女になんと返せば良いのか。

 俺は・・・・・違う。俺は、そういう意味で『好き』なんじゃない。
 友達とか、家族とか・・・・・そういうんじゃない。

 これは、出方を待った方が良いか。そう考えていると、彼女は続けた。

 「好きって言ってもさ……。それって、友達とかの好きじゃなくて……『愛』の方なんだわ…。」
 「……………。」

 一瞬、なにを言われているのか分からなかった。その意味を解した途端、みるみる頬に熱が集まっていく。頬だけでなく耳まで。
 心臓の鼓動がせかせか脈打ち、彼女と目を合わせているわけでもないのに、視線が泳ぐ。

 「お、俺は…」
 「………ごめんね。変なこと言っちゃって…。」
 「いや、別に……ってか、その……あの…!」
 「ん、いいよ…返事はいらないから。もう忘れちゃって。今の内に、ちゃんと言っておきたかっただけなんだ……。」

 明るい声で、彼女はそう言った。そして、目を合わせることなく、立ち上がろうと腰を浮かす。

 「……?」

 感じたのは、やはり違和感。
 どうしても”それ”を拭い去ることができなくて、テッドは、またも彼女の肩を引っ張った。
 そして今度は、目が合うように仕向ける。

 「…………。」
 「……なんで…?」

 彼女は、泣いていた。溢れる涙を声一つ上げずに流し、唇を震わせて。

 「なんでだよ……おい、…」
 「………ごめん。なんでも…ないから…。」

 なぜ泣くのか。理由すら述べることなく、彼女は顔を背けようとした。しかし、そうはさせない。
 逃げようとする彼女の肩を両手で掴み、自分の方へと引き寄せた。

 「ちょっと、なにす…」

 彼女は抵抗したが、それを力づくで抑え込み、もう一度顔を向けさせた。
 そして、抗議の声を上げようとする彼女の唇を、自身のそれで封じる。

 「んっ……!?」

 驚いたのか、彼女は何とか離れようと胸を叩いてきた。でも逃がしてなんてやらない。
 腕の力を緩めることはせず、更に力を込めて抱きしめた。

 「テッ…! なにしてんのッ!?」
 「俺も好きだ……。」

 唇を離した瞬間、抗議してきた彼女の瞳をまっすぐに見つめ、そう伝えた。
 その言葉に彼女は目を見開き、ポカンと口を開ける。

 「…は? なに言って…」
 「俺も……お前のことが好きだ。愛してるんだ。」

 揺らぐことのない想いを持って、そう伝えた。
 だが、それと知ると、彼女は途端に視線を外す。

 「…?」
 「ごめ…、ごめん、テッド……。私…。」

 謝られる理由が分からず、首を傾げる。
 彼女は、自分を好きだと言ってくれた。そして自分も、やっと彼女に想いを伝えることが出来た。晴れて気持ちが通じ合ったのだ。
 それなのに彼女は、何かに怯えるように視線を合わせようとしない。

 「何があったんだ? 言ってくれよ…。」
 「私……私は…」

 彼女は、キツく目を閉じた。大粒の涙がボロボロ流れている。
 手の平で口元を覆っているが、堪え切れないのか、僅かに嗚咽が交じる。

 「私は……私は……………あんたと離れなくちゃいけない…。」

 そう言って、彼女はその場に泣き崩れた。

 「え……?」

 頭の中が、真っ白になった。

 離れなくちゃ、ならない?
 なんで? どうして?
 どうして・・・・いきなり、そんなことを?

 どういうことだと問うてみても、彼女はただ泣くばかり。
 どうしたら良いのかすら分からなくなり、彼女の肩に手を置くことしかできなかった。






 ある程度落ち着いたのか、彼女は、ポツリポツリと話し始めた。
 本当は、太陽暦453年という『未来』からやって来たこと。そして、自分を過去に送った人物に『あるべき時代に戻るときが来た』と言われたこと。

 全てを話し終えると、彼女はまたも泣き始めた。
 テッドは、涙に濡れたその頬に、優しく触れた。そして彼女が落ち着くように、いつもの口調を装って、言ってやる。

 「ったく……なんだよ。離れなくちゃいけないなんて言うから、てっきり”永遠に”ってことかと思った。」
 「え…?」
 「永遠に別れなくちゃいけないなんてことになったら、そりゃあ俺だって……色々考えたり、対処法とか……そりゃあ、死にものぐるいで考えると思う。でもさ…。ちょっとの間なんだろ?」
 「テッド…?」

 だから早く泣き止めよ、と、笑顔を見せた。

 「今は、確か…445年だっけか? 453年までってんなら……あと8年だろ?」
 「…うん。」
 「ってことは、8年待てば、またお前と会えるってことだよな?」
 「そう……だけど、でもッ…!」
 「一生会えなくなるわけじゃないんだろ? なら…。」
 「けど、私は、あんたと一緒に…!」

 彼女が言い終わる前に、唇を重ねた。頬を赤くしている彼女は、とても可愛らしい。

 「俺は、お前のことが好きだ。だからこそ……それぐらいの辛抱は出来る。」
 「…………。」
 「ま、俺らに与えられた”愛の試練”だと思えば、ちょろいモンだろ?」
 「……馬鹿。」

 つとめて明るくそう言ったつもりだった。しかし、長年連れ添ってきた彼女には、どうやら見透かされているらしい。無駄に強がっていることも、バレていたようだ。
 なんとなく気恥ずかしくて、彼女の髪を弄びながらその額にキスをし、ゆっくりと抱きしめる。

 「そういえば、”期限”って……いつまでなんだ?」
 「えっ?」
 「執行猶予。つけてもらったんだろ? そのレックなんとかに。」
 「レックなんとかって、あんた…。それに執行猶予って……逮捕されてるワケじゃないんだから。」
 「んー、で? いつまでなんだ?」
 「えっと…、『次の満月の宵』って言ってた…。」
 「次の満月? ってことは……。」

 空に浮かぶ月を見上げる。

 「……大体、一週間ってところだな。」
 「っ、一週間しかッ…!!」
 「ちょッ、泣くなって! たかだか8年の辛抱だろ?」
 「私にとっては、すぐかもしれないけど、あんたにとったら…!」
 「なーに言ってんだよ! 俺は、今まで300年近く生きてきたんだぞ? その中の8年なんて、普通で言う……3ヶ月ぐらいのもんだろ?」
 「あんた……言ってること、なんか変…。」
 「そこで笑うなよ…。」

 涙で顔をグシャグシャにしながら、今度は笑い始めた彼女に、苦笑いしながら口付ける。それが気恥ずかしかったのか、彼女は俯いてしまった。

 「どうしたんだよ?」
 「いや…。あんたって、意外に大胆だなって思ったから…。」
 「なっ! い、いいだろ別に、これぐらいはッ!」
 「べ、別に嫌なわけじゃないし…!」
 「それに……。」
 「ん?」
 「やっと、想いが通じたんだからな…。」
 「やっとって…?」

 その直後、彼女が意地悪く笑ったのをテッドは見逃さなかった。
 ・・・・まずい。これは追求される。
 その直感と変わらず、彼女は、ニヤニヤ笑い出した。

 「へぇー。で、いつから?」
 「うっ……。」
 「テッドくんはー、いつからー、私のことをー、好きだったのー?」

 からかう時の笑みで追求してくる彼女に、思わず顔を逸らす。逸らしていてもいなくても、顔が赤くなっていることは、自分でよく分かっている。これはもう不可抗力だ。

 「ねーねー! いつからいつから? 教えてよぉーん!」
 「あ、甘えた声出すなよ!」
 「教えてくれたら普通にする!」
 「……ず、ズルいぞ、お前。」

 だが、決して言わなかった。恥ずかしさもあるが、なにより『140年近くも、ずっときみに片思いしてました』なんて、口が裂けても言えない。言いたくない。

 「ねぇー! おーしーえーてーよぉー!」

 楽しくてしょうがないと言わんばかりに、彼女がニヤニヤ顔を近づけてくる。
 ・・・・流石にやられっぱなしは宜しくない。そう思い、反撃に出ることにした。

 チュッ!

 「なッ…!? あ、あんた…………何しちゃってんのッ!!」
 「………隙を見せるお前が悪い。」

 反撃を受けた彼女は、口に手を当てわなわな震えている。照れもあるのだろうが、慣れない故に鼻がぶつかってしまったため、痛み故の怒りなのだろう。
 冷静を装って答えてやったが、如何せん、こちらは耳まで赤いため格好がつかない。

 「ったく…。さっきから、チュッチュチュッチュ……。」
 「う、うるさい! 俺だって恥ずかしいんだから、いちいち言葉にするなよ!!」
 「自分からしてきて照れるとか、どんだけ純情なの? あんた…。」
 「だーーッ! いいだろッ! 純情なんだよ、俺もお前もッ!!」
 「……まぁ、確かに。否定はしませんけどー。」

 口にされた擬音で、恥ずかしさが頂点まで登り詰めたため、勢いのまま彼女を抱き寄せる。こうすれば、お互い顔を見られずに済む。

 「あと一週間か…。」と、知らず言葉にしていた。

 「ん?」
 「ってことは、あと一週間は、俺たちだけの時間だよな…?」
 「なに言ってんの? 今まで、ずっと私達だけの時間だったじゃん…。」
 「バーカ。」
 「はぁッ!? バカぁッ!?」

 途端、口を尖らせた彼女に苦笑しながら、その耳元で囁く。

 「違う……。”恋人同士”としての時間、ってことだよ。」
 「ッ!!!!」

 顔は見えないが、彼女も、きっと赤くなっているはずだ。けれど、そう考えていたテッド自身も、これまで見たことのないぐらい真っ赤になっていた。



 それから・・・・・。
 二人は、山を下りた先にあった小さな町に留まり、残された一週間余を穏やかに過ごすことになる。